柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

最適化

インフレ脳とデフレ脳


とある中東の王様が自分の帝国の危機を救ってくれた将軍に感謝して、「何でも望み通りの褒美を取らせよう」と言った。

将軍は遠慮深く、「縦横8マスのチェッカー盤の1マスに小麦1粒、次のマスに2粒、3番目のマスに4粒、4番目のマスは8粒と順番にマスを埋めてください」、とだけお願いした。

王様は莫大な褒章を与えずにすみそうだと思い、喜んで彼の提案を受け入れた。

しかし、不幸なことに、王様は複利の恐るべき破壊力を知らなかった。どんなものでも64回も倍増させれば、小麦の粒は際限なく膨れ上がることになる。

この話では、1粒から始めて2粒、4粒とマスを埋めていった小麦の総量は、やがて帝国全体の富をはるかに超えてしまった。王様はアッラーの前での名誉を守るべく、彼の帝国すべてを将軍に差し出した。

*****


・複利の破壊力

複利の破壊力は恐ろしい。

私たちが冒頭の話から学ぶべきは、「正の複利効果を享受することができれば私たちの富は何倍にも膨れ上がり、これとは反対に負の複利効果を享受してしまうと私たちの富は瞬く間に失われてしまう」という教訓だ。

正の複利効果を享受できる代表的な手段としては、「株式投資」や「不動産投資」があげられ、反対に負の複利効果を享受できる手段はもちろん「借金」があげられる。

もっとも、借金にも「良い借金」と「悪い借金」があり、両者は受け取るお金と支払うお金の差分によって善悪が決まるとされる(少なくとも会計上はそういうことになる)。
CompoundInterest

・正の複利効果


「良い借金」の定義は、「お金を借りて収入を買う」ことをイメージするとわかりやすい。このゲームに参加すると、「時間」+「金利」を味方につけることができる。

たとえば5%の金利で銀行からお金を借りて、利回り10%の不動産に投資したとする。単純計算だが、物件の購入価格が3,000万円であれば、年間家賃収入は300万円、年間支払い金利は150万円、トータルで150万円/年の利益になる(つまり3,000万円を投資して150万円の年収を買ったことになる)。

さらに、この
150万円を使わずにせっせと貯めて行き、現在の物件とともに貯めたお金を担保(頭金)として差し入れる。そして、できるかぎり借入総額を減らし2件目の物件に投資する。このゲームを3件、4件と繰り返し行うと、あなたの資産は時間の経過とともに加速度的に増加していくことになる。

つまり借金をして収入を買うというのが、不動産投資ゲームの本質である。どういうことかと言うと、ここでいう不動産は手段に過ぎず、対象物は別になんでもいい。なぜならば、安い金利でお金を調達し、それよりも高い収益を見込める対象物から余剰利益を吸収する行為そのものが、このゲームの本質であるわけだから、例えば
1%でお金を借りて5%の金利が付くような預金口座に資金をスライドさせれば(これをキャリートレードという)、理論上は年利4%の金利裁定スキームを作り上げることができる。

もっとも、両者には空室リスクや金利変動リスクはあるが「裁定取引」というゲームの本質だけを考えれば、基本ルールは全く同じことで、やっていることの本質は単純なサヤ取りをしているだけだ。


・負の複利効果


一方、「悪い借金」の定義は「お金を借りて収入を売る」パターン、いわゆる自転車操業というやつだ。

たとえば5%の金利で銀行からお金を借りたとする。単純計算だが、借入額が300万円であれば、年間の金利支払い額は15万円になる(つまり300万円を投資して15万円の収入を売ったことになる)。

さらに、この
15万円を返済するために追加で100万円の借り入れを行うと、借入総額は400万円となり、毎年20万円の収入を売るハメになる。この自転車操業を3件、4件と繰り返し行うと、あなたの資産は時間の経過とともに加速度的に減少し、やがて破たん、担保をすべて差し押さえられゲームオーバーとなる。

冒頭の王様の話を思い出してほしい。一見すれば「その程度か」と思うような条件でも、その裏には負の複利効果が働いていることを忘れてはいけない。

このワナに一度ハマってしまうと「時間」+「金利」を敵にまわすことになり、あなたの収入の一部は、継続的に誰かの収入の一部になる。誰かというのはもちろん「銀行」などの金融機関だ。彼らは預金者から割安な金利でお金を調達し、企業や個人に割高な金利でお金を貸し出す。預金者にタダ同然の金利で膨大なお金を吸い上げ、個人や企業に3%5%で貸し出せば、その差分が彼らの収入になるのだから何ともおいしい商売なのだ。


