花壇に咲く花は良く手入れされていて非常に整っている。
いつも誰かが気にかけていて、水を上げたり、肥料を上げたり、大きさを揃えたり...
いわば人工的な美しさだ。
これに対して、野山や道端にはひっそりと咲く花がある。
誰からも見向きもされず、誰かが気づいてくれるのをじっと待ち続けている。
目を閉じてみると、ひっそりと彼女たちの吐息が伝わってくる。
いわば人知れず咲く花だ。
どちらにも「美」は存在する。
一方は「華やかさ」の美、
他方は「切なさ」の美。
どちらがいいとか悪いとかではない、
これは美意識の問題だ。
例えば有名店のレストランは大通りの一等地に位置しており、私たちはその店がそこに存在していることに容易に気づくことができる。
これは一種の広告・宣伝費でもあるが、家賃は高く、商売を続けるためには、必然的に商品の原価率を下げざるを得ない。
その一方、本当の名店は大通りの一等地に位置していない。私たちは路地裏を散策しながらその存在を探し求めないかぎり存在に気づくことはできない。
余計な費用をかけず最小限の設備だけで店の運営がされていて、一見すれば地味だけれども、その地域の人たちに支えられてひっそりと営業をしている。
家賃を安く抑え、商品の原価率を上げることができるので、家賃の高い大通りの一等地に比べて、必然的によりおいしい料理を提供できるはずだからだ。
私は後者が好きだ。
地味で、控えめで、何も言わず...