柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

ドラムセットの組み立て記録~Pearl Crystal Beat~


ひさしぶりのドラム演奏。

パンクバンドを脱退して、社会人になってから早や20年近くの年月が経つ。

あの時、もうドラムをやることはないだろうと思っていたんだけど、大人になって人生が一区切りついた今、いろんなご縁があって再び音楽活動を再開することにした。

Ludwig LM400

Tama Ropckstar

自分でドラムセットを買うのは、実に学生時代以来の出来事だ。

私の会社のオフィスで組み立ててみたので、せっかくだからドラムセッティングの記録をブログ記事として残しておきたい。

機種はPearl製のCrystal Beat(クリスタルビート)、今回使った機材の一覧はページの最後にまとめておくので参考にしてほしい。

では組み立て行きます(^^♪

***

【ドラムセットが到着】


ドラムセットが到着、シンバル類とスタンド
もまとめて購入したので箱が全部で10個くらい。

0. Drum Set

***

【バスドラムの設置】

まずはセットの中心に置くバスドラムの設置。ここを起点に各楽器類を配置していくことになる。

1. Bass Drum1

アタック音を出すため、
フロントヘッドに穴を開ける。

1. Bass Drum2


1. Bass Drum3

無駄な余韻をカットするため、フロントヘッドに毛布を当ててミュートする。

1. Bass Drum4

***

【スネアドラムの設置】

ドラム演奏で最も叩く楽器、スネアドラム。イスの正面、バスドラムの左手前に設置。

2. Snare Drum1

2. Snare Drum2

***

【ハイハットの設置】


次はハイハットの設置、スネアドラムの左側に設置。

3. Hyhat1

3. Hyhat2

ハイハットは通常は14
"を使うのが一般的だが、今回13"のK/Z SPECIALハイハットを選択(※理由は後述する)。

3. Hyhat3

***

【バスペダルの設置】


バスペダルの設置、ツーバス仕様を選んだ。これでドコドコと連打が楽にできるようになる(決して楽ではないが...笑)。

4. Bass Pedal1

4. Bass Pedal2

ここまでで、バスドラム、スネアドラム、ハイハットの基本3点セットが完成。

***

【ドラムヘッドの張替え】

タム類の設置をする前に、今回ドラムヘッドをREMO社製のAmbassadorにすべて張替えを行った。このAmbassadorシリーズは世界で最もよく使われているドラムヘッドだと思う。

5. Drum Head1

5. Drum Head2

***

【タム類の設置】


タム類の設置、ドラムヘッドを張替え、1つずつ設置をしていく。

タム類はすべて偶数インチを選択した。3タム仕様で8", 10", 12"。フロアは14", 16"

6. Tom1

6. Tom2

6. Tom3

タムタムは演奏位置の正面に、フロアタムは演奏位置の右横に扇形に配置。

6. Tom4

***

【シンバル類の設置】

タム類の設置がすべて完了、最後にシンバル類を設置する。

7.Cymbal1

シンバル類はすべてZildjian(ジルジャン)製を選択。今回はK Customシリーズを中心にすべて奇数インチを選択した。

ハイハットが13
"、左側クラッシュが17"、右側クラッシュが19"、ライドが21"。追加のクラッシュ(Smash Trash)が19"、チャイナシンバルが左右2枚でそれぞれ19"

7.Cymbal2

シンバルスタンドを設置、シンバル類を取り付けてドラムセットの周辺に配置。

7.Cymbal3

7.Cymbal4

最後にピンポイントのアクセントで、スプラッシュシンバル11
"をハイハットの斜め上に設置。

7シンバル6

***

【ドラムセット完成】

ようやくドラムセットが完成♪


8. Complete1

後ろ側からの景色

8. Complete2

正面側からの景色

8. Complete3

以上でドラムセットが完成。

あとは練習あるのみ、果たしてオフィスで叩いて大丈夫か。

クレームが出て追い出されないかが心配(笑)

***

☆使用機材一覧

以下、使用機材の一覧。参考まで。

【スネア】

・Pearl Reference 14" x 6.5" Seamless Shell Cast Steel Snare

【ドラム類】

・Pearl Crystal Beat 08" x 07" Tom
・Pearl Crystal Beat 10" x 07" Tom
・Pearl Crystal Beat 12" x 08" Tom
・Pearl Crystal Beat 14" x 13" Floor Tom
・Pearl Crystal Beat 16" x 15" Floor Tom
・Pearl Crystal Beat 22" x 16" Bass Drum

【バスペダル】

・Pearl P-2052C Eliminator Pedal

【ドラムヘッド】

・Remo 14" Ambassador Coated
・Remo 08" Ambassador clear
・Remo 10" Ambassador Clear
・Remo 12" Ambassador Clear
・Remo 14" Ambassador Clear
・Remo 16" Ambassador Clear
・Remo 22" Ambassador Clear Bass Drum

【シンバル類】

・Zildjian 11" Oriental Trash Splash
・Zildjian 13" K Series/A Dyno Beat HH
・Zildjian 17" K Custom Hybrid Crash
・Zildjian 19" K Custom Hybrid Trash Smash
・Zildjian 19" A Series Ultra Hammer China *2
・Zildjian 21" K Custom Hybrid Ride

【スタンド類】

・Pearl H-2050 Eliminator Hi-Hat
・Pearl S-930S Snare Drum Stand
・Pearl T-935 Double Tom Stand
・Pearl TC-935 Tom/Boom Stand
・Pearl BC-930 Cymbal Boom Stand * 4
・Pearl C-930 Straight Cymbal Stand
・Pearl D-930 Drum Throne
・Pearl CH-930 Cymbal Boom Arm
・Pearl ADP-20

【その他】

・Remo Falam Slam Pad 4" Doppel
・Remo Dynamo Ring White 5,5"
・Pearl BDM-M Bass Drum Muffler Pillow
・Pearl DS-300A Z Link Driveshaft Assembly
・Vic Firth Caddy Stick Holder


人生はいつもシナリオどおり。


西暦204X年、ある日の夕暮れ。

私と、将来の妻と思われる女性と一緒に、リビングのソファーに腰かけて、二人が何やら会話をしているのが聞こえる。

妻:「ねぇユーディー、覚えてるかな?あなたが20年くらい前に話してくれた未来の話。あれはたしかクアラルンプールにあるイタリア料理のお店だったと思うんだけど...」

私:「20年前の話なんて覚えてないよ。何の話だっけ?パンナコッタが美味しかったのは覚えてるよ」

:「ほら、運命を信じるかどうかって話だよ。私たち人間の運命はすでに決まっていて、未来は生まれた瞬間から決まっているかもしれないって話。あなたはかつて臨死体験をした夢の中の幻覚で、未来のワンシーンを見た。それであなたは意識が戻って奇跡的にこの世界に戻ってきた、そうだよね...?」

私:「そんな話したっけ?笑 まぁなんとなく覚えてるかも。今にして思い返せば、あの日がうちらの運命の分岐点だったのかもね。でも、急にどうしたの?」

:「ん、なんでもない!あーもう夕方ね、お味噌汁作ってくるね♪」」」

立ち上がった彼女の後姿は、あの頃にそっくりの面影がある。

***

【人生は無限にある選択作業の連続】

私たち人間は日々たくさんの選択をしている。そして、その選択の結果、今あなたはこの瞬間、ここにいる。

ここはどこだろう?

