映画「デンバーに死す時」のなかで、こんなセリフが出てくる。
"人生は少年時代の夏休みよりも早く過ぎ去ってしまう..."
小学生の頃、夏休みがとても長く感じたと記憶している。
おそらく、「時間」という経験値が圧倒的に少なかったために、大人になった今よりも相対的に長く感じたのだろうと思う。
小学1年生は5歳とか6歳くらいだから、生まれてからせいぜい2,000日くらいだろうか(365日×6年=2,190日)。
ゆえに、彼ら/彼女たちにとって、人生に対する1日の占有比率は1/2,000くらいなので、1日はとても長く感じる。
ところが、20代、30代になると、「時間」という経験値が増えるため、人生に対する1日の占有比率が相対的に短くなっていく。
20歳であれば、生まれてから7,300日となり、人生に対する1日の占有比率は1/7,300になる(365日×20年=7,300日)。
30歳であれば、生まれてから10,950日となり、人生に対する1日の占有比率は1/10,950になる(365日×30年=10,950日)。※私は今日で33歳になったので、生まれてから12,053日が経過した(らしい)。
同様に40歳であれば1/14,600、50歳であれば1/18,250、60歳であれば1/21,900、と人生に対する1日の占有比率が短くなっていく。
つまり、1日が過ぎる体感速度がどんどん加速して、歳を重ねるごとに短く感じていくということだ。
人生はあっという間というのはこういうことではないのかな。
子どもの頃の記憶は鮮明に残っているのに、近い過去の事はついつい忘れてしまうのも同じ原理だろう。
昨日の晩何食べたか覚えていないとか(笑)
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんだ。
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さて...
誕生日が来るたびに思うことが2つある。
ひとつは、「いったい子どもはいつになったら大人になるのだろうか」、と。
結局のところ、大人と呼ばれる存在になってみてわかったのは、子どもが歳を重ねていくだけのような気がする。
小学生になった頃、6年生が大きく見えたけれど、6年生になってみると何も変わらず。
6年生になってみると、中学生が大きく見えたけれど、中学生になってみると何も変わらず。
同様に高校生になってみると、大学生になってみると、社会人になってみると、マネージャーになってみると...
結局、人間の本質は何も変わっていないような気がする(私だけだろうかw)
子どもたちに偉そうに説教している大人たちも、誰もが昔は子どもだったはず。
案外、今もそうかもしれないね。
もうひとつは、「誕生日はいったい何をするための日なのだろうか」、と。
誕生日祝いのメールやLINE返してたら、ほとんど1日が終わってしまったじゃないか...笑
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面白き こともなき世を 面白く
すみなすものは 心なりけり
高杉晋作
体調が悪くて学校を早退した少年時代、早く帰れたあまりの嬉しさに自転車で遠くの街まで出かけたように記憶している。
人生は何事も、心の持ちようということなのだろう。
先のことなんて誰にもわからないし、生きていることそのものがリスクオンの状態であるから、どんな状況下でも人生を楽しめるようにならないとね。
私自身、リスクをとることは大好きだし、リスクを取るのは悪いことではないと思っている。
むしろリスクを管理できないほうがよほどリスクが大きいのではないかな。
では、リスクから逃げられないならどうすればいいかって?
答えは簡単。
リターンを大きくすればいい。