柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

思想・価値観

インフレ脳とデフレ脳


とある中東の王様が自分の帝国の危機を救ってくれた将軍に感謝して、「何でも望み通りの褒美を取らせよう」と言った。

将軍は遠慮深く、「縦横8マスのチェッカー盤の1マスに小麦1粒、次のマスに2粒、3番目のマスに4粒、4番目のマスは8粒と順番にマスを埋めてください」、とだけお願いした。

王様は莫大な褒章を与えずにすみそうだと思い、喜んで彼の提案を受け入れた。

しかし、不幸なことに、王様は複利の恐るべき破壊力を知らなかった。どんなものでも64回も倍増させれば、小麦の粒は際限なく膨れ上がることになる。

この話では、1粒から始めて2粒、4粒とマスを埋めていった小麦の総量は、やがて帝国全体の富をはるかに超えてしまった。王様はアッラーの前での名誉を守るべく、彼の帝国すべてを将軍に差し出した。

*****


・複利の破壊力

複利の破壊力は恐ろしい。

私たちが冒頭の話から学ぶべきは、「正の複利効果を享受することができれば私たちの富は何倍にも膨れ上がり、これとは反対に負の複利効果を享受してしまうと私たちの富は瞬く間に失われてしまう」という教訓だ。

正の複利効果を享受できる代表的な手段としては、「株式投資」や「不動産投資」があげられ、反対に負の複利効果を享受できる手段はもちろん「借金」があげられる。

もっとも、借金にも「良い借金」と「悪い借金」があり、両者は受け取るお金と支払うお金の差分によって善悪が決まるとされる(少なくとも会計上はそういうことになる)。
CompoundInterest

・正の複利効果


「良い借金」の定義は、「お金を借りて収入を買う」ことをイメージするとわかりやすい。このゲームに参加すると、「時間」+「金利」を味方につけることができる。

たとえば5%の金利で銀行からお金を借りて、利回り10%の不動産に投資したとする。単純計算だが、物件の購入価格が3,000万円であれば、年間家賃収入は300万円、年間支払い金利は150万円、トータルで150万円/年の利益になる(つまり3,000万円を投資して150万円の年収を買ったことになる)。

さらに、この
150万円を使わずにせっせと貯めて行き、現在の物件とともに貯めたお金を担保(頭金)として差し入れる。そして、できるかぎり借入総額を減らし2件目の物件に投資する。このゲームを3件、4件と繰り返し行うと、あなたの資産は時間の経過とともに加速度的に増加していくことになる。

つまり借金をして収入を買うというのが、不動産投資ゲームの本質である。どういうことかと言うと、ここでいう不動産は手段に過ぎず、対象物は別になんでもいい。なぜならば、安い金利でお金を調達し、それよりも高い収益を見込める対象物から余剰利益を吸収する行為そのものが、このゲームの本質であるわけだから、例えば
1%でお金を借りて5%の金利が付くような預金口座に資金をスライドさせれば(これをキャリートレードという)、理論上は年利4%の金利裁定スキームを作り上げることができる。

もっとも、両者には空室リスクや金利変動リスクはあるが「裁定取引」というゲームの本質だけを考えれば、基本ルールは全く同じことで、やっていることの本質は単純なサヤ取りをしているだけだ。


・負の複利効果


一方、「悪い借金」の定義は「お金を借りて収入を売る」パターン、いわゆる自転車操業というやつだ。

たとえば5%の金利で銀行からお金を借りたとする。単純計算だが、借入額が300万円であれば、年間の金利支払い額は15万円になる(つまり300万円を投資して15万円の収入を売ったことになる)。

さらに、この
15万円を返済するために追加で100万円の借り入れを行うと、借入総額は400万円となり、毎年20万円の収入を売るハメになる。この自転車操業を3件、4件と繰り返し行うと、あなたの資産は時間の経過とともに加速度的に減少し、やがて破たん、担保をすべて差し押さえられゲームオーバーとなる。

冒頭の王様の話を思い出してほしい。一見すれば「その程度か」と思うような条件でも、その裏には負の複利効果が働いていることを忘れてはいけない。

このワナに一度ハマってしまうと「時間」+「金利」を敵にまわすことになり、あなたの収入の一部は、継続的に誰かの収入の一部になる。誰かというのはもちろん「銀行」などの金融機関だ。彼らは預金者から割安な金利でお金を調達し、企業や個人に割高な金利でお金を貸し出す。預金者にタダ同然の金利で膨大なお金を吸い上げ、個人や企業に3%5%で貸し出せば、その差分が彼らの収入になるのだから何ともおいしい商売なのだ。


*****


・キャッシュインとキャッシュアウト


たしか「隣の億万長者」か何かの書籍で読んだと記憶しているが、あなたの財産は「収入―支出」で全て決まるというもので、お金持ちになるためには必ずしも高額所得者である必要はないといった内容だったと思う。

つまり、年収1億円稼ぐAさんは生活水準を上げ、8,000万円も使ってしまえば2,000万円しか手元に残らない。しかしその一方、年収1,000万円しか稼がないBさんでも質素な生活をして生活費を300万円に抑えることができれば700万円が手元に残ることになる。Aさんの利益率は20%、対してBさんの利益率は70%。言うまでもなく、Bさんのほうが少なくとも経済合理的な生活を送っているということになる。

つまり、お金持ちになるためには「利益を最大化」するだけでは不十分で、「コストも最小化」する仕組みを考える必要がある(これを「キャッシュフローマネジメント」という)。

利益の最大化」と「コストの最小化」は自転車の両輪のようなもので、片方だけ回転させても意味がない。両者をバランス良く考えていかなければならないのだ。

あなた自身のキャッシュフローを最適化させるためには、現在のキャッシュフローがどうなっているかを把握し、どのように最適化していくのかを考えることから始まる。これは会社の経営と全く同じことだ。

どうしたらコストを最小化できるのか?

どうしたら利益を最大化できるのか?

つまり、手元にお金を残す方法を長期目線で戦略的に考えて行く必要がある。

一般に、キャッシュフローはキャッシュインとキャッシュアウトの2つの性質から成り立っており、以下の6種類に分類することができると思う。


・キャッシュインを最大化する方法

① お金を使って、収入を増やす方法

② お金を使わずに、収入を増やす方法


・キャッシュアウトを最小化する方法
          

③ お金を使って、支出を減らす方法

④ お金を使って、支出を先送りする方法

⑤ お金を使わずに、支出を減らす方法

⑥ お金を使わずに、支出を先送りする方法


というか、私もいろいろ試行錯誤したが確実に上記のどれかに分類されるので、上記以外の分類は存在しないと思う(⑥だけはちょっとわからない)。

①は、「株式投資」「不動産投資」などの投資全般、あるいは「資格取得」など自身の市場価値を上げるような行為が当てはまる。

②は、「アフィリエイト」「懸賞サイト」「オンライン物販」など電子商取引全般が当てはまる(ほとんどコストがかからないため)。

③は、「クレジットカードのポイント」や「特典航空券」「株主優待」などが当てはまる。

④は、「保険商品」や「再投資型の金融商品」が当てはまる。特に税金に関していえば、元本を取り崩さない限り、課税タイミングをペンディング(繰り延べ)できる。

⑤は、単純に無駄遣いをやめる。
 

お金持ちになる方法はシンプルだ、「明日やることを今日やって、今日使うお金を明日使うこと」。

少なくとも私が富裕層と呼ばれる方々と接して思うことは、彼ら/彼女たちは大なり小なりコスト意識を持って生活しているという事実だ。

そして特に①と③の方法については今後の皆さんの人生に大きく影響を与えるので、本気で勉強されることをおすすめしたい。その理由は、やり方によっては、正の複利効果が極めて大きく、コストパフォーマンスが非常に優れているからだ。


*****

・デフレ脳からインフレ脳へ


皆さんも「インフレ」と「デフレ」という概念をご存じだと思う。

◇インフレ・・・物価が上昇し、貨幣価値が下落する。

◇デフレ・・・物価が下落し、貨幣価値が上昇する。

一般的にインフレとデフレは景気変動によって交互にやってくる。

そして、デフレはだいたい
20年くらい続き、これに対してインフレは3年程度しか続かない。

ところが、インフレ期間は短いとはいえ、デフレ期間に比べて
変動幅が圧倒的に大きい。

つまり、インフレ期間はデフレ期間に比べて圧倒的に他者と格差が広がる社会を意味する。

また両者には以下のような特徴がある。

デフレ社会では、今日よりも明日のほうが物価が下がるので、今日よりも明日買ったほうがモノが安く手に入る。つまり、人々の消費行動は後回しになる。

一方、インフレ社会では
今日よりも明日のほうが物価が上がるので、明日よりも今日買ったほうがモノが安く手に入る。つまり、人々の消費行動は先回しになる。

先日、日本に一時帰国して、日本がデフレから脱却できない理由がようやくわかった。

様々な要因があるにせよ、最大の原因は「日本人の思考回路そのものがデフレ脳になっているから」ではないだろうか?

キャッシュインとキャッシュアウトのバランス、つまりキャッシュフローを考える時、私たちの世代はまず節約を最優先に考える(傾向がある)。つまり上記の⑤の方法だ。

これは考えてみればごもっともな話で、特に
20代、30代の世代(80年代~90年代生まれ)については、日本経済がずーーーっと右肩下がりの中で育ってきたわけだから、そもそも生まれてから今までインフレを経験をしたことがないわけだ(※新興国在住者を除く)。


だから政府主導でインフレ政策をやられても、特に私たちの世代の多くは頭が付いていけないのだと思う。

すでに述べたとおり、
「悪い借金」の定義は「お金を借りて収入を売る」パターン、いわゆる自転車操業であると書いたが、日本という国自体が「負の複利効果」をモロに受けてしまっている以上、せめて個人レベルでは脳をインフレ化させ、「時間」と「金利」を味方につける方法を考えていく必要があるのではないだろうか?

