ブウォーン、ブンブンブンブン。

まるで、エアコンの室外機のような音が脳の中で強烈に振動しながら脳が回転している。

私の脳内で起こっている物理現象は空に浮かぶ星に例えれば、恒星と惑星の関係に似ている。恒星は周囲を回る惑星の回転に影響を与える一方で、惑星自身もまた恒星にわずかながら影響を与えているのと同じ理屈だ。

身近な例でいえば、ハンマー投げをイメージするとわかりやすいかもしれない。ハンマー投げの選手は体を回転させ、遠心力を使って紐でつながれた鉄球を遠くに飛ばすが、その一方で、引っ張っている人間自身もまた、ハンマーの影響を受けて少し動くようなイメージだ。

BP1

私の一日は渦の中から始まる。まずは私の意識を引きづりこむ渦巻の中から脱出しないと「こっち側」に戻ってこれないからだ。
目が覚めると、まずは脳の中でブリーフィング(全体会議)が行われる。

全員が集合して、アドミン(管理者)が脳の均衡バランスを測定し、今日は誰がどの役割を担うか作戦会議が始まる。

意識が右に寄っていればみんなで左に引っ張るし、上に行っていれば下に引っ張るし、バランスを取らないと起き上がれないのだ。

BP2

下に引っ張りすぎると重力が重すぎて起き上がれないし、上に突き抜けた状態で起きてしまうと宇宙空間に放り出されて脳が覚醒してしまう。
BP3

頭の中で小さい子供がワンワン泣いているし、それを抱っこしながらあやしている優しい子がいるし、その近くで踊っている人がいるし、尺取虫みたいにベッドに性器をこすりつけている人がいるし(笑)、無感情でボーっとしている人がいるし、起きた自分を遠くから眺めている人がいるし、なかなか起き上がる(管理者が運転席に座る)までが大変だ。
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夢の中で起きている時間が長いと、睡眠が深くできないので、パソコンでいうと
起きてからもバックエンド(意識の裏側)でデフラグ(最適化)が続いているイメージだ。

(イシキヲカクセイサセロ、ハヤクオキロ)

私の意識は分裂と統合を繰り返し、感情の起伏は立体交差を繰り返しながら、最終的には最適な座標軸に収れんし、私はやがて私になる。
BP8

スッキリと寝ざめて、すぐにベッドから起き上がれる人を本当に羨ましく思う。

***

【感情の立体交差点~双極性障害~】


私は小さい頃から「君はちょっと変わっているよね」とか「個性的な性格だね」と言われる。

「ちょっと変わっている」ということは、裏を返せばそこには前提条件として比較対象となる何かが存在する事になる。

私たちは日常生活において、無意識に何らかの対象となる基準(ベンチマーク)と相対的に比較をし、過去の経験則と照らし合わせて、物事の判断基準としている。

勘の良い方はすでにお分かりだと思うが、
何らかの対象となる基準のことを、私たちは「普通」とか「平均」という言葉を使って表現する。

つまり、ちょっと変わっているという表現は、平均からの離れ具合の大きさによる相対概念であって、それは
同時にちょっと普通(ノーマル)ではない状態(異常値=アブノーマル)という事になる。

通常、私たち人間の心には感情が備わっていて、気分が良かったり悪かったりする。

気分がよければ私たちは1日を楽しく過ごすことができるだろうし、反対に気分が悪ければ1日はジメジメとした何だか憂鬱なものになるだろう。

世の中にはどこの世界にも気分屋と呼ばれる人がいて、機嫌が良いときと悪いときの落差が激しく、それは周囲の人々にも伝播し、やがて私たちは気分屋の動向によって感情を振り回されることになる。

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統計学の世界では、
数学的にこの感情のブレ幅を説明しようとする。

上の図の右上に向かって一直線に伸びている直線は回帰直線と呼ばれ、変量xyがどのくらいの割合で増加(減少)するかを示している。

回帰直線を計算すると、「いくつかの変数(サンプルデータ)がある場合に、ある変数(X)を他の変数(Y)でどれくらい説明できるか」を客観的に表すことができる。

ようするに上の図で示されたdの正体とは、平均からの誤差(離れ具合)を示しているので、dの幅が大きければ大きいほど、精神状態は異常値ということになる。

感情のブレ幅でいえば、dが大きい人はより感情の起伏が激しい情緒不安定な人ということになるし、人間の個性でいえば、dが大きい人はより個性的な人ということになるだろう。