あなたの周囲を見渡してみてほしい。それは過去のあなたが選択した未来の姿、つまり今この瞬間だ。

人生は無限にある選択作業の連続だ。

今から記憶を頼りに、あなたの人生について思い出してみてほしい。

あなたは生まれてから今まで、多くの選択をしてきたはずだ。

どこどこの学校に進学する。どんな部活に入る。どんな塾に通う。どんな習い事をする。どんな友人と付き合う。どんな恋人と付き合う、別れる。

大学に行く、行かない。留学する、しない。

どこどこの企業に就職する。キャリアを築いてどこどこの企業に転職する。自分で起業する。

大好きな恋人と結婚する。旦那さん/奥さんと幸せに暮らす、あるいは離婚する。

子どもを産む、産まない。

生命保険に入る、入らない。

家を買う、賃貸にする。

日本で暮らす、海外で暮らす。

などなど、これまで色んな選択肢があったはずだ。

*

あなたは今から友人のA君と食事に行くために待ち合わせをしているとしよう。

やがて二人はレストランで出会い、イスに腰かけて話し始める。

あなたはA君に会うという選択をして、あなたは今レストランにいる。

A君も同様に、あなたに会うという選択をして、A君も今レストランにいる。

今までの人生、仮にどれかただのひとつでも、どちらか一方でも別の選択をしていたら、あなたとA君は今レストランにはいないだろう。

もしあなたが別の学校に行っていたら?もしあなたが過去の彼氏/彼女と結婚していたら?もしあなたが今の会社でなく、別の会社に就職していたら?

私たちが今この瞬間、ここにいるのは偶然に偶然が重なった奇跡である。

すべては起こるべくして起こったこと、必然かもしれない。

あらゆる選択の連続の先にある未来、あなたとA君のどちらかが、どれかひとつでも違う選択をしていたら、未来はきっと違うものになっていたはずだ。

いろんなことがあって、私たちは今ここにいる。そしてあなたとA君は出会った。

それは選択作業の連続の結果、たどり着いた世界線の先にあった未来に他ならない。

では、この未来はあらかじめ決まっていたものだろうか?

それとも、あなたの自由意思で決定した結果なのだろうか?

***

【運命を信じるか?~未来はすでに決まっているのか~】

2022年6月の出来事だった。

私はいつものクラブで友人たちと朝方までお酒を飲んでいて、ある瞬間から意識がなくなった。

どうやら私は記憶がないまま店の外に出てしまい、気が付けば知らない街の道路の上で倒れていた。

詳しくはこちらの記事を見てほしい。



やがて起き上がった私は、店に戻るべく、気が付けば知らない街の中を彷徨い、走っていた。

ふとその瞬間、過去に夢で見た景色と、今自分が見ている景色が透かし絵のように重なったのだ!

脳の中の声:「ピピピピピ、一致しました

あー、デジャブ(既視感)だ。本当にこんなことあるんだ!
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ここは夢じゃない!!間違いない!私たちは今、夢で見た景色の中にいる...。
精神異常⑤~デジャブ体験とタイムトラベル~」より

子供の頃に見た夢の中の景色、何度も繰り返し見た夢の中の世界。それは私が35年先の未来、日本から5,200km離れた場所で見る光景だったのだ。

その時まで運命など信じなかった私、未来とは自分で選択して行く先にあるものだと思っていた私は、180°考え方を変えることにした。

5歳の頃の夢は幻ではなく、未来に見る景色だったのだ。

ということは、私の人生は少なくとも、5歳の頃には未来にここに来ることが決まっていたのだと考えると腑に落ちる。

あの頃、千葉の港町で育ったやんちゃな男の子は、その後、学校を卒業すると、金融マンになり、やがて東京からシンガポールに移住し、そして、ここクアラルンプールで生活することが決まっていたと考えると、人生にはあらかじめシナリオが用意されていて、私はあらかじめ決めっていたそのシナリオ通りにこの場所にたどり着いた。

そう考えると、妙に納得できるのだ。

***

【手相占い】

私は占いやスピリチャルのように科学的根拠のない話は、絶対に信じない人間だった。

だけど、どういうわけか、19歳の時に一度だけ東京・新宿の路上で手相占いをしてもらったことがある。

占い師のおじさん:「あなたは将来、日本よりも西の国に住むでしょう。その地であなたは商売をします。商売を通して、同じ価値観を共有できる最高の仲間に恵まれるでしょう。またその地で生涯をともにする運命のパートナーに出会うでしょう。あなたはおそらく、思っているほど長生きはできないので、人生の早い段階で資産を作り、将来ご家族が困らないように早めに行動したほうがよいでしょう」

あれから23年、私はその後シンガポール、現在はマレーシアに移住し、会社経営をしている。それなりに商売がうまく行っているほうだと思う。商売を通して、信頼できる多くの友人に恵まれた。だが、結婚はしていない、私は結婚願望0のプレイボーイ野郎だ(笑)。

何事も全力で取り組む、人生は太く短く、思いっきり働き、思いっきり遊ぶ。いつ死んでも悔いはない。

あの時、おじさんの言ったことは不思議なことにけっこう当たっている気がする。

しかし、残念ながら運命の人にはまだ出会えていない...。

***

【未来を書き換えることはできるのか?】

未来を書き換えることはできるのか?

これは非常に難しい質問だ。だが、答えはYESとしたい。

厳密にいうと、未来を書き換えることはできないが、別の世界線に移動することはできると思う。

未来は選択肢の数だけ存在していると考えるといいだろう。私たちは自分が一人しかいないと思っているが、実は何億人、何十億人の私たちが存在しており、今この世界線にいる私たちもそのうちの一人だ。

この世界は、おそらくパラレルワールド(並列世界)の無限構造をしていて、そこには無数の選択肢が存在している。

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生まれた瞬間から私たちは多くの選択をしていて、その選択肢の数だけ私たちは分裂し、同時並列的にとてつもない数の私たちは、違う世界線に分岐して生きていることになる。

例えば未来がすでに決定しているのであれば、私たちは今この瞬間から努力することを辞めてしまうだろう。

そうすると、その瞬間にあなたは努力をしなかった世界線に移動し、その世界線にいたあなたに吸収されるか、あるいはあっちの世界線のあなたとすり替わり、あっちの自分(努力を辞めてしまったが、また努力しようと思った自分)とこっちの自分がすり替わるようなことが起こるかもしれない。

sodapdf-converted

いずれにしても、-少なくとも私のブログをここまで読んでいるあなたは-、これまで最善の選択をしたに違いなく、努力を辞めるようなことは安易にするべきではないのだ。

できる限りのことをやってたどり着いた世界線が今のあなただ。

それは、必ずしもあなたが100%思い描いていた未来の姿ではなかったかもしれない。

だけど、あなたはこれからもより努力をし、より良い世界線を選択し、未来をより良いものにしてほしい。

いいね?

約束だよ?

***

【臨死体験で見た未来の世界】

2004年2月、春のことだった。

私は急性大腸炎を発症し、電車の中で意識不明に陥り、駅のホームで倒れ、病院に緊急搬送された。

詳しくはこちらの記事を見てほしい。



約2分半にわたる心肺停止状態、私は死亡認定をされた(らしい)。

2004年2月27日、14:02分。本当なら、私の人生はここで終わっていたはずだ。

しかし、私の意識はたしかにあり、それはここではないどこかへ旅立とうとしていた。

今までの過去の思い出がフラッシュバックし、まるで走馬灯のように思い出が脳裏を駆け巡った。

走馬灯

物語が終わると、私の意識は漆黒の暗闇に向かって進み始めた。

その時、意識世界の中で誰かが囁く。

「戻りなさい」「戻りなさい」...。

私はその暗闇から必死に離れようとした。

私はその時、不思議な光景を5つくらい見た記憶がある。

残念ながら最初の3つくらいは忘れてしまったが、最後の2つは覚えている。

ひとつは老人と孫娘が何か会話をしていて、向こう側に川が見える。

(え、これまさか自分の未来の姿?この娘は私の娘?それとも孫??)