そして、皆さんの財布の中を実際にインフレ化させてみることによって、今までとは違った世界を体感していただけると思う。

①と③の方法については、いくつか私がやっていることを書いてみるので参考にしていただければと思う。

ほいじゃまた~♪

鉄と粘土の王国


ネブカデネザルの治世第
2紀元前604、バビロニア帝国の統治者であったネブカデネザル王はある夜、不思議な夢を見た。神は夢の中でその結末を示されたが、朝目覚めた王はその夢の内容を忘れてしまった。

その結末はおろか、夢の内容さえもすっかり忘れてしまった王はバビロニア帝国の学者たちを集めたが、誰一人としてその夢を解き明かせた者はいなかった。

そんな中、バビロン捕囚によりエルサレムから捕虜として連れてこられたダニエルは、王の見た夢の解き明かしをする。
ダニエルの預言したネブカデネザルの夢の内容は以下の通りだ。

王は夢のなかで1つの巨大な像が立っているのを見ました。頭は純金、胸と両腕は銀、腹とももは青銅、すねは鉄でできていましたが、足の一部分は鉄、一部分は粘土でできていました。

そのうち
1つの石が山から落ちてきて、この石が像の足を打ち砕きました。すると、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな砕かれて、跡形もなくなってしまいました。

しかし、像を打ち砕いた石はどんどん大きくなって、世界中に満ちていきました—―。


kingdom of iron and clay
画像引用元:「
Bible Study Resoures


そして、ダニエルは王の見た夢を説明した後、その解き明かしを始める。


純金でできた頭はネブカデネザル王の統治するバビロニア王国のことを指し、その後に少し劣った銀でできた第2の国が興ります。

次に青銅でできた第
3の国が興って世界を治めます。その後第4の国は鉄のように強い国で、鉄が他のものを粉々に壊すように先の国々を打ち壊します。

最後に王が夢で見たのはその一部が鉄、その一部が粘土でできていました。この国はとても強いですが、一部に弱いところがあります。つまり4の国は分裂した国家のことを指し、鉄が粘土と混じり合わないように、決して一致団結することはありません。

そして最後に、神はこれらの王たちの時代にまったく別の新しい国を建てられます。その王国はこれまでの王国を打ち砕き、永遠に滅びることなく立ち続けるでしょう。

そして、1つの石が人手に寄らず山から落ちてきて、鉄も粘土も青銅も銀も金もすべて砕いてしまいます。この夢は後世に起こる出来事を王に知らせたもので、正夢であり、その解き明かしも確かです――。

*****

【民主主義の本質は愚集政治である】

6/23に実施された国民投票により、イギリスのEU離脱(ブレグジット)が国民投票によって決定した。

今回の投票はどちらに転んでもおかしくない状況だっただけに、世界中のマーケットに与えた影響は予想以上に大きく、金融マーケットは一時的にリーマンショックを彷彿とさせる大混乱に陥った。

実際に
EU離脱が行われるのは2年後の2018年とのことだが、金融マーケットというのはいつも瞬時に価格を織り込んでしまうのが、どうも厄介なところだ。

しかも、マーケットの世界は待ってましたと言わんばかりに、いい事も悪い事も立て続けに起こる。


私は米国為替報告書を参考に1ドル=102円相当が適正と捉えてポジションを管理していたので、100円を割れて来たときはさすがに驚いた。


まぁ、為替の話はひとまず置いといて...。

今回の出来事は、良くも悪くも「民主主義」の恐ろしさを私たちに教えてくれる絶好の機会となったことは間違いない。

世界中どこの国であれ、賢い人間(有識者)と愚かな人間(無知な人)は人口比率でいえば、相対的に後者のほうが圧倒的に多くなる。

したがって、多数決という方式を採用した場合、後者の意見が尊重されることになり、誤った判断をする可能性も少なからずあるわけだ。

(※
もちろん有識者が必ずしも正しい判断をするわけではないし、無知な人が必ず間違うわけではない)

ごく一部のエリートたちが行う独裁政治も問題だが、大部分の無知な民衆の意見を尊重する衆愚政治もまた問題である。「民主主義」と言えば聞こえは良いが、その実態は「衆愚政治」に他ならないのだ。


*****


【鉄と粘土が意味するものとは?】

ネブカデネザル王の見た夢と、それに対するダニエルの解き明かしを史実に当てはめて考えてみるとどうなるか、聖書は以下のように解釈しているようだ。

Nebuchadnezzars-Statue-Graph
画像引用元:「Bible Study Resoures

まず、純金の頭でできたネブカデネザルの統治する第1の国はバビロニア帝国を意味する。

1の国:バビロニア帝国(独裁政治)

バビロニア帝国
は独裁君主制により完全な統治が行われていたが、ダニエルはいつの日かこの王国が滅びることを王に伝えている。事実、紀元前539年、金の頭であるバビロニア帝国は73年に及ぶ世界制覇に終止符を打ち、滅亡した。

・第
2の国:メド・ペルシア連合帝国(
寡頭政治)

バビロニア帝国に代わり、
メド・ペルシア連合帝国が紀元前539332年までの約200年間、世界を支配することになる。しかし、団結力・統一性に欠けるこの連合帝国は金の頭ほど強固でなく銀の胸と両腕である。

・第
3の国:ギリシャ帝国(貴族政治)

クロスが指導した寡頭政治は終わり
、紀元前333年頃、アレクサンドロス率いるギリシャ帝国が誕生した。ギリシャ帝国では貴族政治が行われ、寡頭政治に比べ、 団結力がさらに劣った腹とももが青銅の国家であった。この後、紀元前275年、一都市国家にすぎなかったローマはイタリア全土を拡大。紀元前86年にはアテネを陥落させた。

・第
4の国:ローマ帝国(平民政治)

こうしてローマ皇帝(
シーザー率いるローマ帝国が誕生する。たしかにローマ帝国は強力な軍事力を誇ったが、皇帝の権威や権力は元老院と民会、つまり平民政治によって相対的に劣ってしまい、 ローマ帝国はすねが鉄でできた国に例えられる。これは鉄がもっとも庶民的な金属によることに由来する。

その後、ローマ帝国は滅びるが、ローマ法はヨーロッパ文明の基礎となり、ドイツやイギリスなどヨーロッパ諸国に影響を与えた。
彼らは、アジア・アフリカ・中南米などの植民地支配、また貿易などによる外貨獲得により世界覇権を握った。

この流れは「パックス・ロマーナ
(ローマ帝国)」に始まり、産業革命後の「パックス・ブリタニカ(大英帝国)」、第二次世界大戦後の「パックス・アメリカーナ(アメリカ)」を中心とした平和の構築へと続いていくことになる。


・第
5
の国:アメリカ合衆国

さて、
20世紀後半になるとアメリカ合衆国が世界を支配するようになった。アメリカ合衆国は圧倒的な軍事力を持つが、大統領選挙に見られるように、民主主義国家であるため、投票結果はほぼ5050のイーブンに近い結果となる。

また、移民国家であるため、様々な人種と宗教が交じり合う国でもある。彼らは有事の際は、星条旗の下に一致団結するが、その日常は分裂状態であるのが実情だ。
そのため、鉄のように固い一方、いつ分断されるかもわからない粘土のような状態であり、足が鉄と粘土でできた国と呼ぶことができる。

こうして考えてみると、
現在のヨーロッパも移民国家になりつつあり、アメリカと同じように分裂しつつあることがわかる。

*****:

EU(欧州連合)は長くは続かない


そもそも歴史を紐解いて考えてみれば、ヨーロッパが統一され、平和が保たれていた時期というのはごくわずかで、そのほとんどは争いの歴史であったといえる。

現在のヨーロッパでは、互いの国同士が歩み寄り、戦争のない平和な世界を目指して、EC(ヨーロッパ共同体)やEU(欧州連合)が設立され、ヨーロッパの統一を試みてきた。

また、政治的にも体制を統一し、ユーロをヨーロッパの基軸通貨として、彼らはかつてのローマ帝国の再来を目指しているようにも見える。

しかし、分裂したローマ帝国は、再び元の姿に戻ることはないだろう。
国同士が友好関係を築くこと自体、私は不可能だと思っている。

euro
画像引用元:「endtimesresearchministry


イデオロギーがいかに素晴らしいものであれ、それを実現できないとなれば、ただの絵に描いた餅にすぎない。

そもそも、ユーロという基軸通貨を導入したことによって、誰が最も恩恵を享受しているのかを考えてみればいい。これは明らかに
ドイツとフランスだろう。


ユーロを大量に発行し続ければ、市場に出回るユーロの発行量は供給過剰に陥ることになるから、やがてユーロは相対的に通貨安になる。



ユーロを通貨安に持っていければ、労働力や資源など、ユーロ建ての生産要素を他国よりも相対的に引き下げることができる。



ユーロ建ての生産要素を他国よりも相対的に引き下げることができるということは、
国際競争力が高まるわけだから、自国の貿易収支の黒字化が期待できる。


 

国が違うのにも関わらず、通貨が同じということは、EU(欧州連合)に近隣国家を引きずり込んでいけば、必然的にユーロという通貨の発行量が増えることになり、ユーロの通貨価値は下落する。



特に、
PIGS(ポルトガル・イタリア・ギリシャ・スペイン)のようなお荷物国家を少しでも多く引きずり込むことができれば、ユーロはどんどん通貨安になっていくことになる。




赤字国債を発行しまくるような国は、足を引っ張って通貨価値を落としてくれるありがたい存在なのだから、
ドイツやフランスは労せずして、輸出で大儲けができ、貿易収支を大幅に黒字化できることになる。
 

何てことはなくて、国同士というのは、いつだってテーブルの上では握手をし、テーブルの下では足を蹴飛ばし合っているものだ。

国同士の歩み寄りなど理想論に過ぎないのであってEU(欧州連合)とはテーブルの下を覗いて見れば「鉄と粘土の王国」そのものなのだ。

*****


【世界経済はどこに向かうのか?】

イギリスはこれから大きな試練が待ち受けているだろう。

まず、金融センターとしての
ロンドンの地位は相対的に低下する、これは避けられない。スコットランドと北アイルランドは独立投票をしてEUに参加を表明する流れになるのか。イギリスは離脱派が首相になると思われるが、残留派の抵抗が待ち構えている。

こうした混乱はイギリス国民を分裂させかねず、
連合王国が崩壊する可能性さえも考えられる。特にイギリスは金融サービスのウエイトが非常に高いので、金融関係者の失業率が上がるように思う。

さらにこれに乗じて、フランスも
EU離脱の国民投票をするべきだと騒ぎだしている。経済問題よりも移民問題が論点になっているのだろう。移民によるテロ行為があったのはご存知のとおりだ。