※ ちなみに上記の平均は右上に向かって伸びる直線と上下のブレ幅で示されているが、誰しも感情には必ずブレ幅があるので正確には直線にはならない(そもそも自然界のすべての物理現象には直線という概念は存在しない、と定規を使って人間を描いたら美術の先生に怒られて、書き直しさせられた経験がある)。

***

【意識最適化の副産物】

ここで私自身のことについて、予備知識として少しだけ説明しておこう。

まず前提として、私はおそらく生まれつき、あるいは物心がついたあたりから少し頭がおかしいことを伝えておきたい(笑)

せめてもの救いは、私自身が自分を
客観的に分析できる能力に恵まれたので、今こうしてブログに書いて、自分の脳の中で起こっている現象を文章として書き残すことができている。

不幸中の幸いという表現が適切かどうかわからないが、いわゆる健常者と精神異常者が異なる意識で同時に存在している感覚だ。

寝起きにブラックコーヒーを飲むと、私の意識が淡いパステルカラーから濃いクレヨンの色彩のようにはっきりした意識感覚に変わる。

私自身の頭の中を因数分解すると、①「感情の起伏が激しい自分(
気分屋」と②「感情の存在しない自分(無感情)の両方の特性を持っていて、少し脳の構造が特殊なケースに該当するのかもしれない。

① 
感情の起伏が激しい自分(気分屋=変動率が極めて大きい状態
② 感情の存在しない自分(無感情=変動率がゼロの状態)


これはいわゆる解離人格とは少し異なる。

解離人格≒多重人格とは一つの個体(物理的特性)に対して複数の自我(アイデンティティー)が存在している稀な個体種のことをいい、今私が話しているのはその感覚とは全く違う概念だ。

この感覚はいくら説明しても当事者以外に共有できないのが辛いところだ。おそらく
診察する側、つまり精神科医や心理カウンセラーでも両方の感覚を持っていないわけだから、誤診が多いのではないだろうか。

私はたしかに複数の解離人格を有しているが、ここでいう①②の交代は同じ意識、同じ人格の中で躁と鬱の感情が交互に入れ替わっているイメージだ。

あまり積極的に書きたくないが、この②でいう無感情な自分とは、いわゆる感情が欠如した「サイコパス(
反社会性パーソナリティ障害)」という異常な人格者の自分でもある。



脳の中で、意識を交代したり、人格を作ったり、感情をコントロールしたり、社会的な性格を作ったりするのに重要な働きをするのが、脳の前頭葉の部分とされているが、いわゆるサイコパスはこの前頭葉の中でも眼窩(がんか)前頭皮質と偏桃体(へんとうたい)の働きに欠陥があると推定されているのだそうだ。

私の人格の中にはおそらくこれらの機能の働きが著しく欠落している自分がいて、脳波測定をしてもその状態にあるときは動きがほとんどない状態であることがわかる。この状態で躁状態に突入すると倫理観が欠如した思考に陥ったり、いわゆる女性関係のトラブルが多く発生する...。
BP6
躁状態

躁状態は本当に厄介でコントロールするためには非常に体力とエネルギーを消耗する、本当に困った状態だ。これはハイテンションと違って、脳全体が強烈な磁石に引っ張られるような感覚だ。この状態になるとナチュラルハイになってしまい、睡眠や食事をとらず、ひたすら行動が活発化する。

株や
FXのトレードに例えればバブル相場のようなものだ。バブル相場に理由はない。上がるから買う、買うから上がる。正のスパイラルだ。

鬱状態

一方で鬱状態は私にとってはどちらかというと楽に感じる。なぜなら、ソファーに横になって寝ていればよいのだから外の世界とトラブルにはならない。ただし、まったく仕事ができない状態が続くのでパフォーマンスが必然的に低下する。マジで廃人状態だ。

株やFXのトレードに例えれば暴落相場のようなものだ。暴落相場に理由はない。下がるから売る、売るから下がる。負のスパイラルだ。

混合状態

最悪なパターンは混合状態(コンビネーション)だ。双極性障害は必ずしも躁状態が終わったら鬱状態になるわけではなく、躁と鬱は別ものとして存在している。都合よく、
躁→鬱躁→鬱とキレイに交互で繰り返すわけではない。

