柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

思想・価値観

日本語と帰属意識


「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」

川端康成『雪国』より

この文章は明らかに主語が抜けている。

これは「日本語には主語がなくても文章が成立する」という特徴を、非常によく表している現象だといえる。

では、これを英文ではどのように訳しているのだろうか?

"The train came out of the long border tunnel - and there was the snow country."

汽車は長い国境を抜けトンネルから出て、そこには雪国があった)

Edward G. Seidensticker(1921-2007)訳 

ここでは主語として The train (汽車)が主語に補足されており、したがって英文訳では「汽車(列車)」が主語ということになる。

日本語はいろいろな「もの」を省略する便利な機能があるが、主語はその典型だといえる。むしろ、主語は「省略」ではなく、そもそも日本語に主語などという概念はない、という研究者もいる。

省略されていても、曖昧であっても、そんなことは通常、一般的な日本人なら気に留めないだろう。しかし、これは別の見方をすれば、曖昧な状態を頭に残したまま思考を進めている、ということでもあるのだ。

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【成田空港での違和感】


先月、久しぶりに日本に一時帰国をした。

成田空港に着き、エスカレーターの下り口まで来ると、以下のような看板が掲げられていた。

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「おかえりなさい」

大きな日本語のすぐ横に併記されている"Welcome to Japan"との英語のメッセージの対比を見ながら、日本語をご存じの方であれば、この看板をひと目見て、日本語で示す「私たち」(日本人)とそれ以外である「彼ら/彼女たち」(外国人)がどのような意味で分けられているのかがひと目で分かる。

ここでいう、「おかえりなさい」とは"Welcome to Japan"ではなく、"Welcome home"の意味で用いられている。

少なくとも私が知る限り、英語圏の国でこのような区別がされている空港を見たことがない。

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https://f.hatena.ne.jp/yukinho/20090917090547

私の理解が正しければ、この「おかえりなさい」という言葉は通常、①「内側にいる人」が、②「外側の世界に出て」、③「また内側に戻って来た時に」、④「内側にいる人たちからかけられる言葉」であり、そして⑤「外側から戻ってきた人が内側に帰属意識があることが前提」である。

私は人生の4分の1以上を海外で生活しているので、私のアイデンティティは日本人ではあるものの、私の家・生活の拠点は長いこと日本の国外にある、いわゆる日本の非居住者である。

これだけ長く海外にいると、もはや外国の家が私の主たる居場所であって、日本には「帰る」という感覚よりも、むしろ「行く」という感覚が強くなっている。

成田に着いたとて、私の家はもはや日本にはないのだ。


日本にいる日本人には当たり前かもしれないが、日本の非居住者になると銀行口座も作れないし、クレジットカードも作れない。私たち非居住者の属性は日本では「住所不定・無職」とみなされる。

大多数の日本国内にいる日本人にとっては当たり前の感覚が、私のような海外居住者にとっては逆に不思議な感覚になるのだ。

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【疎外感と排他性】


"Welcome to Japan"は言うまでもなく「ようこそ日本へ」だろう。

これは、日本語が分からない外国人には理解できないため、それはそれでいいという割り切った考え方だ。たいていの外国人は日本語が分からないし、それはそれでいいのだ。

つまり、日本語の「おかえりなさい」に目を通さない「彼ら/彼女たち」(外国人)は、よその国から来た人たちなのだから、ここでは"Welcome Home"である「お帰りなさい」を使ったところで、さほど問題にはならないし、意図的な翻訳ミスを指摘する人はいない。

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この「おかえりなさい」の文字を見るその対象者は、大多数が日本に居住する日本人で、日本語を母語としているため、「おかえりなさい」そのものが問題だとは思わない。

しかしながら、「おかえりなさい」という日本語の表現と同時に、「ようこそ日本へ」という日本語表記がないことは、海外で暮らす私たち非居住者の日本人(少数派)にとっては、何ともいえない疎外感(逆差別)を覚え、それが「大きな政治問題」にもなり得る。

日本語で「ようこそ日本へ」という表現がないこと自体、大多数の日本人が無意識のうちに形成している「排他性」が、そこにはあるからだ。

ここに、長年にわたり海外に住む日本人が感じる、「目に見えない壁」がある。

グローバル化の今、海外に住む日本人の数も多くなり、また日本に住む外国人の数も多くなった。

長く海外に住み、日本への帰属意識が薄れつつある日本人、それとは反対に長く日本に住み、日本への帰属意識が強まっていく外国人。

日本語で書かれた「おかえりなさい」という表現は明らかに20年前、30年前の感覚とは大きくその意味合いが変わりつつある。

日本の空の玄関口・成田。そこにはグローバル化の波に揺れる、ある種の葛藤が見て取れた。

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(参考:東洋経済「川端康成「雪国」が思考力を養うのに最適な理由」より)

(参考:Yahoo!Japan「知恵袋」より)

メタバース社会と人工知能③~私たちはどこへ行くのか~


人工知能(AI)が描く未来が急速に変化しているように感じるのは、当該分野における現在のイノベーションが、私たちが追いつくのが大変なほど、猛烈なスピードで加速しているからだ。

実際、AIはほぼすべての産業で人類の未来の在り方を形作りつつある。

ビッグデータ、ロボティクス、IoT(Internet of Things、すべての端末がインターネットと常時接続すること)といった新たなテクノロジーの主役であることは言うまでもないが、ChatGPT4やAIアートジェネレーターのようなツールが主流の注目を集めているジェネレーティブAIも、当分の間、イノベーション(技術革新)の担い手として進化し続けるだろう。

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【進化するAI技術】

AIがテクノロジーに影響を与えるのは、それがコンピューティングにどのような影響を与えるかによるところが大きい。

AIによって、コンピューターは大量のデータを活用し、学習した知能を使って、人間が要する時間のわずか数分の1のという驚異的な時間で、最適な判断や発見をすることができるようになったからだ。

1951年、故・クリストファー・ストラチー氏が書いたチェッカープログラムが、マンチェスター大学のFerranti Mark Iコンピュータでゲーム全体を完成させ、AIコンピュータプログラムの最初の成功が記録されて以来、AIは長い道のりを歩んできた。

それ以来、AIはワクチン用のRNAの配列や人間の音声のモデル化などに活用され、モデルやアルゴリズムに基づく機械学習に依存し、知覚、推論、一般化にますます焦点を当てた技術となっている。

このような革新的な技術により、AIはかつてないほどテクノロジーの主役の座に返り咲き、今後もスポットライトを浴び続けることは間違いないだろう。



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【あらゆる産業を横断歩行するAI技術】

AI市場は、小売、輸送・オートメーション、製造、農業など、さまざまな産業分野で計り知れない可能性を持っている。市場を牽引する主な要因は、様々なエンドユーザーの領域において、特に最終消費者へのサービスを向上させるためにAI技術の応用が増加していることだ。

近年のAI市場のバブル化には、ITインフラの改善やスマートフォンやスマートウェアラブルデバイス(着脱式デバイス、例:VRゴーグル)の普及も寄与している。 このうち、自然言語処理(NLP)アプリケーション市場は、AI市場の大きな部分を占めている。

自然言語処理の技術が向上し、消費者向けサービスの成長を牽引していく中で、自動車のインフォテインメントシステム(乗るだけでなく情報とエンターテインメントと合わせたシステムのこと)、AIロボット、AI対応スマートフォンといった分野もある。

輸送におけるAI

交通機関は、AIによって劇的に変化することが確実視されている業界のひとつだ。自動運転車やAIトラベルプランナーは、私たちがA地点からB地点に移動する方法のほんの一面に過ぎず、今後、輸送産業はAIによって多大な影響を受けることになるだろう。

自動運転車は現時点では完璧とは言い難いものの、いつの日か私たちをあちこちに運んでくれるようになるだろう。必要な時に誰かの空いている車を呼び出して移動し料金を支払う。自動運転の車が街中を移動する未来に、もはや駐車場という概念はなくなるかもしれない。

製造業におけるAI

製造業は、何年も前からAIの恩恵を受けている分野だ。AI対応のロボットアームやその他の製造ロボットの歴史は1960年代から1970年代まで遡り、この業界はAIの力にうまく適応してきた。

これらの産業用ロボットは通常、人間と一緒に作業し、組み立てや積み重ねなどの限られた範囲の作業を行い、予測分析センサーが機器のスムーズな稼働を維持している。

ヘルスケアにおけるAI

AIヘルスケアは、すでに人間と医療従事者との関わり方を変えつつある。ビッグデータ分析により、AIはより迅速かつ正確に病気を特定し、創薬のスピードアップと効率化を図り、さらにはバーチャル看護師を通じて患者を監視(看護)することができるレベルにまで至っている。 

私はヘルスケア分野のAIは少子高齢化を迎え、人材不足に悩む日本の介護産業に大いに役立つのではないかと考えている。

教育におけるAI

教育におけるAIは、あらゆる年齢の人間の学習スタイルを変えるだろう。機械学習、自然言語処理、顔認識などを駆使したAIは、教科書のデジタル化、盗作物の検出、生徒の感情を測定し、苦戦している生徒や退屈している生徒を判断するのに役立つだろう。

現在も将来も、AIはパーソナル・アシスタントとして学生一人ひとりのニーズに合わせて学習体験を提供するだろう。そうなると、先生という職業は少しずつ消滅し、学生たちは圧倒的な知性を持つAIによって教育される未来が来るかもしれない。

ジャーナリズムにおけるAI

ジャーナリズムもAIを活用しており、今後もその恩恵を受け続けるだろう。その一例が、AP通信の『Automated Insights』の活用であり、年間数千にも及ぶレポート記事を作成している。

しかし、ChatGPTのように生成的なAIライティングツールが市場に登場するにつれ、ジャーナリズムでの使用に関する疑問が多くなっている。

顧客サービスにおけるAI

多くの人はロボコール(音声ロボットによる電話)を受けることを恐れているが、カスタマーサービスにおけるAIは、顧客とプロバイダーの双方に有意義な洞察をもたらすデータ駆動型ツールを業界に提供することができる。

カスタマーサービス業界を強力にサポートするAIツールは、チャットボットやバーチャルアシスタントの形で提供されている。



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AIはスクリーンに代わる新たなUI/UXインターフェースになるか?

過去、PCからモバイルの時代まで、ユーザーインターフェースは画面やキーボードを通しての対話だった SmartSpeaker、VR/AR、自動運転車のシステムが人間環境に入り込み、人々はスクリーンを必要とせず、コンピューティングシステムと、簡単で快適なコミュニケーションができるようになった。

これは、自然言語処理と機械学習による人工知能が、テクノロジーをより直感的で操作しやすくしており、将来的にはユーザーインターフェースやユーザー体験においてスクリーンに取って代わることを意味している。

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ビジネスのバックエンドで重要な役割を果たすだけでなく、AIはテクノロジーとの接点で、より複雑な役割を担うことも可能だ。 例えば、自動運転車では、ビジュアルグラフィックスと人工ニューラルネットワークを使用してリアルタイム翻訳を行う。

つまり、AIはインターフェースをよりシンプルかつインテリジェントにすることで、将来の交流に高い基準を設定することができるだろう。

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AIチップの鍵は、ソフトとハードをうまく融合させることにある

AIチップの中核は半導体とアルゴリズムであり、AIハードウェアはGPU、DSP、ASIC、FPGA、ニューロンチップなど、より速い命令サイクルと低消費電力が求められ、ディープラーニング・アルゴリズムと統合する必要がある。

全体的にGPUはFPGAよりも高速で、FPGAはGPUよりも電力効率に優れているため、AIハードウェアの選択は製品供給者のニーズ次第となる。

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例えば、AppleのFaceID顔認証は、3D深度センシングチップとニューラルエンジンを組み合わせたもので、解析のために赤外線レンズ、投光センサー、距離センサー、環境光センサー、フロントエンドカメラ、ドットマトリクスプロジェクター、スピーカー、マイクという最大8つのコンポーネントを統合している。

Apple社は、指紋や顔認証などユーザーの生体データはiPhone内部に暗号化して保存されるため、簡単に盗まれることはないと強調している。

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AIの自己学習が最終目標になる

AIの「頭脳」は、機械学習から深層学習、そして自律学習へと進化しながら、段階的に賢くなってきている。 現在はまだ機械学習や深層学習の段階であり、自律学習を実現するためには、4つの重要な課題がある。

まず最初に、自律型マシンのためのAIプラットフォームを作ること、自律型マシンが自律的に学習できる仮想環境を提供すること、次に現実世界と同じ物理法則、衝突、圧力、効果に準拠する必要があること、3番目に自律型マシンの枠組みにAIの「脳」を入れること、最後に、仮想世界のポータル(VR)を作ること、である。 