もうひとつは左後姿の初老の女性が、キッチンで味噌汁を作っている景色が見える。

(誰、このおばさん?私の将来のお嫁さん???)

「ユーディー、お味噌汁できたよ♪」

意識不明に陥った夢の中の幻で、白髪交じりの初老の女性が台所で私を呼んでいる。

(ん?これは未来?これが未来だとしたら私はまだ生きられるのか?)

彼女の声で私の意識が現実世界に戻った。残念ながら彼女の左後姿しか見えなかったが、とても美しいオーラを放っていた...。

*

私はある女友だちの
ちゃんがいて、いつも一緒にお酒を飲んでいる(※ちなみに彼女は私の恋人ではない)。

いつも彼女は必ず私の左隣に座る。

去年の7月、たまたま彼女はたまたま私の右隣に座った。

私はふと彼女の横顔を見つめる。

(左の耳の下に小さなほくろがあって、左後姿。この首の形。どこかで見たことがあるような...)

私は一瞬固まった。

(なんだっけ?このシーン。どこかで見たことがある気が...うーん、思い出せない)

数日後、お風呂に入ってシャンプーをしている時、臨死体験で見た初老の女性が脳裏をよぎり、Nちゃんの左後姿と透かし絵のように重なった。

脳の中の声:「ピピピピピ、一致しました」

来た、デジャブだ...。
Rijin4

私は急いでお風呂を出てリビングの電気を消し、この不思議な現象について考えた。

(なんであのおばさんと...
ちゃんの左後姿が重なったのか?)

私はこの話を彼女にしようかどうか悩んだ結果、彼女をイタリア料理屋に呼び出し、起こった出来事をできるかぎり詳細に話すことにした。

彼女はもうすぐマレーシアからオーストラリアに引っ越してしまう。もうなかなか会えない仲になってしまうだろうし、最後だから話すだけ話してみようと思ったのだ。

この話が、先に話したデジャブと異なる点は、未来の彼女の姿と現在の彼女の姿が重なって見えたことだ。普通、デジャブとは過去に見た景色が現在の景色と重なる瞬間に起こる。

過去が現在と透かし絵のように重なる瞬間をデジャブと言うのなら、未来が現在と
透かし絵のように重なったこの現象を、いったい何と呼べばいいのだろうか??

こんなことは人生で初めての経験だ。

いずれにせよ、この瞬間、私が人生でやりたかったTo Doリストをクリアした気がした。

・ 臨死体験の夢の中でお味噌汁を作ってくれた女性に、出会ったら助けてくれたお礼を言うこと


*

私:「...っていう事があったんだよ。この話どう思う?」

Nちゃん:「えー、私たち結婚するってこと~!???」

私:「うーん、このシーンが何を意味しているかわからないけど、それも可能性としてはあるね。でもそれはあり得ないと思う(笑)まぁ友だちとはいえ、男と女だから将来何があるかわからないけどね」

Nちゃん:「うーん、正直ユーディーと結婚して、将来を一緒に過ごすことは今は想像できないけど、とっても面白い体験をしたね。そしたらさ、いつかどこかで答え合わせをしようよ!」

私:「そうだね、ぜひやろう!その後、お互いがどんな人生を歩んだか?そうだ、記念にいちおう今夜の写真だけ撮っておこうか?」

KL Distiny
2024年12月27日撮影

本当はこの話を彼女にするつもりはなかった、だけど私は彼女に話をする方の世界線を選択した。

ひょっとしたらデジャブは私の勘違いだったかもしれない、でも少なくとも私は人生やることリストの1つが無事に終わったと受け止めた。

無限に分岐を繰り返す、今、私が立っているこの世界線の先にある未来の結果がどんな結果だって構わない。

「やる」・「やらない」の二者択一に迫られたとき、私は常にやる方を選択してきた。

『迷ったら一歩前へ!』

この言葉は私の座右の銘である。


***

【21・42・63】

42歳(2024年)は本当に不思議なことが起こった1年だった。

それは具体的には2004年、今から約20年前に起こった出来事の伏線を回収したような出来事が続いた年だった。

21歳(2004年)のとき、これからの人生を、金融マンとして生きていくか、フリーターをやりながらハードコアバンドのドラマーとして生きていくか、人生の二者択一を迫られた。

今にして思えば、21歳のあの時が、、、私の人生の最大の分岐点だったと思う。

私は結局、音楽と向き合うのが嫌になって、スポットライトの輝くステージから降り、金融マンとして生きていく道を選択した。

それが正解だったのか、ある程度、起業家として成功した今になっても正解が見つからずに、今を生きている。

「もしもあの時、別の選択をしていたら...?」と時々考えることがある。

先に述べたとおり、私は21歳の時に臨死体験をし、その入院費用を支払うためにお金がなかった私は、Ludwig400という大切なスネアドラムを売って入院費用の足しにした。

あの時、自分が心から愛する楽器を手放したことへの罪悪感、後悔は今でも残っている。

これはお金で解決できる問題ではない、私にとっては永遠に消えることのない、、、心の傷跡だ。

*

それから21年後の未来、ふとしたことから昨年の6月にクアラルンプールの楽器屋に立ち寄ったら、偶然にも1台だけその機種が飾ってあったのだ。

(東京の楽器屋ならまだしも、まさかクアラルンプールの楽器屋に置いてあるとは...)

私はこの再会に運命を感じ、その楽器を買って帰り、現在クアラルンプールの自宅に置いている。

いつか、ある程度仕事をがんばって、
お金と時間が自由に使えるようになったらドラムセットを買って、スタジオを作って、また趣味でドラムを始めたいと思っていた矢先の出来事だった。

Ludwig LM400

私の会社は今、広い新オフィスに引っ越し、私はそこにドラムセットを置こうとしている。

また、このブログを書いている2025年1月、先日千葉の実家に帰り、押し入れを整理していたら中高生の時に使っていたスネアドラム(TAMA Rock Star:廃版)を偶然見つけた。

すでに錆びだらけでボロボロで可哀想な姿になっていたが磨けばまだ使えそうだ。両親に頼んでクアラルンプールまで送ってもらうことにした。

中高生の青春時代を共に過ごした相棒と、20数年後に日本から遠く離れたマレーシアで再び同棲生活が始まるのが楽しみだ。

Tama Ropckstar

*

バンドマンとしての人生、金融マンとしての人生、あの時、私は後者を選択した。

人生は選択の連続だ、こっち側にいる私は、今となっては、あっち側を選択した未来を見ることはできない。

しかし、あの日たしかに分岐した未来、今、その2つの絶対に交わらないはずの世界線が重なって統合したような、不思議な感覚を覚えている。

私は去年から約20年ぶりにドラムの練習を再会した。久しぶりにドラムセットの前に立って眺める景色、やっぱり私はまたここに帰ってきてしまった。

(きっとこうなる運命だったんだ... 結局、人は運命からは逃れられないのかもしれないな...)