*****


・キャッシュインとキャッシュアウト


たしか「隣の億万長者」か何かの書籍で読んだと記憶しているが、あなたの財産は「収入―支出」で全て決まるというもので、お金持ちになるためには必ずしも高額所得者である必要はないといった内容だったと思う。

つまり、年収1億円稼ぐAさんは生活水準を上げ、8,000万円も使ってしまえば2,000万円しか手元に残らない。しかしその一方、年収1,000万円しか稼がないBさんでも質素な生活をして生活費を300万円に抑えることができれば700万円が手元に残ることになる。Aさんの利益率は20%、対してBさんの利益率は70%。言うまでもなく、Bさんのほうが少なくとも経済合理的な生活を送っているということになる。

つまり、お金持ちになるためには「利益を最大化」するだけでは不十分で、「コストも最小化」する仕組みを考える必要がある(これを「キャッシュフローマネジメント」という)。

利益の最大化」と「コストの最小化」は自転車の両輪のようなもので、片方だけ回転させても意味がない。両者をバランス良く考えていかなければならないのだ。

あなた自身のキャッシュフローを最適化させるためには、現在のキャッシュフローがどうなっているかを把握し、どのように最適化していくのかを考えることから始まる。これは会社の経営と全く同じことだ。

どうしたらコストを最小化できるのか?

どうしたら利益を最大化できるのか?

つまり、手元にお金を残す方法を長期目線で戦略的に考えて行く必要がある。

一般に、キャッシュフローはキャッシュインとキャッシュアウトの2つの性質から成り立っており、以下の6種類に分類することができると思う。


・キャッシュインを最大化する方法

① お金を使って、収入を増やす方法

② お金を使わずに、収入を増やす方法


・キャッシュアウトを最小化する方法
          

③ お金を使って、支出を減らす方法

④ お金を使って、支出を先送りする方法

⑤ お金を使わずに、支出を減らす方法

⑥ お金を使わずに、支出を先送りする方法


というか、私もいろいろ試行錯誤したが確実に上記のどれかに分類されるので、上記以外の分類は存在しないと思う(⑥だけはちょっとわからない)。

①は、「株式投資」「不動産投資」などの投資全般、あるいは「資格取得」など自身の市場価値を上げるような行為が当てはまる。

②は、「アフィリエイト」「懸賞サイト」「オンライン物販」など電子商取引全般が当てはまる(ほとんどコストがかからないため)。

③は、「クレジットカードのポイント」や「特典航空券」「株主優待」などが当てはまる。

④は、「保険商品」や「再投資型の金融商品」が当てはまる。特に税金に関していえば、元本を取り崩さない限り、課税タイミングをペンディング(繰り延べ)できる。

⑤は、単純に無駄遣いをやめる。
 

お金持ちになる方法はシンプルだ、「明日やることを今日やって、今日使うお金を明日使うこと」。

少なくとも私が富裕層と呼ばれる方々と接して思うことは、彼ら/彼女たちは大なり小なりコスト意識を持って生活しているという事実だ。

そして特に①と③の方法については今後の皆さんの人生に大きく影響を与えるので、本気で勉強されることをおすすめしたい。その理由は、やり方によっては、正の複利効果が極めて大きく、コストパフォーマンスが非常に優れているからだ。


*****

・デフレ脳からインフレ脳へ


皆さんも「インフレ」と「デフレ」という概念をご存じだと思う。

◇インフレ・・・物価が上昇し、貨幣価値が下落する。

◇デフレ・・・物価が下落し、貨幣価値が上昇する。

一般的にインフレとデフレは景気変動によって交互にやってくる。

そして、デフレはだいたい
20年くらい続き、これに対してインフレは3年程度しか続かない。

ところが、インフレ期間は短いとはいえ、デフレ期間に比べて
変動幅が圧倒的に大きい。

つまり、インフレ期間はデフレ期間に比べて圧倒的に他者と格差が広がる社会を意味する。

また両者には以下のような特徴がある。

デフレ社会では、今日よりも明日のほうが物価が下がるので、今日よりも明日買ったほうがモノが安く手に入る。つまり、人々の消費行動は後回しになる。

一方、インフレ社会では
今日よりも明日のほうが物価が上がるので、明日よりも今日買ったほうがモノが安く手に入る。つまり、人々の消費行動は先回しになる。

先日、日本に一時帰国して、日本がデフレから脱却できない理由がようやくわかった。

様々な要因があるにせよ、最大の原因は「日本人の思考回路そのものがデフレ脳になっているから」ではないだろうか?