もし、フランスが離脱した場合は、
EU(欧州連合)のツートップ体制が崩れ、ドイツとの関係が非常に複雑になる。万が一、フランスの離脱が実現してしまうと、イギリス・フランスVSドイツという、第二次世界大戦の最悪の構図に逆戻りになってしまうわけだ。

当面の間は、欧州を震源地としてリスクオフとリスクオンが交互にやって来ることになるだろうから、必然的にボラティリティは上昇局面が続く。

そうなると、アメリカは自国内の景気と世界景気のバランスを絶妙に取っていく必要があるために、金利を上げられる状況ではなくなる。むしろ利下げもありうるかもしれない。

日本は最悪
90円台まで円高が進みデフレ経済に逆戻りする。今の外部環境だと残念ながら円高の流れを喰い止めることはできない。消費税増税の延期が決まったが、むしろ減税しなければ景気が持たないかもしれない。敢えて言えば内需関連のうち、デフレ関連企業は成長が期待できそうだ。

私自身、金融取引の現場でサブプライムショックやリーマンショックを経験させてもらったが、
経済がグローバル化した現在、もはや一国の問題はその国だけの問題では済まなくなっている。

以前このブログにも書いたが、国際化と呼ばれていた時代は、各国が「桶」のようなイメージで「ひしゃく」を使って、水(お金)をすくってお互いの桶に移し合っていた。

ところが、グローバル時代というのは、地球全体が巨大な「風呂」のようになってしまったために、
浴槽の栓を誰かが引き抜いてしまうと、地球上の水(金)は栓の抜けた穴に向かって一斉に流れて消えてしまうのだ。

今や実体経済と金融経済は主従関係が完全に逆転してしまい、
実体経済は金融経済に完全に引き連られてしまっている。

マーケットで取引をされるのは構わないが、本当に暴落が襲って来たとき、約
1年遅れで景気に影響を及ぼすことを私自身、過去に学ばせてもらった。地震に例えれば、金融経済が初動のP波だとすれば、実体経済は、約1年遅れで本震のS波が到達する。くれぐれも注意してほしい。

*****

【鉄と粘土の王国】

民主主義は多数決に基づく政治であるといわれる。それは、人々が相互に検討した結果、最終決定をする場合、賛成者の多かった方をとるのが多数決の原理である、と民主主義の中では位置付けられている。

多数決の原理は少数意見を排除したり、多数の美名の下に少数意見を抑圧したりすることを意味しない。多数決の原理は必ず少数意見の尊重と不可分のものである。

たとえ、いまは少数意見であっても場合によっては多数になりうる可能性が開けているところにこの原理の特徴があるのであって、なんでもかんでも多数で押し切ることは戒められている。

なお、民主政治が成功するためには、以下の
4つの条件が必要不可欠とされている。

1に、その国の社会的・経済的条件がよくなければならない。さらに、国内において大きな脅威となるような事件が少ないということである。国民に不安感がないということが民主政治がうまく行われるための何よりの前提である。

2に、国民の心理的な態度が問題となる。つまり、国民の政治的関心が高くなければならないということである。

3に、国民の道徳的な観念と個人の責任観念の希薄なところでは民主政治は成功しない。権利ばかり主張して義務を怠るところでは秩序と平和は保たれない。

4に、平和的条件が考えられる。特に戦争においては、社会的変動性が激しくなり、民主主義と一致しなくなるからだ。民主主義は人々の平和な心の中に根ざすといえる。

そのうち1つの石が山から落ちてきて、この石が像の足を打ち砕きました。すると、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな砕かれて、跡形もなくなってしまいました。

しかし、像を打ち砕いた石はどんどん大きくなって、世界中に満ちていきました—―。


さて、ダニエル書のなかで、像を打ち砕いた石の正体は何なのだろうか?

私は少し否定的な考え方をしていて、この石の正体は「核」ではないかと思っている。

民主主義とは非常に恐ろしい一面も持っていることはすでに述べたとおりだ。

万が一、大多数の人間が「誤った方向、誤った人間」に投票してしまったら何が起こるのか?

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画像引用元:「Mountainside Ripples

もうじきアメリカの大統領選挙が始まる。

もしアメリカの市民権を持っている方がいれば一言だけ言わせてほしい。



  

きちんと調べてから投票してくれ! 


(参考: イギリスEU離脱劇にみる「民主主義」の脅威
(参考: スコットランド独立機運再燃 連合崩壊の懸念
参考: 中西 寛、石田 淳国際政治学」有斐閣, 2013
参考: 上川 孝夫、藤田 誠一現代国際金融論」有斐閣, 2012

正義の味方は当てにならない


先日、日本のニュースを読んでいたら「
SMAP解散か!?」という見出しが目に飛び込んできた。

どうやら大々的に公共の電波を使って「若者が老人に歯向かったらどうなるか」という実況中継が行われていたらしい。

アイドルグループのゴシップネタがトップ記事に掲載される平和な国、いつもながら消費されてすぐに消える。はずだった
...

ところが、このニュースは芸能界やSMAPファンの枠を飛び越え、多くの日本人に衝撃を与えたという。

SMAP解散報道
画像引用元:「情報操作に裏切り!SMAP解散?報道が泥沼カオス過ぎて、何が本当か分からない」より
 

この報道が「単なるゴシップネタ」として消費されることなく注目を浴びた最大の理由は、現在の日本社会が抱える閉塞感を象徴する出来事だったからだろう。

ここには、多くの日本人にとって、決して他人事とは思えない残酷な一面が浮かび上がる。

この出来事は、日本社会で慢性的な問題になっている「社畜」・「ブラック企業」・「恐怖政治」・「パワハラ」・「老害」・「世襲制」・「公開処刑」・「社会的暗殺」などといった負のエンターテイメントのオンパレードだったからだ。


*****


【与えられた自由】

SMAP
といえば、今や国民的アイドルとして不動の地位を確立し、お茶の間に絶大な影響力を持っていることは私たちの多くが知るところだろう。

それにもかかわらず、封建主義が蔓延する「芸能界」という村社会の中では、老人(所有者・オーナー)によって労働者(奴隷・労働者)の自由が束縛され、彼らでさえも業界内を自由に移動することができない現実が今回の件で浮き彫りになってしまった。

Slave-trade-shackles-001
画像引用元:「African chiefs urged to apologise for slave trade」より
 

私たちが使う「自由」という言葉には2つの意味があると思う。

ひとつは「自らの意思で能動的につかみ取った自由

もうひとつは「自らの意思によらず受動的に与えられた自由

英語のニュアンスでは、前者が Liberty 、後者が Freedom ということになるだろうか。

この枠組みで考えれば、労働者の多くが自由だと思っている多くは「与えられた自由」ということになるが、それは彼らのようなトップアイドルでさえも同様の枠組みから抜け出せずに、もがき苦しんでいることがよくわかる。

スポットライトを浴びながら私たちに夢を与え続けてくれるアイドルであっても、その夢は無数の見えない鎖で縛られた虚像であり、すなわち夢とはどこか儚いものなのかもしれない。

これは話の皮肉なところは、何といっても子どもたちに夢を与えるはずの職業に夢がないことを自らが証明してしまったところにある。

結局、クーデターは失敗し、ジャニーズ事務所から行き場を失った中居正広、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の4人は公共の電波を使って晒し刑に処せられ、同事務所の経営陣に謝罪、元サヤに収まるという茶番劇で幕を閉じる形となった。


 

生放送では本心ではないと思われる反省の言葉を述べることを強要され、権力に屈した姿は見ていて非常に気分が悪くなった。

これはまさに、自己欺瞞が蔓延する日本社会を濃縮還元したそのものではなかろうか。


まぁ、それにしても個人的な謝罪を公共電波で報道するのはどうなんだろうこれでジャニーズ事務所の経営陣が快楽を覚えていたとしたら、相当の性癖の持ち主

いずれにせよ、自慰行為を見せつけられた視聴者はたまったものではないよ...

結局、ライブドア事件や大阪都構想と同様に、マクロの構図で見れば若者が老人に負けるいつも通りのお決まりのパターンである。

私たち若者が受け取ったのは、せいぜいマンネリズムが生み出す不快極まりない安定感と老人に勝てなかったという敗北感くらいだろうか。


*****


このトラブルの発端はそもそも事務所側と
SMAPマネージャーの確執から生まれたものらしい。


【対立の構図】


・事務所側:「ジャニー喜多川(社長)」・「メリー喜多川(副社長)」・「ジュリー藤島(後継者・メリー氏の娘)」、「木村拓哉(残留希望メンバー)」

・マネージャー側:「飯島三智(マネージャー)」、「中居正広(独立希望メンバー)」・「稲垣吾郎(独立希望メンバー)」・「草なぎ剛(独立希望メンバー)」・「香取慎吾(独立希望メンバー)」
 

SMAP
画像引用元:「
SMAPの今回の騒動の経緯」より 


【対立の経緯】
 

メリー氏:「SMAPは絶対に売れないわ」

飯島氏:「SMAPをアイドルに育ててみせる」


→ 
SMAPバカ売れ


メリー氏:「まぁ大変、このままでは娘のジュリーの後継者ポジションが危ないわ」

メリー氏:「ジュリーよ、TOKIOや嵐のマネジメントをやって巻き返しなさい」

ジュリー氏:「ママわかったわ、任せて」

ジャニー氏:「まずい、派閥争いで会社に亀裂が生じる。別会社を作ってYouSMAPを管理させよう」

飯島氏:「わかりました...


飯島氏のほうがマネジメント能力は格段に高い、ジュリー氏が嫉妬


メリー氏:「(週刊誌に対して)派閥なんてないわ!そんなもん消してしまえ」

ジュリー氏:「飯島、あなたクビよ。対立するならSMAPを連れて出て行って

飯島氏:「わかりました...

 

飯島氏が独立を模索、芸能界の重鎮たちに根回しを開始


大手芸能プロ:「いいよ、うちで引き受けるよ」

飯島氏:「さぁ、みんな巣立ちの日は近いわ。独立よ!」

SMAP:「わかりました、オレたちは育ての親を選びます!」

事務所側:「え!?


キムタク説得、数日後


キムタク:「オレやっぱジャニーズ事務所に残ります」

飯島 & 4人:「マジでーーー!?