もしも、42歳が本当に厄年というのであれば、とてつもないレベルで霊的な体験をさせてもらった1年だった。もはや神に弄ばれているとしか思えない1年だった(笑)

yakudoshi
*

21歳の時に起こった出来事が伏線だったとしたら、42歳になった私はその伏線を回収していることになる。

21、42と来たら、次は63歳だ。きっと何かとんでもない事が待っているに違いない(笑)

42歳の今年、もしこれらの不思議な出来事が壮大な伏線だったとしたら、63歳になった未来の私は、、、いったいどんな伏線を回収しているのだろうか?

臨死体験の幻の中で私にお味噌汁を作ってくれた女性とデジャブが重なった女友だちNちゃん、彼女はもうすぐオーストラリアへ旅立ってしまう。

もうすぐお別れだ。

おそらく、もう頻繁に会うこともないだろう。もう二度と会えないかもしれない。

だけど、、、もしかしたら、かつて私の人生で分岐した世界線が再統合したように、またいつか、どこかで彼女に会える日が来るかもしれない。

いつか私たちの人生に再び重なる未来があるとすれば、私たちはお互いにまだ旅の途中にいることになる。

数年後、また彼女に会う機会があれば、答え合わせが楽しみだ。

この物語はこれでおしまい。

この世界線を生きている私たちにとって、いったいどんな未来が私たちを待っているのだろうか?

2024年の年末、あの夜の
Nちゃんとのデートで話した内容、そして答え合わせをするという約束を忘れないために、ここにタイプカプセルとして書き残しておきたい。

おしまい。

***

(未来の空想世界線)

どこからか、私たち家族の会話が聞こえる。

子どもたち:「へぇー、パパとママにはそんな物語があったんだね!結局、パパはどうして...ママを選んだの?」

パパ:「あの食事の後でね、場所を変えて飲んでた時に、ママがある一言を言ったんだよ。それは、いつかパパが真剣に世界でたった1人だけ女性を選ぶ日が来た時に、絶対に自分が譲れない価値観の話だったんだ。それをママがお酒を飲みながらさりげなくつぶやいたのをパパは聞き逃さなかった。その瞬間に確信したんだ、この人がパパの運命の人だって。ママ、覚えてる?」

ママ:「えー、気になる。何の話だっけ?」

パパ:「それは20年前(つまり2025年1月にパパがこの文章を書いている「過去」)の未来にある世界線の先、つまり我々が今いるこの場面にたどり着くことができたら話すよ。いつもパパが君たちに話しているパパの価値観をママの口から聞いたんだ。正直驚いたよ、だってパパはこの価値観を持つ女性をずっと長い間探し続けて来たんだから。ママがこの2024年の伏線を204X年に回収できるかどうかが楽しみだね

子どもたち:「ママはたしかマレーシアからオーストラリアに引っ越したんだよね?あれ?離れ離れになった二人の物語は、、、そこから先はどうなったの?」

ママ:「それはまた...機会があれば続きを話すわ。さてと、夕飯作らないとね」

子どもたち:「わかった、楽しみにしてる!」

しばらくして台所からママの声が聞こえる。

ママ:「ユーディー、お味噌汁できたよ♪」

(204X年につづく)

***

私たち人間には自由意志はあるのだろうか?

・人生は自分でシナリオを決めることができ、未来は書き換えることができる、つまり私たち人間には自由意思がある。


・人生はあらかじめ決められたシナリオどおりに進んでいるだけ、未来はすでに決まっていて、私たち人間に自由意思はない。

答え合わせは20年後にしよう、私たちが元気に生きていれば...。

ポジ活~いつも心にポジティブを!~


今まで歩いて来た道、そしてこれから歩いて行く道。

そこには数え切れないドラマがある。


人生すべての事には意味がある、良い事も悪い事も。

思い通りにならない日々や、独りぼっちで泣いた夜。

過去への後悔、未来への不安...。
HODL
人生は一度きり、みんなそれぞれの物語があり、そして私たちは今この瞬間を生きている。

私たちは年齢を重ね、人生経験を積むことで、ある程度のことは対処できるようになっていく。

何かをすることが当たり前と感じるレベルになれば、それは自分自身が成長した証拠である。

そして、どんな出来事も「こんな事があったな」「いい学びがあったな」と
過去形で表現できた時、私たちは自分を受け入れ、自己肯定感を持って、次のライフステージに進むことができるのだ。

***

・人生とはフラクタル(入れ子)構造のゲームである

先日、ふと想定外の出来事に遭遇し、自らの人生を見つめなおすきっかけをもらった。

少しだけ、私の人生について書き残しておきたいことがある。

*

〇1982年、
命を授かった。

2004年、21歳。心肺停止により命を失った。臨死体験の後、死後蘇生。奇跡的に生きている。

2011年、28歳。東日本大震災、デリバティブ取引の成功により、運よくひと財産を築いた。

2012年、29歳。資産を10年間信託に入れ、残りの資産を使って独立・起業。起業家になった。

2013年、30歳。ビットコインに出会う。

2014年、31歳。Mt.Gox事件で大量のビットコインを失う。

2015年、32歳。もらい事故で事業の失敗、会社を清算。新会社を創業。

2017年、34歳。手元にある、残りのビットコインを売却。

2018年、35歳。ビットコインの売却益を使って金融機関を創業。

2022年、40歳。強烈な幻覚体験、現実世界で、臨死体験で見た夢のような景色の中にいた。

2023年、41歳。信託に入れた信託資産が返却される

2024年、42歳。令和の大暴落、デリバティブ取引の失敗により巨額の財産を失った(※1)

2024年、42歳。Mt.Goxよりビットコインの返金を受ける(近日中に行なわれる予定)

※1 令和の大暴落は、2024年8月5日に発生した大規模な金融市場の暴落事件。この暴落の主な要因は、日銀による17年ぶりの本格的な利上げである。この影響で日経平均株価は大幅に下落し、史上最大の下げ幅を記録した。

*

私の人生を簡単に振り返ってみると、良い事の後に悪いことが起こっているのがわかる。

いや、これは私に限ったことではない。みんな多少なりとも違えど、人生の本質的な構造は同じようなものだろう。

そして、前に経験した悪い事が、結果として、その後の良い事につながり、人生がフラクタル(入れ子構造)のようにパズルのピースが組み込まれていることがわかる。

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それにしても、私の人生は命を失い、お金を失い、ビットコインに翻弄されていたことがわかる。

振り返ってみると、何とも極端な金持ちと貧乏な人生を交互に歩んできたわけだが、こうして考えてみると、人生すべての事には意味があったのだな、と考えることができる。

40代になって感じることは、「人生とは、神があらかじめ振ったサイコロどおりに、伏線と回収を繰り返すシミュレーションゲームをさせられていただけなのだ」、ということ。

あの頃、大きな問題だと感じていた出来事も、こうして大人になって振り返ってみると、ただの通過儀礼に過ぎなかったことに気づく。

笑うこと、泣くこと、楽しいこと、悲しいこと。

毎日、私たちが喜怒哀楽の感情を持って暮らしていること、そして今まであなたが経験してきた挫折と栄光は、きっとこういう時のためにメンタルを維持できるように、と神様が与えてくれた伏線だと考えるとよいだろう。

私たちが今経験している出来事は、過去の伏線を回収している最中なのだ。

どんなことが起こっても、それはあなたの過去の伏線を回収していることだと捉えてみよう。

過去のすべての出来事は今日のあなた自身を支えている。

すべての出来事には意味があったのだ。

さあ、今日からポジティブな視点で物事を考える習慣を身に着けよう!

