人間には自由意思はない、すべての物事はあらかじめ決まっていて、私たちはその指示通りに動いているだけだ。

こんなことを言うと、何とも夢のない話に聞こえるかもしれない。

嬉しいこと、悲しいこと、笑うこと、泣くこと。

すべての選択は、私たちはそれを自らの意思に基づいて行動していると思いがちだ。

しかし、残酷な話だが「私」が「私」であるとする「自我」は顕在意識の中でのみ起こっており、すべては私たちが無意識のうちに、潜在意識からの指令を受けて1テンポ遅れで行動しているようなものだ。

*

この世界は、おそらくパラレルワールド(並列世界)の無限構造をしていて、そこには無数の選択肢が存在している。


今、このブログを読んでいるあなたは、その幾重にも存在しているパラレルワールドのひとつの可能性を選択【させられた』にすぎない。した」のではない、「させられた」のだ。

あなたは生まれた瞬間から、オギャーと泣いて、ご飯を食べて、成長して、学校に行って、勉強をして、会社に行って、恋愛をして、どういうわけかこのブログを読む「」に至っている。

*

私たちの可能性は無限大だ。

「Aをする・しない」、次に「Bをする・しない」、次に「Cをする・しない」、次に「Dをする・しない」...n(以下繰り返し)。

この世界のすべてのありとあらゆる可能性は分岐していて、あなたは今、どういうわけか私のブログに偶然たどり着き、このページを読んでいる。しかしそれは偶然ではない、必然であり、それは起こるべくして起こった運命(さだめ)だ。

あなたには今から「私のブログを読む私のブログを読まないという選択肢があり、-少なくとも-、ここまでは「読まない」という選択肢を採用せずに「読む」という選択肢を採用している。

この先は「
読み進める」・「これ以上読まない」という選択肢があり、さらにその先には「読み進める」を選択した場合、「読むのを途中でやめる」「最後まで読む」という選択肢が存在している。

無数の選択肢のうち、最終判断をするのはあなただ。しかし、最終判断をしているのは実はあなたの顕在意識ではなく、あなたの潜在意識の中ですでに決まっている。

もし、興味があれば時間を取って少しだけ付き合ってほしい、私が「人間に自由意思はない」という考えに至った、ある出来事について。

以下の話は伏線と回収を繰り返すフラクタル(入れ子構造)になっていて、非常に理解するのが難しいかもしれない。果たして、あなたは最後まで読み切れるかどうか...。

***

【デジャブ体験】

先日、不思議な体験をした。

こんなバカバカしい話をマジメに書くのは、人生で最初で最後にしたい。

とても長くなるが、詳細に思い出せるかぎり書き残しておきたい。


その日は私の誕生日の打ち上げがあって、クライアントさんたち(こうちゃん、せいちゃん、しょうちゃん)と私の4人で飲んでいた。

焼肉を食べ終わった後、私たちはクラブへ行き、個室で飲んでいた。

ここまではいつもと何ら変わらない日常だ。

そろそろ飲み会も終盤に差し掛かり、酔いが醒めて来た頃、突然、私の中で危険シグナルが点灯した。

私は解離性障害を患っており、シグナルが出ると遅くとも2時間以内には家やホテルに戻り、しばし引きこもって周囲に迷惑をかけないようにしている。

私は帰る前にトイレに行こうとしたのか個室を出たらしく(同席者こうちゃんの証言による)、その後記憶を失った。

いや、私ははっきりと覚えていたのだ。たしかに私は個室から出て、ドアの向こう側に別次元の世界が広がっていたことを。

ギワタンギワタンギワタン、テンテンネロ

ギワタンギワタンギワタン、テンテンネロ

ギワタンギワタンギワタン...
Rijin1

個室のドアを開けてしばらく歩くと、私は強烈なめまいを感じた。

声:「ジワッホジワッホ」

脳の中からジワッホジワッホと聞こえる。

そこに黄金色の渦が現れて、私を取り囲む。

lens-reflection-g96b6d63e5_640

目の前に小さくなった自分が見える。

私はめまいを感じつつ、小さくなってしまった自分が座ったのを見ながら、私も同じように1テンポ遅れでその場に座り込んだ。

どこからともなく声が聞こえる。

声:「久しぶりだね、覚えてる?」

私:「えっ!?」

ジワッホジワッホ...