大手芸能プロ:「5人全員じゃないとダメだよ」

飯島氏 & 4人:「マジでーーー!?


独立希望メンバー行き場を失う


キムタク:「オレやっぱあいつらとやりたいっす」

メリー氏:「いいわよ、でも4人の謝罪が条件ね。しかも公共電波を使ってね!」

飯島氏:「私は身を引く、4人は事務所に戻りなさい」

4人:「...


生放送収録


4
人:「(生放送)す、すいませんでした...

キムタク:「(生放送)これからは自分たちは何があっても前を見て進みます


予想通りネット上は
2つの意見に分かれた。


・「キムタクは裏切り者、育ての親とメンバーを見捨てて寝返った

・「独立組4人は裏切り者、キムタクだけが事務所に留まった


*****


【正義の味方はあてにならない】

このトラブル、正直言って善悪という
2項対立だけで判断するのが非常に難しい問題だと思う。

なぜなら、これは彼らにとっては完全に「もらい事故」だからだ。

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画像引用元:「The Spitfire Grill」より
 

正義という言葉の意味を考えるとき、私たちはしばしばジレンマに陥ってしまう。なぜなら、正義とはそれ自体が客観性を持ち得るものではなく、あくまでも主観によって移り変わってしまう概念だからだ。

したがって、正義とは絶対的なものではなくて、いつも常識や倫理観などによって相対的に決定される。民主主義社会では一応そういうことになっている。しかし、常識や倫理観などもまた時代とともに変わる。

結果論だけで考えてしまうと、どうしても今回の件は独立組が謀反を起こしたとして悪者扱いされてしまいがちだ(現にされてしまったが、一方でネット上では事務所側が悪者扱いされているようだ。マスコミの印象操作が形骸化しているのがよくわかる)。

考えてみれば、幕末の日本だって同じことが起こっていたはずだ。

徳川幕府に忠誠を誓い幕府の存続を望んだ「佐幕派」と、鎖国状態から開放して新しい国を作るべきだと主張した「開国派」。今回の出来事は、本質を見れば同じような構図になっている。

結局、徳川家は大政を奉還し、明治という新しい時代が到来、開国派の勝利に終わった。この史実は近代日本の夜明けを象徴する歴史的な出来事であり、幕末史を勉強する時、私たちの多くは開国派の奔走する姿に傾倒する(ことが多い)。

しかし、考えてみれば、開国派がやったことの本質は薩長を主体とした外様大名の謀反そのものだ。「勝てば官軍」という言葉があるが、彼らは勝ったからこそ美化されて語られることが多いものの、負けていたら全員が切腹を命じられていただろう。

こうした事例は私たちに善悪で物事を判断することの虚しさを教えてくれる。

いつだって世の中には一方があり、他方がある。

すべては相対的、これだから正義の味方はあてにならないのだ


 


*****


【おわりに】

ギリシャ神話によれば、ダイダロスとイカロスの親子はミノス王の怒りを買い、迷宮に幽閉されてしまう。迷宮を抜け出すために、彼らは蝋(ろう)で鳥の羽根を固めて翼をつくり、空を飛んで脱出した。

父ダイダロスは、息子のイカロスに忠告する。

「イカロスよ、海面に近付きすぎてはいけないよ、あまり低く飛び過ぎると蝋が湿気でバラバラになってしまうからね。それに太陽にも近付いてはいけないよ、あまり高く飛び過ぎると太陽の熱で溶けてしまうからね。いいかい、空の中くらいの高さを飛ぶんだ」。

しかし、自由自在に空を飛べる翼を手にしたイカロスは自らを過信してしまい、太陽にも到達できるという傲慢さから太陽神ヘリオスに向かって飛んでいった。

その結果、太陽の熱で蝋が溶けてしまい、イカロスは墜落死した。

この物語は、「人間の傲慢さが自らの破滅を導く」という戒めと「自らの手で翼を作り飛び立ったイカロスの勇気を褒め称える」という称賛の2つの教訓を含んでいるようだ。

そう、この教訓は見方によってはいずれも正しいということ。

だけど
...

あなたが理不尽極まりない封建社会を生きる道を選んだのなら「長いものには巻かれろ」ではなく、とりあえず「巻かれたふりをしろ」が正解なのかもしれない。

面倒くさい世の中だけど、
Youたち...




笑顔抱きしめ カラダに活力(ちから)

辛いことなら 弾きとばせ

君が微笑えば 周囲(まわり)の人だって

いつの間にかしあわせになる

SMAPオリジナルスマイル」)


Youたち、っちゃいなよ!!

(参考: 
The Huffinton PostSMAP解散騒動に見る夢のある職業とは」)
(参考: アゴラ言論プラットフォーム「奴隷はなぜ逃げないのか-SMAP独立騒動から」)
(参考: 日刊スポーツ「SMAP解散報道から1週間/騒動経過まとめ」) 

誕生日


映画「デンバーに死す時」のなかで、こんなセリフが出てくる。


"人生は少年時代の夏休みよりも早く過ぎ去ってしまう..."



小学生の頃、夏休みがとても長く感じたと記憶している。

おそらく、「時間」という経験値が圧倒的に少なかったために、大人になった今よりも相対的に長く感じたのだろうと思う。

小学
1年生は5とか6歳くらいだから、生まれてからせいぜい2,000日くらいだろうか(365×6=2,190)。

ゆえに、彼ら/彼女たちにとって、人生に対する
1日の占有比率1/2,000くらいなので、1日はとても長く感じる。



ところが、
20代、30代になると、「時間」という経験値が増えるため、人生に対する1日の占有比率が相対的に短くなっていく。

20歳であれば、生まれてから7,300日となり人生に対する1日の占有比率は1/7,300になる365×20=7,300)。

30歳であれば、生まれてから10,950日となり人生に対する1日の占有比率は1/10,950になる365×30=10,950)。※私は今日で33歳になったので、生まれてから12,053日が経過した(らしい)。

同様に
40歳であれば1/14,60050歳であれば1/18,25060歳であれば1/21,900、と人生に対する1日の占有比率が短くなっていく。


つまり、
1日が過ぎる体感速度がどんどん加速して、歳を重ねるごとに短く感じていくということだ。

人生はあっという間というのはこういうことではないのかな。


子どもの頃の記憶は鮮明に残っているのに、近い過去の事はついつい忘れてしまうのも同じ原理だろう。

昨日の晩何食べたか覚えていないとか(笑)

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんだ。


*****


さて
...


誕生日が来るたびに思うことが
2つある。



ひとつは、「いったい子どもはいつになったら大人になるのだろうか」、と。

結局のところ、大人と呼ばれる存在になってみてわかったのは、子どもが歳を重ねていくだけのような気がする。

小学生になった頃、
6年生が大きく見えたけれど、6年生になってみると何も変わらず。

6年生になってみると、中学生が大きく見えたけれど、中学生になってみると何も変わらず。

同様に高校生になってみると、大学生になってみると、社会人になってみると、マネージャーになってみると...


結局、人間の本質は何も変わっていないような気がする(私だけだろうか
w) 

子どもたちに偉そうに説教している大人たちも、誰もが昔は子どもだったはず。

案外、今もそうかもしれないね。 


もうひとつは、「誕生日はいったい何をするための日なのだろうか」、と。


誕生日祝いのメールや
LINE返してたら、ほとんど1日が終わってしまったじゃないか...


*****


面白き こともなき世を 面白く
すみなすものは 心なりけり


高杉晋作


体調が悪くて学校を早退した少年時代、早く帰れたあまりの嬉しさに自転車で遠くの街まで出かけたように記憶している。

人生は何事も、心の持ちようということなのだろう。

先のことなんて誰にもわからないし、生きていることそのものがリスクオンの状態であるから、どんな状況下でも人生を楽しめるようにならないとね。

私自身、リスクをとることは大好きだし、リスクを取るのは悪いことではないと思っている。

むしろリスクを管理できないほうがよほどリスクが大きいのではないかな。

では、リスクから逃げられないならどうすればいいかって?

答えは簡単。















リターンを大きくすればいい。





さて、明日早いからハロウィーンでも聞いて寝ようかな。

Eagle fly free

Let people see

Just make it your own way 

んじゃまた



奪われることのない財産とは?


最近、教育業界で働く友人からの依頼があって、中高生・保護者の方々との討論会に呼ばれた。


おそらくこういった場所に、私のようなチンピラ野郎を放り込んだのは何か意図があるのだろう、と自分なりに演じる役割を考えてみた。

私の性格上、優等生的な建前だけの回答はつまらないので、事前に受け取った台本を完全に無視して、好き勝手にお話しさせていただいた。

(悪いオトナの見本です...)

予定調和を乱すのは、行儀が悪いとお叱りを受けることもあるが、それは一方において、硬直した思考パターンに柔軟性や刺激をもたらす。

以下、完全に私の主観的な価値観を書くので反論があるかもしれないが、まぁ、人それぞれいろんな考え方があるので、そのひとつだと思って真に受けないでほしい。

結論先行で言えば「教育こそが最大の財産になりうる」というお話。

そりゃそうだ、わざわざ教育の話をしに来たんだからさ(笑)


思想や価値観というのは多種多様であって、人それぞれ違うもの。

年齢、性別、生い立ち、職業などによっても個人差があるだろう。

そもそもこの世界に絶対の正解など存在しないし、いろんな考え方があっていいと思う。

自分と違う考え方だからといってすべてを否定してしまうと、途端に視野が狭くなり、やがて人間としての成長が止まってしまう。


まぁ、それもいいかもしれないね。

あなたがすでに老人であるならば...