米・NVIDIA社は現在、自律型マシンプロセッサ「Xavier」を導入し、自律型マシンの商用化・普及に向けた準備を急ピッチで進めている。

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CPUとGPU(または他のプロセッサ)を組み合わせた完璧なアーキテクチャー

今後、特殊な分野で必要とされる超高性能なプロセッサーが数多く登場すると思われるが、CPUはあらゆる機器に普遍的であり、あらゆるシーンに対応できる。

そこで、CPUとGPU(または他のプロセッサ)を組み合わせたアーキテクチャー(構造物)が最適となる。 例えば、NVIDIA社は、専用の機能ASICと汎用プログラミングモデルを組み合わせ、開発者が複数のアルゴリズムを実装できるようにしたCUDAコンピューティングアーキテクチャーを発表している。

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AR(拡張現実)がAIの眼になり、両者は補完的で不可欠な存在となる

AIの未来にはAR(拡張現実)が必要であり、ARはAIの目に例えることができる。

ロボット学習のために作られたインバーチャルワールドは、それ自体がバーチャルリアリティ(仮想現実)である。 また、仮想環境の中に人を入れてロボットを学習させる場合は、さらに他の技術も必要だ。

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今後、AI(人工知能)、IoT(すべてのものがインターネットでつながる社会)、VR/AR(仮想現実/拡張現実)、5G(超高速通信規格)などの技術が成熟するにつれて、半導体業界は新たなバブル波を経験すると予測している(※おそらく2028~2033年頃)。

メモリ、中央処理装置、通信、センサーチップ、および様々な新製品のアプリケーションチップ需要が増加し、半導体における大きな市場優位性は、間違いなくグローバル社会で重要な役割を果たすことだろう。

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【AIとメタバース技術の統合】

ここまで2章に分けてメタバースとAIの現状についてまとめてみた。ここから先は、AIとメタバースが統合する未来について考えてみたい。

パンデミック後の新時代の「ニューノーマル」によって、企業は顧客との関わり方、従業員との向き合い方、収益の拡大など、新しい方法を模索する必要に迫られている。

メタバースは、世界との関わり方の根本的な変化を示す新たなフロンティアである。

Grand View Research社のレポートによると、世界のメタバース市場規模は、2030年までに9000億ドル以上に達すると予想されている。メタバースは、ゲームから不動産、小売に至るまで、あらゆる業界のビジネスに巨大な機会を提供している。

私はこの、AIとメタバースが融合する分野に非常に興味を持って、日々投資案件を探している。

当初は、AIの台頭により、アルゴリズムによるものが仮想体験に取って代わる世界になり、それによってメタバースが弱体化すると考える人が多かった。

しかし、実際には、AIがメタバースを殺したわけではなく、むしろ、これまで以上に不可欠なものとなっている。

ゲーム業界では、よりリアルでダイナミックな仮想世界を作るために、AIが活用されている(すでに述べたFortnite、Minecraftなど)。これらのゲームメーカーは、すでにAIを利用して、これまで以上にリアルな環境やキャラクターを生成している。これにより、プレイヤーは物理的な世界とほぼ同じようにリアルに感じられる仮想世界に没入することができるのだ。

ゲーム以外の分野でも、小売業者はAIを活用したバーチャルストアの活用を模索している。ゲームだけでなく、小売業ではAIを活用したバーチャル店舗を模索し、顧客がより没入感のある方法で商品を閲覧・購入できるようにしている。

特に、VRデバイスにAIを使う場合、視界すべてがコンピュータのスクリーンとなるため、ユーザーの目に映るすべての情報にアルゴリズムを適用させることができるようになる。

不動産会社は、AIを使って物件のバーチャルツアーを作成し、購入希望者が実際に訪れる前に物件の外観をよりリアルに感じられるようにしている。

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メタバースはまだ初期段階であり、AIでできることは無限だ。AIが進化すれば、今よりもさらに魅力的で没入感のある、より洗練されたバーチャル体験を生み出すことができるようになるだろう。

AIとメタバースの組み合わせは、これまでにない方法でバーチャルリアリティの可能性を解き放つことができると多くの人が考えている。

開発者が新しいアルゴリズムやテクニックを試すことができ、私たちとコンピュータやお互いの関わり方に革命をもたらす可能性がある。

メタバースはAIにとって究極のテストベッド(実際の使用環境に近い状況を再現可能な試験用環境、または試験用プラットフォームの総称)になるかもしれないのだ。



結論として、AIはメタバースを殺さなかった。

むしろ、これまで以上に強力で有望なものにするのに役立ったのだ。企業がメタバースの可能性を追求し続ける中、バーチャル体験の未来を形作る上で、AIがますます重要な役割を果たすことは明らかである。

メタバースはイノベーションと成長のためのエキサイティングなフロンティアであり、この新しい現実を受け入れる専門家、企業、ブランドは、ビジネスの未来を形作るものになるだろう。

潜在的な報酬は膨大であり、その賭け金のオッズは高く、最新の開発動向とトレンドを把握することは極めて重要である。

メタバースとAIは、企業が現在および将来の計画や戦略において考慮しなければならない強力な組み合わせとして登場したのだ。

AIとメタバースの組み合わせは、ビジネスの成長とイノベーションの新時代を切り開いたと言ってもいい。業界を問わず、企業はメタバースの可能性と、より没入感のある魅力的な仮想体験を生み出すためにAIが果たせる役割を探求している。

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メタプラットフォームの共同設立者でありCEOであるマーク・ザッカーバーグ氏によると、メタバースとその主要機能が主流になるには、5年から10年程度かかるという(つまり2028~2033年頃)。

しかし、インターネットの高速化、VRヘッドセット、リアルでインタラクティブ(双方向)なゲームなど、メタバースの側面は現在の私たちの生活にもすでに存在している。

メタバースは、ユーザーがなりたい人になり、デジタルペルソナ(仮想空間上の多重人格)を作ることができるようになる。

また、身体・行動バイオメトリクス、感情認識、感情分析、データなどの統合を利用し、仮想世界内でのカスタマイズを提供することも考えられる。

AIとメタバースが統合する未来はそう遠くはない、私たちも来るべき時代に備え、一定の技術の理解とそれを受け入れる柔軟性を持って準備しておいたほうがいいだろう。

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今から10年後、20年後、小型化したVR(仮想現実)/AR(拡張現実)ゴーグルが
私たちの目に埋め込まれ、仮想現実と現実社会をワンクリックで簡単に移動できる世界がやってくるだろう。

私たちの脳にはAIの超小型デバイスが組み込まれ、行動パターンの多くをAIが最適化し、コントロールしてくれる。私たちが必要な情報は脳内のAI端末にソフトウェアをインストールすればあっと言う間に知識や情報がアップデートされる。

そうなると、
もはや人間の能力差はなくなり、皆が平等で天才的な能力を保有することができ、私たちの頭脳はやがて民主化されていく---。

あるいは、こういう予想はどうだろう。未来の私たちの子孫は肉体ネイティブである我々と異なり、この老いて劣化していく肉体を放棄する日が来るかもしれない。

彼ら/彼女たちはもはや肉体はなく、デジタル空間上にアップデートされたアバターに意識を埋め込み、生活を送っているかもしれない。

原始的な感覚に浸りたくなったら、3Dバイオプリンターを使って、肌の感覚を物理的に再現する。アバター同士はやがて恋に落ち、その子供たちは仮想的な非肉体ネイティブとなり、物理的な私たち肉体ネイティブはやがて時代遅れな存在となっていく---。

案外この予想は当たっていて、人類の未来は人間と機械が融合し、さらに肉体を持たないといった、現段階では想像もつかないような生命に進化していくのかもしれない。

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30年後にこのブログを読み返したら、21世紀初頭を生きていた原始人たちはこういう未来を予想していたのか?と笑われてしまうかもしれない。

AIによって育てられた新人類たちが私たちが驚くような圧倒的知性を身に着ける---。

彼らはその時、この文章(古文書)を読んで何を思うのだろうか?

*

テクノロジーはいつも私たちの生活の多くを民主化してきた。

近い将来、AIとメタバースを融合させた社会は確実に到来すると思われ、私たちは現在スマホをいじっている時間の多くを、仮想現実空間に移動し、生活するようになるだろう。

AIは私たちの暮らしを最適にコントロールし、現実世界はロボットたちが仕事をし、私たち人類はもしかしたら生命の歴史上、初めて「働かなくてもいい動物」に進化を遂げるかもしれない。

テクノロジーがもたらす未来はのんびり暮らせるユートピアになるのか?

それとも、機械によって仕事を奪われていくディストピアになるのか?

人類がこれまでテクノロジーが発展するたびに、それを柔軟に受け入れ、最適化してきたように、私は今回の進化も前者であってほしいと願っている。



*

世の中には完璧なものは存在しない、未来だって完璧に予測することは不可能だ。

その意味では、全ての物事は未完成(ベータ版)であり、常にアップデートし続ける必要がある。

すべての理論は誤っていると言えば誤っていて、正しいと言えば正しいものだ。

理論の誤りや正しさを検証することは、自らの不完全な知識や理想を検証すること、すなわち自己を検証することに他ならない。

最も大切なことは、そこから何か役に立つ手掛かりを見出すことにあると言えるだろう。

テクノロジーの発展は、どんな未来を私たちの前に連れてきてくれるのだろうか?

メタバース社会と人工知能②~神を民主化する~



この宇宙、私たちが住むこの世界がひとつのプラットフォームであると仮定するならば、プラットフォーマーは創造主である『神』ということになるだろう。

-神が存在するかどうかの議論は別として-、私たち人類が今後、魅力的な仮想世界を創造し、世界人口の大半を仮想世界に移動させることができるとしたら、それは神が創造したこの現実世界から離れ、人類史を大きくひっくり返す程の大革命になるだろう。

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メタバース(仮想現実=聴覚・視覚・触覚の拡張)やAI(人工知能=脳の拡張)の登場は、良くも悪くも神を民主化する事にあるといえる。

私たちは今まで、世界は神が創造するものと考えてきたが、メタバースが形作るもうひとつの世界は、神様が世界を創造するわけではない。世界を創るのは我々人間である。

これまで世界や人間を創造する役割は神のみが行える行為だったが、それが民主化され、まもなく私たちにもできることになる。

*

【神を民主化する】

この世界に存在するすべての万物事象には必ず意味がある。では、この地球に生命、ひいては人類が誕生した理由は何だろうか?人類は決して地球環境に好ましい生命体とは言えないはずだ。


まず、物質が存在する大前提として、物質は正反対の性質を持つ反物質の存在が必要だ。

また、物質の周りのものはすべて原子という小さい粒子でできている。原子は電子(-)と陽子(+)は絶対に同じ数でなければならず、本来、この世界に存在する物質と同じ数の反物質が存在しなければならないはずだ。

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出典:ターンナップ「原子の構造」より

反物質はそのペアとなる物質に触れると、「対消滅」といって、互いに消えてしまう。でも、この世界には反物質がほとんど存在していないではないか。

これは大きな矛盾だ。なぜこの世界に物質が存在しているだろうか?この説明が本当ならば、この世界は真っ暗であり、まったくの『無』の世界であるはずだ。

宇宙の誕生と同時に大量の物質と反物質ができ、それらは対消滅を繰り返し、どんどん消えていった」。そこにわずかなゆらぎが起こり、特定の物質だけが残った。

これが我々が奇跡的に今ここに存在する理由とされている。

だが、これはどう考えてもあやふやな説明である。

次に、この宇宙そのものが人間にとって都合が良すぎると考えてみよう。これを宇宙の微調整問題(ファインチューニング)という。わかりやすいもので物理定数があげられる。

物理定数とは万有引力、重力加速度、真空の中の物質の速度など、宇宙が決めた絶対の数字のことだ。この物理定数を少しでもいじると人間やあらゆる生命体は存在できず、宇宙そのものが崩壊すると言われている。

例えば万有引力の定数が少しでも大きくなると太陽は内側に重力で押しつぶされ、核融合反応が急速に進み、あっという間に消滅してしまう。

反対に、万有引力の定数が少しでも小さくなると、結果的に生命の材料となる元素が創られなくなってしまう。

この物理定数は考えれば考えるほど、非常に人間にとって都合よく作られている。

なぜだろうか?