ヤバイ!!!この場面を覚えてる。何だっけ?


怖い夢、何度も見た夢。

ブゥー↑ウーン↑という音とともに、私は明るい空間の中にストーンと落ちてしまい、脳の中からジワッホジワッホという声が聞こえてくる。ここはどこだろう?

引用:「精神異常①~意識の相対支配より


あーーー、思い出した!小さい頃に見た怖い夢だ!!!!!


casino

声:「ねぇ、覚えてる?ちょっとついてきて」

小さい私が目の前で歩き出したので、私も同じようにつられて勝手に歩き出した。これは私の自由意思ではない

私は意識を集中させて正気に戻るか、急いで人格交代をして防御しようとするが、間にあわず、この夢の中に引きづりこまれていった。


私:「ダメだ、間に合わない。意識がもってかれる!!」

とっさに右手で左胸をおさえたのを覚えている、心臓がドクドクと音を立てていた。あ、生きてる。じゃあとりあえず大丈夫か、あとは、、、任せた...。

Rijin3a
1805998b

強烈なめまいがした後に目の前に巨大な渦が現れて、そこに意識が引き込まれていった。

つまり、私は夢の中で気絶して、さらに夢の中に入っていくような意味不明な感覚だ。その直後に私は光のトンネルの中を凄いスピードでワープしていく。

場面が切り替わり、私は黄金色の階段を降りている。

あー、階段だ。懐かしい、覚えてる。これを降りて、たしか右に曲がってまっすぐ歩くとドアがあるはず。

Photokako-parallel-universe-z2Q4bXd5DQjqmsEK
stairs

ドア!あった、たしかこのドアは閉まっているから手前に押すボタンが、、、あったあった。

IMG-0701

たしか夢の中で右手でドアノブをひねって開かないんだったっけ、だから一度手前に戻って右の人差し指でボタンを押すんだったかな。

階段を降りて右にまっすぐ歩くとドアがあって、どういうわけか鍵がかかっていて開けることができない。何回も夢を見ているうちに、手前の小さなドアを開けてボタンを押すとドアが開き、外に出られることがわかった。

ボタンを押すと、、、ほら外に出られた。このドアのスイッチはわかりにくいところにある。

だけど昔、何度も夢の中で練習したから今でもしっかり覚えている。


気が付けば私は、夢の中で知らない街を独りで歩いていて、笛のような音が遠くから聞こえていた。笛と一緒に空から声が聞こえる。

Photokako-parallel-universe-gH5paDnWuC68v6Ed

ピーロロロー、ピロロロロロー。アジタカブーサン、アジタカブーサン。

天気が良いせいか空を見上げると太陽が眩しい。太陽からはお寺の鐘のようなゴォーーーンという音が、かすかに聞こえる。

ピーロロロー、ピロロロロロー。アジタカブーサン、アジタカブーサン。

あーーー、アジタカブーサンだ!!
Rijin4

何を言っているのかマジで意味がわからないが、この場面は覚えてる。なんだかよくわからないどこか外国の街並みだ。



聞こえてくる音はこの動画の笛のような音だ。

私は夢の中の世界があまりにも怖くて両親にずっと話せず、胸の中にしまい込んだまま30年以上忘れていた景色だ。

Photokako-neon-YhV6iAhC8khmT01X

その次に、私は洞窟みたいな場所の中にいる。きのこのように土の中から屋根に青いネオンが輝いている建物が風船のようにムクムクっと現れる。建物は左右に揺れ、まるで踊っているようだ。青い光が眩しく、光からは漏電した電灯のようにバチバチっと嫌な音が聞こえる。

あー、この場面も覚えてる。大人になってみるとここは何の建物だろう。ずんぐりむっくりした建物だ。なんで小さい子供がこの場所の夢を見たのだろう?