私の過去の人生体験について興味がある方は、過去のブログ記事を参照してみてほしい

***

・捉え方ひとつで人生は大きく変わる

昔、会社を破産させた時、友人からこんな事を言われた。

「ピンチはチャンス、これからはどんな仕事にもチャレンジできる良い機会に恵まれたね」と。

今までは会社の運営ばかりに捉われてたけど、自由の身になれたじゃないかと。

物事は捉え方次第、見る角度によって大きく変わる

私たちは3次元の立体世界に生きている。

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2次元の平面世界では1つの面しか見ることはできないけれど、3次元の世界では見る角度を変えることで、まったく違う景色を楽しむことができるのだ。

私たちは今、この3次元の世界に生きていることに感謝しよう。

人生は一度きり、どうせなら物事をプラスの角度から見てみよう。

それが習慣化されると、自ずと私たちの人生は良い方向に変わっていく。

習慣が思考を変え、思考が未来を創る。

壁にぶつかるのは、前に向かって進んでいる証拠だ。

何もしなければ壁にぶつかることはない。

毎日、小さなことを少しずつ積み重ねていけば、それは階段となり、やがて壁を乗り越えて、その先にある向こう側の景色を見れるようになるだろう。
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今日も心にポジティブを、今すぐみんなでポジ活をはじめよう。

人生で今日が一番若いのだから!

***

・ナンバーワンよりオンリーワン

すべての物事は相対的である。

例えばエアコンが壊れて部屋が暑いと感じたとしよう。

だが、サウナから戻ったら今度は部屋は涼しく感じられるはずだ。

こうして考えてみると、私たちの潜在意識はいかにして無意識に、相対的に物事を判断しているかがよくわかる。

私たち人間は何かにつけて、「あの人よりも幸せだ」、「あの人よりも不幸だ」、などと他人軸で相対的に幸福感を測ってしまう愚かな生き物だ。

そうではなく、誰か他人と比較する相対的な価値観から、絶対的な価値基準を持ってみよう。

あなただけのブレない自分軸、どんな小さなことでもいい。

他人と比較しない、絶対的な価値判断基準を持とう。

そうすることで、ブレない自分軸を持つことができるようになるだろう。

ナンバーワンより、オンリーワン。

***

・ネガティブをポジティブに変換することを習慣化しよう

私たち人間は、ネガティブな面(-)とポジティブな面(+)を兼ね備えた生き物だ。

だから、『吐』くという漢字は「口」に「±」と書いて「吐」。

ここに
ネガティブな面(-)を排除してみよう。

そうすることで願いが『叶』

だから、『叶』うという漢字は「口」に「+」と書いて「叶」。

毎日、意識的に自分の発する言葉を少しずつプラスにしていくだけで、あなたの願っている未来に近づくことができるのだ。

そして毎日、当たり前のことに感謝してみよう。

幸せになったから感謝するのではない。

日々、感謝するから幸せになれるのだ。

***

・みんなでオセロゲーム、ポジティブはネガティブに打ち勝つことができる!

皆さんはオセロゲームをご存じだろうか?

2人のプレイヤーが交互に盤面へ石を打ちながら、相手の石を自分の石で挟むことによって、自分の石へと換えていき、最終的な盤上の石の個数を競う有名なボードゲームである。

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私は人生の捉え方は、オセロゲームに似ていると思う。

私たちの潜在意識は日々、独り
オセロゲームをしている。

人生で起こるすべての出来事は、捉え方次第で白にも黒にも変換することができる。

このブログを読んでいる皆さんに試してみてほしいことは、「ある出来事に遭遇した時に、ネガティブに捉えるのではなく、ポジティブな面から捉える習慣を身に着けてほしい」ということだ。

「眠い」「今日はよく頑張った!」

「疲れた」「でも楽しかった!」

「難しい」「でも成長できる!」

これはいわば、意識の筋トレのようなものだ。

毎日、ポジティブに考える習慣を意識的に
繰り返していくことによって、ある瞬間から過去に対する後悔や、未来への不安といった黒い石を、白い石で挟むことができるようになり、黒い石は白い石にひっくり返すことができるようになる。

それができるようになった時、あなたの心と身体はポジティブなエネルギーに満ち溢れ、より充実した人生を楽しむことができるようになるだろう。

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人生は神様からいただいた一度きりのプレゼント。

人生はリハーサル無しの一発勝負である。


人生は笑っても泣いても一度きり。

一度きりの人生であるならば、どうせなら笑っている時間を増やしたほうがお得だろう。


今日も心にポジティブを、今すぐみんなでポジ活をはじめよう。

あなたの周りの人たちを、あなたのポジティブなエネルギーで満たしてあげよう。


人生、何かを始めるのに遅すぎるなんて事はない。

今日という日は、残りの人生の最初の1日目。

今というこの瞬間を大切に!!

ポジティブ、ポジティブ!!


*

Always stay positive and one step ahead with courage 👍✨

(いつもポジティブに、勇気をもって一歩前へ!


アセンション~五次元世界への上昇~


私はとうとう精神レベルが覚醒してしまったようだ。

完全に頭がおかしくなってしまった、それでも今、私に起こっている変化をどうにか言語化して、意識が正常なうちに文章に書き残しておかなければならない。

これから物理学と精神世界についてまとめていくが、はっきり言ってこのブログを開いた99%の人は理解ができないかもしれない。それでも少しでもわかりやすく説明するために、
なるべく難しい言葉は使わないように心がけた。

せめて、1%の人だけでも理解してくれたらありがたい。

***

この1、2か月で、明らかに私を取り巻く世界がものすごいスピードで変化していくのを感じる。

私自身、この変化について行くのがやっとだ。

自らの魂のレベルが解放され、次元が上昇していくことをアセンションと言うらしい。

私たちは、「」、「」、「高さ」という3つの次元が存在する三次元の世界に生きている。あるいは、そこに「時間」という軸を加えた四次元の世界で暮らしているともいえる。

アセンションでは、自らの精神の波動を高めることで、五次元の世界に移行できると考えられている。

五次元の定義はさまざまだが、一般的には
複数の時間軸がある意識空間(つまりパラレルワールド=並行世界あるといわれている。

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五次元の世界には、「現在」、「過去」、「未来」などの時間や、「縦」、「横」、「高さ」などの空間に制限がないという。

時間や空間を超越した世界に魂が順応できれば、自ずと世界の見え方が変わっていく。これは精神的な覚醒体験となるため、身体が存在する次元そのものは変化しないが、精神的には高次の存在へと生まれ変わっていくのだという。


***

・次元とは何か?