***

神様による奇跡

奇跡によるもの、神様(クリエイター)が存在する証拠ともいえる。この物理定数は超越的な存在である誰かが予め決めたものである。

定数に「なぜそうなるのか?」という問いは愚問である。定数だからその数字がバランスを持って割り当てられているのだ。なぜに対する回答は「定数だから!」だ、そこに理由はない(笑)

この、人類にとってあまりにも都合のよい宇宙環境は、神によって創られたと考えれば辻褄が合う。そうでなければ、これらの
物理定数に完璧にフィットする環境、人類にとってあまりにも都合のよい環境が創られたことを説明することができないからだ。

問いに対する
仮説:神(クリエイター)が人間(創造物)にフィットするように作ったから。

*

仮想現実

①についても言えるが、この世界は仮想現実であるとするものだ。この世界はバーチャル・リアリティ(仮想現実)であって、超越的な何者かによってプログラムされた空間であると考えることができる。



テスラ社、SpaceX社のCEOであるイーロン・マスク氏によれば「この世界が仮想現実ではない確率は100万分の1であると」いい、天才物理学者の故スティーブン・ホーキング
博士によれば、「この世界が仮想現実である確率は99%である」という

この世界、そしてその中にいる自分は、いずれもホログラム映像に過ぎず、現実に実在しているわけではないのだという。この世界は、ソース(すべての源)という映写機によって映し出されている映像であり、それは幻想であり、ホログラム映像に過ぎないとするものだ。

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したがって、この世界に在るものは全てが仮想現実であり、ある対象に自らが注意を向け続けるときだけ、そのものが存在するようになるということを意味する。

私たちが今いる空間、見ている景色は私たちが意識している時間だけ出現し、
私たちが意識していない時間、認識していないものは、それらは存在していないようなものだ。

何とも意味不明だが、ゲームの世界に置き換えて考えてみたらいい。VRゲームにおいて、私たちが見渡せる360℃の視界以外の遥かかなたにある空間は、その時、負荷がかからないようにデータの処理を抑え、そこには投影されていない。

『私たちのどう見るか(認識するか)の意識こそが世界を変える』

ユージン・ウィグナー(物理学者)

何者かが私たちの意識を初期設定し、例えば勉強が得意だとか、スポーツが得意だとか、もっと根本的に男女の設定やら数十年後に子どもが生まれるなどの設定をする。

設定を決めたらようやくゲームスタートだ。

「随分とリアリティーのあるゲームだ。そんなゲームがあるなら、ぜひプレイしてみたい」

そう思われたゲーマーの人も多いかもしれない。

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しかし実は今、私たちは超高度な能力を持った何者かが初期設定をしたゲームの中にいる。私たちは仮想現実であるこの世界を快適に楽しむために、脳という高性能なコンピュータを使ってプレイしている。

その
高性能なコンピュータは処理落ちを防ぐために、―シミュレーションゲームと同じような仕組みで―、それを見ていない間は存在しないものとして扱っているのだ。

もう一度言おう。

VRゲームにおいて、私たちが見渡せる360℃の視界以外の空間は、その時、負荷がかからないようにデータの処理を抑え、そこには投影されていない。

私たちが見ているものは、私たちが見ている間、私たちが見ているから存在しているのだ。

問いに対する仮説:そもそも私たちは予めプログラミングされた仮想現実の中にいるに過ぎない。

*

人間原理

我々、人間が生まれてきたのがたまたまこの宇宙なのだから、あらゆる定数が人類にとって都合がいいのは当たり前だろうという考え方だ。

この世界はマルチバース(多元宇宙)構造になっていて、この宇宙、この原理は複数の宇宙が存在しているうち、私たちは複数あるうちの宇宙のうち、たまたまこのフィットしている宇宙に生まれてきたとするものだ。

我々が見えないだけで、実は微妙に物理定数が異なる複数の宇宙が並列的に存在し、偶然、この宇宙は人間が生きられる条件だったに過ぎない。だから、-逆説的に-、人間がこの世界に存在することは当然だという考え方である。

その根拠が物理学でいう『超弦理論(ちょうげんりろん)』だ。

超弦理論とは、この世界の物理現象を1つの数式で表現したもので、これを解くと、10の500条個という答えが出てくるそうだ。すなわち宇宙がこのくらいの数は存在しているだろうと考えることができる根拠となっている。

問いに対する仮説:私たちは多元的に存在する宇宙のうち、最も人間にフィットした宇宙にいる(逆に言えば、その宇宙にフィットする形で私たちは設計されている)。

*

このような宇宙の摂理は今後、「人類が仮想空間を創造していく上で大きなヒントになるのではないか?」と考えている。

我々人間がこれからメタバース空間を創造し、仮想現実の中で生活していく過程において、上記のような創造主(プログラマー)、仮想現実(バーチャルリアリティー)、マルチバース(多元宇宙)といった概念は神が試行錯誤しながら辿って来た道を、私たち人類はトレースして行くに過ぎないのではないか、と。

***

【メタバースはゲームから私たちの生活に浸透していく】

先のブログ記事でも書いたように、テクノロジーは普及するまでに一定の時間がかかる。



そしてすべてのテクノロジーは点と点をつないでいくと、線となって私たちの社会を大きく変えていくことが分かる。

携帯電話が普及したのが1990年代後半、インターネットが普及したのが2000年代初頭、スマホ(スマートフォン)が普及したのが2013年頃、4Gの高速回線が普及したのが2015年頃、仮想通貨(暗号資産)ビットコインは2017年の個人によるバブル相場を得て、2021年に入りようやく機関投資家にも広まり始めたばかりである。

2023年現在、メタバースはお世辞にも普及しているとは言えず、過去のテクノロジーに重ね合わせて考えると、2012年あたりのスマホのアプリ開発ブームに非常に似ている。

あの頃はスマホが重すぎる、すぐに充電が切れるようなお粗末な端末だったが、クリエイターたちはやがて来る半導体の高性能化や、4Gの高速回線の到来を期待しながら、熱心にアプリ開発を行っていた。

おそらくメタバースも5G・6G回線が到来するまでは急速に普及することはないだろうと考えているし、VR端末がまだまだ重すぎて使い勝手が良くないため、この分野についてはハードウェアよりも先にソフトウェアが進化していくものと思われる。

今やアメリカや中国の巨大IT企業では「スマホとSNSの次の大きなインベーションはメタバースだ」という認識が共有されていて、総計数十兆円規模の市場規模になることは不可避な流れとなっているのだ。

デバイスが普及し、その次にコンテンツが普及する。これはインターネットにおける大前提の法則であったが、今回はこれとは真逆だ。

VRを装着する習慣はまだないにも関わらず、ゲームをする子供たちはPC、スマホ、ゲーム機などのマルチデバイスでメタバースコンテンツで遊んでいる。おそらくVRが一般に普及するまでは、こうした3DCGのコンテンツが先に流行し、VR端末の最適化は3-5年程度、後まわしにしてくるだろうことが予想される。

メタバースは「ゲームのフリ」をして子どもたちの生活習慣に次第に根付いていき、その後あっという間に私たちの生活習慣をも飲み込んでいくのではないだろうか?

スマホが初めて発売された時、ほとんどの人が「これは新型の携帯電話だな」と勘違いしたことと同じだ。しかし、その勘違いのおかげでスマホが一気に普及したのと同じような流れを辿るのではないかと考えている。

メタバースにおいてはゲームが玄関口となり、その他のコミュニケーションやビジネスはゲームを入口として後から派生していくのだ。

***

メタバースへの異なるアプローチ方法

現在、メタバースには大きく分けて3つの異なる入口がある。それぞれ見ていこう。

VR・SNS派閥

文字通りVRゴーグルを被り、没入感を体験できるメタバースだ。この派閥はユーザー自身が純粋に楽しみたいという人、自分たちでカルチャーを作りたい人に向いている。どちらかというとオタク(ギーク)気質が強い人向き。

また、最近はビジネス目的のコンテンツも増えてきており、ゴーグルを被りながらVR上でオンライン会議や展示会などを楽しむことができる。



私は毎日、VRゴーグルを被り、3D空間上に作られた会議室にログインし、起業家やクライアントさんたちと仕事の打ち合わせを行っている。会議が終わればゲームをしたりアダルトコンテンツを見ながら完全に独りの世界を楽しんでいる。

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Note: 『Hello Cluster』より転載

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NFT・ブロックチェーン派閥

NFT(非代替トークン)とは簡単に言えばブロックチェーン上における、所有権の証明書のことだ。

ゲーム内で土地やアイテムを買ったり売ったりするときに価値の移転を証明するために使われている。有名なブロックチェーンゲームにディセントラランド(MANA)やサンドボックス(SAND)などがある。

仮想空間上に土地があり、そこで私たちユーザーはゲームをして遊ぶ。ただし、まだ環境が整っているとは言えず、同時接続で部屋の中にログインできる人数は限られている。

私は黎明期から上記の2つのブロックチェーンゲームの仮想通貨銘柄に投資をしているが、2021年度に一度大きなバブルを経験し、現在は高値から価値が9割以上下がってしまった(笑)。

NFTは将来的にはオンライン上のコンテンツ、動画、画像、アートなどの所有権を証明する技術として注目されているが、果たしてメタバースにこの技術が本当に必要なのかはまだ半信半疑である。

もっとも、メタバースがゲームを玄関口としてその後、その他のコミュニケーションやビジネス領域にまで拡大していくと予想するのであれば、ゲーム内での土地の売買の証明書や動画、画像、アートなどの所有権の移転などの一部の分野に使われている社会現象は、NFTの本格的な普及前の黎明期の姿と捉えられるのかもしれない。

どちらかと言うとトークンを保有したり、ゲームをやってトークンを稼いだりするなど、現時点では非常に投機的なユーザーが多く、また商売につなげたいと考えている人が多く、VR・SNS派閥からは少し距離を置かれている。

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NBC News:『Welcome to Decentraland, where NFTs meet a virtual world』より

※厳密にいえば、メタバースの技術とNFTの技術はまったく異なるものだ。私は個人的にNFTはネット社会の所有権を示す技術として発展していくものと予想しているが、メタバースとNFTを無理やりくっつけて成立させられるかどうかについては、現時点では半信半疑な立場を取っている。

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3DCG派閥

PCやスマホ、ゲーム機などのマルチデバイスでアクセスできるメタバース空間、今私たちが持っている端末だけで気軽にログインすることができる。

3DCGはFortniteの運営会社であるエピックゲーム社がやってきたことの流れを受けていると言ってもいい。

私はクリエイターではなく投資家の観点で3DCGを見ているので、この分野の市場調査は、まだ正直つかみどころが難しいところだ(※最近の流れとして、アメリカでは仮想空間は必ずしも3次元である必要はなく、2次元でもいいよねという流れができてきている)。

この点、メタライフのサービスは2次元空間の会議室を再現し、仕事のコミュニケーションツールとしては非常に使い勝手が良いサービスだ。

これならVRが苦手という40代・50代のシニア層も抵抗感なく使えるだろう。アバターを使ってまずはこの環境に慣れることから始めてみてほしい。


現在、Blender、Blocks、Gravity Sketchなどの専用ソフトを使ってクリエイターたちが技術を磨いている。私も色んなコンテンツを触って見ながら、気になるクリエイターさんに連絡を取ると、だいたいが10代後半~20代前半が多くて驚くことがある。

彼らは大人たちが触れていない最先端の技術をすでに習得し、とてつもないレベルのコンテンツを作る能力を持っているのだ。

メタバースを当たり前のように受け入れ、30代・40代のクリエイターたちが持っていない技術をすでに彼らは習得しており、大人顔負けのコンテンツをいとも簡単に作ってしまうことに驚きと哀愁漂う老害感を感じるシニア層は私だけではないだろう。

彼ら/彼女たちは、私たち大人が、開発してお金儲けを考えている以上に何かを作ることを楽しんでいるように感じる。彼ら/彼女はたちはお金儲けよりも、純粋に楽しいことが好きなのだ。

最近、Fortnite社がオープンソースを開放したことから、今後とんでもないアイデアを持った10代の天才プログラマーが誕生してもおかしくない。

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東京アニメ・声優&eスポーツ専門学校:『3DCGデザイナーになる方法』より

先日、IT起業家の知人から3D空間上の建築や医療分野への応用方法などのレクチャーを受けたが、こうした土地を3D空間に表示できるようになった現在では、実社会に投入する前に、AI自動運転のシミュレーションに使えたり、テロ・災害のシミュレーションなどにも応用できるのではないかと感じた。



3DCGはFortniteの運営会社であるエピックゲーム社をUIの入口として、またゲームエンジン会社のアンリアルもエピックゲーム社の関連企業であるからエピックゲーム社は完全にこの分野の最先端を走っていると言っていいだろう(つまり同社は3DCGゲームとその裏側にあるゲームエンジンの両方の分野をすでに抑えている)。

