西暦204X年、ある日の夕暮れ。

私と、将来の妻と思われる女性と一緒に、リビングのソファーに腰かけて、二人が何やら会話をしているのが聞こえる。

妻:「ねぇユーディー、覚えてるかな?あなたが20年くらい前に話してくれた未来の話。あれはたしかクアラルンプールにあるイタリア料理のお店だったと思うんだけど...」

私:「20年前の話なんて覚えてないよ。何の話だっけ?パンナコッタが美味しかったのは覚えてるよ」

:「ほら、運命を信じるかどうかって話だよ。私たち人間の運命はすでに決まっていて、未来は生まれた瞬間から決まっているかもしれないって話。あなたはかつて臨死体験をした夢の中の幻覚で、未来のワンシーンを見た。それであなたは意識が戻って奇跡的にこの世界に戻ってきた、そうだよね...?」

私:「そんな話したっけ?笑 まぁなんとなく覚えてるかも。今にして思い返せば、あの日がうちらの運命の分岐点だったのかもね。でも、急にどうしたの?」

:「ん、なんでもない!あーもう夕方ね、お味噌汁作ってくるね♪」」」

立ち上がった彼女の後姿は、あの頃にそっくりの面影がある。

***

【人生は無限にある選択作業の連続】

私たち人間は日々たくさんの選択をしている。そして、その選択の結果、今あなたはこの瞬間、ここにいる。

ここはどこだろう?

あなたの周囲を見渡してみてほしい。それは過去のあなたが選択した未来の姿、つまり今この瞬間だ。

人生は無限にある選択作業の連続だ。

今から記憶を頼りに、あなたの人生について思い出してみてほしい。

あなたは生まれてから今まで、多くの選択をしてきたはずだ。

どこどこの学校に進学する。どんな部活に入る。どんな塾に通う。どんな習い事をする。どんな友人と付き合う。どんな恋人と付き合う、別れる。

大学に行く、行かない。留学する、しない。

どこどこの企業に就職する。キャリアを築いてどこどこの企業に転職する。自分で起業する。

大好きな恋人と結婚する。旦那さん/奥さんと幸せに暮らす、あるいは離婚する。

子どもを産む、産まない。

生命保険に入る、入らない。

家を買う、賃貸にする。

日本で暮らす、海外で暮らす。

などなど、これまで色んな選択肢があったはずだ。

*

あなたは今から友人のA君と食事に行くために待ち合わせをしているとしよう。

やがて二人はレストランで出会い、イスに腰かけて話し始める。

あなたはA君に会うという選択をして、あなたは今レストランにいる。

A君も同様に、あなたに会うという選択をして、A君も今レストランにいる。

今までの人生、仮にどれかただのひとつでも、どちらか一方でも別の選択をしていたら、あなたとA君は今レストランにはいないだろう。

もしあなたが別の学校に行っていたら?もしあなたが過去の彼氏/彼女と結婚していたら?もしあなたが今の会社でなく、別の会社に就職していたら?

私たちが今この瞬間、ここにいるのは偶然に偶然が重なった奇跡である。

すべては起こるべくして起こったこと、必然かもしれない。

あらゆる選択の連続の先にある未来、あなたとA君のどちらかが、どれかひとつでも違う選択をしていたら、未来はきっと違うものになっていたはずだ。

いろんなことがあって、私たちは今ここにいる。そしてあなたとA君は出会った。

それは選択作業の連続の結果、たどり着いた世界線の先にあった未来に他ならない。

では、この未来はあらかじめ決まっていたものだろうか?

それとも、あなたの自由意思で決定した結果なのだろうか?

***

【運命を信じるか?~未来はすでに決まっているのか~】

2022年6月の出来事だった。

私はいつものクラブで友人たちと朝方までお酒を飲んでいて、ある瞬間から意識がなくなった。

どうやら私は記憶がないまま店の外に出てしまい、気が付けば知らない街の道路の上で倒れていた。

詳しくはこちらの記事を見てほしい。



やがて起き上がった私は、店に戻るべく、気が付けば知らない街の中を彷徨い、走っていた。

ふとその瞬間、過去に夢で見た景色と、今自分が見ている景色が透かし絵のように重なったのだ!