したがって、躁状態から抜け出せない状態がずっと続くと、ある時を境に鬱状態が始まってしまうため、上と下に同時に引っ張られることになる。こうなると最後の切り札として薬を使わざるを得ない(※私は
炭酸リチウムとジプレキサ(オランザピン)を処方してもらっている)。

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この障害を持っていない人は意味不明だと思うが、気分がハイになる高揚剤と気分が落ち着く鎮静剤を同時に飲むハメになる。一緒に飲むと平均値になるので、いちおう理論的に筋は通っている。

株やFXのトレードに例えればペアトレードのようなものだ。金融市場が上がろうが下がろうが関係ない。高くなりすぎているものを売り、安くなりすぎているものを買う。正しく読みが当たれば、解離した状態から収れんするので高いほうを安くなったら買戻し、安いほうを高くなったら売って儲けることができる。ただし、読みが外れれば売った銘柄がさらに上がり、買った銘柄がさらに下がるという、いわゆる又裂き状態になってしまう。

おそらくパーティードラッグなどを経験したことがある人はわかると思うが、アッパー系のドラッグとダウナー系のドラッグを同時に接種するようなものだ。合法・違法を問わず、薬物は正しく使えばよい作用が働くが、使い方を一歩間違えると人命に関わる非常に危険なシロモノ、諸刃の剣となるのだ。

※ 私は「鬱病(単極性うつ病)」と「双極性障害の鬱状態」の決定的に異なる点は、この混合型にあるのではないかと思っている。躁と
は交互に繰り返されるというよりも、お互いが別個に動いている感覚だ。だから、どちらか一方の症状が長く出続けると、他方の症状が始まってしまい、結果的に混合状態となる。躁→鬱→躁→鬱、のようにキレイな放物線軌道で出現するわけではないからだ。

*

自分が自分であると認識している私の意識(自我)は、起床と同時に、まずそれぞれの方向に離散している感情を、完全に無感情な状態に意識を意図的に合わせることから始まる。

その後、少しずつ感情の振れ幅を調整しながら、健常者らしい振る舞いに変化させていくようなイメージだ。

私は他の誰かになることができないので、1日だけ他の人の脳と交換できるなら、ぜひ誰かと交代してどんな世界が見えているか体験してみたいものだ。

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約20年ぶりのMRI(脳のスキャン)、結果として
脳機能は正常と診断された。

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こちらはEEG(脳波測定)、幸い脳波にも異常は確認されなかった。したがって、私の症状は物理的な脳の損傷が原因ではないことがわかる。

bipolar

*

本来の私は、自分でも驚くほど感情が欠如しており、例えば赤ちゃんや犬や猫を見ても何にも感じることができない。ただ、それは演技によってごまかすことができる。周囲が赤ちゃんを見て「かわいい」と思う感情を1テンポ遅れで習得し、周囲にあわせて習得し、再現している感覚だ。マジで大人になった今でも赤ちゃんや動物を見てもかわいいという感覚が心の底から理解することができていない。

※ 語学に例えれば、日本生まれで日本語が母国語である私たちが、アメリカやヨーロッパなどで英語を使って生活しているのと似た感覚と思ってもらうイメージが近いかもしれない。ネイティブのように流暢ではなく、どこか感情表現がぎこちなかったりするようなイメージだ。

幸いにも私は訓練によって理性を鍛えているので、反社会的な行動を取る意識を完全に自己制御(セルフコントロール)ができている状態にある(そうでなければ、私は今頃おそらく精神病院の閉鎖病棟か、刑務所の鉄格子の向こう側のどちらかにいるはずだ)。ただし、本来の人格を抑え込むために、そこには当然ながら強い副作用が発生する。

心理カウンセラーの見解によれば、双極性障害(躁鬱病=そううつ病)を発症させることによって、私は自らの座標軸をコントロールしているのだろうという推測だ。

人間の意識とは不思議だ。人類が進化の過程で有害遺伝子である精神疾患を完全に除去しなかったのは、ある種の適切な個体種に対する自己防衛機能を意図的に残したのだ、ともいえるだろう。