2021年、旧フェイスブック社がMETA社に社名変更し、メタバースという言葉がバズワードとして盛り上がりを見せた。

現在のメタバースはフェイスブックが乗っかって流行ったムーブメントではあるが、社名変更をして数兆円の投資を実行したMETA社でさえ、エピックゲーム社の後を必死で追っているという不思議な構図が成立している。

今のアメリカのIT起業家たちの認識では「META社に事業をバイアウトするのは何となくダサい」という共通認識が持たれていて、
あいつら商売がうまいだけだろというのがIT業界での評判だ。巨額の資金を持つ同社でさえ、この分野の事業買収に苦戦しているようだ。

同社はIT業界でのイメージが悪く、クリエイターが集まらない→
クリエイターが集まらないから優良なコンテンツが創れない、という悪循環に陥っている。結局、同社はエピックゲーム社の買収に失敗しているのだ。

なお、メタバースの分野は現時点ではマネタイズが難しく、四半期ごとに決算で評価され、株主様のご機嫌取りをしなければならない上場企業にとっては非常に相性が悪い。

その一方、エピックゲーム社のように非上場企業、また10代や20代のクリエイターのような「持たざる者」のほうがこの分野に積極的に攻めやすい状況が整っていると言える。

***

メタバースがもたらす時代の変化


時代は気づかないうちに変わってしまうものだ。

現在、
30代以上の人たちはツイッター(私は電子スラム街と呼んでいる笑)やフェイスブックのSNS、メッセンジャーツールとしてLINEをメインに使っていると思う。

これが20代になると、インスタのメッセージでやり取りを行い、メッセージアプリのLINEさえ使わない人たちが増えてきているようだ。

これが10代になると、もはやSNSは使わず、メタバースゲームのフォートナイトやマインクラフトで集まるといった感じで、私たちの世代とはコミュニケーションを取るサービスさえ大きく変化してきているのだ。

*

かつては2ちゃんねるが、テキストでやりとりするコミュニケーションのツールであり、3G回線が普及し、写真を中心とするインスタグラムがその座を奪ってきた。

さらには4Gの回線が普及しつつ現在では、動画を中心としたコンテンツ、例えばTiktock動画やYouTube動画を見ながら時間を消費することが増えてきていると思う。

私は5Gが本格的に普及する頃には、次の舞台は3DCGの世界に変わると考えている。

テクノロジーはいったん順方向に進むと以前のようにには戻れないのだ。

現在、急ピッチで開発が進んでいる3DCG技術は、やがて上記のようなコミュニケーション機能の上位互換を果たしていくのではないだろうか?

*

最近はZoomによるオンライン会議で疲れたという声をよく聞くことがある。

みなさんもVRゴーグルとは言わずとも、メタバースの2次元サービスを使い、アバターを着て仕事をしてみてはいかがだろうか? 

Zoom会議は女性であれば会議前に化粧をしなければならないだろう。もしアバターを着て仕事をすれば女性はわざわざリモートワークで会議のために化粧をしなくてもよくなる。

また、男性も女性がカメラオフにするのを気を使って、全員がカメラオフで会議をする、という滑稽なことをしなくても良くなるのだ。もはやオンライン会議に化粧は不要だ。

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展示会とMICE:「Microsoft、アバターで会議に参加できる「Mesh for Microsoft Teams」を発表」より転載

こうしたことから、アバターが仕事やメタバース空間上で生活する時間が増えると、今まで外見にコンプレックスを抱えていた人たちにとっても良い変化が起こるだろう。

今まで生い立ち、性別、国籍、肌の色、その他のコンプレックス、あるいは物理的な居住環境などに影響されて、仕事やコミュニケーションで正当に評価されていなかった人たちが活躍できる場が広がるかもしれない。

アバターは私たち自身の分身であり、それはまた、なりたい自分になれるチャンスを与えてくれるだろう。

(つづく)



メタバース社会と人工知能①~テクノロジーの歴史~


アニメーション映画『竜とそばかすの姫』はメタバース(仮想現実)をテーマとした作品で、ド田舎に暮らす女子高生が「U」というメタバース空間で世界デビューを果たし、一躍大人気スターになる物語だ。

このメタバース空間にはおよそ50億人ものユーザーがいて、ド田舎に暮らす無名の女の子がいきなりスーパースターになってしまう。

今後、インターネット回線が7G、8G(移動通信システム
)の通信環境にまで進化すれば、メタバース空間は私たちがより自然に没入できる仮想空間になるだろう。

人類の多くがメタバース空間で生活する未来。そのころにはデータの転送量が膨大になろうとも、情報処理に耐えられるテクノロジー環境が整備されているはずだ。

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先日、めずらしく早起きした私は、お昼前にVRゴーグルをかけながら、ホテルの部屋で独りでダンスを踊っていた。

ダンスに夢中だった私は、掃除のおばさんが部屋に入ってきたことに気づかずに踊り続けていた。

VRゴーグルを外すと、後ろでは掃除のおばさんがベッドシーツをせっせと取り替えていた。おばさんは振り向きながら私に言う。

掃除のおばさん:「そんなに重いものを被って踊っていたら、首がおかしくなっちゃうわよ」

私:「そうですね、首が痛くてしょうがないです。だけどこれを被ってみて、この世界とは違う世界にログインできるよ」

掃除のおばさん:「わー、これは凄い世界ね!だけどこんな大きなものを被ってまでダンスしようとは思わないわ」

***

メタバースとは?

メタバースとは、インターネット上に作られた3D(3次元)の仮想空間のことをいう。

アメリカの作家ニール・スティーヴンスンが
1992年に発刊した『スノウ・クラッシュ』というSF小説の中で初めて用いられた概念であり、「メタ(超越した概念)」+「ユニバース(宇宙)」を組み合わせた造語である。

VRゴーグルを被り、仮想現実(バーチャル・リアリティ)によって作られた世界にログインしてしまう---。

この映画で語られることになる概念は、その後に続く、キアヌ・リーヴス主演の映画『マトリックス』やスティーヴン・スピルバーグ監督の『レディ・プレーヤー』などに大きな影響を与えることになる。

*

現在このブログを書いている2023年、私が持っているVRゴーグル(Oculas Quest2, META社)は非常に重く、はっきり言って日常生活には役立たずだ。

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だけど、いずれメガネくらいのサイズになって、将来的にはコンタクトレンズくらいのサイズのものが出来上がり、
網膜に埋め込めるくらいのサイズになるのではないかと思っている。

この重くて役立たずのゴーグルは当面の間、普及は難しいだろう。そもそも、私たち人類は有史以来、メガネより重いものを頭に被って生活した歴史がないからだ。

近年、テクノロジーの発展は凄まじいものがあるが、VRゴーグルを被り続け、メタバース空間にログインして生活するライフスタイルが一般的に普及していくには、まだだいぶ時間がかかりそうだ。

***

【テクノロジーの本質とは?】

テクノロジーの本質は私たちの身体の拡張機能である。

まず、最初は手足の拡張だ。例えば剣や斧、弓矢は手の機能を拡張したものであり、サンダルや靴は足の機能を拡張したものだ。

目の拡張機能にはメガネやコンタクトレンズがあるし、耳の拡張機能としては補聴器がある。

これらのイノベーションはいつしか私たちの肉体を離れ、自転車、電車や自動車は移動手段となり、その後、人類は重力を克服し、飛行機を開発し空を飛べるようになり、今やロケットを開発し、地球から宇宙空間へ飛び出していくことになった。

メタバースという新しい技術は仮想空間を生み出し、それはやがて私たちの「聴覚」「視覚」「触覚」を拡張するイノベーションとなっていくのではないかと考えている。

また、AI技術がさらに発達し、それは「脳」の拡張機能となり、仮想現実とリンクする時、人類は新たな局面を迎えるだろう。

この時、私たちは技術的特異点(シンギュラリティ)を経験することになる。その日を迎えるのは今から約20年後、2045年あたりと言われている。

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【セカンドライフはなぜ失速したか?】

VRゴーグルを同年代の友人たちに被らせると、決まって同じような反応が返ってくる。

「これってセカンドライフの焼き直しだよね?」と(笑)

2003年にアメリカのリンデン・ラボ社がローンチした『セカンドライフ』というメタバースがある。

このサービスが失速してしまった大きな原因は、当時の通信速度の遅さだろう。膨大な人数が同時ログインするメタバース空間では、瞬間的に大量の情報を処理できなければならない。

現在のように4G、5Gのような高速通信環境がなかった2000年代初頭、仮想世界を現実世界と区別できなくなるような精巧な画面設計ができなかったのだ。

ログインしてもカクカクしてしまうような動きでは、もたついてしまい、リアリティーが感じられず、ユーザーはそこから離れて行ってしまったのだ。

時代を先取りしてしまったせいで、『セカンドライフ』はインフラにまで成長することはできず、結果として廃れてしまった。

*

【技術革新(イノベーション)はある日突然目覚める】


ちょっと想像を働かせながら、イメージしてみてほしい。

私たちは今のメタバースと同じような状況を過去にも経験したことがなかっただろうか?

携帯電話の登場


1980年代後半、携帯電話ができた頃、端末が大きすぎるし、通話料金が高いし、誰もこんなものが近い将来に普及するとは思わなかったはずだ。

この頃私はまだ保育園・小学生くらいで、せいぜい近所のお金持ちの社長さんとヤクザの親分くらいしか使っていなかった。

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Design Works「携帯電話の大きさの歴史が分かる「Mobile Evolution」」より転載

ところが1990年
後半には急速に小型化が進み、気が付けば誰もが持ち始めるようになった。そこに新たにインターネットが普及し始め、NTTドコモのiモードサービスなどが端末に接続され、いつしか携帯電話はインターネットへの玄関口になった。

こういうトレンドはある特異点(モーメンタム)に到達すると、あっという間に普及する。


さらに後年、アップル社が小型のスタイリッシュな『iPhone』を発表、故・スティーブ・ジョブズ氏がこの小型通信端末を『iPhone』と名付けたのは見事な戦略だった。

iPhone(スマホ=スマートフォン)は言うまでもなく小型パソコンである。ところが、彼は小型パソコンとすると誰も買わないことを知っていたので、携帯電話機を装って世界中にばらまいたのだ。

彼のすごかったところは、自社の
スタイリッシュなスマホ(小型PC)を持ち歩くことを恰好いいこと、さらにはファッションの一部にしてしまったことだろう。

ご存じのとおり、今やスマホは日常生活において手放せないツールになった。

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インターネットの普及

テクノロジーの普及、受け入れには、ある一定の法則があるという。

私たちは、小さい頃にすでにあったテクノロジーには寛容に受け入れる一方で、大人になってから普及したテクノロジーには疎かったり、敬遠したりする傾向がある。

今や、私たちが当たり前のように使っているインターネットだって、常時接続のADSL回線が普及したのは2003年を超えたあたりからなので、まだ普及してからたった20年しか経っていない。

当時のインターネットは何だか怪しい場所であり、せいぜい使われていたのは2チャンネルに書かれた掲示板の落書きを見たり、後ろめたいエロDVDを買ったり、出会い系サイトを使うくらいしか用途がなかった。

あの頃、10年後に
インターネットを使って、誰もが便利に買い物する時代が来るなんて誰が想像できただろうか?