【アリとキリギリス】


ある夏の日、
キリギリスがバイオリンを弾きながら歌を歌って過ごしていると、目の前をアリたちが通り過ぎて行く。

キリギリス:「おい、アリくんたち。そんなに汗をかいて何をしてるんだい?」

アリ:「これは、キリギリスさん。私たちは食べ物を運んでいるんですよ」

キリギリス:「ここには食べ物がいっぱいあるじゃないか。どうして、いちいち家に食べ物を運ぶんだい。お腹が空いたらその辺にある食べ物を食べて、あとは楽しく歌を歌ったり、遊んだりしていればいいじゃないか~♪」

アリ:「今は夏だから食べ物がたくさんあるけど、冬が来たら、ここも食べ物はなくなってしまいます。今のうちにたくさんの食べ物を集めておかないと、後で困りますよ!」

キリギリス:「まだ夏は始まったばかり。冬の事は冬が来てから考えればいいさ~♪」


アリとキリギリス(The Ants and the Grasshopper)
出典:「みんなが知ってる世界の有名な話(アリとキリギリス)

やがて寒い冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、途方に暮れる。

キリギリス:「ああ、お腹空いたー、困ったなー。どこかに食べ物はないかなあ。・・・あっ、そうだ!アリくんたちが、食べ物をたくさん集めていたっけ。よぉ~し、アリくんたちに何か食べさせてもらおう♪」

キリギリスは急いでアリの家にやって来たが、アリは家の中から答えた。

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出典:「みんなが知ってる世界の有名な話(アリとキリギリス)

アリ:「だから、食べ物がたくさんある夏の間に食べ物を集めておきなさいと言ったでしょう。家には家族分の食べ物しかないから、悪いけど、キリギリスさんにはあげる事ができませんよ!夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうですか?

キリギリスはアリたちに食べ物を分けてもらおうとするが、アリは
食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死にしてしまう...


イソップ寓話「アリとキリギリス」の物話の中で、作者が伝えたかったのは、

「キリギリスのように将来の危機への備えを怠ると、その将来が訪れた時に非常に困ることになるので、アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのが良い」

Wikipediaアリとキリギリス」より 


という教えだ。この話の教訓は、「今、楽をしているなまけ者は、そのうち痛い目に遭う」という有名なお話[1]


*****


「そうそう、そのとおり。キリギリスの野郎、ざまぁみろ
と多くの人たちは思うかもしれない。

でも、少しだけ発想を変えて考えてみてほしい。


一方において、アリたちはやがて来る冬に備えるべく、せっせと働いて食糧を蓄えていた。人生は順調な時ほど油断せずに万が一の事態に備える、これは素晴らしいリスクマネジメントだし、堅実な生き方である。

他方において、キリギリスは、今この瞬間を精一杯楽しんでいた。明日には死んでしまうかもしれない、先のことなんて誰にもわからないのだから、好きなことを徹底的に貫く生き方である。

多くの人たちはアリの生き方こそが正しいと教えられ、キリギリスが社会不適格者のように叩かれる。


ここで、キリギリスの言い分を考えてみよう。

キリギリスは、精一杯バイオリンを弾きながら歌を歌っていたし、バイオリンの技術を身に着けるのはアリたちの見えないところでたくさん練習していたのかもしれない。

アリたちもキリギリスの演奏を聴きながら重労働をこなしていたし、ひょっとしたら、キリギリスの音楽が心の支えになっていたかもしれないではないか。

それにも関わらず、餌を運ぶアリは報われる一方、バイオリンを弾くキリギリスが報われないのは、なんとも不公平に思えてならない。


結局、何が言いたいかというと、「どちらの考え方も一理あって正しい」ということ。

決して快楽主義を進めているわけではなく、視野を広げて物事を柔軟に考えることの大切さの一例として捉えていただければ、と思う。

世の中に絶対の正解など存在しないのだから、差別や偏見を捨ててお互いのいい部分をバランス良く取り入れてみればいいではないか。

...とここまで書いたのは、アリはアリでいろいろ大変な人生を歩むことになるからだ。



【壮絶なアリ地獄】


朝から晩まで必死に働き、貯金をして、万が一の事態に備える。

アリとキリギリスの物語の中で、アリというのはサラリーマンの生き方を象徴している。

たしかに、アリの生き方は社会通念上、「最適化された生き方」のように見えるが、ここに「最適化のワナ」が潜んでいる。

長い間、終身雇用制度によって安定した生活を保証されてきたサラリーマンだったが、最近はこのシステムも崩れはじめ、不況ともなれば、社員の生活の維持よりも利潤追求を優先する資本主義の原則を思い知らされ、結局、自分たちは労働力を売ることしかできないプロレタリアートであることに気づくことになる。

一見すれば安泰に見えるサラリーマンの人生も、意外と不安定な柱に支えられていることがわかる。さらに、せっせと食料を蓄える堅実な彼ら/彼女たちの多くは、自らアリ地獄の罠にはまっていくのだ。

アーサー・ミラーによる戯曲『セールスマンの悲劇(Death of a Salesman)』の物語の中で、主人公であるウィリィ・ローマンは極めて経済的価値の本質を突いた捨てゼリフを吐いている。
 

「一生に一度でいいから、壊れないうちにローンを払い切って、自分の物にしてみたいよ!
これじゃあ、いつもゴミ捨て場と競争しているようなもんじゃないか。
支払いが終わりゃ、車はくたばる。払い切った途端、使い切るって仕掛けなんだ」


これは、観客席から眺めてみれば完全なる喜劇だが、当事者にとっては極めて残酷な悲劇である。

そして、さらに残酷なのは、多くの人たちは気が付かないうちに当事者になっているということだ。


*****


ローンで購入したマイホームや自動車。

一見すると、多くの物に囲まれて安定した生活を送る人たちを見ていると、羨ましく思うかもしれない。

それは、キリギリスにとってみれば、自分が手に入れられないものを手に入れたアリたちに対する「嫉妬」や「憎悪」、そして「憧れ」が交錯した複雑な感情をもたらすだろう。

俗にいう、「隣の芝生は青く見える」というやつだ。

しかし、彼ら/彼女たちの多くは人生のある時点で、自分の財産だと思っていたのは、実は錯覚にすぎないことに気付く。

彼ら/彼女たちはフラット35年ローンを組んで住宅を購入し、自動車もローンで手に入れることになるが、ローンの支払いに加えて、金利も負担することになる。

さらに、マンションであれば修繕積立費の負担が必要となり、自動車の修理代の支払いにも追われる人生を送るハメになる。

そして、晴れてローンの支払いが終わる頃になると、
はじめは新築でピカピカだったマンションも耐用年数の終わりに近づき「経済的価値」は消滅し、自動車はとっくに壊れて使い物にならなくなってしまう。


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出典:「SUUMO(マンション・一戸建てお金の面ではどう違う?)」より


これではまるでローンを支払うために働いたようなもので、払い終わるや、気が付いてみるとローンで買ったはずの商品の経済的価値はほとんど消滅してしまう。オプション取引のタイムディケイの概念と本質は同じことだ[2]。

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出典:「残存日数とオプションの価格(日本取引所グループホームページ)」より



冷静に考えてみると、私たちの多くは30年以上の年月、汗水垂らして働いたところで、本当に自分のものと呼べるような財産を何一つ手に入れることができない仕組みになっており、ローンの完済日とともに経済的価値はほとんど消失してしまうのだ。



*****


ここで、悲劇の本質を考えてみたい。

多くの人は長期のローンを組んで住宅や自動車を購入することになるが、ローンを完済するまでは、それを完全に自己の所有物とみなすわけにはいかない。

ローンを組んで住宅や自動車は、20年、30年、という長い年月をかけて、少しずつ私有する仕組みになっている。

そして、払い終わったときには使い切り「財産価値」が限りなくゼロに近づく。

これはもはや財産ではなくて、ただの高額な消耗品ではなかろうか?

こうして考えてみると、私たちが財産だと思っている多くの財産は、実は消耗品であることに気付くだろう。

そうだとすると、消耗品を所有することの意味は、少しずつ所有権を失っていることと同じことではなかろうか?

果たして、人間が一生涯にわたって所有し続け、使い続けられるものなどあるだろうか...?

「諸君は、我々が私的所有を廃止しようとしていると言うので、びっくり仰天する。だが、諸君のこの現在の社会では、社会の成員の10分の9にとって、私的所有はすでに廃止済みである」

「共産党宣言」より


そんなバカな!?勝手なことを言うなって?

だったら法務局に行って登記簿を見ながら抵当権設定を確認してみたらいい。

抵当権者の欄を見れば、「毎月口座から元金と金利を引き落とす資本家」=「あなたの私有財産の本当の所有者」の正体が書かれているはずだ。



〇〇銀行とね...。

 

【裸の王様】


ところで、私有財産とはいったいなんだろうか。


一般に、財産とは経済的価値を持つものをさしていて、
経済的価値を持つものとは売買できる値打ちがあるということである。

これを金で買えるものと考えれば、この世界に存在する多くの物質はこれに含まれることになる。

私有財産は、「生活手段としての財産」と
「生産手段としての財産」にわけて考えられる。

マルクスが
私有財産の廃止について唱える際に念頭に置いているのは、「生産手段としての財産」のことを指しているのであって、生活手段としての財産は私有財産とはみなしていない。。


それでは、プロレタリアが労働によって自分自身のために作り出すものは何かといえば、それは、労働力を再生産するための「生活手段」である。


自分の労働力を売れなくなったプロレタリアに未来はない。

年金制度によってある程度の生活は保証されてはいるが、最近はそれすらも不確実性が高いように思う。

要するに、多くの人たちは、「生活手段としての財産」を一時的に私有しているだけだ。

そう、すべては錯覚にすぎないのだ。


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出典:「みんなが知ってる世界の有名な話(裸の王様)


子どもたちは本当に正直者だ。

大人たちは愚か者には見えない服の存在を信じて声には出さないけれど、世の中を見渡せば、
意外と裸の王様だらけかもしれない。

どれだけ立派な衣服を身にまとっていても、裸の自分と向き合った時、私たちには一体何が残るだろうか?