脳の中の声:「ピピピピピ、一致しました

あー、デジャブ(既視感)だ。本当にこんなことあるんだ!
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ここは夢じゃない!!間違いない!私たちは今、夢で見た景色の中にいる...。
精神異常⑤~デジャブ体験とタイムトラベル~」より

子供の頃に見た夢の中の景色、何度も繰り返し見た夢の中の世界。それは私が35年先の未来、日本から5,200km離れた場所で見る光景だったのだ。

その時まで運命など信じなかった私、未来とは自分で選択して行く先にあるものだと思っていた私は、180°考え方を変えることにした。

5歳の頃の夢は幻ではなく、未来に見る景色だったのだ。

ということは、私の人生は少なくとも、5歳の頃には未来にここに来ることが決まっていたのだと考えると腑に落ちる。

あの頃、千葉の港町で育ったやんちゃな男の子は、その後、学校を卒業すると、金融マンになり、やがて東京からシンガポールに移住し、そして、ここクアラルンプールで生活することが決まっていたと考えると、人生にはあらかじめシナリオが用意されていて、私はあらかじめ決めっていたそのシナリオ通りにこの場所にたどり着いた。

そう考えると、妙に納得できるのだ。

***

【手相占い】

私は占いやスピリチャルのように科学的根拠のない話は、絶対に信じない人間だった。

だけど、どういうわけか、19歳の時に一度だけ東京・新宿の路上で手相占いをしてもらったことがある。

占い師のおじさん:「あなたは将来、日本よりも西の国に住むでしょう。その地であなたは商売をします。商売を通して、同じ価値観を共有できる最高の仲間に恵まれるでしょう。またその地で生涯をともにする運命のパートナーに出会うでしょう。あなたはおそらく、思っているほど長生きはできないので、人生の早い段階で資産を作り、将来ご家族が困らないように早めに行動したほうがよいでしょう」

あれから23年、私はその後シンガポール、現在はマレーシアに移住し、会社経営をしている。それなりに商売がうまく行っているほうだと思う。商売を通して、信頼できる多くの友人に恵まれた。だが、結婚はしていない、私は結婚願望0のプレイボーイ野郎だ(笑)。

何事も全力で取り組む、人生は太く短く、思いっきり働き、思いっきり遊ぶ。いつ死んでも悔いはない。

あの時、おじさんの言ったことは不思議なことにけっこう当たっている気がする。

しかし、残念ながら運命の人にはまだ出会えていない...。

***

【未来を書き換えることはできるのか?】

未来を書き換えることはできるのか?

これは非常に難しい質問だ。だが、答えはYESとしたい。

厳密にいうと、未来を書き換えることはできないが、別の世界線に移動することはできると思う。

未来は選択肢の数だけ存在していると考えるといいだろう。私たちは自分が一人しかいないと思っているが、実は何億人、何十億人の私たちが存在しており、今この世界線にいる私たちもそのうちの一人だ。

この世界は、おそらくパラレルワールド(並列世界)の無限構造をしていて、そこには無数の選択肢が存在している。

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生まれた瞬間から私たちは多くの選択をしていて、その選択肢の数だけ私たちは分裂し、同時並列的にとてつもない数の私たちは、違う世界線に分岐して生きていることになる。

例えば未来がすでに決定しているのであれば、私たちは今この瞬間から努力することを辞めてしまうだろう。

そうすると、その瞬間にあなたは努力をしなかった世界線に移動し、その世界線にいたあなたに吸収されるか、あるいはあっちの世界線のあなたとすり替わり、あっちの自分(努力を辞めてしまったが、また努力しようと思った自分)とこっちの自分がすり替わるようなことが起こるかもしれない。

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いずれにしても、-少なくとも私のブログをここまで読んでいるあなたは-、これまで最善の選択をしたに違いなく、努力を辞めるようなことは安易にするべきではないのだ。

できる限りのことをやってたどり着いた世界線が今のあなただ。

それは、必ずしもあなたが100%思い描いていた未来の姿ではなかったかもしれない。

だけど、あなたはこれからもより努力をし、より良い世界線を選択し、未来をより良いものにしてほしい。

いいね?