多くの人たちは言った、「こんな危ないものは規制すべきだ」と。


その後、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)などの大企業が出現し、寡占的支配に危機感を覚えた国家がようやく本腰を入れ、インターネットを民主化し、後押しする動きが生まれたのだ。

私たちが日常的に使っているインターネットだって、市民権を得てからまだ10年くらいしか経っていないのだ。

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ビットコインの登場

2008年のリーマンショック(金融危機)の直後、アメリカの掲示板に「ある」ホワイトペーパーが公開された(ビットコイン:ホワイトペーパー)。

ビットコインの誕生だ。あの頃のビットコインは何となく胡散臭い印象で、一部のサイファーパンカー(国民国家からのプライバシー保護を主張する人々)が熱狂。その後、ダークウェブ上にある闇サイト『シルクロード』の基軸通貨として薬物売買や児童ポルノサイトの決済手段として使われていった。

多くの人たちは言った、「こんな危ないものは規制すべきだ」と。

まさかあのビットコインが今や何万ドルの価値を持つなんて誰が想像しただろうか?(※変動が大きすぎるため、通貨としては全く使い物にならないが、価値の保存手段としては一定の評価を得るまでになった)。

あの頃、周囲にビットコインの売買を勧めた私は、完全にヤバイ奴と思われていただろう。

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ビットコインを例に出せば、2017年のバブル相場は個人が熱狂したのに対して、2021年のバブル相場は企業や機関投資家の参加が多かった。おそらく次のバブル、-2025年頃と予想-、にはいよいよ国家が本格的に保有し始めるのではないかと考えている。

私が2013年当時、遊びで買ったビットコインは、その多くがMt.Gox(東京渋谷にあった当時世界最大のビットコイン取引所)の破綻により現在取り出せなくなっていて、今もアドレスを叩くと眠っている...(笑)

2014年、ビットコインに続いたイーサリアムはスマートコントラクト機能(自動的に契約ができる仕組み)を実装し、契約内容をブロックチェーン上に情報として記録し、契約、商取引などにも使えるように進化した。

イーサリアムが登場したあの頃に感じたこと、いずれ戸籍(住民票、婚姻証明書など)や学歴(卒業証明書)もブロックチェーン上で管理され、改ざんを防止できる技術ができるのではないか、と。

いうまでもなく国民国家が存在し続けられる本質的な理由は戸籍の管理機能を持っているからだ。もし戸籍をDAO(分散型自立組織)上で管理できる時代が来たら、国民国家は消滅するかもしれない。あの頃、この新しいテクノロジーにワクワクしていたのを思い出す。

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てThe Finance :「DAOとは?」より転載

さて、テクノロジーの普及タイミングを見ると、一部のマニアが熱狂し、次に個人に普及し、その後に企業が参入し、最後に行政が参加する。

一部のマニアが熱狂してから個人に普及するまでが3~5年、そこから企業が参入するまでに
3~5年、そこから国家・行政が参入するまでに3~5年くらいのタイムラグが生じる。

つまり、今後普及するテクノロジーのトレンド(方向性)を予想したければ、
一部のマニアが熱狂し始めた頃に参入すれば、その後のメガトレンドに乗ることができる(いわゆる先駆者・アーリーバードと呼ばれる、非常に投資リスクが高いがリターンも大きい)

これは投資家であればキャピタルゲインを狙えるし、起業家であれば、先回りして数歩先で待ち構え、商品やサービスを開発すればいい。

***

4G(移動通信システム)の驚異的な回線スピード

たしか2015年頃だったと思う、初めて4G(移動通信システム)のネット回線を使った時、そのあまりの速さに感動した。

あの頃、「これからのネット広告の主流は、テキストの文字ベースのものから動画ベースに変わる」と言われた。私は当時この技術についてピンと来なかった。ネットで動画の広告が流れるとはいったいどういうことなのだろうか?と。
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Our BLOG:「4G FOR COMPANIES, HOW TO USE IT BETTER?」より転載

数年経って、理解した頃にはもうすでに投資参入のタイミングを逃していた。結果、『YouTube』(動画投稿サイト)をはじめとする動画コンテンツが普及し、そこには動画広告が流れ始め、『YouTuber』と呼ばれるネット広告で稼ぐ新たな職業が生まれた。

その後、この流れは『TikTock』
(動画投稿サイト)に続き、今や年間で数十億円も個人で稼ぐ『TickTocker』は世間(ネット民)を騒がせている

3G環境でネットの文字広告を読み、アフィリエイトサイトをクリックしていた私は、すでに自分が30代にして老害となったことを悟った出来事でもあった。

***

【子どもたちの遊びは未来を教えてくれる】


最近の子どもたちは学校から帰ると、机に向かい、(両手が塞がらないように)ヘッドマイクを装着し、Fortnite(メタバースゲーム、米Epic社が開発)上で友人たちと会話をしながらゲーミングPCの前でゲームに没頭しているようだ。

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はじめてのゲーミングPC:「子供におすすめのゲーミングPC」より転載

私の同級生の女友だちは、子どもが学校から帰ったらさっさとゲームをやらせているらしい笑。ゲームにログインし、ダンジョンにいってアイテムを探して来て、それを転売して儲けるのだ。

私たちの世代は家に帰ると、親から「ゲームばっかりやってないで宿題を終わらせなさい」と言われたものだが、最近では「Play To Earn」といって「外に遊びに行くヒマがあったらゲームをしてお金を稼ぎなさい」と言われる子どもたちも出てきているのだ。

教育として正しいかどうかの議論はさておき、時代の変化を大いに感じる。ある意味で、彼女は最先端の教育をしているのかもしれない(笑)

また、昔はゲームは独りでプレイするものだったが、私が20歳を迎える頃にはオンラインゲームが出て来た。

たしかPS2(Play StationⅡ)だったと記憶しているのだが、『ファイナルファンタジーⅪ』からはオンラインゲームになった。
『ファイナルファンタジーⅩ』まで独りで遊ぶゲームだったため、当然ながら、私たちの世代はある種、複数人でプレイすることに抵抗感を覚えた人も多いだろう。

このあたり、今の子どもたちとオンラインゲームに対する感覚は異なる。

2020年に発売されたNintendo Switchの『あつまれ どうぶつの森』などは完全にメタバース的な要素の強いオンラインゲームであり、それは今でも人々を魅了し続けている。

*

メタバースはゲームの領域から主流になると考えている。

今、15歳くらいの中学生たちが10年後、社会に出て活躍する頃には、メタバース空間で過ごすことを当たり前のものとして受け入れることになるだろう。

間もなくインターネットの世界は5G回線が主流になる。4Gの時代とは比べ物にならないサービスが普及するはずだ。

それは私たちが想像するよりも早く特異点(モーメンタム)は訪れ、私たち大人も来るべき時代に備える必要があるだろう。

(つづく)


迷ったら一歩前へ!


後悔の本質は過去を変えたいと願う気持ちだ。

多くの人たちは人生の最後にこうぼやくのだそうだ。

「ああ、あの時にやっておけば良かった」、と。

「してしまったこと」を悔やむよりも、「したかったのにしなかったこと」のほうが悔やみは大きいだろう。


やらなかった後悔をしないように、何事もとにかくやってみたほうがいい。

迷ったらワクワクする方を選択しよう。

チャンスがまわってきたら、ためらわずにトライしてみよう。

迷ったら一歩前へ

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***

私は一日の終わりに目を閉じて、眠りにつく前に自分自身にこう問いかける。

「今日は自分らしく生きることができただろうか?」

今日は失敗を恐れずに何かに挑戦することができただろうか?」

お金や地位や名誉、そんなものよりも
ブレない価値観こそ、人生において大切なことだと思う。

今日が人生の最後の日だったとしたら、あなたは何をするだろう?

美味しいものをたくさん食べる?

思い切って好きだったあの人に想いを伝える?

これまでずっと行きたかった場所に行ってみる?

それとも、溜まっている仕事を一気に全部終わらせる?

残念ながら人生最後の日なんて誰にもわからない。

だから、その日その日を全力で楽しんだほうがいい。

過去も未来も幻想でしかない、すべては今の積み重ねなのだから。

やりたいことは今すぐにやったほうがいい。


***

かつて臨死体験をした私は、遠ざかる意識の中で幻を見たことがある。



急性大腸炎を発症し、意識不明で病院に運ばれたあの日。

43.1℃の超高熱、2分30秒にわたる心肺停止状態、その時、私の意識はこの現実世界ではない別世界を彷徨い、これまでの人生の1コマ
1コマが走馬灯のように映し出されていく映像を脳内に描写していた。
走馬灯

映像が終わると、私の意識は光さえも飲み込むような漆黒の闇の中に引きづり込まれそうになった。

あの時、臨死状態だった私は、たしかに自らの強い意思で暗闇から遠ざかり、その結果、間一髪でこの世界に戻って来ることができた。

その時に感じたこと、『人間は強く願うことによって運命さえも変えることができる』ということだ。

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目が覚めて意識が戻った3日後。

それからの私は、いつ最後の瞬間が来ても後悔しないように全力で生きようと決意した。

私たち人間にとって将来、必ず約束された通過儀礼のひとつに「死」がある。

あなたは、人生の最後に必ず、私がかつて体験したことと同じ
体験をするだろう。

走馬灯のように映し出されていく映像、より多くの経験をしたほうが最後に自分自身を振り返る時、きっとそれは充実した物語になるだろう。

***

今この瞬間を精一杯楽しめ!

明日のことを考えすぎるな、すべては今の積み重ねに過ぎない。

今を楽しめない人間が、明日を楽しめるわけがないのだ。

***

「できる」、「できない」で物事を考えるのはもったいない。

結果はともかく、生きている間に多くの経験をしたほうがいい。

そのほうが人生最後の瞬間は、きっと充実したものになるはずだからだ。

「今日は自分らしく生きることができただろうか?」

今日は失敗を恐れずに何かに挑戦することができただろうか?」

判断に迷った時は、この言葉を思い出してほしい。

迷ったら一歩前へ!

効率化のワナ


私は時間を無駄にするのが大嫌いな性格だ。

今日も陽は昇り、沈んで行く。

人生はたった80年しかない、私たちが人生を楽しめる時間はせいぜい4,000週間くらいだ。

私が私でいられる時間はとても限られている。

残りの人生、何をして楽しもうか。

***

【丼ぶりと定食】

あなたは今、お腹が空いている。

食堂に入り、メニューを開くと
ぶりと定食が並んでいる。

みなさんはどちらを選ぶだろうか?

定食を注文すると、ご飯と味噌汁、お豆腐、漬物、そしてサバの塩焼きや焼肉がお盆に乗って運ばれてくる。なかなか豪華な見た目だ。

まず、あなたは少しお茶を飲んで箸を持つ、おっとお豆腐に醤油をかけようか。

そしたら行儀よく茶椀を持っておかずをつかみ、箸を移動して口に入れる。

おいしい、いい味だ。そしてあなたはすかさず
箸を移動してご飯をつかむ。

ご飯をつかんだら、また箸を移動して口に入れる。

マジでどうでもいい話だが、定食を頼むとやたらと無駄が多い...笑

箸を移動させておかずをつかむのに1秒、箸を移動させて口に戻すのに1秒。

箸を移動させてご飯をつかむのにさらに1秒、箸を移動させて口に戻すのにさらに1秒。

腕を動かして食べ物を取るたびに箸を移動させるのが面倒だ。

一方で丼ぶりはどうだろう?

丼ぶりは文字通り、ご飯の上におかずが乗っていて効率的だ。

箸をいちいち移動させずに、一度におかずとご飯を同時に食べることができるからだ。

何と合理的な食べ方だろうか、
私は迷わず丼ぶりを選ぶ。

昔、お金がない学生の頃、本当は定食が食べたいのに、丼ぶりとの差額わずか50円がもったいなくて食べることができなかった。

社会人になって仕事をするようになって、
今度は箸を移動する時間がもったいなくて、私は結局丼ぶりを食べるという選択肢に至った。

1秒でも早く食べ終えて、さっさと仕事に戻りたいのだ。

今でも定食をゆっくり食べている人を見ると、優雅な人生だなぁと羨ましくなる。

きっと、お金も時間もゆったりとした感覚で楽しめる人なのだろう。

***

【超効率的仕事術】

中学生か高校生くらいだったと思う。

初めて買ったパソコンがIBM社のThink Padだった。今は中国のLenovo社にブランドごと売却されてしまったが、私はThink Pad一筋で、今でもノートPCもデスクトップPCも同メーカーの商品を使い続けている。

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Think Padのいいところは人差し指で真ん中の赤いボタンをマウス代わりに使えるので、いちいち右手をマウスに持ち替えてスクロールする手間が省けるところだ。

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右手をマウスに持ち替えるのに1秒、キーボードに戻るのに1秒。

ノートPCはともかく、デスクトップPCで仕事をするときは、わざわざスクロールのたびに右手をマウスに持ち替える必要があるため、時間効率が非常に悪い。

その点、Think Padの赤いボタンは効率的で、私にとってはなくてはならない存在なのだ。

1分1秒を争うビジネスの世界、資本主義は「より早く
」「より遠くへ!」が求められるシビアな世界だ

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私が1日でもっとも長くいる場所はパソコンデスクの前であり、キーボードは私にとって最も長い時間を過ごすパートナーである。

したがって、最も効率のよい相棒を選ぶのは当然のことである。

***

【漁師とコンサルタント】

人生にとって最も大切なものは時間である。

お金は失っても取り戻せるが、時間は一度失ったら取り戻すことはできない。

その意味で、私は時間の金持ち、
時間の貧乏という概念があっても良いと思う。

仕事に追われれば追われるほど、何か大切なものを見失ってしまうような気がする。

『漁師とコンサルタント』という、何とも面白いジョークがある。

資本主義を強烈に皮肉った話でとても面白い。

メキシコの海岸沿いの小さな村に、MBAをもつアメリカのコンサルタントが訪れた。ある漁師の船を見ると活きのいい魚が獲れている。

コンサルタントは聞いた。「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」

「そうだな、数時間ってとこだな。」


「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」


妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。

それを聞いてコンサルタントはさらに質問をした。「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」

漁師は聞き返した。「どうして?」と。


「もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くの金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益がでる。」