***

双極性障害とは何か?~気分障害のメカニズム~

双極性障害とは躁(そう)状態と鬱(うつ)状態を交互に繰り返す精神疾患で、私の感覚としてはプラス極とマイナス極に感情が強烈に引っ張られていくという説明をよくする(いわゆるコンビネーション型を含む、色に例えれば青と赤の感覚が統合し、紫の感覚になるイメージだ。この感覚は心療内科でカウンセラーと会話する時によく使う表現だ)。

躁状態(躁
)は風船のようにゆったりと上がっていき、鬱状態(鬱転)はハンマー投げの鉛玉のようにストーンと落ちる。

BP5

この症状は大きな時間軸でいうと、鬱状態が2週間くらい続き、その後に躁状態が4日から1週間程度続く。いわゆる気分が落ち込む
鬱(うつ)病とは似ているが全く別の障害として扱われるらしい(実際に私は鬱状態の時もプラス思考だ、ただ正常時と違うのは重力が重すぎて身体がまったく動けない感覚を覚える)。

この症状は非常に小さな時間軸でいうと、鬱状態が寝起きに起こり、少しずつ気分が高揚して通常の意識に戻り、その後に軽躁状態に入る。軽躁状態は夜まで続き、結果として睡眠導入障害になる。

大きな時間軸ではこれを双極性障害(Bipolar Disorder)と定義(私はⅡ型に分類される)され、小さな時間軸の中で交互に起こるこの状態を急速交代型
双極性障害(Rapid Cycling Bipolar Disorder)と定義されるらしい。

※ 短期間の定義は1年に4回以上の周期で発生し、もっと短いと10日から2週間くらいで繰り返す状態のこと。私はこの状態。株やFXをやったことがある方であれば、週足の中で大きく上下し、日足の
中で中くらいに上下し、1時間足で小さく上下し、1分足で小刻みに上下し、といった感覚に似ている。

私は普段、表情や感情を完全に隠しながら生活できているので、おそらく外見からはほぼ判断ができないレベルだと思う。

ただし、それは皆さんが想像している以上に、私は自分自身の精神に非常に強い負荷(ストレス)をかけ続けながら、何とか自分が自分であり続けるための均衡を保っている、とご理解いただけたら幸いだ。

それは以下のようなイメージだ。

*

感情のデータ(プラスとマイナス)をたくさん集めてヒストグラムを作ると、以下のような形(分布)が現れると思う。

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ここでは躁と鬱をわかりやすく視覚的に説明するために正規分布という一般的な確率モデルを使って説明する。

正規分布とは、上記のような釣鐘(ツリガネ)型のキレイな左右対称の分布のことをいう。統計学の基礎レベルを勉強したことのある方なら、この時点で何となくどういう結論が出るか予想できると思う。

感情の起伏をわかりやすく表現するために、パチンコ玉を例にとって説明しよう。

パチンコ玉を上から真下に向かって落とすと、パチンコ玉が1番上の釘に当たって左右(プラスかマイナス)のどちらかに移動する。確率は1/2。

次にそのパチンコ玉が、2段目の釘に当たって左右のどちらかに移動する。これも確率は1/2。

さらにその玉が、3段目の釘に当たって左右のどちらかに移動する。これも確率は1/2。

つまり、以下のようなイメージだ。

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同じように、たくさんのパチンコ玉(感情)を次から次へと真下に落として行くと、最終的には落とした場所の真下にもっとも多くの玉が積み上がり、そこから左右になだらかなカーブを描きながら丸い山型の分布ができあがる。
これが正規分布である(正確には2項分布という)。

これはあくまでも一例であるが、感情の分散が有限であれば、「あらゆる分布の平均は、サンプル数の増加とともに正規分布に近づく」という特徴がある。

これを統計学では「中心極限定理」というまた、中心極限定理には「大数の法則」という特徴がある。

大数の法則は保険商品の設計の際などに使われている確率論の考え方で、保険加入者のうち、何人くらいが事故に遭ったり死亡したりするのかを推測し、保険料を設定する際にも使われている概念だ。

おそらく一般的な精神状態の人たちは、ほとんどが中心から近い場所に玉が積みあがるはずなので、精神状態は相対的に安定している状態にあるはずだ(もちろん人間であるかぎり、感情は常に変動する生き物なので、若干のプラスマイナスは必ず存在する)。

*

今度は、パチンコの釘の位置はそのままで、釘の長さを少しだけ横に長くしたら感情の変化はどうなるだろうか?