中身が何も無いとすれば、自分自身がハンガーになってしまう...。


なぁ~んてね♪ 



【奪われることのない財産とは?】


少し長くなるが、シモン中村氏の「渡り鳥の子三羽の話(イスラエル寓話)」を引用したい。


渡り鳥が三羽のヒナを産みました。月日がたち、三羽とも大きくなりました。

ある日、母親が子供たちに空の飛び方を教えていると、突然その地に寒波が襲ってきたのです。これでは暖かい地に移動しなければなりません。

しかし、三羽ともまだ長い空の旅を続けることは不可能です。

母鳥は困り果てた末、一羽だけを背中に乗せて旅たつことに決めました。
三羽はそれぞれ次のように言いました。

一羽目「お母さん、もしぼくを連れていってくださったら、ぼくは一生懸命に働いて、お母さんのために宮殿を建て、ぜいたくな生活ができることを保証してみせます」。

二羽目「ぼくも一生懸命働きます。もちろんお母さんには不自由な生活はさせません。老後には亡くなるまで心を尽くし、責任をもって面倒をみます」。

三羽目「ぼくは努力をしますが、お母さんにどれほどのことをしてあげられるかわかりません。ただ、結婚して子供が生まれたら、お母さんに教わったことを子供には伝えたいと思っています」。

そして、母鳥は三羽目を選びました。

シモン中村「ユダヤ人に見る人間の知恵 たくましい心を育てるために」より



上記の寓話は何とも生々しい話ではあるが、当時のユダヤ人の母親にとってはそれだけ過酷な判断が求められてきたのだろう。

日本のような平和な国に住む母親の感覚では、「子ども全員を抱えて逃げる」というのが当然の選択肢だろう。

ここで、私たちがこの寓話から学ぶべきは、「いつ何があっても持って逃げられる財産を大切にする」、という教訓だ。


“人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。
それは知識である”

ユダヤ教の聖典「タルムード」より


戦争やテロはともかく、地震や津波などの自然災害は日本人とは切り離せないリスクだ。

ある日突然、着の身着のまま逃げる必要に迫られたとき、あなたは何を持って逃げるだろうか?

両手で持てるものはせいぜい、ボストンバック
2つがいいところだろう。

多くの人たちは家や車などの「有形の財産」を大切にする風潮にあるが、それ以上に「無形の財産」も大切にするべきでは?、と個人的には思う。

ということで、冒頭にも述べたように、
教育こそが最大の財産になりうる」というお話。



本当の意味で国家を守るのは「軍隊」ではなく、「学校」なのかもしれないね。


[1]アリとキリギリスのもうひとつの教訓は、アリのようにせこせこと貯めこんでいる者は、「餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ」、という側面もあるようだ。日本人は優しい人が多いと言われるが、どういうわけか寄付や慈善の文化は根付いていないように思う。
[2]一般にオプションのプレミアムは、「本質的価値」と「時間的価値」から構成される。時間的価値は、最初は緩やかに減少していき、満期日の直前になると急激に減少するという特色がある。この点、新築のマンションは「デベロッパーの開発費」と「新築物件という名の訳のわからないプレミアム分」が上乗せされるため、最初の買い手がもっとも「本質的価値」と「時間的価値」の損失を被る仕組みになっているので、減少角度がオプションとは異なる。投資目的のオーナーは、減少角度が緩やかになり始める築20年±2年くらいの物件を購入されている方が多いように思う。かなり皮肉っぽい表現ではあるが、プレミアムの時間的価値がゼロになる満期日には、本質的価値のみが残ることになり、鉄とセメントの塊=紙屑だけ残るのは新築マンションもオプションも同じこと(笑)

[3]以前書いた記事は、客観性に乏しい内容であったように思う。これは世代の傾向というよりも、単に物欲の無い人間の考え方だったように思う(参考:「モノを買わない人たち」)。ただし、客観的に書くことが必ずしも正しいとは限らないし、多くの人たちが正しいと信じていることが必ずしも正しいとは限らないので、今回はさらに刺激的な発想で書いた。


(参考: 伊藤氏貴 (著)『Like a KIRIGIRISU“保障のない人生”を安心して生きる方法KADOKAWA/エンターブレイン、2013年)
(参考: 木原武一 (著)『ぼくたちのマルクス』筑摩書房、1995年)
(参考: シモン中村 (著)『ユダヤ人に見る人間の知恵 たくましい心を育てるために』マネジメント社、1991年)

マンネリの美学


春というのは、何かが終わってしまう「寂しさ」と、新しく何かが始まる「期待感」が交錯する複雑な季節だ。

終わりと始まり、いろんなものが同時にやって来る。

そして、いろんなものが同時に去って行く
...


sakura

散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき

詠み人知らず「伊勢物語」第八十二段より


去る331日をもって国民的長寿番組「笑っていいとも」が終了した。

タモリさん、
32年間本当にお疲れさまでした!

かつてテレビっ子だった私にとっては、青春時代のランチタイムを共に過ごした思い出深い番組だった。



「それでは明日も見てくれるかな?」

「いいともー!」

 



この日の正午、
JR新宿駅東口のアルタ前は、巨大スクリーンに映し出される最後の生放送を見守る人々で大変な混雑だったそうだ。

放送回数
8054回、放送開始が1982104日とのことだから、私が生後4か月目から32年間ず~っと放送してたわけだ。


すごいなー!



個人的には、グランドフィナーレで共演
NGと言われていたダウンタウンと、とんねるず・爆笑問題が絡んだのが何とも印象的な場面だった。



「ネットが荒れる~」

「荒れろ荒れろ~」

   

  

昨今、視聴者のテレビ離れが続くといわれ、キー局の視聴率も軒並み下がり続けているといわれる。


出典:日経トレンディネット

上記は20121~2月のデータだが、すでに2年前には競合番組と拮抗していた様子がよくわかる。


今回の番組終了に関してネット上では賛否両論飛び交っているが、

番組開始当初、いいともの「現場」を創ったスタッフの方々が「本部」のお偉いさんクラスになり、リスクテイクからリスクオフの姿勢になった結果、コンテンツがマンネリ化してしまった

忙しいランチタイムにわざわざテレビを観る人間は少なく、あくまでも時計変わりにテレビを付ける。ところが、頻繁にタイムスケジュールを入れ替えるようになり、視聴者が混乱してしまい、番組を他に切り替えるようになった


上記のように、

コンテンツがマンネリ化(硬直化)」する一方で、「タイムスケジュールが非マンネリ化(柔軟化)」したということだろうか?

いずれにしても終了してしまった最大の原因は、単純に私たちが「番組を見なくなったから」だろう。


さて、マンネリ(形式主義)とは、行儀や礼儀作法に当たるマナーと同じ語源だそうだ。

それは安定した心地よさを生み出す一方で、刺激や新鮮さを失ってしまう。

「水戸黄門」「サザエさん」「笑点」「紅白歌合戦」
etc...

助さん格さんが三つ葉葵の印籠を見せてもなお、悪人たちが抵抗することもないし、最後は絶対に勝って終わる。

マスオさんがタイ子さんとラブホテルから腕を組んで出てくるところをサザエさんに目撃されて、修羅場に突入するシーンも絶対にない(笑)

長寿番組は、いずれもワンパターンのマンネリ化によって安定が担保されていて、それが長く番組を続ける秘訣であるともいえるだろう。

長年付き添った恋人同士でさえ時が経つにつれ次第にマンネリ化して行くように、ある種の安定したバランス感覚を保つためには必要不可欠な要素なのだろう。


これを踏まえて、自分のプライベートを考えてみると、友人も食べ物も、ある程度は固定化されていることに気付く。

そういえば、スマホの着信音も目覚まし時計も昔からずっと同じメロディーだ。

それはそれで落ち着くんだけれど、たまには窓を開けて新しい風を入れてみようかな
...

 

温故知新

 

ふるきを/あたためて/あたらしきを/しる


今の時代、日々の変化があまりにも早すぎて、会社経営をしていると多くの取捨選択に迫られる。

何を残して、何を捨てるか。

何を変えて、何を変えないか。

1つの判断ミスが時として、会社の倒産や組織の崩壊を招く。


先日、会社の基幹システムの全面的な入れ替え作業を行った。

すでに変化に対応できないためだ。

自分たちで手探りで作った初期のシステムはわずか
3年足らずしか持たなかった。

唯一残したものは創業時の「理念」くらいだろうか。


「程よい刺激感」と「心地よい安定感」

「新しい事への挑戦」と「守り続けてきた伝統の維持」

アクセルとブレーキの踏み加減と同じで、バランスを取るのは難しいものだ。



マンネリの美学
...



変化に対応することは大事だけど、一気に変えると不安定になる。

固執し過ぎるのは良くないけど、変わらないものも大事にしないとね。



古くて良いものは、常に新しいのだから!

 


参考: 朝日新聞「「笑っていいとも!」3月で終了 背景に視聴率の低落」)
(参考:   マイナビエンタープライズ0.2 - 進化を邪魔する社長たち -」)
参考: Cinra.net「「『笑っていいとも!』放送終了 やっぱり僕たちはタモリに謝らなければいけない」) 

 

【追記】

ひさしぶりに
Youtubeで昔のテレビ番組を観てみたが、やはり面白い。

くだらない事にも夢中になって、さらにくだらないアイデアを考え出す大人たちが大好きだ。

以下、いろんな意味で【閲覧注意】なので、視聴は自己責任でどうぞ。

今、こんな過激な放送したらコールセンターがクレームの嵐だろうな(笑)


















80年代、90年代のアップテンポの音楽しかり、 麻生元総理が「景気は気から!」とたびたび発言されていたが、個人的に、このくらい斬新でリスクテイクな番組のほうが私たち庶民にとっては明日への活力になるのかなぁと思う。

疲れたときはくだらないテレビ見て大笑いして、アゲアゲの音楽聴いて、さっさと寝るのが
1番!

テレビ局さん、面白い番組作ってね~♪

モノを買わない人たち


私は1982年(昭和57年)に生まれた。

私たちは、平成元年(
1989年)に小学校に入学し、右肩下がりの日本経済の中で成長していった世代に当たる。

年代で言うと、先行する「氷河期世代(ロスジェネ世代)」と
後に続く「ゆとり世代」とのちょうど中間に当たるくらいだ。


私たちの世代が小学校に入学した頃の日本は、バブル経済が崩壊し、
後に「失われた10年」「失われた20年」(19913月~)と呼ばれる暗黒の時代が始まった頃だ。

ベルリンの壁が崩れ、冷戦時代が終焉し、ソビエト連邦が崩壊していく様子を父が興奮しながらテレビにしがみついて見ていたのを思い出す。


ある日突然、「家庭の事情」により、
さよならも告げずにクラスメイトが転校して行ったり、近所の大きな屋敷の玄関に「差押さえ」という意味不明なお札が貼られていたり...