「それで?」と漁師は聴く。


コンサルタントは答える。「次は都市のレストランに直接納入しよう。さらに大きな利益がうまれる。そうしたら、この小さな村から出て、メキシコシティに行く。その後はニューヨークに行って、企業組織を運営すればいいんだよ。」


「そのあとはどうするんだ?」漁師はさらに聞いた。


コンサルタントは満面の笑みでこう答えた。「そこからが最高だ。企業をIPOさせて巨万の富を手に入れるんだ。」


「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」と漁師は最後に質問した。


「そしたら悠々とリタイヤさ。
小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびりシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ。

漁師はため息をつき、やれやれ、という顔で一言を付け加えた。

「・・・・そんな生活なら、もう手に入れているじゃないか。」


『漁師とコンサルタント』より
***

【効率化のワナ】

丼ぶりと定食のメニューが並んでいれば迷わず丼ぶりを選ぶ、その理由は1秒でも早く食べ終えて、仕事に戻ることだった。

仕事に戻ったら戻ったで、業務を極限まで効率化する。
人間がこれまで苦手としてきた継続・反復といった事務作業をすべて自動化すれば仕事の業務効率は飛躍的に向上する。

今まで8時間かかっていた作業を1時間でできれば、8時間労働であれば8倍の仕事をこなせるようになるわけだ。

しかし、実際に私が体験したのは真逆の結果だった。



仕事を効率化し、極限まで最適化するとたしかに仕事そのものは減る。

問題はここからで、空いた時間のリソースを使って別の仕事を始めると、かえって仕事が増えることになる。

たしかに、8時間かかる仕事を1時間に短縮できたものの、空いたリソースを使って別の仕事をすると、延々と仕事量が増えてしまうのだ。

これでは収入は増えるが、人生にとって大切なことを失ってしまう。そう、時間だ。

漁師とコンサルタントの話のオチではないが、すでにそれなりに理想とする生活を手に入れている場合、効率化によって空いた時間は、むしろ「無駄」を楽しむことに人生の時間を使ったほうが良い人生になるのだろう。

効率化の本質とは「無駄」を楽しむためのものである、という結論だ。

そう、空いた時間は
「無駄」を楽しむために使おう。そのほうが人生は優雅なものになるはずだ。

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こうして今日も、Think Padのキーボードを叩きながらブログを更新している。

効率化した時間を使って、今日こそは
優雅に定食を食べに行こう。

排泄欲求


もう何年も前の話だ。美容院でたまたま手に取った女性雑誌を読んでいたら、最後のページにストレス解消用の「壺」という恐るべき商品の広告ページが載っていた。

壺...。

その壺はどうやら大声で叫んでも外に声が漏れないらしい。疲れた
OLさんが一人暮らしの小さな部屋で思いっきり叫んでいる写真が載っていた。広告を読む限り、その商品はどうやら最近の売れ筋商品らしい。

「ア゛ーーー、ウォア~
、アヒャヒャヒャヒャヒャキャッキャッキャッキャッキャッキャッ、ウヒャーーーヒャッヒャヒャヒャヒャ

はじめに一言だけ言いたい、あなたは誰かと違っていい。

人目を気にして生きていてもつまらん、人生は楽しまないと(笑)

しかしその一方で、私たち人間は集団で生きる特性を持った動物であり、理性によって本能をコントロールすることが求められている。

社会の中で自らの存在を調和させ、本音を吐き出せない苦しみ、それは人類にとって永遠に解決できない根の深い問題である。

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(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【水分の入れ替え作業】

日が暮れて星たちが空に輝き始める頃、バーやクラブには人がたくさん集まり、みんな顔を赤くしながら楽しそうにお酒を飲んで、そして体を動かして踊る。

お酒を飲むとトイレに行きたくなるし、ダンスフロアで踊ると汗をかく。そして私たちは水分補給のために水やお湯を飲んでホっとする。

私たちの人体は100兆個を超える細胞から成り立っており、体重の約65パーセントを占める水分の約3分の2は、この細胞内に存在している。

こうして考えると、私たちの体内から容赦なく水分を奪っていくアルコールは非常に危険なドラッグだ私たちは、体内から水分を失ってしまうと、すなわちそれは『死』を意味する。私たちの生体機能は水なしで存続することはできないからだ。

あんな危険な液体を飲む人間の気が知れない、と思いながらビールを片手に今このブログを書いている私とはいったい何なのだろうか(笑)

(゚∀゚)

人間という生き物を客観的に分析すると、みんな無意識に水分の入れ替えを行っているように思う。

お酒を飲むと、私たちの体内からは水分が失われる。トイレに行って戻ってくると、あのなんとも言えない排泄欲が満たされた快感を覚える。

みなさんは飲み過ぎて吐いた経験はあるだろうか?口の奥まで指を突っ込んで一度吐き方をコントロールできるようになると、また違った快感を覚えるかもしれない。あれはあれで慣れると気持ちがいいもんだ。上の口からシャー、シャー。下の口からシャー、シャー。

お酒を飲むという行為は、本質的には排泄欲を満たすための手段である。体内によどんだ水分を強制的に体外へ放出し、帰りがけにお湯を飲んで新しい水分を体内に取り入れる。

みんなトイレに行って排泄を楽しむためにお酒を飲んでいるのか、それともお酒そのものを楽しんでいるのだろうか。

謎だ...。

サウナも同じようなものだ。本質的には汗をかくことで体内によどんだ水分を強制的に対外へ放出し、水風呂に飛び込む。その後、水を飲んで新しい水分を体内に取り入れると、気分がスッキリする。

みんなサウナに行って排泄を楽しむために汗をかいて喜んでいるのか、それともサウナそのものを純粋に楽しんでいるのだろうか。

謎だ...。

もちろん過程を楽しむ人もいれば、結果を楽しむ人もいるだろう。それは性癖の違いなので個人の嗜好の自由を尊重することにしよう(笑)

排泄、
排泄、排泄、、、この世界は今日も排泄欲に満ちている。

病める子羊たちの魂の叫び声がモニター越しに聞こえる...。

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叫び (エドヴァルド・ムンク) Wikipedia より転載

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【私たちの深層心理は排泄欲によって成り立っている】

マズローによれば生命の第一欲求とは
3つあり、すなわちそれは『食欲』『性欲』『睡眠欲』で構成されているとされる。


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マズローの欲求5段階説  「HRドクター」 より転載

これらは思考レベルを掘り下げて因数分解しながら、1つ1つ重ねていくと、結局は体外への排泄欲を満たす行為という共通点が透かし絵のように浮かび上がる。

★『食欲』

私たち人間は、動物や物から必要な栄養素を体内に補給して、それ以外の余分な部分を排出するように設計されているらしい。

私たちは美味しい食事を注文し、
食べた後にトイレに行って排泄をする。排泄する瞬間は気持ちがいいものだ。

『性欲』

セックスの時に射精をする、男性の本能にとって最高に意識レベルが頂点に達する瞬間だ。私たちの生存欲求であるDNA(自分のコピー細胞)はつまるところ、やはり水分で成り立っている。

男性の生存欲求である凝縮された水分の塊は、女性の
凝縮された水分の集まる場所を求めて、今日も絶え間なく排泄の機会を伺いながら彷徨い続けている。

女性は女性で、出産する瞬間は生命として究極の
排泄欲求が満たされるのだそうだ。私は男性なので、本当かどうか確かめようがないが、ある種の悟りの境地に達して、自らの生命としての役割をひとまず終えたような解脱感を覚えるらしい。

『睡眠欲』

人間は寝るときにかなりの量の汗をかくらしい。だから寝る前には、水を一杯飲んでから寝るのが健康にいいらしい。目が覚めると再起動された体内からは余分な水分が汗として老廃物と一緒に放出され、あなたは気分よく起きられるかもしれない。


こうして考えてみると、私たちの脳は無意識に、体内の水分を入れ替えようとしているのだろうか?

(゚∀゚)

ひとつ、まったくお金のかからない排泄欲求を満たす方法を教えよう。ちなみにオナニーではない笑

まず、息を吐く。次に、鼻から息を深く吸って肺にためる。最後に、しばらく経ってから口から一気に出し切る。

そう、深呼吸だ。人体の7割近くが水分(つまり水素と酸素)で成り立っているのだから、毎日時間を決めて体内の換気をしよう。

私も酸欠になりそうなほど毎日キーボードを叩いて仕事(生活?)をしている。To Doリストに全部チェックがついた瞬間の達成感、社会的責任から解放された瞬間の深呼吸は最高の贅沢だ。だから今日も私はハードワークを続ける。たぶんこれが死ぬまで続くのだろう。

手軽にできるので、ぜひ生活の中に取り入れてみてほしい。体内の空気の総入れ替えをすると、気分がスッキリしてあなたの排泄欲求が満たされるだろう。


(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【排泄欲求の上位互換】

自己顕示欲や承認欲求、あるいは自己実現欲求など、本能の上位互換に位置するこれらの欲求もまたその本質は排泄欲求だと思う

少しばかりお金を持つと、多くのヒトたちは少しずつ贅沢を覚え始める。

みなさんはブランドショップの前に行列ができて、人がたくさん並んでいる光景を見たことがあるだろうか?

シャネル、ヴィトン、グッチ、、、どういうわけか人の名前の入った布の塊を買うために店に並ぶ光景が浮かぶ。

物質的豊かさを満たすことによって集団幻想に酔いしれ、自己顕示欲を満たす人々の群れ。

あの光景はマジで謎だ、ある意味で排泄欲求の進化バージョンともいえる。

すべてがむなしいことよ。
風を追うようなものだ。
(「コヘレトの言葉」第2章・10節)

交換価値から始まったお金は、現代社会においては
「物質面」を満たすための手段として用いられ、今日も多くのヒトたちの排泄欲を満たし続けているようだ。

しかし、物質的豊かさによって排泄欲求を満たしたことで作り出した光(自己欺瞞)は、同時に心の中に闇を創造する。

少しばかりお金を持つと、ほとんどの人がやることはワンパターンだ。

時計、車、海外旅行、ブランド品から始まり、愛人、酒、ドラッグまで...。

もしかしたらずっと昔を生きていた縄文人たちは高床式倉庫を派手にリフォームしたり、弥生人たちはブランド品の土偶を買い漁ることによって承認欲求や自己顕示欲求を満たしていたのだろうか。

仕事柄、莫大な資産を手に入れた富裕層たち、名声を得て活躍する有名人や著名人と身近に接してきて感じたことは、人間の本質は何も
変わらないということだ。結局のところ、人間は究極的に-、最後は同じ末路を辿る。

「あらゆるものを手に入れるための富や名声を手に入れた。だけどなぜか心が満たされない。この感情をどう処理していいかわからない。苦しい、どうか私の話を、、、聞いてください。」

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【仮面の裏側】


時として、人は自分が誰だかわからなくなることがある。

そんな時は交番に行ってお巡りさんに聞いてみたらいい。

「私は誰ですか?」と。

親切なお巡りさんは困惑しながらも、こう答えるかもしれない。

「あなたはもしかしたら、、、病院に行ったほうがいいかもしれませんね」

***

日々、多くの方々と話をする。私は時々、不思議な錯覚に陥ることがある。

例えば、「社長」と言われる人は一般的に社会的地位が高く、社員や秘書の方、あるいは取引先から「社長」と持ち上げられる。オーナー経営者であればお金も持っているし、何不自由なく暮らしているはずだ。

私は耳元で囁く、「社長やオーナーというのはあくまでも社会の中で演じる役割であって、それはあなた自身ではないですよ」と。

*

例えば、著名人はそれなりの数のファンがいる。私は絶対になりたくない職業だが、街を歩いていると話しかけられるし、破廉恥騒ぎを起こすとニュースになるし、なかなか大変そうだということが伝わってくる。

私は耳元で囁く、「あなたが悩んでいることは、画面の前で演じる役割がプライベートに拡大していることによって、好感度を落とさないために演技し続けなければならないことであって、それは本来のあなた自身の問題ではないですよ」と。

*

例えば、クラブやコンパで隣の席に座った女の子と話をする。自己紹介で彼女に尋ねる。「あなたは誰ですか?」と。彼女はだいたい自分の名前を言い、何の職業をしているかを答える。