Photokako-neon-WXp77Ir0GVhGBDH1
IMG-0700

たしか、この店に入ると右側にカウンターがあって、5人の人がいて。右の二人はたしか...

店に入ると5人の客が右のカウンターに座っているのが見える(※幼児だった私は、バーなんて行ったことがないので、見たこともない光景に自分が入り、とても恐怖を感じたのを覚えている)。

うん、間違いない。覚えてる覚えてる。私はおそるおそる夢の中で右側を向いた。記憶がたしかであれば金髪のお姉さんと黒いロン毛のお兄さんが座っているはずだ。

右から2番目に金髪の女性、後ろ姿だけで顔はわからない。一番右は少しロングヘアの男性。男性は小さくて黒い箱を持っていて、ずっと覗き込んでいる。

この瞬間に、朦朧とした意識の中でゾッとしたのを覚えている。

小さい頃、夢の中で見たお兄さんが持っていた黒い小さな箱は何とスマホだったのだ。あの頃は1980年代、まだスマホはおろか携帯電話など存在しなかった時代だ。

最後に切り替わる場面では店の玄関を右に曲がり出口を出る。外に出ると私は頭を半分くらい店の外に出していて、外の世界はまるでCG(コンピューターグラフィック)で描いたような美しい鮮やかな景色だ。

「す、すごい。なんて鮮やかな景色なんだろう!」

IMG_9537

Photokako-comic-cXhKpx0EzsOYBwgE

すごい鮮やかな景色だ、間違いない。この場面は子どもの頃に見た夢の中と一緒だ。

しかも出口のところに座りながら「お疲れ様です」と言ったのは、何と一緒に飲んでいる同席者の若者せいちゃんだったのだ。私がこの夢を最後に見たのが30年以上前、あとで彼に年齢を聞いたら28歳だった。彼が生まれる前に私はすでに彼と夢の中で出会っていたのだ。
Rijin4

ここで私の視覚意識が正常に戻っていたので、今まで意識が強い解離状態にあったのだ、と理解した。

それにしても凄い時間だった。子どもの頃に見た夢を、まさかいい歳した大人になって再び見るなんて思わなかったからだ。

たぶん子供の頃に見たこの夢は、きっと眠りながら解離状態に陥っていて、今も同じ夢を見ているのだろうと思った。人生とは不思議なものだ。

*

明け方、外は小雨が降っていて、私は髪の毛や服が濡れた状態で店の近くの歩道で倒れていた。

dark-g765ea7f9e_640

私:「あれー、おかしいな。さっきまであの建物の2階で飲んでいたはずなんだけどな」

自分の記憶を辿れるかぎり、個室を出てから店の前の歩道で倒れていることを認識するまでの間、私はどうしていたのだろう?

ここまで来るには階段を降りてドアを開けないと来られないはずだ

いったん冷静になって考えてみた。

1. 意識が強く解離幽体離脱)してしまい、意識だけが店の外に飛ばされた
2. 人格交代が起こり、私とは違う誰かがここまで歩いてきた

私はすでに解離性障害を持っており、かつて経験した幽体離脱のように、何等かの強いストレスによって1.が起こったのだと推測した。

ということは私の意識が肉体と現在地の間10メートルくらい離れてしまったので、意識を集中させて自分の肉体に戻らなくてはいけない。

飲み屋の個室を想像すると、私が倒れていて今頃みんなが心配しているはず。意識不明で倒れていて、みんなで体をさすって起こそうとしているはずだ。早く肉体に戻らないと。
IMG_20220824_0001_NEW_page-0002
困ったことに店はすでに閉まっていて、裏口を叩いても反応がない。スマホはおろかカバンごと店の中においてきてしまっているのでどうしたらいいのか途方に暮れた。まさに「着の身着のまま」とはこういうことだ。意識を集中させて壁をすり抜けるしかない。

昔、臨死体験をしたとき、幽体離脱(=体外離脱、意識が強いストレスなどにより、座標軸がズレて意識が肉体から離れたように錯覚する現象)を経験した時のことを必死に思い出す。あの時は、どうやって自分の身体に戻ったんだっけ?