約束だよ?

***

【臨死体験で見た未来の世界】

2004年2月、春のことだった。

私は急性大腸炎を発症し、電車の中で意識不明に陥り、駅のホームで倒れ、病院に緊急搬送された。

詳しくはこちらの記事を見てほしい。



約2分半にわたる心肺停止状態、私は死亡認定をされた(らしい)。

2004年2月27日、14:02分。本当なら、私の人生はここで終わっていたはずだ。

しかし、私の意識はたしかにあり、それはここではないどこかへ旅立とうとしていた。

今までの過去の思い出がフラッシュバックし、まるで走馬灯のように思い出が脳裏を駆け巡った。

走馬灯

物語が終わると、私の意識は漆黒の暗闇に向かって進み始めた。

その時、意識世界の中で誰かが囁く。

「戻りなさい」「戻りなさい」...。

私はその暗闇から必死に離れようとした。

私はその時、不思議な光景を5つくらい見た記憶がある。

残念ながら最初の3つくらいは忘れてしまったが、最後の2つは覚えている。

ひとつは老人と孫娘が何か会話をしていて、向こう側に川が見える。

(え、これまさか自分の未来の姿?この娘は私の娘?それとも孫??)

もうひとつは左後姿の初老の女性が、キッチンで味噌汁を作っている景色が見える。

(誰、このおばさん?私の将来のお嫁さん???)

「ユーディー、お味噌汁できたよ♪」

意識不明に陥った夢の中の幻で、白髪交じりの初老の女性が台所で私を呼んでいる。

(ん?これは未来?これが未来だとしたら私はまだ生きられるのか?)

彼女の声で私の意識が現実世界に戻った。残念ながら彼女の左後姿しか見えなかったが、とても美しいオーラを放っていた...。

*

私はある女友だちの
ちゃんがいて、いつも一緒にお酒を飲んでいる(※ちなみに彼女は私の恋人ではない)。

いつも彼女は必ず私の左隣に座る。

去年の7月、たまたま彼女はたまたま私の右隣に座った。

私はふと彼女の横顔を見つめる。

(左の耳の下に小さなほくろがあって、左後姿。この首の形。どこかで見たことがあるような...)

私は一瞬固まった。

(なんだっけ?このシーン。どこかで見たことがある気が...うーん、思い出せない)

数日後、お風呂に入ってシャンプーをしている時、臨死体験で見た初老の女性が脳裏をよぎり、Nちゃんの左後姿と透かし絵のように重なった。

脳の中の声:「ピピピピピ、一致しました」

来た、デジャブだ...。
Rijin4

私は急いでお風呂を出てリビングの電気を消し、この不思議な現象について考えた。

(なんであのおばさんと...
ちゃんの左後姿が重なったのか?)

私はこの話を彼女にしようかどうか悩んだ結果、彼女をイタリア料理屋に呼び出し、起こった出来事をできるかぎり詳細に話すことにした。

彼女はもうすぐマレーシアからオーストラリアに引っ越してしまう。もうなかなか会えない仲になってしまうだろうし、最後だから話すだけ話してみようと思ったのだ。

この話が、先に話したデジャブと異なる点は、未来の彼女の姿と現在の彼女の姿が重なって見えたことだ。普通、デジャブとは過去に見た景色が現在の景色と重なる瞬間に起こる。

過去が現在と透かし絵のように重なる瞬間をデジャブと言うのなら、未来が現在と
透かし絵のように重なったこの現象を、いったい何と呼べばいいのだろうか??