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今度は山の裾野(感情の起伏)がだいぶ広がったことがおわかりいただけるだろうと思う。

これは感情のブレ幅が大きくなったということを意味する(※ちなみにこの山の端と端の意味は、最大値と最小値ではないので注意。理論上、この山は永遠に続く)。

この山の裾野の長さを統計学の世界では「標準偏差」という。

イメージとしては、標準偏差は、「平均からのバラツキ」を数値化したものである。

だから感情の起伏の激しい気分屋の人の精神状態というのは、精神状態が安定している人に比べると、山の裾野が大きく広がっていて、偏差(平均からのバラツキ)が大きくなっているような状態だ。

この現象を一般的に情緒不安定という、だから本来的に私はメンヘラ気質ということになるだろうか(笑)。通常、精神疾患を持っている人といえば、ここに分類される。

***

私の感覚では双極性障害を説明する時、玉(感情)を真下に落とすと、―極論を言えば―、ほとんどの玉が以下のような両端の赤い部分のどちらかにしか落ちて来ないイメージだ(普通の健常者は緑の中に収まる。私も寛解状態にある時は緑の中にいる)。


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一般的な健常者でも感情の起伏はあるだろう。一般的な人たちが
感情の起伏が緑色の領域収まり、起伏の激しい気分屋の人たち(癇癪持ち、メンヘラ)が黄色の領域までブレ幅が広がるのに対して、双極性障害の感情はさらに極端な赤い部分の異常領域にまで達する。

これを正常な状態にするためには、脳の中でコントロールしながら強烈な力で、両極の赤い部分を逆方向に引っ張り、緑の位置を長時間維持できるように訓練する必要がある。私はⅡ型に分類されていて、それだけでもだいぶ大変なので、Ⅰ型の人たちの脳の中はブレ幅が±σ5くらいまで広がっている感覚ではないかと思う。

動物に例えるなら、それは空を飛ぶ感覚と海中に沈む感覚が同時にやってくる感覚とでも言うのだろうか。鳥が上昇気流に逆らって地上に降りようとするエネルギーと、魚が水圧に逆らって水面に上昇しようとするエネルギーが衝突を繰り返しながら均衡状態を創り出すようなイメージだ。

もちろん、私は人間だし、当然ながら他の人たちと同様に地上で生活をしている。

ただ、その均衡を保つエネルギーはおそらく健常的な感覚のヒトに比べると比較できないくらいのエネルギーを要している(他の人の脳がどうなっているのか、私にはわからないが)。

*

ピアノをイメージしてみてほしい。ピアノには通常88個の鍵盤がある。

ピアノを習う生徒は、おそらくバイエルから習い始めると思う(私たちが子どもの頃はバイエルだったけど、今は使わない先生も多いようだ)。

バイエルの最初の楽譜は真ん中を中心として、左半分の1オクターブ(ドレミファソラシド)は左手、右半分の1オクターブ(ドレミファソラシド)は右手を使って、簡単な曲から演奏の練習をする。つまり平均から近い範囲だけで手を動かす(偏差が小さい状態)。

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やがて、練習が進むにつれ、どんどん難易度が上がっていく。バイエルを卒業してどんどん上手になって、ショパンやリストの曲になると、マジでわけわからないくらいに手を両サイドに広げて演奏する必要が出てくる(偏差が大きい状態)。

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ちなみに、標準値から半音(0.5音)上げたものが#(シャープ)、平均値から半音(0.5音)下げたものが♭(フラット)。この話をし始めると、たぶん延々と続くのでここで止めよう。

ようは、何が言いたいかというと、バイエルの曲第1番と難易度の高い曲(例:ショパンの幻想即興曲、リストのラ・カンパネラなど)は手を動かす幅が全然違うことになる。

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双極性障害を持つ人で混合(コンビネーション)状態にある人の脳内変化もこれと同じ現象で、同じくらいのブレ幅の感覚を合わせていかないとバランスを崩してしまうことになる。

