インドの富裕層はゴルフに行くときはボロボロのシャツを着て行くのだそうだ。
いいシャツを着ていると山賊が襲ってくるらしい(笑)
日本はつくづく平和な国だなぁと思う。
*****
一般的に富裕層と呼ばれる人々は、自分の意思決定力をしっかり持っていて、経済的合理性に基づいて物事を論理的に判断していく。
「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どのように」やるのか、その結果として「どうなるのか」。
「メリットとデメリットは何か?」
「リスクに対してリターンはどのくらい見込めるのか?」
「事業計画書はあるのか?」
「数値データはあるのか?」
「数値データに確たる根拠はあるのか?」etc...
むしろ、このように判断できなければそもそも富裕層にはなれないし、運良くなれたとしても、あっという間に詐欺に引っかかって奈落の底に落ちてしまうだろう。
それゆえに、「彼ら」は人脈をとても大事にする。
彼らの特徴は、「何を買うか」「どこで買うか」ではなく、「誰から買うか」という事を非常に重視する傾向が強いように思う。
また、彼らが投資家として資金を提供する際にも、「何をやらせるか」はもちろん大事だが、それ以上に「誰にやらせるか」、さらに言えば「どんなチームに運営を任せるか」ということを非常に重視している傾向が強いように思う。
彼らはすでに優秀なビジネスパートナーを有していて、「誰に」「何を」「どのタイミングで」頼めばいいのかを把握している。
富裕層の周りにはやはり富裕層の友人がいて、彼らの周りをさらに専門家である優秀なビジネスパートナーたちが囲っている。
だから孤独な富裕層というのはあまり見かけたことがない。
私も社会に出てからわかったのだが、彼ら―富裕層と呼ばれるヒトたち―は、互いに見えない鎖でつながっている。
だから「金持ちケンカせず」という言葉があるのだろう。
このように、
富裕層に近づく情報のほとんどは専門家である優秀なビジネスパートナーたちによって厳密に情報処理が施され、詐欺師はなかなか近づくことができない仕組みになっている。
これに対してプチ富裕層と呼ばれる人々は、自分たちが裕福でありつつも、どこか心が満たされていない。
世間一般の人々よりは収入はあるけれども、かといって大金持ちでもない、いわゆる小金持ち。
高収入によって「物質面」は満たされているけれども、なんとなく「精神面」が満たされていない人々。
彼らの周りには富裕層の友人もいなくて、相談できる優秀なビジネスパートナーもいない。
逆に、たいしたことのない人脈がたくさんいたりする。
彼らはお金の使い方を考えるとき、非常に孤独だ。
だから、適格にアドバイスしてくれる専門家がいないため、寄ってくる情報に安易に乗った結果、詐欺被害に遭ってしまったり、雑誌やネットでの情報収集につい依存してしまうのだと思う。
誇大広告に騙されて、数十万円、数百万円もするような高額商品を買って大儲けどころか大損失を被ってしまった、こういう人をよく見かける。
これはある種のコンプレックスを反映した結果だとも思うのだが、数十万円もするブランド物のバッグが飛ぶように売れたり、数千万円もする輸入関税たっぷりの外国製の高級車が街を走っているのは、富裕層に少しでも近づきたいという、承認欲求が顕在化した現象ではないだろうか?
多くの人々が高級ブランドを購入したがる理由は、かつてソースダイン・ヴェブレン(T. Veblen)が『有閑階級の理論』の中で提起した街示的消費の心性に駆られているがためであり、
"裕福でない隣人が買った商品よりも高価な商品を所有し見せびらかすという、ただそれだけのことに満足感を覚える"
という消費者心理が現代社会の文化的本性として横たわり、その経済行動に抜き難い影響力を及ぼしているからに他ならないだろう。
言い換えれば、「物質面」を満たすことによって「精神面」をカバーしつつ、街に出るときにわずかながらの自己顕示欲を満たすためのガラクタを購入し続けるわけだ(笑)
「最近ベンツを買ったんですよ。減価償却で4年落ちは2年で落とせますからね、いや、うまく行けば税務担当者によっては1年で認めてくれるかもしれないな。この度、節税対策も兼ねて買ってしまったんですよ、ははは。それに、やっぱり経営者たる者、万が一事故にでも遭ったらしばらく商売できなくなりますからね。体が資本といいますか、やっぱりドイツ車はいいですよ。頑丈ですしね、いざという時に体を守ってくれますから。ほら、リスクヘッジというやつですよ。やっぱり体が資本、体が資本ですよ。」
これは建て前...
「私は実業家。事業がんばってお金持ちになった。わーいわーいヾ(〃^∇^)ノほらみんな見てくださーい。わたしはお金持ち。ほらベンツ乗ってるよ。あっ、ベンツってわかるかな、左ハンドルの高級な車ね。さぁて、見せびらかしに街に出かけよっかなー。おっ!信号が赤になったぞ。横断歩道を渡るヒトがこっち見てるな。チッ、しょーがねーなー、特別に窓全開にしちゃおうかな、ほら見て見てー。私はお金持ちv(^▽^)v」
これが本音...
ということで、ブランド品のマーケティング戦略がアプローチする対象は、『富裕層の財布の中』ではなく、富裕層っぽく見られたいと願うプチ富裕層の『コンプレックスと自己顕示欲』だったりするわけだ。
この部分の心理をいかに巧妙に埋めるのかが、彼らの商売の基本なのだから。
彼らは富裕層に憧れを抱く一方で、「理想」と「現実」の狭間でジレンマを感じており、少なからず、「嫉妬」や「妬み」を持っている。
出典元:「カウンセラーになるのだ日記」
つまり、富裕層ビジネスとは、この心理状態に揺さぶりをかける行為のことだ。
本質は、イソップ寓話の「すっぱい葡萄」の話と全く一緒だ。
そもそも富裕層ってじつはあまりお金使わないし、現金をあまり持っていなかったりする。
彼らは自分の利益の源泉が「社会経済そのもの」にあることをよくわかっている。
だから、「自社の株式」や「不動産」といった実物の資産が本物であることをよく理解していて、資産に対する現金比率はじつは想像以上に少なかったりする。
彼らは本当に地味というか、ロクにバッグさえ持たずにデパートの紙袋にお金をたくさん入れて、平気で移動する姿をよく見かける。
おそらく、車で移動するから雨にも濡れず、紙袋で十分なのだろう。
さらには、昼食は牛丼や立ち食いそば、どの時間に混雑しているかわかるので、ピーク時間帯は避けて行動する。
また、旅行に行くときは旅行代理店で格安チケット探しに精を出す、どのシーズンのどの日程が最も安く目的地まで移動できるのかを把握するためだ。
余談だが、デパートの売り上げのほとんどは、外商と呼ばれる富裕層の専門ブースで行われている。
外商部の営業マンたちは口を揃えて言う、「当デパートの本当のお客様は混雑している週末には絶対にやって来ません、お客様は平日のお昼に散歩がてらに立ち寄ってくださいます」、と。
彼らは物事の本質をよくわかっているというか、バッグは「モノを運べればいい、底が丈夫で機能性が高いバッグをください」、車は「移動できればいい、燃費のいい車をください」といったように、非常にドライで現実的な考えを持った方が多いように思う。
考えてみれば、富裕層は周囲が富裕層であることをすでに知っているので、付加価値たっぷりのブランド品を見せつけて、わざわざお金持ちアピールに精を出す必要がないのだから。
「富裕層」と「プチ富裕層」
お金持ち入門者は次のステップまでが遠いようだ...