(参考:「精神障害④~臨死体験と幽体離脱~」)

※ 文章を読んでイメージできるかわからないが、私の意識はこの時点で臨死状態に入り込んでいると思い込んで、軽いパニック状態に陥っている。思考回路が支離滅裂だ

***

人格の任意交代

この時、私は自分のある能力を使うことを決断した(※私はDID=多重人格者だ)。

いわゆる意図的に今の意識を遠ざけ、意識の向こう側に待機している別人格を呼び出すのだ。これは解離性同一性障害(DID)を持っている人ならわかると思うが、-人によってやり方は違うが-、人格を任意で交互に存在させるのだ(※残念ながら同時に存在はできないし、記憶の共有はほぼできない。それでもやってみるしかない)。

心理カウンセラーからはストレスがかかりすぎるから絶対にやるな、と言われている方法だ、人格交代を短時間で頻繁に行うと、精神面と肉体面にとてつもない負担がかかるからだ。

1

私は意識を一点に集中させて、違う人格を呼び出した。私の意識変性は中指と薬指を使い、右上の眉の上あたりを軽くこすりながら意識を集中させて行う(逆に言えば、ここが私の弱点でもある。私のこの部分を触ってはいけない)。

私2:「困った、解離してしまってあそこに戻れない。この夢って最後どうやって終わるんだっけ?」

(※ 私2は私のこと)

私1:「ああ、急いだほうがいいね、時間がないよ。赤い置物は覚えてる?その手前を左に走り抜けると夢から醒めるよ。たぶんそれで戻れる」

(※ 私1はかつての私のこと、どういうわけかある時点を境に主人格と交代人格が逆転してしまった)

私2:「わかった、やってみる」

D4

私2:「赤い置物、あった!!本当にあった!!」

私1:「あー、そうそう。その置物から2区画下がって、そこから全力でダッシュしてみて。区画の間で足を挫くと思うけど。最後に置物の手前を左に駆け抜けるんだよ。それで元に戻れるはず」

そして、知らない街の街外れの区画を2ブロック全力で走る。

走っている途中で時間内に赤い置物まで間に合わないと、夢の中で意識を失ってそこで夢が終わる。〇〇で〇〇でおしまいっ、と声が聞こえる(〇〇が何と言っていたか思い出せない)。