キャッシュインとキャッシュアウトのバランス、つまりキャッシュフローを考える時、私たちの世代はまず節約を最優先に考える(傾向がある)。つまり上記の⑤の方法だ。

これは考えてみればごもっともな話で、特に
20代、30代の世代(80年代~90年代生まれ)については、日本経済がずーーーっと右肩下がりの中で育ってきたわけだから、そもそも生まれてから今までインフレを経験をしたことがないわけだ(※新興国在住者を除く)。


だから政府主導でインフレ政策をやられても、特に私たちの世代の多くは頭が付いていけないのだと思う。

すでに述べたとおり、
「悪い借金」の定義は「お金を借りて収入を売る」パターン、いわゆる自転車操業であると書いたが、日本という国自体が「負の複利効果」をモロに受けてしまっている以上、せめて個人レベルでは脳をインフレ化させ、「時間」と「金利」を味方につける方法を考えていく必要があるのではないだろうか?

そして、皆さんの財布の中を実際にインフレ化させてみることによって、今までとは違った世界を体感していただけると思う。

①と③の方法については、いくつか私がやっていることを書いてみるので参考にしていただければと思う。

ほいじゃまた~♪

過剰最適化とストレス最大化

 

危ない危ない。

ここ最近、私の頭がすっかりコンピュータのようになってしまったので戒めとして書いておこうと思う。

ミイラ取りがミイラになってしまったという何とも笑えない話だ
...


人間には感情がある。

機械には感情がない。


人間は数値化できない部分を感情によって補うことができる。

ゆえに数値化できない財産の価値評価ができる。

機械は数値化できない部分は動作させることができない。

ゆえに数値化できない財産の価値評価ができない。



年初からフェイスブックとツイッターを始めてみた。

これは大変なものに手をつけてしまった



自意識をこじらせた人々による壮大なる中二病の世界、

それがソーシャルネットワークサービスである
... 

 




【フェイスブック】


以前、ミクシーをやっていたので、仕組みはなんとなくわかる。

何だかんだ言っても人間は社会的な生き物であり、その本質は淋しがり屋だ。

Facebookは一言で言うと、「自慰行為を相互観賞し合う極めて高尚なツール」である。

どこぞの会社の立派な肩書きを持ったおじさんであれ、パン屋さんで耳をもらって来て主食にしている金欠のバンドマンであれ、
180×180ピクセルの小さな枠の内に平等に均一化されるという何とも不思議な空間だ。

フェイスブックには「親しい友人」・「友人」・「知り合い」のように、自分からの距離に応じた人間関係の設定ができるようになっている。

友だち、か
...


私の親しい友人は私を含め、コミュニケーションに問題がある人物ばかりなので、
SNSをやるような人間は少ない。

うーん
...

これを厳密にスクリーニングすると、
この中から友人がいなくなってしまう...

SNSの友人はリアル社会の友人とはどうも意味合いが違うらしい。

とはいえ、私は人見知りなので実名登録を前提とした
Facebookはリアル社会で知っていて信用できそうな人としかつながりたくないという保守的な考え方だ(これは人によって承認する基準が違うと思うが...)。

何かのオンライン辞書で読んだのだが、最近の友だちとは
 


「申請して承認されなければなれない関係」

 
という意味だそうだ(笑)

そういえばミクシーの時も同じことを言われた気がする。

全部知り合い、か
...


試しに投稿してみる。

あんまりいいねが付かない。

あらら?投稿内容があまり良くなかったのかな
...


そこで、新たにルールを作った。


いいね ならば いいね返し


※なお、過去
T期におけるA(私)の投稿頻度が1に対して、B(友人)の投稿頻度が平均5の場合、サンプル数が15になる。つまり、Aの1回の投稿に対してBに5回いいねをつけてしまうと「いいね」比率が15になってしまうという不均衡問題が生じる(ポジションサイズがニュートラル化できないという意味)。一方で、Aの投稿1回に対してBにいいね返しをすると、やはり「いいね」比率が51になってしまうという不均衡問題が生じる。どちらも相関係数は1.0になるが、結局、15の投稿頻度を合わせることはできないので、B4回は無視して後者を採用した。


