久しぶりに軽井沢に遊びに来た。
長野新幹線で東京駅から1時間10分くらいだろうか、本当にあっという間だ。
いやー、快適快適。
ではあるんだけど...
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かつて、東京から信越方面へ向かう旅人たちは、横川駅で一旦足止めを余儀なくされた。
というのも、ひと駅先の軽井沢駅との距離11.2kmの間に立ちはだかる「碓氷峠[1]」の勾配があまりにも急すぎて、列車が自力では登って行けないからだ。
そこで、「EF63(通称:ロクサン)」という力持ちの電気機関車を2両連結して、後ろから押しながら軽井沢まで峠を越えていくのだ。
乗客たちは、この連結作業に5分くらい待たされることになる...
横川の標高が387m、軽井沢の標高が939m、その高低差なんと552m。
最大勾配は66.7‰にも達する[2]。
66.7‰(6.67%)は1,000m(100m)進むごとに、高度が66.7m(6.67m)ずつ上がっていく計算となる[3]。
オフィスビルの1階の高さが3.5mと仮定すると、3階までの高さを100mかけて登っていくようなイメージだろうか。
(2013.11.24追加)
長野新幹線が開通した今になって振り返ってみれば、何とも無駄が多い非効率的な作業だったわけだが、それはさておき。
横川駅ではこの連結の待ち時間を使って、一度ホームに降りて、とぼとぼと釜飯を買いにいくのがある種の定番だった。
そして、峠の景色を眺めながら釜飯をのんびり食べる。
今よりも、もっとゆっくりと時間が流れていた。
ところが新幹線では、トンネルの中であっという間に峠を越えてしまうので感慨に浸っている時間もない。
小学生の頃、家族旅行で軽井沢に出かけた頃の事を思い出すと、関東の人間にとって軽井沢の地は、もっと遠い場所だったように記憶している。
1997年、翌年の長野オリンピックの開催に合わせて、長野新幹線が開業した。
これに伴い、信越本線の横川-軽井沢間は廃線となった。
長い間、碓氷峠を越えていく列車たちを後ろから力強く支えてきたロクサンの勇姿も見納めとなり、碓氷峠104年の歴史は幕を閉じた。
軽井沢の駅周辺は大規模な再開発が進められた。
ゴルフ場、スキー場、テニスコート、乗馬施設...
かつて有産階級の避暑地として名を馳せた「高原の町」も、現在は大きなアウトレットモールができて、週末になると東京から多くの観光客で賑わう「カジュアルな街」に変貌を遂げた。
さて、横川は今どうなっているのだろうか?
彼らが峠を越える列車たちをじっと待ち続けていたあの場所は、「鉄道文化むら」として生まれ変わり、現在も機関車の一部は解体されずに保存されているらしい。
高崎から電車に乗って横川を訪れる人も、一部の鉄道ファンを除いて減ってしまったのだろうか。
時間ができたら、彼らに会いに行ってみようかな...
廃線跡地ものんびり歩いてみたいな...
(2013.11.24追加)
月やどす 露のよすがに 秋暮れて
たのみし庭は 枯野なりけり
藤原良経(秋篠月清集、百種愚草、南海漁夫百首、冬十首)より
ロクサンの役割は、主役を引き立てる「名脇役」といったところだろうか。
それは決して主役のような華やかさはないけれども、必要とされる「縁の下の力持ち」。
こういう職業って一見すると地味で目立たないけれども、世の中には探せばたくさんあると思う。
子どもの頃、ロクサンは鉄道ファンの私にとって憧れの存在だった。
私も、彼らのような存在になりたいな......
終わってしまった時代を偲んだところで何も始まらないけれども。
昔を懐かしむのは、私も少しだけ大人になったせいだろうか
[1]「山」に「上下」と書いて「峠」、この漢字は小学生のころ横川駅で覚えた。
[2]‰は1,000分率、100分率(%)の10倍になる。鉄道マニアはこの単位を碓氷峠で覚えた方が多いと思う。
[3] 角度θ = 3.8159762386952 = 3°48′57.51″
出典:「カシオ計算機」ホームページより