私2:「わかった、やってみる。この景色、覚えてる。夢から醒める直前に見ていた景色だ」

そして、知らない街の街外れの区画を2ブロック全力で走る。

D3

やはり足を挫いた。

なぜか1区画目と2区画目の間で足をくじく、何回同じ夢を見ても、同じ場所でつまずく。

D2

2区画を全力で走り抜けて、最後に赤い置物があるので、その手前を左に走り抜けると毎回夢から醒める。この夢はどういうわけか毎回52秒で終わるという設定になっている。

D4

2区画をダッシュ、夢から醒めない。

私2:「おかしいな、夢から醒めない」

気が付けばベッドの上で、パジャマが汗まみれだ。私はここで自分の意識に戻る。

私1:「ちょっとこっちに意識を集中させて。ボクがやる。せーの!」

d0ce2b1d

「あー、良かった。今日もこっち側の世界に戻ってこれた」

私1:「おかしいな、うまくいかないね。もう52秒経っちゃったから夢から醒めるはずなんだけどな」

ダメだ、どうしても現実世界に戻れない。。。

*

意識の彼方から母の声が聞こえる。私が空想している場面は父と母、私で夕食を食べているワンシーンの映像だ。

母:「人間ってね、自分が絶対に死なないっていう強い思いがあると、死なずに助かるらしいわよ。さっき、一命を取り留めた人から話を聞いたの。本当かしらねぇ」

そんな、少年時代に母が言ったことをぼんやり思い出していた。

困ったな、、、意識を肉体に戻せないと、このままあっち側に行ってしまう。

IMG_20220923_0001_NEW_page-0003

世俗的な私だがこの時、人生で初めて心の底から神へ祈りを捧げた。今までの人生を悔い改め、心の底から神を感じるように。強く念じろ、強く念じろ。

すると、脳の中で幻聴が聞こえる。

声の主:「あなたは人生でやり残したことはあるか?」

私:「神よ、まだ顧客宛にメール返信が終わっていません、だから私は戻らなければなりません。私は現実主義者なのです」

声の主:「...」

脳が作り出した幻覚だろうか、私は冷静になって目を閉じると、黄色いヒモのような塊が意識の中に浮かんでいるのを感じた(※私は小さい頃から幻覚体質で、よく黄色や紫色の幻覚を見る)。
IMG_20220824_0001_NEW_page-0003

私1:「ん???ちょっと待って。ここはもしかしたら、、、夢の中じゃないかもしれない。」

私2:「夢だよ、ここは!何言ってんだよ、オレが朝っぱらから雨の中を全力ダッシュするわけないだろ」

(どう考えても泥酔状態で外に倒れていた人間が、突然起き上がって街中を走っているようにしか見えない)

私は、恐る恐る自分の左腕を掴んで思いっきりつねってみた。めちゃくちゃ痛い、たしかに肉体があるのを感じる。空に手をかざすとパラパラと雨を感じる。

ということは.....

IMG_20220824_0001_NEW_page-0001
IMG_20220824_0001_NEW_page-0001

ここは夢じゃない!!間違いない!私たちは今、夢で見た景色の中にいる...。
Rijin4

ゾッとして鳥肌が立った。





たぶん、これを読んでいる人も、書いている私でさえ信じられないが、上記はノンフィクション、すべて実体験に基づくものだ。私があの日、体験したことをありのままに書き残している。

ネットで検索したところ、これはデジャブ(既視感)という現象らしく、かなりの数の体験談を見つけた。


Wikipediaには以下のように説明されている。

一般的な既視感は、その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感を伴う場合が多い。

過去の体験は夢に属するものであると考えられるが、多くの場合、既視感は過去に実際に体験したという確固たる感覚があり、夢や単なる物忘れとは異なる。デジャヴは神経の“通り道”が違ってくることで起こる脳内の情報処理プロセスに起因するものである。


(省略)

記憶喪失や夢などのギミックと組み合わせて、物語の伏線として利用されることもある。

意味が分からない人のために補足説明しよう。

私は夢の中を歩いているつもりが、実は脳の中で別の現実世界を創造し、その夢とまったく同じ配置の物理空間、同じ景色の中を解離した意識が歩いて移動していたのだ。

私がかつて夢で見た場所、子どもの頃に住んでいた夢の中の空間は、距離にして日本から5,200km以上、時間にして約35年も先にある未来の現実世界だ。

だから夢の中でドアを開けたり、全力で走っても物理的にぶつかることがなかったのだ。

Kairi

信じられない超常現象だが、自分自身が体験してしまった以上、ばかばかしい話だと完全に否定することができなくなってしまった。

<<ここまでの要約>>

  • 酒を飲んでクラブの個室を出たら、別世界があって意識が引きづり込まれた。
  • 子どもの頃に見た夢を数十年ぶりに見た、私は夢の中(知らない街)を歩いて移動していた。
  • 夢の中で練習した夢から醒める方法を試すも、夢から醒めることができない。
  • 知らない街を歩きながら、夢と全く同じ景色であることに気づいた。
  • 自分が夢を見ているのではなく、ここが現実世界であることに気づいた。
  • 子どもの頃に見た夢の正体は、実は遠い未来に起こる現実世界を見ていたことになる。

