人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。
「死」とは本当に不思議なもので、生きているかぎり絶対に手に入らない存在だ。
なぜなら、「死」を手に入れることは、同時に「生」を失うことを意味するからだ。
「死」を手に入れたと実感するためには、「意識」の存在が必要になる。
ところが、「意識」が存在してしまうと、「死」を手に入れることができなくなる。
「死」を手に入れるためには、「意識」が存在していてはならないのだ。
その意味では、実は誰も本当の死を知らないことになる...
生きている人間にとって、「死」とはある意味で絶対に手に入れることができない「憧れ」の対象であり、同時にそれは手にした瞬間に「生」そのものを失ってしまう「恐怖」の対象でもある。
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歴史的な建造物を作った大工さんは、柱の裏とか、誰にも見えないところにひっそりと自らの名を刻んだという。
きっと自分がその時代に生きていたことを、何か形として後世に残しておきたかったのだろう。
単なる自己満足を追及するだけの自慰行為なのか、あるいは誰かに気づいてほしかったのかもしれない。
自己顕示欲とそれが叶わないもどかしさ...
人は生まれ、やがて死ぬ。
今、まさにこの瞬間、「自分が自分である」と認識している意識さえも失ってしまう日がやって来る。
私たちは「自我」が芽生えた時から世界が始まり、それを認識できなくなった時点で世界は終わってしまう。
実際には、私たちが生まれるずっと昔から世界は存在しているし、私たちが死んでからも世界は続いて行くのだろう。
しかし、永遠に続いて行く時間の中で、私たちは自我を認識できている時間の中でしか、自らが存在していることを感じることはできない。
その意味では、過去と未来が存在するにせよ、結局は存在しないのと同じことではないだろうか。
絶対の存在しない世の中で、唯一約束された未来がある。
それは、いつか必ず人は死ぬということ。
私たちは確実に終わりに向かって歩いている。
永遠に続く時間軸の中で、どこかで必ず自我の認識は止まってしまう。
ある日突然、終わりが来るかもしれない。
人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。
私はいったい何を残せるだろうか......