私は耳元で囁く、「あなたの名前は人間社会において国民国家があなたを識別するためのタグに過ぎず、あなたの職業もまた社会での帰属を説明しているにすぎず、それはあなた自身ではないですよ」と。

*

私がどんどん質問を深堀りしていくと、みんな頭の中が混乱するかドン引きしてしまうのだが(笑)、みんな仮面を外した本当の自分が何者であって、自分がこの果てしない宇宙空間にある小さな銀河系に帰属する、太陽を周回する第三惑星を覆っている海面から少しばかり顔を出した陸地の上に生息する生命体に宿った「あなたがあなたである」という意識が何か?を言語化して私に説明(排泄)することができず、多くの場合は戸惑い、そして苦しむ。

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私の経験上、あなたの意識が生み出した「あなた」という概念は多くの場合、
人間社会で演じる役割について話しているに過ぎず、あなたが本当は「自分自身が誰か?」という排出欲を処理できずに苦しんでいることが多い。

(ミナサーン、ツイテコレテマスカーーー笑)

(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャヒャ

現代社会はひと昔前に比べて豊かな社会になったという。そして豊かさを手に入れた人類は物質的な豊かさを求め、その代償として精神的な豊かさ、ひいては自分自身を失いつつあるように思う。

裏を返せば、人間の生命の欲求として定義される『排泄欲』とは、人間社会の抱える闇そのものといってもよいだろう。

社会全体は豊かになったはずなのに、どういうわけか豊かになったはずの社会が辿る結末はといえば、多くの精神疾患を抱える人たちが、十分に排泄処理ができずにもがき苦しむ世界である。

(ボクデヨケレバ、アナタノオナヤミヲオキキシマスヨ

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【心の闇】

光が大きくなると、同時に闇も大きくなる。

想像してみてほしい、自分に光が当たると、自分の影ができる。

私たちは自分の影を隠すことはできない。

そして、私たちはその
影から逃れることはできないのだ。

いつまでも、
どこまでも追いかけてくる...。

私たちの心の中には少なからず闇(ダークサイド)が存在している。みんな本当の自分を出せずに苦しんでいる。
これはおそらく人類が誕生した時からの宿命だろう。

人間の脳内に存在するこの『闇』というアプリケーションは非常に厄介で、神が人間を設計した時にどうしても取り除けなかったソフトウェアのバグのようなものだろう。だから、手に負えずに中途半端な状態で人間のコンパイルボタンを押したに違いない(笑)

闇は私たちの住むこの次元に存在する、あらゆるものを包み込む、文字通り神聖不可侵(アンタッチャブル)な存在なのだ。

私たちは束の間の光を楽しむ、そして同時に光は闇の中に存在する---。

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【職業病の苦しみ】

我ながらミラクルな性癖だが、私は昔から人の闇の部分を覗くのが好きだ。

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仕事柄、多くの人々の個人情報を管理し、あらゆる闇までも墓場まで持っていくプロフェッショナルとして、かろうじて社会の一員としての居場所を確保している。

これが正常な精神状態で唯一、私が私として人間社会に存在できる唯一の私の居場所だ。私はおそらく仕事をすることによって、無意識に自らの性癖を満たしているのだろう。

自分だけが知り得た、自分以外の生命体に内在する意識の裏側(ダークサイド)、意識の排泄物として吐き出される、終わりなき螺旋階段を這いずりまわる不協和音の轟く狂気の旋律。

私はそれらを飲み込み、私自身のダークサイドを広げ、ブラックホールを育んでいる。

闇という究極の個人情報を知りえた「優越感」に浸り、それと同時にそれを墓場まで持って行かなければならないという無常の「苦しみ」もまた、そこに内在する。

それは言葉にできないほど私の支配・征服欲を満たし、また同時に排泄が決して許されない究極の苦しみを味わう瞬間でもある。

誰かが苦しみから解放されて、解脱感に満ちた、排泄欲が満たされた何とも言えない顔の表情が好きだ。それと引き換えとなる私が受ける代償は決して小さくはないが。

私はおそらく究極のドSであり、また同時に究極のドMだろう。あの、支配・征服欲が満たされると同時に、排泄が絶対に許されずにもがき続ける感覚がたまらないのだ(笑)

これは職業病を通り越して、もはや狂気の沙汰でもある。

時々、仕事を引退しないのか?と聞かれて回答に戸惑うことがある。あえて言えば、エネルギーを消化できる場所がなくなると、自分の余剰エネルギーがおかしな方向に行ってしまい、何をしでかすかわからないというのが本音だ。

私は誰かの闇を吸い込み、それをエネルギーに変換して快楽を覚えるアブノーマルな生き物だという自覚がある。何度も悩み、苦しみながらも自分のエネルギーを、社会にとってより良い方向に使えるように理性でコントロールしているのだ。

ひとたび私のブラックホールに入りこんでしまった者は誰であれ、容易に抜け出すことはできない。

だから、社会的マナーとして、私は事前に自分がナチュラルに相当ヤバイ奴だと伝えてから相手と話すよう心掛けている。そうしないと、私はあなたを無意識にブラックホールに引きづり込んでしまうかもしれない。

(ヒトヤモノニイゾンシタラ、アナタハムイシキニシハイサレル)

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【排泄欲求を満たす者は全てを征する】

今や私たちの生活のほとんどはインターネットにつながり、私たちはパソコンやスマホを使って常にオンライン接続の環境で生活するようになった。

それは、オンラインとオフラインが同時に存在する二重世界(パラレルワールド)であり、自分が演じるべき自分と、本来の自分そのものの境界線が失われつつあるということを意味する。

インターネットがまだ普及していなかった時代、学校や仕事が終わると、自分の部屋の鍵をかければ本来の自分に戻れる時間が今よりももっとたくさんあったように思う。今では、部屋の鍵をかけても、時々聞こえる電子音で、私たちはまた仮面を被った姿を演じなければならない。

オンラインとオフラインを交互に行き来すると、当然ながら脳に異常な負荷がかかってしまい、処理ができなくなる。処理ができなくなると、あなたの脳はフリーズする。フリーズしたら再起動(睡眠)して、また二重世界に戻って脳に負荷をかける。

この状態を長く続けると、脳が処理しきれない状態となり、処理しきれなかったものは脳内のゴミとなって、やがてゴミどおしが結合して膨大なエネルギーを発生させ、ブラックホールを形成していく。

現代を生きる私たちは、慢性的に脳の排泄処理が追いついていないような状況に陥ってしまっているように感じる。

この20数年間のインターネットの歴史を見てきて思ったことは、社会全体が疑似的な多重人格障害に陥ってしまい、下水道にヘドロが溜まり、排水がうまくできずに、心の中で負の洪水が起きているような状況のように見える。

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時々、変な新興宗教やマルチ商法にハマってしまう人、わけのわからない情報商材を買って満足したり、詐欺被害に遭う人の心理状態について調べることがある。

そこで見えてきた共通点は、それらのドラマ(舞台装置)が、どれも言葉巧みに人々の闇に訴え、闇を吐き出させるように設計されているということだ。

これらは今に始まったことではないが、
大都市が巨大なスラム街を擁するのと同じように-、一定数のヒトたちはこうした方法で闇の排泄処理をして、一種の精神的安定を維持し続けているのかもしれない。

裏を返せば、「排泄欲求を征する者は、誰かの肉体や精神までもコントロールできてしまう」ともいえる。ヒトやモノに依存しすぎてしまうのは非常に危険だ。

世の中にはたくさんのトラップ(闇の排泄方法)が仕掛けてある。うっかり変なものに引きづりこまれて意識を持っていかれないように...。

ちなみに、、、私は今日もブログに苦しみを書き出しながら、
電子空間上にゴミを排泄し、下水道の掃除をしている。

自らの意識を正常に保つために。。。

排泄方法は人によって違う、みんな自分なりの方法を模索しながら正気を保ってくれ(笑)

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【誰かは誰かの変態である】

子どもの頃、夢中になって夜更かしをしながらゲームをしたり、寝そべって漫画を読んだり、女性であればおままごとをしたり、我を忘れて何かに没頭したこと経験はみんな少なからずあったと思う。

まるで自分の意識がどこか遠くに持っていかれたような感覚に陥り、そこには時間という概念はなく、ただ我を忘れて夢中になる。そういったものを大人になった今でも、自分の意識の中に持ち続けられている人はとても幸せなことだと思う。

あなたがあなたであるという自我を失い、夢中になって何かをしている時、おそらくそれが人間にとっての一番幸せな瞬間だろう。

あなたにとっての「それ」はいったい何だろうか?

あなたは人と違っていい。

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今まで多くの方々の悩みや相談に乗ってきて感じたことは、人はそれぞれ独自の感性があり、排泄欲の形があるということだ。

なかにはミラクルな方法で排泄欲を満たす人もいる。残念ながら、あなたが居住している国家が法律として禁止されていることが最も至高の排泄欲になっている方は少し可哀そうに思う。

無意識にコンビニで万引きをして逮捕されてしまったり、児童ポルノやアブノーマルなセックスなどの性的嗜好、危険ドラッグの常用など、国民国家の枠組みや人道的な理由で規制されている場合、自分の理性で本能をコントロールしながら、自分自身の意識の深層レベルで納得できるまで自問自答を繰り返し、また誰かに悩みを聞いてもらい、別の疑似的な方法を探して解決するしかない。

こういった特殊な嗜好によってのみ、心の底から排泄欲を満たすことができない場合、それは少し可哀そうだ。同情できないという人のほうが多いと思うが、本人にとってはそれが苦しみでもあるのだ。

これこそが、群れとして集団生活するように進化を遂げた人間社会の抱える闇として、最も解決が難しい人類最大の永遠の課題でもある。

誰かは誰かの変態だ。これは人類という高度な知能を持った生き物が永遠に苦しみ続ける宿命でもある。

(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

【究極の排泄行為とは?】

2004年、春のことだったと思う。

私は急性大腸炎を発症し、高熱を出して電車の中で意識を失ったことがある(らしい)。目が覚めて意識が戻ったのが3日後で、それまでの間、自分の体から意識が抜けるという不思議な体験をした。いわゆる精神医学でいう体外離脱(幽体離脱)と呼ばれる症状らしい。

意識が戻り、後で医師や看護婦さんから聞いた話では、43.1℃という超高熱状態で、心拍数が低下し、呼びかけても意識がなかったらしい。

(※ちなみに人体は42℃を超えると数時間以内に死亡する確率が上がる。身体を構成するたんぱく質の中には、42℃を超えると熱凝固し、物理的に生存できなくなるらしい。だから一般的な体温計には42℃までしか測定できなくなっているそうだ)。

興味深いのはあの日、今まで蓄積してきた自らのエネルギーが解放され、意識を対外へ放出するという究極の排泄行為を経験したことだ。

たしかに私には自分が自分であるという意識(記憶)がしっかりとあって、自分の意識があるのにも関わらず、そこには寝ている自分がいて、それを見ている自分がいた。

「うわー、なんじゃこりゃ!?」


意識は最後には肉体と分離するらしい。

そして肉体から切り離された意識は、どこにでも行くことができる。

この物理的な空間、ひいては時空を超えて。

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ここで、私の意識の中に知的好奇心が芽生えた。

意識は光より早い、過去に行ってみたい。ものすごいスピードで過去の幻影が脳裏に映し出され、やがて生まれた瞬間まで戻った。

その先に行くと、水の音がした。おそらくお母さんのお腹の中だろう。ということはこの時点から実は意識というものは存在していたのだなぁと思ったのをよく覚えている。

意識とは記憶の連続保管機能であると仮定すれば、実は私たちは自我が芽生える前の意識を忘れているだけなのかもしれない(ちなみにそれまでの私は、胎児だった頃の記憶は全くないし、今もない)。

その時の光景を少し遠くから眺めてみると、母親がお腹を抱えてしんどそうにしながら、買い物に行く途中に近所のベンチに座っていた。あー、これは大変そうだ。戻ったら親にはもっと感謝しないといけないなぁ。

「...?」

さらに知的好奇心は尽きない。

ということは意識って実はもっと前にあったのだろうか?そう思い、もっと前に戻ってみるとその先は光のない漆黒の暗闇だった(当たり前だが、意識が誕生する瞬間をこの意識では確認できない)。もっと先(時間軸でいう「それ以前」)が存在していたのだろうか?それとも向こう側にはまた別の意識があるのだろうか?