「バイエル第1番」を上方向、「ショパンの幻想即興曲」を下方向にして感情を組み合わせると、下側に強く引っ張っているのとあまり変わらなくなってしまうということを意味する(下方向の偏差があまりにも大きすぎるため)。

私は定期的にこのブレ幅を調整する作業を脳内で繰り返しトレーニングし、うまく紫色に組み合わせるように意識しながら生活している、強烈なストレスと引き換えにして。

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私の感覚では、双極性障害は88個の鍵盤を両サイドまで手を広げて演奏している状態で、時々手が交差する瞬間に通常のバランス感覚を経験しているようなイメージだ。バランスを取るためには両手を中心に戻すような感覚で正常感覚に戻す必要がある。

これに対して、よく間違われる解離性障害(離人症・現実感喪失
)は、変調により#(シャープ)や♭(フラット)を使って半音(0.5音)上げたり下げたりして、意識が現実世界と少しずれているイメージだ。バランスを取るためには、現在の変調楽譜から#(シャープ)や♭(フラット)を意識的に取り除き、ハ長調(黒鍵盤を使わないドレミファソラシド)に強いストレスを伴いながら現実感に重ねる必要がある。

いわゆる
解離性同一性障害(多重人格)は、上記とは異なり、突然隣に別のピアノが現れ、自分が演奏している間に、別のピアノでも演奏が始まってしまうようなイメージをしてもらえたらわかりやすいと思う。

現在、自分の症状がどの感覚に近いのか、もし診断に悩んでいる方がいたら参考にしてほしい。両方の障害を持つ私以外の方が、これ以外にどう切り分けて説明・表現するか興味深い。

これはドクターや心理カウンセラーにはできないであろう、障害を持つ人にしか表現できない大事な仕事だ。

このブログを通して健常者の方にどうしても伝えておきたいことがある。時々、街中で大声で叫んでいる人や、トイレの個室でケラケラと笑っている人に遭遇することがあるかもしれない。

そんな時は、どうか暖かい目で見守ってほしい。彼ら/彼女たちは高次元とつながる偉大な存在だ。この3次元空間の中に生活する多くの人にとっては理解してもらえないかもしれないが。

双極性障害や統合失調症を患う
彼ら/彼女たちは、感情の起伏を抑えることが少しばかり得意ではないだけなのだから。

***

一般的な双極性障害の特徴と異なるが、私の個体データは以下のような症状だ。

【躁(そう)状態】

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自信に満ちた全能感を覚える

自分が完全無欠であるかのような全能感を覚える。まるで自分が神のようだと錯覚し、壮大な感覚を覚える。磁石のような強い力を脳全体に感じ、脳が天に向かって引っ張られているような感覚だ。

医学書などでハイテンションという表現を見かけるが、その感覚とは全然違う。「躁状態にある」という表現よりも「躁状態に入る」という表現のほうが感覚としては正しい。

寝なくても平気になる

躁状態に入ると、寝なくても平気なので仕事モードに入ると、一気に難しい案件が片付いていく。またトイレに行く時間がもったいないと感じ、食事や水分補給の回数も減る。私にとっては最高にパフォーマンスが出せるので、この状態は非常に助かっている。

アイデアが湧いてきて、延々と独り言を話し続ける

意味不明だが、脳が活性化したような感覚を覚え、とんでもないスピードでアイデアが湧きだしてくる。そのアイデアを組み立てるために部屋の中でも外出してもずーっと独り言を話し続ける。

時々、自分の部屋で監視カメラを置いて自分が何をしているか撮影するが、完全に変人だ。ずーっと独り言を話している姿は動画サイトにアップしたらバズるに違いない。

絶対にやらないが、私の周囲の人たちはどうしても見てみたいらしい笑笑笑 

投資や事業の最終意思決定は絶対にしない

私は業務として金融・投資のビジネスをやっているが、大きなお金を動かす最終判断をするのは躁状態が終わり、寛解状態に入っている時だ。私は幸いギャンブルをしないので、いちかばちかの無謀な賭けはしない(若い頃は勢いに任せて色々やらかしたが)。