不思議な感覚だ、私の子どもの頃の夢で見た潜在意識は、
35年後にここに来ることをすでに知っていたのだろうか

先ほど私が呼び出した私1、今このブログを書いている私2、私が私を呼び出したのはあの当時、私たちは同じ意識を共有していたからだ(人格が分裂する以前、私たちはまだ私だった)。

だから、私が覚えていないエピソードは別の私が覚えているだろうという希望的観測によるものであり、あの場面で人格の任意交代をしたのだ。

思い出した。

この夢を何度も何度も見るうちに、私たちは少しずつ意識が別人格として少しずつ解離していったように思う。それはあまりにも怖い夢で、小さな子どもにとっては耐えがたいほどのストレスだったからだ。

*

どう考えても、自分が小さい頃に見た夢と現実世界が35年後に重なるというのは空想の物語としては面白い。おそらくこれを読んでいる方はそのくらいの感覚で読んでいるかもしれない。

ただ、私は体験してしまった以上、否定することができなくなってしまった。これを読んでいる皆さん、時間がある時に子どもの頃に見た夢を思い出してみてほしい。もしかしたら、あなたは気づかないうちに潜在意識の中でデジャブ体験をしているかもしれない。

*

結論として、私(たち)の推測は間違っていた。

1. 意識だけが強く解離幽体離脱)してしまい、意識が店の外に飛ばされた
2. 人格交代が起こり、私とは違う誰かがここまで歩いてきた

正解は2.だ。2.が正しい。私たち2つの人格は、私たちではない、さらに別の人格を経験(記憶を奇跡的に共有)していたのだ。

Rijin8

ここで見える視界は、まるでブラウン管テレビのような縦長の雑なピクセルの画素を重ね合わせたような、まるでゲームの中にいるような視界感だ。

今でいうとVRゴーグルを装着したような感覚に近いかもしれない(VRゴーグルも没入感のある空間に入り込んだ後にゴーグルを外すと、一気に現実空間に引き戻されて、意識がついていけずにほろ酔い感覚になる)。

IMG_7956

私が夢の中を歩いているという感覚は、おそらく解離性同一性障害(DID)を引き起こしている時の私の脳の中で起こっていることだ(人格が違うと通常は記憶を共有できない。私1と私2は比較的弱い解離状態にあり、記憶を何となく共有できる)。少なくとも私(たち)はそう解釈している。

時々、記憶を共有できない誰かが私(たち)の中に宿っていて、その間、私(たち)はおそらく休んでいて、その誰かが、私たちの代わりに私の役割をしているのだと思う(いわゆるここで三重人格を体験できたことになる)。

短い時間だったが、私(たち)はこの解離(乖離)人格のことをジワッホさんと名付けた(本人がどう思っているのかはわからない)。私の代わりをしている彼と短い時間だったが記憶を共有できたことは、私の人生に大きな意味を持つことになった。新しい世界、向こう側の感覚が理解できたからだ。

この夢を何度も見るうちに、自分が自分であるという意識とは違う意識が、私の脳の中で動いている感覚を覚えた。もしかしたら、自分の住んでいる街と全く違う場所で自分が生きているかもしれないという現実感はたしかにあった。

それは夢という曖昧なものではなくて、まったく別の世界で自分が生きている感覚のようだった。まるで意識がCGの映像の中の世界に生きているようだ。

引用:「精神異常①~意識の相対支配より

興味深いのはこれだけではない、この瞬間に私の中の
1と私2が人格統合をした。すぐに戻ってしまうかもしれないが、今のところ私たちは安定している。

*

デジャブ体験の終わり

幻の終わりはあっけないものだった。

私はあの夢の続きを知りたいと思い、その後、現実空間で赤い置物を左に駆け抜け、そのまま全速力で雨の中を猛ダッシュした。

(明け方に雨の中を全力ダッシュ、ハタから見れば完全なるキチガイ野郎だ)