こんなことは人生で初めての経験だ。

いずれにせよ、この瞬間、私が人生でやりたかったTo Doリストをクリアした気がした。

・ 臨死体験の夢の中でお味噌汁を作ってくれた女性に、出会ったら助けてくれたお礼を言うこと


*

私:「...っていう事があったんだよ。この話どう思う?」

Nちゃん:「えー、私たち結婚するってこと~!???」

私:「うーん、このシーンが何を意味しているかわからないけど、それも可能性としてはあるね。でもそれはあり得ないと思う(笑)まぁ友だちとはいえ、男と女だから将来何があるかわからないけどね」

Nちゃん:「うーん、正直ユーディーと結婚して、将来を一緒に過ごすことは今は想像できないけど、とっても面白い体験をしたね。そしたらさ、いつかどこかで答え合わせをしようよ!」

私:「そうだね、ぜひやろう!その後、お互いがどんな人生を歩んだか?そうだ、記念にいちおう今夜の写真だけ撮っておこうか?」

KL Distiny
2024年12月27日撮影

本当はこの話を彼女にするつもりはなかった、だけど私は彼女に話をする方の世界線を選択した。

ひょっとしたらデジャブは私の勘違いだったかもしれない、でも少なくとも私は人生やることリストの1つが無事に終わったと受け止めた。

無限に分岐を繰り返す、今、私が立っているこの世界線の先にある未来の結果がどんな結果だって構わない。

「やる」・「やらない」の二者択一に迫られたとき、私は常にやる方を選択してきた。

『迷ったら一歩前へ!』

この言葉は私の座右の銘である。


***

【21・42・63】

42歳(2024年)は本当に不思議なことが起こった1年だった。

それは具体的には2004年、今から約20年前に起こった出来事の伏線を回収したような出来事が続いた年だった。

21歳(2004年)のとき、これからの人生を、金融マンとして生きていくか、フリーターをやりながらハードコアバンドのドラマーとして生きていくか、人生の二者択一を迫られた。

今にして思えば、21歳のあの時が、、、私の人生の最大の分岐点だったと思う。

私は結局、音楽と向き合うのが嫌になって、スポットライトの輝くステージから降り、金融マンとして生きていく道を選択した。

それが正解だったのか、ある程度、起業家として成功した今になっても正解が見つからずに、今を生きている。

「もしもあの時、別の選択をしていたら...?」と時々考えることがある。

先に述べたとおり、私は21歳の時に臨死体験をし、その入院費用を支払うためにお金がなかった私は、Ludwig400という大切なスネアドラムを売って入院費用の足しにした。

あの時、自分が心から愛する楽器を手放したことへの罪悪感、後悔は今でも残っている。

これはお金で解決できる問題ではない、私にとっては永遠に消えることのない、、、心の傷跡だ。

*

それから21年後の未来、ふとしたことから昨年の6月にクアラルンプールの楽器屋に立ち寄ったら、偶然にも1台だけその機種が飾ってあったのだ。

(東京の楽器屋ならまだしも、まさかクアラルンプールの楽器屋に置いてあるとは...)

私はこの再会に運命を感じ、その楽器を買って帰り、現在クアラルンプールの自宅に置いている。

いつか、ある程度仕事をがんばって、
お金と時間が自由に使えるようになったらドラムセットを買って、スタジオを作って、また趣味でドラムを始めたいと思っていた矢先の出来事だった。

Ludwig LM400

私の会社は今、広い新オフィスに引っ越し、私はそこにドラムセットを置こうとしている。

また、このブログを書いている2025年1月、先日千葉の実家に帰り、押し入れを整理していたら中高生の時に使っていたスネアドラム(TAMA Rock Star:廃版)を偶然見つけた。

すでに錆びだらけでボロボロで可哀想な姿になっていたが磨けばまだ使えそうだ。両親に頼んでクアラルンプールまで送ってもらうことにした。

中高生の青春時代を共に過ごした相棒と、20数年後に日本から遠く離れたマレーシアで再び同棲生活が始まるのが楽しみだ。

Tama Ropckstar

*

バンドマンとしての人生、金融マンとしての人生、あの時、私は後者を選択した。

人生は選択の連続だ、こっち側にいる私は、今となっては、あっち側を選択した未来を見ることはできない。

しかし、あの日たしかに分岐した未来、今、その2つの絶対に交わらないはずの世界線が重なって統合したような、不思議な感覚を覚えている。

私は去年から約20年ぶりにドラムの練習を再会した。久しぶりにドラムセットの前に立って眺める景色、やっぱり私はまたここに帰ってきてしまった。

(きっとこうなる運命だったんだ... 結局、人は運命からは逃れられないのかもしれないな...)