先行きの見えない日本経済、
大人たちの曇った表情を見上げながら、何とも言えない息苦しい閉塞感の中で育った。

そんな時代背景もあってか、
「何となく将来が不安」と漠然とした思いを抱えながら成長してきた世代だ。


私たちの世代は概して、あんまりモノを買わない世代であると言われる。

ムダ使いせずにせっせと貯蓄に励む
[1]

車を所有することがあまりカッコいいという感覚ではなく、
駐車場代がもったいないからどうしても必要なときはレンタカーで済ませる。

パーティーや披露宴でちょっと見栄を張りたいときは、
ブランド品のバッグや時計をレンタルして、あとでこっそり返却する。

本を買うのももったいないし置き場所が邪魔になるから図書館で予約して、
必要なところだけコピーを取ってファイルする、など。


私の周りの同世代の知人・友人たちと話しをすると、
わりと「地味」で「質素」な金銭感覚を持っているようだ[2]


そういえば、私も賃貸マンションに住んでいて、家具は全部レンタルしている。


理由を考えてみた。


まず、賃貸にする理由は、ローンを組んでも将来何があるかわからないし、
頭金を積んで買うよりも、現金は何となく手元に置いておきたいという漠然とした不安。

無駄遣いせずにお金を貯めて、
株や不動産に分散投資すれば「時間」+「金利」を味方につけられるからだ。

自分が住んでしまったら、
結局は「資産」という名の「負債」に固定費を支払っているだけになってしまうような気がしてならないのだ。

同じお金でも「借金の返済」にまわすと、
今度は「時間」+「金利」が敵にまわってしまうわけだから。

分譲マンションなんてどうせ買ったところで、
働いて稼いだ大切なお金の中から、「鉄とセメントの塊」に毎月バカみたいな金額のローンを払い続けて、やっと定年間際になってローンを払い終わる頃には資産価値は限りなくゼロに近くなっているし。

さらにいえば、
私は海の近くに住んでいるから地震とかあって津波が来たらマンション担いで逃げられないし。

そうそう、家具もそういう理由でレンタルにしたんだっけ。

何かあって逃げるときに、手は
2本しかないのだ。

緊急事態に直面したら、ボストンバッグ
1つか2つ持って脱出するのが精いっぱいだと思う。

だからあまり余計なモノは持たないし買わないのだ
[3]


「直接所有」ではなく「間接所有」という新たな価値観を持つ人たち。

そう、割とシビアで合理的なのだ、私たちの世代はね。



[1] ↓この記事の内容は非常に共感できる、でも買いたいモノがないから。服や車にたくさんお金かけても、中身が空っぽだったらしょうがないからね。「貯金」が社会の毒になる ~金は天下の回りもの~

[2] 私を含め、私のまわりにはかなり変わった人間が多いので、母集団から抽出した標本が平均からだいぶズレているかもしれない。また、私は、物欲というものが全くない人間なのであまり参考にならないかもしれない。

[3] 誤解のないように補足しておく。結婚して子どもがいれば当然、最適と思われる場所に「定住」して、子どもの教育に専念すべきと考える。結局のところ、「教育」こそが最大の投資であるから。

過剰最適化とストレス最大化

 

危ない危ない。

ここ最近、私の頭がすっかりコンピュータのようになってしまったので戒めとして書いておこうと思う。

ミイラ取りがミイラになってしまったという何とも笑えない話だ
...


人間には感情がある。

機械には感情がない。


人間は数値化できない部分を感情によって補うことができる。

ゆえに数値化できない財産の価値評価ができる。

機械は数値化できない部分は動作させることができない。

ゆえに数値化できない財産の価値評価ができない。



年初からフェイスブックとツイッターを始めてみた。

これは大変なものに手をつけてしまった



自意識をこじらせた人々による壮大なる中二病の世界、

それがソーシャルネットワークサービスである
... 

 




【フェイスブック】


以前、ミクシーをやっていたので、仕組みはなんとなくわかる。

何だかんだ言っても人間は社会的な生き物であり、その本質は淋しがり屋だ。

Facebookは一言で言うと、「自慰行為を相互観賞し合う極めて高尚なツール」である。

どこぞの会社の立派な肩書きを持ったおじさんであれ、パン屋さんで耳をもらって来て主食にしている金欠のバンドマンであれ、
180×180ピクセルの小さな枠の内に平等に均一化されるという何とも不思議な空間だ。

フェイスブックには「親しい友人」・「友人」・「知り合い」のように、自分からの距離に応じた人間関係の設定ができるようになっている。

友だち、か
...


私の親しい友人は私を含め、コミュニケーションに問題がある人物ばかりなので、
SNSをやるような人間は少ない。

うーん
...

これを厳密にスクリーニングすると、
この中から友人がいなくなってしまう...

SNSの友人はリアル社会の友人とはどうも意味合いが違うらしい。

とはいえ、私は人見知りなので実名登録を前提とした
Facebookはリアル社会で知っていて信用できそうな人としかつながりたくないという保守的な考え方だ(これは人によって承認する基準が違うと思うが...)。

何かのオンライン辞書で読んだのだが、最近の友だちとは
 


「申請して承認されなければなれない関係」

 
という意味だそうだ(笑)

そういえばミクシーの時も同じことを言われた気がする。

全部知り合い、か
...


試しに投稿してみる。

あんまりいいねが付かない。

あらら?投稿内容があまり良くなかったのかな
...


そこで、新たにルールを作った。


いいね ならば いいね返し


※なお、過去
T期におけるA(私)の投稿頻度が1に対して、B(友人)の投稿頻度が平均5の場合、サンプル数が15になる。つまり、Aの1回の投稿に対してBに5回いいねをつけてしまうと「いいね」比率が15になってしまうという不均衡問題が生じる(ポジションサイズがニュートラル化できないという意味)。一方で、Aの投稿1回に対してBにいいね返しをすると、やはり「いいね」比率が51になってしまうという不均衡問題が生じる。どちらも相関係数は1.0になるが、結局、15の投稿頻度を合わせることはできないので、B4回は無視して後者を採用した。


※どうやら、「いいね」は必ずしもいいと感じたものに付けるというわけではなく、どうでもいいものに付ける「どうでもいいね」という裏の意味もあるらしい。


※例外規定として、「いいね」を付ける公開範囲は「友だちのみ」とした。


Aの投稿に対するBCD...の相関係数が0.8以上ならば「親しい友だち」、0.5以上ならば「友だち」、0.1でもあれば「知人」、それ以外はポートフォリオ不適格銘柄のため「ロスカット」


※これは株式投資の銘柄選定と同じ要領ですべてのつながりを数値化して相対価値評価をしていく仕組みだ。「重要∧高い相関」「まぁまぁ重要∧高い相関」「まぁまぁ重要∧低い相関」「¬重要¬低い相関」。


※例外規定として「まぁまぁ重要かつ低い相関」は残した。


※タイムラインを解析してみたところ、「友人」の投稿は表示順位が自然と上位に上がってくるようだ。ときどき、知り合いのタイムラインが表示されるが、おそらく知り合いのタイムラインは「いいね」の数に応じて、過去の投稿の
+x%以上の「いいね」が付いた場合に限り、「知り合い」まで表示されるようなアルゴリズムになっていると思われる。 



【ツイッター】


先に述べた
Facebookとは違い、Twitterとは基本的に「手軽に気兼ねなく自慰行為を全世界に発信し続ける極めて高尚なツール」だ。

先述した
FacebookのようなSNSとは異なり、140文字以下のマイクロブログとしてライトな独り言を好き勝手につぶやく時に使い分けるようだ。

私は、日本を代表するヒマ人だと自負していたが、このツールに登録してからというもの、世の中には「上には上がいる」ことを改めて実感させられた。

しかし、
1日中ブツブツつぶやいている人はいったい何の仕事をしているのだろうか?


謎だ
............


 



早速、気が合いそうな人をフォローする。

フォローバックが付かない。

お!フォローが来た!

フォロー返す。

あれ?いつの間にかいなくなってるぞ!


職業病なのかもしれないが、
私は金融取引をする際、基本的に買いと売りのバランスを極力ニュートラル化(中立化)させながらポジションを組んでいる。

私にとって、一方向に偏ったバイアスは精神衛生上良くないのだ。

階段は偶数でなければ気持ち悪く感じるし、中学生の頃だったと思うが、美術の授業で、定規と分度器を使って人間を描いて「自然界に直線の物体は存在しない、書き直せ!」と先生に怒られた人間だ(笑)

昔から美術の成績だけは良くなかった。

美意識がズレているのか?

天と地、光と影、太陽と月、男と女、善と悪、本音と建て前、買いポジションと売りポジション
...

この世界をすべて二項対立によってニュートラル化しようとする価値観を持った人間には大きなストレスだ!


これは大変なものに手を出したものだ
(笑)

困った困った
...


そこで、
すべてのユーザーを株式の銘柄と考えた場合、これをニュートラル化する作業が必要になる。


フォロー ならば フォロー返し

フォロー解除 ならば フォロー解除

 
※これは簡単、フォロー:フォロワー比率を自動調整するだけ




【結論】


まず、一言で結論を出すと、

私はどうやら根本的にこの手のサービスには向いていないようだ(笑)

いや、むしろ社会性そのものが不適格なのか、あるいは心に何か病があるのかもしれない。

ちなみに、知人のお医者さんに話したところ、診療内科の受診を強く勧められた
...

普段はいい加減な性格なのに、変なところに異常なまでにこだわりすぎて逆に効率が悪くなるのは昔からの悪い癖だ。


さて、上記の自動プログラムを実行した結果何が起こったか?



私のタイムラインは完全に無機質なものになってしまった
...



フェイスブックに関しては、大量ロスカットの実行とアルゴリズムが最適化したであろうミスマッチな投稿や広告が表示されるようになった
...

なるほど、機械のアルゴリズムによって反復・継続的に学習させると、自分の本来の趣味嗜好とは違った価値観のタイムラインが形成されてしまうようだ。

参加人口が
9億人を越えるとも言われるフェイスブック-世界最大級の広告代理店-も、現時点では私の趣味嗜好を最適化した広告を表示させられるレベルまでには至っていないようだ。

また、ロスカットした方々からは「あれ、友だちからいなくなってたよ?」と何件かメッセージが入っていて非常に気まずかった。これはたぶんスマホの電話帳のような感覚で残しておいたほうがよかったのかもしれない。私はポートフォリオは小さいほうが好みなのだが
...

結局、「きみは人間と銘柄を同列に扱うのか?」とお叱りを受けたので、この機能は手動で続けることにした。

手動で、続けます
...(笑)

手動で、続けます
...
(笑)


価値観や美意識の共有は本当に難しい、

私の「ニュートラル化された美」を共感してくださる方は果たしているのだろうか?