その先に偶然、店のスタッフの車が通りかかった。

店のスタッフ:「おい!どこ行ってたんだよ、みんな心配してお前のこと探してるぞ。一緒に仲間を探してやるからさっさと車に乗れ!」

店のスタッフにめちゃくちゃ怒られた。

私はその後、おそらく私を探し回っていたであろうみんなと無事に再会を果たした。

(なるほど、あの夢の続きはこうなっていたのか)

クライアント:「ユーディー、すげー探したよ!今までどこ行ってたの?めちゃくちゃ心配したんだから!」

私:「ごめんごめん、ちょっと色々あってね。まぁ、あれだ。どっかのカフェに入ろう、今まで起こったこと全部話すわ...」

それから約1時間、彼ら3人はこのキチガイの会話に
延々と付き合わされることになるのだった。

みんな優しいな、こんなキチガイの話に付き合ってくれるのだから。私は本当に周囲の環境に恵まれているなぁとつくづく思う。

後日、私は仕事帰りにあの場所へ再び出かけ、現場検証や当時の聞き取り調査を行った。

証言によれば私が個室から出るとき、私は私ではない、、、誰かの目つきをしていたようだ。

stairs

このブログを書いている今、あの日から2か月以上が経った。

冷静になって、ひとつひとつ記憶を整理しながら文章を書いても意味不明だ。

あれは一体、何だったんだろう?

この出来事は今までの私の人生の中で最も衝撃的な体験となった。

***

【時空を超えたタイムトラベル】

あの日、家に帰った私は眠りについた。

夢の中で私は小さい男の子の身体に入り、そこから抜け出る体験をした。わずかな時間、私はその男の子を彼の意識の中から眺めていて、そのまま時空のトンネルをワープした。

AEJuice-Animated-Backgrounds-1

どうやら時空を彷徨って35年前に戻ってしまったようだ、彼に今日起こったこと、それから、、、あのわかりにくいドアの開け方を教えてあげよう。将来、きっとドアの開け方がわからずに困るはずだ。

どうか、大人になってこの夢のことを忘れてしまっても、潜在意識の中にそっと閉まっておいてほしい。いつかきっと必要になる日が来るはずだから。

じゃあね、バイバイ。
IMG_20220824_0001_NEW_page-0001
そうだ、戻る途中にもう1か所、立ち寄る場所があるのを忘れていた。

AEJuice-Animated-Backgrounds-1

場面が切り替わり、今度は高校2年生くらいの男の子の隣に座っている。なんだか海を見ながら将来について悩んでいるようだ。

IMG_20220824_0002_NEW_page-0001

私:「大丈夫、人生は思ってるほど悪いもんじゃないぞ」

私は彼の意識に語り掛け、意識がワープして私はそのまま目が覚めた。

不思議な夢だった。

IMG_0386

私はあの頃、何らかのひょうしに夢の中で時空の歪みの中に迷い込んでしまい、現在の私の脳内にワープしてつながってしまったのかもしれない。

それとも、現在の科学では不可能とされているテレポーテーションによって過去のある地点と、その未来が偶然にも量子もつれが生じ、つながってしまったのだろうか?

それ以外に上記の説明はつかない、子どもの私はたしかに30年くらい後に訪れることになるその風景、体験する出来事をすでに夢として見ていたのだ。


仮に上記のようなタイムトラベルが本当に起こったとしたら、私はこれまで自らの潜在意識が設定したプログラム通りに人生を歩み、私という人間の自由意思はなかったことになる。

だって、35年後に私がここに来るように、すべての人生はあの時すでに決定されていたのだから。

これが、私が人間に自由意思がないと確信した理由だ。

おそらく、私たちの人生の構造はフラクタル(入れ子構造)になっていて、過去に体験した伏線を回収していくゲームのようなものではないだろうか?