この点は冷静で、常時リスクリワードを試算しながら行動するので、結果的にうまくいくことが多い。かつて若い頃にFXのハイレバ(めちゃくちゃ高い意味不明な倍率で投資をすること)で何度もお金を溶かした経験があるが、今思えばあれは躁状態になっていたのだと思う。

ギャンブル依存症や買い物依存症の方は本当にこの点は大変だと思う。

超絶プレイボーイ化する

詳細はご想像にお任せする。。。

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月明かりがキレイな満月の夜、どういうわけか満月の前後1週間くらいは私は躁状態に入りやすい。頭がスッポリと月に引き込まれていく感覚を覚える。

*

【鬱(うつ)状態】
Depression

体がだるい、疲れやすい

慢性疲労、今までの躁状態が何だったのか?と思うくらい疲れが取れず、家のソファーで1日中グータラしながら過ごしている。気分転換に散歩に行こうとするが、そもそもソファーから起きられないので、トイレやパソコンを開ける元気がない。マジで廃人とはこういう状態のことを言うのだろう。

地球全体からの重力を強く感じ、磁石で地面に吸いつけられるような感覚を覚える。動きたいが身体が重すぎて思うように動くことができない。まるで自分自身が磁石になったような感覚だ。

眠れない、または過眠

眠いけど眠れない、いわゆる睡眠障害を引き起こす。一度寝てしまうと今度は起きられない。気が付いたら夕方になっていて、私の知らないところでスタッフがグループチャットで勝手に仕事が進んでいることが多い。これはうちのスタッフが優秀なおかげで大いに助けられている。

拒食状態か過食状態

食べたいけど食べられない、食べたくないけど食べ過ぎてしまうなど、自分の意思とは裏腹に拒食と過食を繰り返すことが多い。基本的には大食いなのでご飯を3杯くらいは食べる。1杯しか食べられない時は元気がない、と自分の中では定義する。

自分を責める、表情が暗いなど

よくある症状だが、私はこの症状はあまりなったことがない。基本的に前向きなので、あまり暗くはならない。ただ、周囲からは疲れた目をしていると言われることが多い。

性欲はある

昔から性欲が強いので、私は鬱状態になっても1日4回くらいセックスします。。。男性の場合、勃起不全などの症状が出ることが多いらしい。

ちなみに躁状態になると、私の性欲は常人ではなくなる。性欲については昔からの悩みの種だ、もう少し抑えられるような効果があれば、唯一薬物治療を受け入れてもよいと思っている(極力ケミカルな化学合成物質を人体に入れたくないという思いがある)。

*

【躁(そう)と鬱(うつ)の混合状態

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課金ゲームにハマって抜け出せなくなる

厄介なのがこの躁鬱混合状態で、脳だけが活性化しているが体がまったく動かないので脳内でどっちに行ったらよいかわからず過ごすことが多い。外出すると変なトラブルに巻き込まれるといけないので基本的に鬱側に意識を集中させてソファーでグータラ過ごしている。

そうなるとゲームにハマってしまい、脳以外に指を使ってスマホでゲームをすることになる。動けないのでゲームに集中し、結果としてクレジットカードの請求額に驚くことになる。よく躁状態でギャンブル依存やセックス依存になる方が多いが、唯一私がこの状態を切り抜ける時は課金ゲームをして大人しく過ごすという結論に至った。経費はかかるが、自分の全財産を全額入れて投資やトレードをするよりはましだ。これは私の究極の自己防衛だ。

ブログやレポートなどの文章を書く

今こうしてブログを書いているが、脳だけは活性化しているので長い文章を書くときは身体が動かない時に気分転換に書くことが多い。鬱だと指が動かないばかりか椅子に座れないし、躁だと外に遊びに行ってしまうので、ある意味でこの状態は私にとっては脳のアウトプットに適している時間だ。

希死念慮(いわゆる自殺願望)

いわゆる双極性障害の方々で自殺が最も多いのは、この混合型になった際に行われることが多いといわれる。

これは鬱状態の落ち込んだ気分と躁状態の行動意欲が重なってしまい、
衝動的に行ってしまうことが多いようだ。

私は幸い、
混合型が頻繁に現れるにも関わらず、あまり気分が深く落ち込むことがないので、この点は不幸中の幸いだ。課金ゲームで意味のないお金を使うことがあるが、死に比べれば安上がりだ。お金は失っても仕事をすれば取り戻せるが、命は一度失ったら終わりだからだ。