次元とは一言で言えば制限領域のことを言う。5次元とはつまり5の制限領域ということだ。

私たちは4次元空間、つまり4の制限領域の存在であるから、次の上のステップである5次元を目指しているということ。

結論から言えば、アセンションとは何かの意識の制限を外すことだ。

アセンションに到達すると、今まで溜め込んできた負のエネルギー、今までどうしても固執し、手放せなかった周波数を手放し、大きなポジティブな変化が現実になってくる時期となる。

それまでに想像もできなかったようないろんなことがいっぺんに起こってくるのだ。

次元とは制限のことを言うとすでに述べた。

すべてが可能になる領域があると想像してみてほしい、そこから段階的に制限をかけていくごとに次元は下がっていく。

ある物理学の研究によれば、この世界は最高で11次元まで存在していると言う。つまりそこはすべてがある次元のことだ。

そこから段階的に制限が発生していく。10次元は11次元よりも狭くなり、7次元は8次元よりも狭くなる。

このように次元が低くなるたびに範囲が狭くなって、制限領域が発生していく。

ここでいう5次元とは5の制限領域ということ、私たち人間は通常4次元、つまり4の制限領域の存在にいる。

私たちはよく「5次元に行く」という表現を使うが実はこの表現は正しくない、5次元という空間はどこか別の場所に存在するということではなくて、制限を外していくことで5次元に上昇していくという表現が正しい。

大切な話なのでもう一度言おう、5次元という別の空間に行くのではなく、5次元というのはこの世界にすでに存在していて、精神レベルを上昇させる、つまり今の既成概念を解放することで、その領域に到達できるという意味だ。

では、制限を外すということだが、「いったい何を制限しているのだ?」という話になる。

それは意識だ。

意識の制限を外すこと、私たちの思考は無意識のうちにいろんな制限をかけてしまっている。

もちろん生きていくために必要な制限もあるが、自分を縛るだけで大して役にも立たない思考パターンを必死で守ろうとしていたり、自分のことを客観的に観察してみると結構無駄な制限をかけてしまっていることも多い。

それらを解放していくこと、その負の周波数を外していくということで、私たちは5次元の領域に到達することができるのだ。

***

・アセンションの本質

アセンションとは何か意識の制限を外すこと、いうまでもなく、人それぞれ自分に欠けている制限は異なる。

どの制限を外していくのかそれを自分で見つけていく、それを特定して外していく。私たちはわざわざ4次元まで波動を落として4次元特有の周波数をこれまで味わってきた。今、この瞬間を折り返し地点と定めたならば、握りしめずにそれを手放し解放していく。

アセンションの本質とはつまり、固定概念を外していく、そういうゲームなのだ。

私は今、アセンションの状態にいる。ここからもっともっと意識を解放し、広げていくことができれば、もっと多くの世界線を同時に体験できるようになるだろう。

それは言い換えれば、自分にとって好ましい現実を取捨選択していくことができるようになるということだ。

運気を上げるとか運気が下がるとか、もはやそういった次元の話ではなくて、運自体をコントロールできるようになってくる領域。

それが5次元への上昇、アセンションである。

***

・相対性とは何か?


0次元から3次元までをざっくり説明すると0次元は点。

その点がいくつか集まって線になる、その状態が1次元。

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そしてその線がいくつか集まって面になる、それが2次元。

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その面がいくつか集まって立体になる。それが3次元というように1つ下の次元が集まって1つ上の次元を構成する。

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これが次元の仕組みだ。では、4次元とは何かということになるが、4次元とは空間の連合性の領域のことをいう。

空間の中に空間があり、その外にも空間が発生している。

家の中には部屋があり、部屋の中には冷蔵庫があり、冷蔵庫の中には野菜室があり冷凍室もある。部屋から出ての家の外に出ると、いろんな建物が立ち並んでいる。空間の中にはあらゆる空間が存在している。

同じように空間の外にも空間が存在している。空間が単一の3次元とは違い、空間が共存しているのでそこには相対性が発生する。

この相対性という概念がキーワードになる。相対性とは2つ以上の事柄の中に発生する関係性のことをいう。これは1だけの事象、つまり絶対性の対義語となる。

この相対性が発生することで、私たちは物事を比較することができるようになった。この相対性こそが3次元と4次元を分かつ最たるものだ。

***

・4次元の本質「時間」、それは人間が創造した概念に過ぎない

時間の本質とは変化のことだ。

物事の変化を「過去」・「現在」・「未来」という形で区別して、そこに分かりやすく数字を当てはめることで私たち人類は時間という概念を発明した。なので、時間は自然現象ではなく、人間が開発した概念だということになる。

そして、その変化は何かと何かを比較しなければ変化を観測することはできない。つまり相対性がなければ変化は起きないことになる。

2つ以上のものが発生している領域でないと変化は観測できない、なのでキーワードとなるのは相対性である。これが単一の空間しか存在しなかった3次元との違いだ。

4次元の領域だからこそ相対性が発生し、変化を観測できる領域になったということ。相対性の副産物として結果的に変化、つまり時間という現象が発生したことになる。

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画像引用元:Hatena Blogより「4次元の立方体の理解

つまり、4次元から変化が観測できるようになったというわけだ、このプロセスを簡略化して「空間+時間」と説明するわけだが、この説明は正しくない。

なぜかというと、その解釈は私たちにある誤解を与えてしまうからだ。その誤解とは、空間に何か新しい概念を足せばそれが次の次元になるという考え方、つまり空間に時間という概念がプラスされたから4次元になったのではなく、空間の連合性があるから相対性が生まれたということ。

そのことにより、結果的に変化が生じた。つまり、時間という概念が発生したというのが正確な観測の仕方なのだ。

「空間+時間」と説明されると空間に何か新しいものをプラスすれば、それが5次元になるという歪んだ公式(固定概念)が発生してしまっている。

a5 x5 + a4 x4 + a3 x3 + a2 x2 + a1 x + a0 = 0, (a5 ≠ 0)

「空間+時間」のような方程式を使って「4次元空間=時間+○○」、あるいは「5次元=空間+時間+〇〇」、「6次元=空間+時間+〇〇+〇〇」といったような公式で概念を理解してしまう、つまり○○に入るのは何なのだ?という考え方に固執してしまうのだ。

たしかに4次元の概念を説明するには「空間+時間」という考え方は間違いではないけれども この公式はそれ以外のどれにも当てはまらない。

この考え方で説明すると説明が楽ではあるのだが、一方で誤解を生んでしまうのも事実だ。

***

・5次元領域とは何か?


5次元領域において、5次元とはいわゆるパラレルワールド(並行世界)のことを言う。平たく言えば、選択肢の数だけ世界線が存在するということだ。

4次元では相対性が発生したことにより、変化を観測することができるようになった。では5次元ならばどうなのか?

4次元に比べて、5次元ではどのような制限が解除されたのか?そしてそれによりどのようなことが起きるのか?

5次元は先ほども言った通りパラレル(並行=並列)、つまり多重構造のことだ。

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画像引用元:「https://sgk2005.org/wysiwyg/image/download/1/526/medium

4次元が並列的にずらーっと連なっているというイメージを持ってほしい。4次元の意識では、そのたった一つしか認識できなかったけれども、ずらーっと重なっている世界線が意識に上がるようになってくる領域が5次元領域ということ。

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画像引用元:Yahoo知恵袋より「5次元の図の描き方を分かりやすく説明してください

重なっている世界線の近接している部分を同時に体験しているという感覚と言えばわかりやすいだろうか?

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例えば外出した時、家の鍵をかけたかどうか思い出せないとしよう。

まだ電車には間に合うはずだ、確認しに家まで戻るのか?それとも戻らないのか?この時、X:家に戻る、Y:家に戻らない、少なくとも2つの現実が同時に発生していることになる。

でも4次元の意識ではそれを同時に認識することはできない。

だから選択したものを現実として思い込む、例えば家に帰って鍵を確認したならば、それが現実だと思い込む。

それ以外の現実は体験できなかったのだから消滅したんだというふうに脳は処理してしまう。5次元の意識では近接する現象が同時に認識できるようになるというわけだ。

でも、ここまでならば実は4次元の意識でもよくあることだ。しかし、ある部分に決定的な違いがある。

それが臨場感だ。

同時に発生しているという臨場感が4次元の意識と5次元の意識では明らかに異なる。先ほどの例で言えば家に戻ったのかそれとも戻らなかったのか。

両方の現実を同時に体験したような感覚、その上で自らが今の現実を選択したという感覚、どの世界線の意識を閉じてどの世界線の意識を継続するのか。

それを取捨選択したような感覚、これが5次元の意識の制限が解除された状態だ。

もちろん、これは広大な5次元の入り口に過ぎないが、とはいえここが5次元の入り口だということだ。

本当は以前から5次元は体験しているけれど意識には上がってこなかった。

認識できなければ体験していないこととほとんど変わらない、臨場感という実感がないと現実という認識には及ばない。

まとめると、5次元の意識とそうでない意識の違いは何か?