※どうやら、「いいね」は必ずしもいいと感じたものに付けるというわけではなく、どうでもいいものに付ける「どうでもいいね」という裏の意味もあるらしい。


※例外規定として、「いいね」を付ける公開範囲は「友だちのみ」とした。


Aの投稿に対するBCD...の相関係数が0.8以上ならば「親しい友だち」、0.5以上ならば「友だち」、0.1でもあれば「知人」、それ以外はポートフォリオ不適格銘柄のため「ロスカット」


※これは株式投資の銘柄選定と同じ要領ですべてのつながりを数値化して相対価値評価をしていく仕組みだ。「重要∧高い相関」「まぁまぁ重要∧高い相関」「まぁまぁ重要∧低い相関」「¬重要¬低い相関」。


※例外規定として「まぁまぁ重要かつ低い相関」は残した。


※タイムラインを解析してみたところ、「友人」の投稿は表示順位が自然と上位に上がってくるようだ。ときどき、知り合いのタイムラインが表示されるが、おそらく知り合いのタイムラインは「いいね」の数に応じて、過去の投稿の
+x%以上の「いいね」が付いた場合に限り、「知り合い」まで表示されるようなアルゴリズムになっていると思われる。 



【ツイッター】


先に述べた
Facebookとは違い、Twitterとは基本的に「手軽に気兼ねなく自慰行為を全世界に発信し続ける極めて高尚なツール」だ。

先述した
FacebookのようなSNSとは異なり、140文字以下のマイクロブログとしてライトな独り言を好き勝手につぶやく時に使い分けるようだ。

私は、日本を代表するヒマ人だと自負していたが、このツールに登録してからというもの、世の中には「上には上がいる」ことを改めて実感させられた。

しかし、
1日中ブツブツつぶやいている人はいったい何の仕事をしているのだろうか?


謎だ
............


 



早速、気が合いそうな人をフォローする。

フォローバックが付かない。

お!フォローが来た!

フォロー返す。

あれ?いつの間にかいなくなってるぞ!


職業病なのかもしれないが、
私は金融取引をする際、基本的に買いと売りのバランスを極力ニュートラル化(中立化)させながらポジションを組んでいる。

私にとって、一方向に偏ったバイアスは精神衛生上良くないのだ。

階段は偶数でなければ気持ち悪く感じるし、中学生の頃だったと思うが、美術の授業で、定規と分度器を使って人間を描いて「自然界に直線の物体は存在しない、書き直せ!」と先生に怒られた人間だ(笑)

昔から美術の成績だけは良くなかった。

美意識がズレているのか?

天と地、光と影、太陽と月、男と女、善と悪、本音と建て前、買いポジションと売りポジション
...

この世界をすべて二項対立によってニュートラル化しようとする価値観を持った人間には大きなストレスだ!


これは大変なものに手を出したものだ
(笑)

困った困った
...


そこで、
すべてのユーザーを株式の銘柄と考えた場合、これをニュートラル化する作業が必要になる。


フォロー ならば フォロー返し

フォロー解除 ならば フォロー解除

 
※これは簡単、フォロー:フォロワー比率を自動調整するだけ




【結論】


まず、一言で結論を出すと、

私はどうやら根本的にこの手のサービスには向いていないようだ(笑)

いや、むしろ社会性そのものが不適格なのか、あるいは心に何か病があるのかもしれない。

ちなみに、知人のお医者さんに話したところ、診療内科の受診を強く勧められた
...

普段はいい加減な性格なのに、変なところに異常なまでにこだわりすぎて逆に効率が悪くなるのは昔からの悪い癖だ。


さて、上記の自動プログラムを実行した結果何が起こったか?



私のタイムラインは完全に無機質なものになってしまった
...



フェイスブックに関しては、大量ロスカットの実行とアルゴリズムが最適化したであろうミスマッチな投稿や広告が表示されるようになった
...

なるほど、機械のアルゴリズムによって反復・継続的に学習させると、自分の本来の趣味嗜好とは違った価値観のタイムラインが形成されてしまうようだ。

参加人口が
9億人を越えるとも言われるフェイスブック-世界最大級の広告代理店-も、現時点では私の趣味嗜好を最適化した広告を表示させられるレベルまでには至っていないようだ。

また、ロスカットした方々からは「あれ、友だちからいなくなってたよ?」と何件かメッセージが入っていて非常に気まずかった。これはたぶんスマホの電話帳のような感覚で残しておいたほうがよかったのかもしれない。私はポートフォリオは小さいほうが好みなのだが
...