私はあの時、たまたまその状態を顕在意識の中で認識し、処理できていたが、もしかしたら意識しないうちに皆さんの人生の中でも起こっているかもしれない。

思い当たることはあるだろうか?小さな頃に見た夢を思い出してみてほしい。

それに気づくことが幸せか、
気づかないことが幸せか、私には真理はわからないが。

*

現在、過去、未来

もし、私たちが過去に戻れるとしたら、その時点から私たちの人生はいくつものパターンに分かれてしまう。

少年時代に勉強や恋愛に悩んでいて未来の自分をイメージする。

すると突然、未来の自分が現れて悩んでいる自分にアドバイスをする。

未来の私:「大丈夫、人生は思ってるほど悪いもんじゃないぞ」

SF小説のような話で、創作物としては面白い。ただ、そんなはずはない。未来から自分が戻って来れるとしたら、今頃未来からの旅行者たちで観光地やお土産屋さんは繁盛しているはずだからだ。

それに未来からの自分のアドバイスに逆らって別の手段を選択したら、その瞬間に未来の自分は存在できなくなり消えてしまう(これは親殺しのパラドックスと言われる。過去に戻って親を殺してしまうと自分が存在できなくなるという理屈だ)。

時間という概念は不可逆的であり、常に一方通行で進むことはできても戻ることはできない。だから、タイムマシンに乗ってきた自分は、過去の自分が別の選択をした瞬間に戻る場所を失い、消滅する。

論理的、科学的に考えると、創作物としては面白いストーリーもどこかに必ず矛盾が生じて、論破されてしまう。

引用:「精神異常①~意識の相対支配~」より

私たちの可能性は無限大だ。

「Aをする・しない」、次に「Bをする・しない」、次に「Cをする・しない」、次に「Dをする・しない」...n(以下繰り返し)。

私たちは何かを選ぶたびに、その数だけ世界が分裂する。

私は少なくとも、自分自身の世界の過去や未来には行くことが可能だと思っている。

物理学の世界では「宇宙ひも」といって、宇宙空間には素粒子ほどのひび割れが存在していると考えられている。

しかし、光の速さで移動すると、私たちは粉々になってしまうので、物理的にタイムトラベルすることは不可能だろう。

それでも、瞑想などの意識の領域でタイムトラベルすることは可能かもしれない。

私たちが覚醒して、自分の意識の中でマインドタイムトラベルができるとしたら?

肉体を持って物理的に行うタイムトラベルよりは可能性としては十分にあり得ると思う。

過去に未練がある人、未来が不安だと考える人。

私たち人間はその空想から過去や未来を考えることがある。

だけど、今を変えることで過去も未来も変えることができるのだ。

後悔やトラウマ、私たちは今、考え方を変えることで、その捉え方を変えることができる。

今があって全てがある。

何かに苦しんでいる人は今を変えてみてほしい。

あなたがあなたであるという顕在意識ではなく、潜在意識の深いレベルで。

今という瞬間を生きる、そうすることで自然とすべては変わっていくのだ。

*

今、この瞬間を生きるということ

人生山あり谷あり。

人生はなかなか思うようにいかないこともある。

しかし、全てのことには何等かの意味がある。

失敗は私たちに成功への軌道修正の機会を与えてくれる。

これはお金で買うことのできない貴重な財産となる。

お金は取られたらそれで終わりだが、経験やそこで培った知識は、私たちが生きているかぎり奪われることのない財産となる。

また、お金は失っても取り戻すことができるが、今という時間を取り戻すことはできない。

「お金と時間どちらが大事か?」という議論をする時、私は比較できないほど時間が大事と回答するようにしている。

「過去」を振り返っても後悔しかないし、「未来」のことを考えても不安しかない。

だから「今」この瞬間にできることを精一杯生きることが最も大事なことだと思うのだ。

*

私は上記の体験をきっかけに人生観が大きく変わった。

一度、自分自身と正面から向き合ってみようと。

今までの私の人生が、このデジャブ体験を持って一区切りしたような、スッキリをした解脱感を覚えたのだ。

私はこの直後、自らが精神疾患を抱えていることをクライアントに対して公表することになる。

人生急ぎ過ぎた、少しゆっくりしよう。

現在、私は精神科と心理カウンセリングを受けながら、新たな人生を模索している。

(つづく)