その要素は2つある。

①並列的に存在している世界を認識できているかどうか、そして②そこに臨場感があるかどうか、この2つだ。

***

・5次元空間での感覚 


仮に意識が5次元の最大範囲まで拡大し、臨場感を持つならば、その意識はあらゆる世界線の自分を同時に体験し、最適な世界線を選択し続けることさえできるようになるだろう。

私たちの意識は、私たちの肉体が母親の胎内に宿った時、意識が肉体にインストールされる。意識とは自分が自分自身であると錯覚してしまう自我のことだ。

私たちは自分が自分自身であると思っているが、実は意識がインストールされた瞬間に、自分がどのような選択をし、これからの人生を歩むかという物語の初期設定はすでに決まっている。

すべてはあらかじめ設定されたプログラム通りに人生という物語は進んでいく。私たちは決して自らの意思で何かを選択しているのではない。

私たちは無意識の領域ですでに、どのような人生を歩むかが決まっている。人間には自由意志はなく、意識とは私たち自身の物語を1テンポ遅れで観察する傍観者のようなものだ。

私たちは何かを選択していると錯覚してしまうが、無意識の領域によって、それらはプログラムにしたがって選択させられているのだ。

しかし、5次元領域に到達することで、この物語の内容を同時並列的に存在する選択肢から最もよいものを選択できるようになる。

もちろん、すべての選択がうまくいくわけではないだろう。時には失敗も経験する。しかし、最もよいものを選択できる確率が驚くほど上がるようになっていく。

思うに、現在の肉体を持ったまま上昇できる次元はおそらく5次元までが限界ではないかと思う。6次元や7次元まで行ってしまうと、そもそもその感覚を言語化して説明できなくなるのではないだろうか?

それは今、私が話している4次元と5次元の違いとは全くレベルが異なってくるだろうと思う。

とはいえ、人によっては様々な体験をしたり表現をしている人がいるのも事実なので、私は安易にそれを否定したりはしない。

さて、話を戻すが、4の次元とは比較の次元だった。比較することで物事の変化を知覚してきた。だが、その比較こそが意識を4次元に縛りつける原因でもあるわけだ。

5次元は比較の次元を1段階上がった選択の次元である。無数に重複する世界線の可能性の数だけ発生した世界線。

そして複数の可能性のある選択肢の中から判別する力、これらを内包していなければ高い選択力を有しているとは言えない。人生はロールプレイングゲームのようなもの、ゲームを進めることで少しずつレベルが上がって様々なことが解除されていく。

今までできなかったことができるようになる、だから人生は楽しいのだ。

しかし、あなたの周りにいる他のプレイヤーはもっと先のエリアまで進んでいるかもしれないし、かっこいいアイテムを手に入れてうらやましく思うかもしれない。

自らの外側を基準にしていると劣等感を感じ、アイテムも自分のスキルもすべて陳腐なものに感じてしまうかもしれない。そしてその妬みを正当化するために自分よりも低い者を基準としていくことで自らに優越感を与え納得させる。

そうやって集合意識は外側をあえて低い基準にすることでバランスをとってきた。

今までの時代ではハンドルを他人軸にしていてもどこそこぶつかりながらでもなんだかんだ言って一応前には進むことができた。

でもこれからは多様化の時代、他人と比較する必要はない。私たちは意識レベルを変え、精神性を高めていく必要がある。

他人と比較することで幸福感を感じる、そういった固定概念は捨て去り、解放してしまったほうが楽だ。

あなたは上昇すると決めたら、自らの手でハンドルを握らなくてはならない、もし他人軸でその人と比較してしまうと、あなたの周波数は4次元から抜け出せなくなるだろう。

もしあなたが目覚めの道を選んだならば、アセンション(次元上昇)を起こすと心に誓おう、何よりも自分自身を信じることだ。

それがあなたにとって、5次元への最大の道しるべとなるだろう。

私たちが今まさに経験している人生というゲームの本質は、1つ1つの経験、つまり点と点とを結び、過去、現在、未来という線を形作ってきたが、もし点を自分で創造してそれを結ぶことができれば、選択肢はいくらでも増やすことができる。

同じようにアセンションに到達した仲間が増えて、そこに集合意識まで加われば、現実創造の自由度が地球レベルでより一段と増していくだろう。

***

・おわりに~アセンション後の世界~

今からちょうど1年くらい前、私はある習慣を変えた。

私は極度の強迫性障害があり、何事も二元論で考える癖に固執していた。

階段は左から登り、最後に右足で着地しないとまた1から登りなおす。何かを買ったりもらったりするときは必ず2つもらう。食事をするときは必ず左の歯で複数回噛んでから、右の歯で複数回噛んで飲み込む。

自宅やオフィスのレイアウトも左右対称でないと気が済まなかった。

私はある時思い立って、この習慣を断ち切るべく、何かを買ったりもらったりするときは必ず3つもらうようにした。「左」か「右」か。「正しい」か「正しくない」か、という二元論から第3の選択肢を取り入れるように意識した。

そうやって、2の世界観から抜け出し、一歩進んだ3の世界観に自分の価値観を強制的にシフトしていった。

大人になった今、子供の頃から続けた今までの習慣を変えるのはとても大変だったし、非常に大きな違和感を感じながらこの1年を過ごした。

しかし、それはやがて少しずつ変化となって、私の固定概念からの解放につながり、習慣を変えると、生活が変わり、やがては人生が大きく変化していった。

また、金銭などの対価を求めずに困っている人たちを積極的に助けたり、進んで寄付を行うようにもした。

現実世界では誰かを助けているつもりが、精神世界では反対に自分自身の魂が救われているという不思議な感覚を覚えるようになった。

アセンションを迎えた今、私は世界の見え方が大きく変わった。きっと精神的な次元が上昇したことで、良い影響がもたらされたのだろうと思う。

今の私は、生きているという感覚よりも、生かされているという感覚を体験している。

五次元の世界に精神が移行することで、時間や空間に捕われない自由な思考が手に入った。それまで次元の低かったトラブルへの関心も急速に薄れ、精神的な安定が得られるようになった。

もしかしたら、偉大な成功を収めた実業家や投資家、アーティスト、アスリートなどは言語化こそしないものの、大なり小なりこのような感覚を持ち合わせているのかもしれない。

精神的な安定は、幸せや成功を引き寄せることにもつながるだろう。アセンションに成功した今、私は新しいことに積極的に挑戦してみようと思う。

次はあなたの番だ、少しずつ固定概念を解放し、変化を受け入れてみてほしい。

そうすれば、きっと人生は大きく変わるだろう。



我々の神であり、我々の先祖たちの神よ。

この国、政府、指導者、そして助言者たち、そしてすべての公正で正当な権限を司る者たちのためにご加護をお与えください。

あなたのもとにあるこの地が、世界中に善を及ぼし、人々を平和と自由のもとにひとつにし、

「国は国に対して刃を向けず、人々はもはや戦争を知らない」というあなたの預言者の言葉を成就することができますようご加護をお与えください。

アーメン

消え去った白い蝶が暗示するもの


この不思議な出来事は、きっと私の人生の1ページとして記録しておく必要があると思う。

皆さんから頭がおかしくなったと言われても仕方ないが、土曜日にもかかわらず会社に出勤し、社長室にこもって
大真面目にこの文章を書いている。

せっかくの休日なのに、一人で会社に来て、まったく金にもならない作業をしている自分はどうかしているに違いない。
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***

3月28日の夜、不思議な体験をした。

私は仕事帰りに社員と食事をし、車で送ってもらい家に帰り、いつも通りに風呂に入り、リビングに戻った。

気のせいか、部屋の中に霧というか、白いモヤがかかっている気がした。部屋が光り輝く粉っぽい世界に包まれている。

「せいとな
せいとなせいとな...