結局、「きみは人間と銘柄を同列に扱うのか?」とお叱りを受けたので、この機能は手動で続けることにした。

手動で、続けます
...(笑)

手動で、続けます
...
(笑)


価値観や美意識の共有は本当に難しい、

私の「ニュートラル化された美」を共感してくださる方は果たしているのだろうか?

なお、ツイッターに関しては、相互フォローアカウントとアフィリエイターだらけの意味不明なつながりになった
...

もはや、タイムラインがわけのわからない広告だらけでうんざりだ
...

上記はかなりバカバカしい話ではあるが、機械に頼りすぎてしまうと人間の持つ有機質な感情が完全に失われたシステムトレードのようになってしまうということが実験の結果わかった。


なお、ここには書かなかったが
LINEというメッセージサービスがある。

こちらは上記
2つに比べて人間関係がもっと親密なメッセージ送信ツールだ。

3つを比べてわかったのは、エドワード・ホール氏の提唱した、「パーソナルスペース(対人距離)」の概念を用いて明快に説明することができる。

いや、

私がこの概念を使って説明するというよりも、上記
3つのサービス、特にFacebookはこの概念を意識してサービスのフレームが考えられていると思われる。

つまり、

 

1.密接距離...ごく親しい人に許される空間

LINE

2.個体距離...相手の表情が読み取れる空間

Facebook

3.社会距離...相手に手は届きづらいが、容易に会話ができる空間

Twitter

4.公共距離... 複数の相手が見渡せる空間

④ブログ

 

①②③の各サービスは、上記のパーソナルスペースを意識してアプローチ対象が異なり、

さらに②
Facebookについては、

-①親しい友だち

    -②友だち

   -③知り合い

ということになるのだろうか。


機械化任せの作業は非常に楽だ。

人間がこれまで苦手としてきた継続・反復といった事務作業をすべて自動化すれば仕事の業務効率は飛躍的に向上する。

人間が行うとついついミスしてしまうような単純作業も機械であれば淡々と正確にこなしてくれる。

今まで
8時間かかっていた作業を1時間でできれば、8時間労働であれば8倍の仕事をこなせるようになるわけだ。

しかし、プログラムの「
if else ~」 のような関数に頼りすぎてしまうと、人間でしか評価できない01の間にある微妙な距離感を見落としてしまう。



私は昔から思っていた。



世界中のありとあらゆる不均衡を是正し、調和の取れた世界を創造する

これこそが人類にとって最も理想的な世界ではないのか、と
...


ただ、機械は私たちが思っている以上に事務的であり、
私たちが思っている以上に空気が読めるほど知性が高くはないということだ。

過剰最適化された仕組みは、実のところ、ストレスを最大化させてしまうという笑えない結果となった。


というお話
...

常識という名の鎖

 

人間というのは、生まれた時は誰もがいびつな形をしている。

赤ちゃんは言うことを聞かないし、意思の疎通ができないので大声で泣いて周囲の大人たちに必死に自分をアピールしようと努める。

いわば、彼ら
/彼女たちはこの世界の支配者だ。


ところが学校に通うくらいの年齢になると、教育という名の洗脳が施され、社会にとって都合のいいように最適化されていく。

言葉を学び、大多数の人間と意思疎通が取れるような汎用化された伝達手段を身に着ける。

数字を学び、お金という汎用化された商品の交換方法を学び、社会の中で生きるための知識を身に着ける。

集団行動を学び、今までの「私的空間」に加え、「公共空間」という概念を学び、「建て前」や「協調性」という社会的特性を身に着ける。

こうして考えてみると、学校という場所は、「長方形」を「正方形」に、「楕円形」を「円形」に修正する加工品工場といったところだろうか。



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画像引用元:Pressies and Musings From My Midnight Garden


やがて、全ての人間は数値化され、試験の点数によって弾き出された「変数」によって社会の適切な配送先へと出荷するための準備に利用される。

すでに最適化された大人たちの手によって
...

ここで子どもたちは必ずしも世の中の全てが自分の思い通りにならないことを学び、「一般常識」という見えない鎖で縛り上げられ、ある程度の形に均一化された状態で社会へと出荷されていく。

そして、均一化できなかった人間は「社会不適格者」という不名誉な烙印を押され、
社会から疎外されていくことになる。


今はデジタル社会だ。

表計算ソフトに関数を打ち込んで「最適化(オプティマイズ)」ボタンをクリックすると、
過去のサンプル(標本データ)を使って、最も良い結果を瞬時に返してくれる。

私はこの機能を始めて使ったとき、

「学校ってこういう場所だったのか!」

とピンと来た。


現代社会においては、すべての人間の価値は数値化され、平均化され、平均からの距離だけで人間の価値を評価する仕組みになっているではないか。

裏返せば、数値化できない部分は全て取り除かれてしまうわけだ。

 