なお、ツイッターに関しては、相互フォローアカウントとアフィリエイターだらけの意味不明なつながりになった
...

もはや、タイムラインがわけのわからない広告だらけでうんざりだ
...

上記はかなりバカバカしい話ではあるが、機械に頼りすぎてしまうと人間の持つ有機質な感情が完全に失われたシステムトレードのようになってしまうということが実験の結果わかった。


なお、ここには書かなかったが
LINEというメッセージサービスがある。

こちらは上記
2つに比べて人間関係がもっと親密なメッセージ送信ツールだ。

3つを比べてわかったのは、エドワード・ホール氏の提唱した、「パーソナルスペース(対人距離)」の概念を用いて明快に説明することができる。

いや、

私がこの概念を使って説明するというよりも、上記
3つのサービス、特にFacebookはこの概念を意識してサービスのフレームが考えられていると思われる。

つまり、

 

1.密接距離...ごく親しい人に許される空間

LINE

2.個体距離...相手の表情が読み取れる空間

Facebook

3.社会距離...相手に手は届きづらいが、容易に会話ができる空間

Twitter

4.公共距離... 複数の相手が見渡せる空間

④ブログ

 

①②③の各サービスは、上記のパーソナルスペースを意識してアプローチ対象が異なり、

さらに②
Facebookについては、

-①親しい友だち

    -②友だち

   -③知り合い

ということになるのだろうか。


機械化任せの作業は非常に楽だ。

人間がこれまで苦手としてきた継続・反復といった事務作業をすべて自動化すれば仕事の業務効率は飛躍的に向上する。

人間が行うとついついミスしてしまうような単純作業も機械であれば淡々と正確にこなしてくれる。

今まで
8時間かかっていた作業を1時間でできれば、8時間労働であれば8倍の仕事をこなせるようになるわけだ。

しかし、プログラムの「
if else ~」 のような関数に頼りすぎてしまうと、人間でしか評価できない01の間にある微妙な距離感を見落としてしまう。



私は昔から思っていた。



世界中のありとあらゆる不均衡を是正し、調和の取れた世界を創造する

これこそが人類にとって最も理想的な世界ではないのか、と
...


ただ、機械は私たちが思っている以上に事務的であり、
私たちが思っている以上に空気が読めるほど知性が高くはないということだ。

過剰最適化された仕組みは、実のところ、ストレスを最大化させてしまうという笑えない結果となった。


というお話
...

成熟した国家


過去の栄光にしがみつく。

プライドが高い人間に多い気がする。


言うなれば、

人生の最盛期を過ぎたことは自分では薄々感づいているものの、その事実を受け入れられずに、「どうやって心理的不満を解消してよいかわからない」というジレンマを持っている人間は、過ぎ去った日々を回想し、現在の自分の立ち位置を確保しようと必死になり、過去の自らの姿に、現在の自分を投影しようと試みる。


自尊心を満たすために...


祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。

猛き者も遂には滅びぬ、
偏に風の前の塵に同じ。


『平家物語』冒頭より



先に述べた人間とは、実は日本人のことを指している。


かつて、


" JAPAN as No. 1 "


と称賛され、
世界経済を牽引してきた日本経済も、かつての勢いは衰え、成熟したお年寄り国家になってしまった。


それにもかかわらず、
アジア諸国を歩いていると、虚栄心を捨てきれず、偉そうに立ち振る舞う自称グローバリストの日本人をよく目にする。


私は、そんな光景を見るたびに、
1人の日本人として本当に情けない気持ちになる。

残念ながら、今の日本はアジア全体から見れば、
最東端に位置するひとつの国家に過ぎない存在になってしまった。

多くの外資系企業は、
香港・シンガポールにアジアの重要拠点を移し、日本は営業部だけを残して撤退していく企業が増えたように思う。


日本人は「プライドが高い」と言われる。

だが、ここで言う「プライド」はたぶん本来の意味を履き違えている。

プライドとは「誇り」という意味だ。


多くの人間が定義するプライドは「誇り」などではなく、

自らの心の脆さを映し出した「虚栄心」ではないだろうか?


自称グローバリストたちよ!

日本人は、日本人というだけで、そんなに偉いのだろうか? 



小学校
3年生のとき、はじめて東京タワーに登った。

1991年のことだ。

360°見渡した大都会・東京の街並みは、建設中の建物ばかりで、赤いクレーンがたくさん見えたように記憶している。


先日、あの頃を思い出しながら、クレーンを探してみた。

近くに見えたのは、
建設中の虎の門ヒルズくらいだったように思う。

057


今は、東京タワーよりも高いビルが立ち並び、
すっかり景色が変わってしまっていた。

あれから
22年。

この街も成熟してしまったのだなぁと、感慨深い。


当時
9歳だった私も、31歳になった。

あれから22年か...


時間は確実に流れている。

時代は少しずつ変わって行く。 


唯一変わっていなかったのは、
私の精神年齢くらいだろうか(笑)



これから、この国はどう変わって行くのかな。

この国のために私たちができることは何だろうか?


※追記

066
東京タワーを

065
撮ってる人を撮ってみた


078
ラッフルズプレイスから見たマリーナベイサンズ

094
横から見ると、また違って見える


物事は違う角度から見るとおもしろい。

無形の財産

 

今年は、ワグナーの生誕200周年に当たるのだそうだ。

恋愛歌人と領主の姪との壮絶な愛を描いた「タンホイザー」、婚礼の合唱であまりにも有名な「ローエングリン」など、「楽劇王」と呼ばれたワグナーは、若き日のルートヴィヒ
2世にも多大な影響を与えたといわれる。

2010年がショパンやシューマンの生誕200周年だったから、彼らは同じ時代に生きた音楽家ということになる。


楽器屋に入れば、彼らが書き残した楽譜が所狭しと並んでいて、私たちは気軽に手にとって、
譜面に残したメッセージに思いを馳せることができる。

彼らが残した音楽は決して過去の産物などではなく、テレビ番組の
BGMや結婚式など、現代社会にもごく自然に溶け込んでいる。

それは、古新聞のように一晩過ぎればゴミ箱に入れられることもなく、
音楽ひいては芸術というものが決して「消耗品」でないことに気付くだろう。

何年経っても色褪せないもの
...


芸術とは何と素晴らしいのだろうか
...



*****


19世紀初頭、ドイツでは中世への憧れを一つの特色としたロマン主義がもてはやされており、文学・音楽・美術などあらゆる芸術分野にわたって人々に大きな影響を及ぼしていた[1]。

ロマン主義
は、それまで理性偏重や合理主義などに対し、感受性や主観を重視した思想としてヨーロッパに広く浸透していった。

そうした当時の
風潮もあり、青年ルートヴィヒ2世ロマン主義の世界にのめりこんでいったのも、ある意味では自然な成り行きだったのだろう。


争いが続く時代に、芸術こそが平和をもたらすと信じた
ルートヴィッヒ2...


高い美意識と強烈な個性を兼ね備えた彼
は「狂王」と呼ばれ、莫大な債務を背負い、民衆の反感を買いながらも、ワグナーのパトロンとして芸術振興を支え、オペラハウスやお城の建築に情熱を傾けた。

結局、これが一因
となってハプスブルグ帝国は滅んでしまったが[2]、


それから
200年後の現在......



彼が残した多くの文化財は、
ドイツにとって重要な観光資源となっている 

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出典:「夕日に照らされるノイシュバンシュタイン城
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出典:「
Bayreuther Festspielhaus aus der Luft

文化や芸術といった分野は投資家の視点から見ればマネタイズ(収益化)が非常に難しく、すぐにお金につながるものではない。


ワグナーとルートヴィッヒ
2世の例からもわかるように、「文化にお金を投じる」という行為は、100年、200年といった非常に長いスパンで見て行かなければならないのだ。

それは、投資ファンドの目論見書のように、「利回りが何
%で、何年で元金を回収できるのか?」とせわしなく電卓を叩いているようなレベルとは遥かにスケールが違う。

もっとも、投資家もボランティアでお金を出すわけではないので、数値化でき、数値そのものに客観的な根拠がないものにはなかなか投資しづらく、芸術家は
資金を集めにくいという現実的な問題がある。

数値化できない「無形の財産」は、そもそも経済的合理性だけで判断できるものではないからだ。


しかしながら、
文化や芸術は私たちが人間らしく生きて行く上で絶対に欠かせないものでもある。

河川敷でサックスを吹いている人や、芝生で寝転がって本を読んでいる人を見ると、何とも文化的で優雅なライフスタイルなのだろうかと羨ましくなる。

きっと彼らにとって、この世界は少しばかり狭すぎるのだろう。

そんな時、自分を顧みると、朝早くから仕事に追われ、夜の街で俗にまみれて楽しんでいる滑稽さに気付かされる。

かつて、生命が生きて行くために必要なものは「水・食べ物・日光」と教わったが、人間らしく生きるためには、それだけでは不十分だ。

人間が人間らしく生きるためには、「お金」ももちろん必要ではあるけれども、「文化や芸術に触れる時間」も同じくらいに必要なのだと思う。



「無形の財産」は単純に数値化できないだけに、評価基準が明確にできないところが難しい。

経済的合理性だけで物事の価値を判断しようとすると、「本当に大切なもの」をうっかり見落としてしまいがちだ。


かつて、芸術家を支援したパトロンたちはこの事に気づいていたのだろう。

お金だけでは決して心が豊かになれないことを
...


[1]ホーエンシュヴァンガウ城のように、荒廃していた中世の城がドイツの各地で修復されたのも、ロマン主義の一つの表われである。

[2] 時代背景を考えると、相次ぐ城の建設以外にも、1866の普墺戦争の敗戦によるプロイセンへの多額の賠償金の支払義務、、政情不安などの恐慌があったとされる。 

(参考: 「R.ミュンスター『ルードヴィヒ二世と音楽』音楽之友社,1984」)
(参考: 「 吉田真『作曲家 人と作品 ワーグナー』音楽之友社,2005」) 
(参考: 「
ルートヴィヒ2 ~夢を追い続けた孤高のメルヘン王」)
(参考: 「Globis.TVG1新世代リーダー・アワードYouTube動画より」)
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