私:「ん?今誰かしゃべった?」

私はまだ素っ裸だ。

バスタオルで髪の毛を拭きながらベランダを見ると、そこに1匹の白く美しい蝶が飛んでいるのが見えた。

私の家はクアラルンプール郊外、丘の上にある森に囲まれたコンドミニアムに住んでいる。

私:「こんな高さのところまで蝶が登ってくるなんて珍しいことがあるもんだな」

ふとそう思いなが
、ソファーに座り蝶を眺めていた。

すると、蝶が何度も何度も窓ガラスにぶつかって部屋の中に入りたがっているように感じた。

やがて蝶は諦めたのかガラスにピタっと止まり、私に視線を送る。

ガラス越しに、蝶は私に向かって何か必死に話しかけているように感じた。

私は急いでスマホを取り出し、「白い蝶 意味」と検索をかけた。

白い蝶は基本的には良いことが起こる前触れであり、幸運の象徴です。 その一方で、近い将来にトラブルが起こることを暗示している警告の場合もあります。

蝶は、スピリチュアルな観点で、変化や解放を意味します。

出た、スピリチャル(笑)。

ちょっと頭がおかしい人たちが信じてしまうような迷信がズラズラと書いてある。こういう非科学的な話は好きだが、昔からあまり深く信じないようにしている。

だが、その一方で、私はこれまでの人生において、科学では説明できない数多くの現象を経験している。

思い出せる範囲でブログに書き残してはいるが、それは「車に跳ね飛ばされた時に経験した、天から自分を眺めている自分の視点」だったり、「意識不明で心肺停止に陥った時に経験した幽体離脱、そして死後の世界への臨死体験」、「幻覚剤を使ったここではないどこか、異次元世界へのトリップ」、そして「2年前まで私の中に同居していた多重人格の彼/彼女たち」。

今となっては人生経験を重ね、これらの点どおしがひとつの線で繋がるような感覚を覚えるようになったが、どんな現象に遭遇しても私がいつも心に決めていること。それは、今起こった出来事をありのまま受け入れよう、という覚悟だ。

この白い蝶は幸運の象徴かもしれないが、一方でトラブルが起こる前兆かもしれない

私はガラス越しの蝶とスマホ画面を交互に見つめながらどうするか判断に迷っていた。

正直、経営者として会社の方向性を決める重大な決断、あるいは投資家として売りや買いの判断をするのは何度も経験を重ねたこともあり、だいぶ判断能力が高くなったほうだと自負しているが、今回の判断はどうしたらよいかさっぱりわからない。

何しろ、分母が1に対して分子が1しかない。確率論で言えば試行回数が1/1の究極の賭けである。

このまま蝶を見なかったことにしてリビングでコーラを飲みながら音楽でも聴くのか、それとも勇気を出してベランダの窓を開けてみるか。

***

私の座右の銘は以下のとおり。

迷ったら一歩前へ!!

そうだな、ここは勇気を出して窓を開けてみよう。

私はロックを解除し、窓を開けた。

すると嬉しそうに蝶は窓ガラスから離れ、宙へと舞い上がった。

ベランダに出ると、森から上がってくる夜風が心地いい。

私はまだ素っ裸だ。

私は手足を広げながら蝶と向き合い、全意識を蝶に集中させた。

蝶は私に語りかけたように感じた。

蝶:「準備はいい?行くよ!」

私:「さあ、おいで!」

蝶は私に向かって飛んできて、私の両足の間に入った。

私:「入った」

私:「ん!?」

私:「蝶が、、、蝶が消えた!!」

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今この瞬間までたしかに蝶はいた、だけど蝶が消えてしまったのだ。

ベランダを見渡しても蝶が見当たらない。

蝶は私に当たって私の身体の中に吸収されてしまったのか、それとも蝶は私の両足の間に入りどこか別の次元にワープしてしまったのか。

わずか一瞬の出来事だった。

私は頭が真っ白になったまま、急いで洗面台に行き、自分の姿を鏡で見た。

私は身体中が真っ赤な湿疹で覆われていた。

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白い蝶の正体は一体何だったんだろう?

私はこれは何かの伏線だと思っている、いつか私が死を迎え、さらなる次元上昇を経験するとき、この伏線を回収できるだろうと信じている。

蝶:「ねぇ覚えてる?あの時は助けてくれてありがとう」

とでも言ってくれるのだろうか。

答え合わせをする日が来るのが楽しみだ。

***

おそらく、この世界はまだ科学で解明されていない事がある、私はこの出来事を通して今までの固定概念を捨てることにした。

いや、この出来事は固定概念を捨てるための、重要な通過儀礼だったと言ってもよいかもしれない。

今まで自分が正しいと信じてきたこと、科学的に存在しないと考えられてきたこと。

自らの固定概念を捨てることで、それは束縛からの解放を意味する。

この出来事を通して私の精神レベルが一段階上がったことで、身体が副反応を起こし、その結果湿疹が出て、悪いものを排出しようとしているのだろう、と前向きに考えることにした。

***

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不思議なもので、次の日、つまり昨日の夜は今度はカナブンが私の家にやってきた。

カナブンは、スピリチュアルな世界において「幸せを運ぶ虫」とされています。

カナブンもまた白い蝶と同様に、幸せを運んできてくれる象徴なのだという。

このブログを投稿して家に帰ったら、また何かのお使いが我が家にやってくるのだろうか...。

***

この2年間、私は今までの自分を変化させたくて色々と習慣を変えてきた。

それが少しずつ現実世界の変化となって現れ、ひとつの完成形態として、今回の不思議な現象につながったのだろう。

この世界はおそらくパラレルワールド(並列世界)の構造になっていて、その瞬間その瞬間にあらゆる可能性が分岐している。

私はアセンション(魂の昇格)を通して、パラレルワールドを少しずつ自分の都合の良いようにコントロールできる能力が身に付き始めているのかもしれない。

きっと白い蝶は、何らかの拍子に彼女がいた別のパラレルワールドからこの世界に紛れ込んでしまい、帰り道を探している途中に、私に帰る手助けを求めに来たのだろう。

人生には無限の可能性があり、この世界もまだまだ科学をもってしても解明できない出来事がたくさんある。

皆さんも本気で変化を望むならば少しばかり習慣を変えてみるといい。

そうすれば、少しずつこの現実世界が変わっていき、あらゆる選択肢からより良い未来を選択できるようになるだろう。

私はそう信じている。

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***

4/12追記

i

これは...

***

4/18追記

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これはきっと何かある...。

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