***

【夜型人間と精神疾患】

通常、人間は朝起きて夜眠る。

人間の1日は、朝になり太陽が昇ると起き上がり、仕事に出かけ、太陽が沈むと家に帰り、夜になると眠りにつくというサイクルで生活していると思う。

ここで1日と書いたが、天文学によれば、地球は太陽の周りをほぼ365日かけて1周し、月は24時間かけて地球の周りを1周している。これらは円形軌道を描いて、規則的に周回している。

私の脳の感覚は少し違っていて、感覚としては夜が2週間くらい続き、その後に昼が4日から1週間続いている感覚だ。だから、1日を24時間と定義して、太陽の周回速度に合わせて生活しているいわゆる一般的な人たちとの感覚にズレが生じる。私の脳のイメージは楕円軌道を描いているのかもしれない。

ひとたび躁状態に入ってしまうとひたすら何かに集中し、過集中状態になり、夢中になって趣味の研究をしたり、仕事をしたり、外に出て意味不明な行動を取ってしまうことがある。一方で鬱状態に入ってしまうと今度は引きこもりになり、ソファーでグータラ過ごしている。気が付けば日が暮れ、1日が終わる。マジで人間失格であり、自分がいなくても太陽が勝手に昇り、勝手に沈んでいくことに虚無感を覚える。

とても同じ人間とは思えないが、これは間違いなく同じ意識を共有する同じ人間、同じ人格の中で起こっている現象だ。

私はもともと夜型体質なので、小さい頃からの躾(しつけ)によって学校や会社に行く時間に合わせて夜は眠り、朝起きる生活をしていたが、20代後半あたりからこの生活に合わせるのが体に負担がかかり過ぎ、いわゆる一般的な社会生活からは離脱した。

解離性障害のカウンセリングで幼少時の虐待経験や性的虐待を受けたかどうかを聞かれるが、私にはその経験がないので、唯一考えられる強烈なストレスといえば、「朝起きて、夜になったら寝る」という人間社会の多数派のエゴに付き合わされた結果引き起こされた、というのが私の個人的な結論だ、これは被害妄想だろうか(笑)

少数派の意見はいつも無視される、大多数の人にとっては当たり前でも
少数派にとってはストレスに感じることは多い。例えば世の中の大多数は右利きなのでカードでタッチして決済するときもレジの右側に置いてあるし、駅の自動改札機も右利き用に創られている。

左利きの方の感覚では、極論をいえば母国語以外の言語で生活をしているのと理屈は同じだ。夜型人間も同様に、昼型人間という大多数のために創られた社会で、十分虐待に遭っているのだ。


今でも診療内科では規則正しい生活をしましょうとアドバイスを受けるが、それは私にとっては逆効果だ。なぜならそれは1日が24時間という枠組みで生活できる人間にとっては最適解であるが、それがすべての人間に当てはまるとは考えにくいからだ。

とはいえ、不規則で夜型生活を続ける人間には精神障害を持つ人が多いことは事実であるし、①規則正しい生活によって体が健康になる一方でメンタルがやられるのと、②不規則生活によって
メンタルは元気になるが体が不健康になるなるのは、どちらも一長一短だ。

もっとも、不規則な時間軸で生活している私が現在もこのサイクルで生活し続けているのは、もはやそれ以外の最適解を探すしかないのだろうか(笑)

あーーー、書いていてわけがわからなくなってきたぞ笑


***

双極性障害は私の人生にとって、かけがえのない存在であり、同時にそれは非常に厄介な存在でもある。

何をどうしても私の意識から取り除くことができず、おそらくこれからも一生涯の付き合いになるだろう。

この症状はたしか小学校高学年ごろから出始め、中学を経て、高校1年生くらいまで続いた。その後は22歳で高熱を出すまでは比較的安定していたと思う。

私は時々、図書室に独りで引きこもり、脳や精神に関するを本を読みながら、時々私を襲ってくる強い解離感やうっすらとした幻覚症状、そして
脳を強く引っ張られるような感覚について調べていた。

そんなある日、保健室の前を通ると1枚のポスターに目が行った。

そのポスターにはこう書かれていた。

「ダメ、絶対」

(つづく)