 
標準偏差
 

これを標準偏差(≒偏差値)を使った比率で表すと、平均±10%、平均±20%、平均±30%、のように、平均から近いほど「普通」とか「常識」というグループにカテゴライズ(分類)され、

それとは逆に、

平均から遠くなるほど「優等生」や「劣等生」という両極端な異端グループにカテゴライズ(分類)されることになるわけだ。


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画像引用元:Metrology: The Science of Measurement


この意味では、赤い部分に属する「優等生」も「劣等生」も異常値ということになる。

なるほど!長年のもやもや感がやっと晴れた気がする。


日本人社会でよく使われる、「出る杭は打たれる」という表現は、

「平均から外に向かおうとする膨張力」>「平均に向けて最適化しようとする引力」

「平均から外に向かおうとする膨張力」<「平均に向けて最適化しようとする引力」

上記のように不等号を逆転させようとする綱引きのようなことを言うのだろう。


勘の鋭い方はおわかりだと思う。

「平均から外に向かおうとする膨張力」 →「出る杭」
「平均に向けて最適化しようとする引力」→「大衆心理」

ということ。


大人たちにいい具合に最適化されてきた素直な子どもたちも、中学生くらいになると思春期を迎えるが、
おそらく、最適化しようとする大人たちの引力に、必死に抵抗する膨張力が最大限に達する時期なのだろう。

大人たちはこの症状を「反抗期」と名付け、子どもたちの対応に四苦八苦させられることになる。

その後、
子どもたちは社会の中で自らを受け入れられるように自分自身を演じるように躾られる。

大人たちは、この自己欺瞞を都合のいい「建前」という概念に摩り替えた。
 


学校は社会の縮図と言われるが、社会に出ても使われる尺度は結局何も変わらないという事を日々実感させられる。

私もいまだに反抗期なので
...


平均とは、山を崩し、谷を埋めた結果、真ん中を通る
1本の直線によって表される概念にすぎない。

私たちはこれを「普通」とか「常識」と表現する。


平均からの距離だけで物事の概念(この場合は人間の価値)を判断すると、
個々のデータの持つ個性そのものを見落としてしまう危険性がある。

上記の最適化を究極のレベルまで引き上げると、カーブフィッティング(オーバーフィッティング)と呼ばれる、現実社会でほとんど機能しない机上の空論モデルになってしまう恐れがある。


「常識を疑え」、と言われる。


たしかに、最適化は非常に便利な機能だ。

しかし、「学校」や「社会」という名の表計算ソフトに組み込まれた計算式そのものが間違っていたらどうだろう?

最適化はすべてのデータの平均を中心に考えられている。

平均は「普通」や「常識」と表現される。


最適化という教育を受けた人間は、最適化された「はず」の社会を作った。

いや、その逆か?

最適化された理想の社会を作るために最適化という教育制度を作ったのか?


それにもかかわらず、現代社会という、多くの人間がこれほど思い悩み、苦しみ、自殺者が絶えないのはなぜなんだろう?

もしかしたら、最適化をするための計算式がどこか間違っているのではないだろうか?

正しいとされているものが、実は正しくなかった。

そんなケースは身近にもたくさんあるだろう。

  

見てきた物や聞いた事

いままで覚えた全部

でたらめだったら面白い

そんな気持ちわかるでしょう

THE BLUE HEARTS情熱の薔薇」)


「長いものには巻かれろ」ではなく「巻かれたふりをしろ」が正解かもしれない。


ひょっとしたら、私たち個々の持つ普通は、最適化された「はず」の社会の普通という概念からズレているかもしれない。

果たして、それは恥ずかしいことなのだろうか?

それを意図的に隠すことを要求される「建前」という社会の仕組み。

嘘と欺瞞に満ち溢れた、この息苦しい社会は私たちから「自分らしさ」を取り除いて行く。


今一度、ゆっくりと本来の自分と向き合う時間を作ってみてはどうだろうか?

もっと自分らしく生きてみてもいいのではないだろうか?

恥を忍びつつ、恥と向き合いながら
...



cagebird2

画像引用元:polyvore 



※追記

数値化できない部分を無理やり評価すると客観性がなくなることは事実。その点、学力試験だけで人物を評価することの有意性は理解しています。
私が言いたいのはそこではなくて、社会の違和感に対しての問題提起です。

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