もしも、42歳が本当に厄年というのであれば、とてつもないレベルで霊的な体験をさせてもらった1年だった。もはや神に弄ばれているとしか思えない1年だった(笑)

yakudoshi
*

21歳の時に起こった出来事が伏線だったとしたら、42歳になった私はその伏線を回収していることになる。

21、42と来たら、次は63歳だ。きっと何かとんでもない事が待っているに違いない(笑)

42歳の今年、もしこれらの不思議な出来事が壮大な伏線だったとしたら、63歳になった未来の私は、、、いったいどんな伏線を回収しているのだろうか?

臨死体験の幻の中で私にお味噌汁を作ってくれた女性とデジャブが重なった女友だちNちゃん、彼女はもうすぐオーストラリアへ旅立ってしまう。

もうすぐお別れだ。

おそらく、もう頻繁に会うこともないだろう。もう二度と会えないかもしれない。

だけど、、、もしかしたら、かつて私の人生で分岐した世界線が再統合したように、またいつか、どこかで彼女に会える日が来るかもしれない。

いつか私たちの人生に再び重なる未来があるとすれば、私たちはお互いにまだ旅の途中にいることになる。

数年後、また彼女に会う機会があれば、答え合わせが楽しみだ。

この物語はこれでおしまい。

この世界線を生きている私たちにとって、いったいどんな未来が私たちを待っているのだろうか?

2024年の年末、あの夜の
Nちゃんとのデートで話した内容、そして答え合わせをするという約束を忘れないために、ここにタイプカプセルとして書き残しておきたい。

おしまい。

***

(未来の空想世界線)

どこからか、私たち家族の会話が聞こえる。

子どもたち:「へぇー、パパとママにはそんな物語があったんだね!結局、パパはどうして...ママを選んだの?」

パパ:「あの食事の後でね、場所を変えて飲んでた時に、ママがある一言を言ったんだよ。それは、いつかパパが真剣に世界でたった1人だけ女性を選ぶ日が来た時に、絶対に自分が譲れない価値観の話だったんだ。それをママがお酒を飲みながらさりげなくつぶやいたのをパパは聞き逃さなかった。その瞬間に確信したんだ、この人がパパの運命の人だって。ママ、覚えてる?」

ママ:「えー、気になる。何の話だっけ?」

パパ:「それは20年前(つまり2025年1月にパパがこの文章を書いている「過去」)の未来にある世界線の先、つまり我々が今いるこの場面にたどり着くことができたら話すよ。いつもパパが君たちに話しているパパの価値観をママの口から聞いたんだ。正直驚いたよ、だってパパはこの価値観を持つ女性をずっと長い間探し続けて来たんだから。ママがこの2024年の伏線を204X年に回収できるかどうかが楽しみだね

子どもたち:「ママはたしかマレーシアからオーストラリアに引っ越したんだよね?あれ?離れ離れになった二人の物語は、、、そこから先はどうなったの?」

ママ:「それはまた...機会があれば続きを話すわ。さてと、夕飯作らないとね」

子どもたち:「わかった、楽しみにしてる!」

しばらくして台所からママの声が聞こえる。

ママ:「ユーディー、お味噌汁できたよ♪」

(204X年につづく)

***

私たち人間には自由意志はあるのだろうか?

・人生は自分でシナリオを決めることができ、未来は書き換えることができる、つまり私たち人間には自由意思がある。


・人生はあらかじめ決められたシナリオどおりに進んでいるだけ、未来はすでに決まっていて、私たち人間に自由意思はない。

答え合わせは20年後にしよう、私たちが元気に生きていれば...。