うーん、もし始まりの前に戻ってしまったら、今通ってきた元の場所に戻ってこれないかもしれない。戻ってこれなかったら、そもそも今存在しているこの意識がはじめから存在しなかったことになるかもしれない。

そうなると、そこに寝ている自分が自分ではなくなってしまうし、もしかしたら存在できないことになってしまう。もしこれ以上先に行ってしまうと(前に戻ってしまうと)、過去を変えることができてしまうので、今度はベッドに寝ている私が消えてしまい、意識が戻る場所がなくなる。

いやいや、それは困る(笑)

この先に行くか、自分の体に戻るか。

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究極の二者択一に迫られ、私は結局、戻ることを選択し、自分の人体に戻った。戻れないと困るので。

不思議だ、もしあの時、あれ以上前に進んでいたら(意識の存在する以前に戻っていたら)、私という存在、つまり帰り道が今度は暗闇になって進めなくなって(戻れなくなって)しまっていたかもしれない。

それとも、帰り道が複数に分岐していたのだろうか。

まぁ、、、深く考えてもあれはおそらく、、、全部夢だったのだろう。

(今となっては無理だけど、あの時誰かの肉体に入り込めるか試してみればよかった。そもそもこんな状態になることを想定して生きていないのでそんなアイデアを思いつかなかった笑)


非科学的な現象を一切信じない現実主義者の私にとって、今でもあの感覚は言葉でうまく説明ができない、あれは一体何だったんだろうか、と。

正直なところ、それは3次元でいう上下左右の感覚がなく、時間の感覚もなく、フワフワしてとても気持ちがよかった。

宇宙もビッグバンの強烈な爆発エネルギーから誕生したと言われる。宇宙の誕生前に戻るとどうなるか?という思考実験と、おそらく本質は同じことだ。その前の時間軸に戻って過去を書き換えてしまうと、現在への帰り道がなくなってしまうかもしれない。

私が目覚めた時に悟ったこと。生きることは決して楽ではないが、その分、最後に究極の排泄を行うときは最高に気持ちいいらしいと。なかなかアブノーマルな思考だ(笑)

ただ、誤解しないで欲しいのは、決して死を選択することを勧めているわけではなくて、生に対して私なりの肯定表現だと捉えてほしい。

人生は山あり谷あり、何事も変動があったほうが楽しい。

人生とは死ぬまでのヒマつぶしだ。私はそれ以降、生きる意味を模索し、自分が没頭できるものを探し、生きているかぎりエネルギーを最大化させようと考えた。

その分、最後は究極の排泄欲が満たされるに違いないと感じたからだ。

あの先に何があったのかは、本当に「その瞬間」が来たときに経験できるかもしれない。ただ、このブログに書いて共有できないのが残念だ。だって、本当に行ってしまったら、私はもうここには戻って来れないのだから。

死は最高に気持ちいい(かもしれない)、一方で生きることは苦しみの連続でもある。

しかし「死」という究極の排泄行為を最高のものにしたいならば、私たちは「生」を全力で楽しむほうがいい。

物理法則と一緒で、「生」と「死」は振り子の大きさに比例する。一方に力強くひいたバネは、他方に同等のエネルギーをもたらす。

今、私たちが生きているこの瞬間、私たちは無意識に呼吸をし、酸素を吸って二酸化炭素を放出している。水の惑星に生まれた私たちにとって、空気とはなんてすばらしい共有財産なのだろうか。

私はあの日からそれまでの欲深さや執着心がなくなり、自分を認識して存在していること以上に多くを求めなくなったように思う。

毎日、笑ったり泣いたり、時には落ち込んだり、、、私たち人間に感情があるのは、最後の瞬間の恐怖感覚を麻痺させるために、少しずつ体に覚えさせる練習をしているのかもしれない。

(゚∀゚)

マズローは5段階の欲求階層の上に「自己超越」の段階があるとした。

それは、"
目的の遂行・達成のみを純粋に求める" という精神の領域を指し、それは見返りを求めず、自我を忘れてただ目的のみに没頭することを言うのだそうだ。

自分らしく生きること、それは究極の排泄欲なのかもしれない。

「過去」を振り返っても後悔しかないし、「未来」のことを考えても不安しかない。

だけど、実は過去も未来もなく、すべては「今」の連続に過ぎないのだ。

「今」という瞬間を全力で生きること、これこそが生きている私たちが体感できる究極の排泄行為なのかもしれない。

こうして私は今日も苦しみながらも排泄行為を楽しむ。

(゚∀゚)

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プロレタリア2.0


いたずら好きのトム・ソーヤ少年は、ある夏の日、母親代わりのポリーおばさんから罰として課せられた命令で塀のペンキ塗りをしなければならないことになった。

その塀は長さがなんと30メートル近くもあって、子ども一人で塗るのは大変な重労働だ。夏の盛りだというのに河に泳ぎには行けず、1日中、トムは炎天下で汗水垂らしてハケを動かし続けなければならない。

そこへ友だちがやってくると、トムは一計を案じてペンキ塗りがいかにも楽しい仕事であるかのように振る舞い、もったいらしくハケを運び、一歩下がってはその成果を眺め、仕事に集中しているふりをした。

それを見ていた友人たちも次第に興味を惹かれ、ついにたまらなくなって声をかける。

「おいトム、僕にも少しやらせてくれないか?」

トムはいろいろともったいをつけながら、ペンキ塗りがいかに難しい仕事であることを説明すると、友人たちはますますその仕事がしたくなって、ついにはボールやリンゴをあげる代わりに仕事をさせてくれないかと頼み込む。

トムはしぶしぶと仕事を代わり、友人たちは喜び勇んでペンキ塗りを始める。

こうして、トムは通りがかる友人を捕まえてはペンキ塗りの仕事に引き込み、仕事をさせてあげた代わりにみんなが大事にしているおもちゃのたぐいをせしめる。


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たしかに、ペンキ塗りはそれが強制された仕事でなく自発的にする仕事であれば、とてもやりがいのある仕事だろう。

ウィリアム・モリスの言う「心身の楽しい活動」としての仕事や、カール・マルクスの言う「第一の生命の欲求」としての労働は、実は私たちの誰もが一度は経験したことがあるに違いない。

だからこそ、私たちはこのストーリーにどこか共感を覚えるのだ。

***

【疎外された労働からの解放】

冒頭のトム・ソーヤのペンキ塗りの話では、少年たちは、大切にしていた私有財産をトムに支払ったうえで、労働する権利を与えられる。

これは私たちがよく知っている、労働の対価として報酬を得る資本主義制度とは完全に真逆の原理だ。

労働がひとたび交換価値(報酬)に置き換えられると、それは疎外された労働となってしまい、そういう世界では「第一の生命の欲求」としての労働は存在することができない。

かつてマルクスが描いたユートピアは、交換価値の存在しない世界であり、したがって、交換価値の媒介となる貨幣も、それが流通する市場も存在しない世界である。

「ここでは、生産物に支出された労働がその生産物の価値として、すなわちその生産物に備わった物的特性として現れることもない」

カール・マルクス『ゴータ綱領批判』


ここでいう、「生産物の価値」とは、生産物の交換価値のことであって、交換価値がなくなれば、ものを交換しようにも交換することができない。というよりも、市場における交換そのものがなくなれば、交換価値という概念そのものが消滅することになる。

労働の疎外論をもとに考えると、疎外された労働には経済的側面と心理的側面とに分けられる。

経済的側面とは「それが搾取された労働であること」を意味し、心理的側面とは「労働に充実感や幸福感を感ずることができない労働であること」を意味する。

存在こそが意識を規定するという唯物論の支配する世界では、心理的側面は経済的側面によって規定され、後者を変えないかぎり、前者も変わらないというのがマルクスの主張だ。

この理屈で言えば、資本主義経済においてはすべての労働者は疎外感から解放されないということにならざるを得ないだろう。

しかしながら、現代の資本主義社会、特にここ数年間においてはその原則が当てはまらなくなってきているように思う。そのような疎外された労働が必然的に疎外感を生むかどうかは甚だ疑問だからだ。

例えばYoutuber、TickTocker、オンラインサロン経営者などなど、最近こういった新しい業種の人と話す機会が増えたように思う。ひと昔前はこのような職業は存在していなかったし、私の理解が追いつけない職業で成功した起業家は他にもどんどん出てくる。

こうした新しいタイプの起業家たちと話していると、自然と私も時代のトレンドを把握できるし、何よりビジネスモデルが刺激的だ。
ら/彼女たちに話を聞いてみると、ファンに仕事をさせて、おまけにお金までせしめるらしい(笑)

特にオンラインサロンはサブスク課金型(毎月会費が入ってくるような仕組み)なので、顧客
は会費を支払う代わりに、仕事も引き受けてくれるのだ。これは一種のブランドマーケティングの成功例だが、ファンはその人(有名人・著名人)と一緒に仕事をすること自体に価値を見出し、その人の仕事に携われることに喜びを感じるのだという。

まさにトム・ソーヤのペンキ塗りの発想と一緒で、労働する権利が一種の商品価値を持っており、消費者参加型ビジネスが見事に成立している点が非常に興味深い。

このように現代では、労働の意味するところが変わってきているように思う。また、それに伴い、「お金」や「賃金」、ひいては「働き方」そのものに対する価値観も変わってきているのではないだろうか。


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【お金の価値は確実に低下している】

伝統的な経済学の考え方に基づけば、本来お金とは「交換価値」そのものから始まった。

お金の対価として商品(有形)やサービス(無形財)を交換する世の中では、お金がなければ何も手に入らないし、何もできないのが当然だった。だから欲しいものがあれば、私たちはお金を増やすしか選択肢がなかった。

ところが、シェアリング・エコノミー(共有経済)の普及により、今はそこまで多くのお金がなくたって、商品やサービスはひと昔前と比べれば手に入れやすくなったし、それは言い換えれば、交換価値を独占していたはずのお金は、次第にその地位が低下してきたともいえる。

カーシェアリングサービスを使えば、私たちは自分で車を所有することなく、使いたい時に誰かが駐車場に停めてある車を時間単位で共有することができる。GrabUberなどの配車サービスのアプリを使えば1クリックで車を呼び出して、そのまま指定した目的地まで運んでくれる。

あなたの住んでいる住居だってルームシェアハウスに引っ越せば、独り暮らしをするよりも家賃をずっと安く抑えられるだろう。

ちょっと背伸びをしてブラフ(ハッタリ)をかましたい時は、パーティーに行く前に高そうなブランド品のバッグを借りて、後でこっそりと返却することだってできる。

友人と一緒に旅行に行くときは、AirBnBのアプリで豪華な別荘を予約すればいい。もはやリゾート会員権は時代遅れだ。たとえば120万円する豪邸だって、友人5人で予約すれば一人4万円で王様気分になれる、あとはInstagramFacebookリア充してますよというアピール写真を投稿すれば作業完了だ14万円の宿泊費が高いか安いかは人によるが、ちょっと贅沢すれば届く範囲ではある。

ひと昔前、私たちは「カネを稼ぎ、おカネを貯めて、モノを買って所有する」ことが常識であった。一方で、現在私たちが暮らしている社会は、「必要なときにモノを借りて、不要になったら返却する」という、いわば間接所有の価値観に移行しつつあるように思う。

これを会計学の概念で表せば、固定費(モノを買って所有)から変動費(モノを借りて不要になったら返す)へバランスシートの大幅シフトが起こっているということになるだろう。

このように20世紀がモノを所有する「独占の時代」だったと定義するならば、今私たちが生きている21世紀は「共有の時代」と言えるのかもしれない。

必要なものは必要な時に不要な人から手に入れる、そして不要になったら返すか、次に必要としている人に譲渡する。それが現代社会のスマートな生き方だ。日本のサービスでいえばメルカリやヤフオクがこれに当てはまるだろう。

かつてはお金がある人のところに情報が集まり、権力が集中していた。中世ヨーロッパであれば生活の中心はいつも教会だったし、中央集権的な象徴である教会は絶対的な権力を持っていたはずだ。

それが20世紀になると、教会に変わってマスメディアが権力を持つようになり、私たち一般庶民は彼らの印象操作によって作られた情報を一方的に浴び続け、それを物事の判断基準とするしかなかった。

ところが、21世紀初頭、インターネットの登場により双方向通信のマルチメディア社会が到来、情報が民主化の方向へ進み、お金持ちもそうでない人も大量の情報を瞬時にパソコンやスマホから得られるようになった。

その意味で、インターネットの登場は-誤解を恐れずに言えば-、反体制的な革命だったといえるだろう。それはマスコミ一辺倒による情報の独占状態を切り崩し、情報の民主化を成し遂げたのだから。

今はひと昔前に比べてお金がそれほどいらなくなる時代になりつつあるし、あるいはTwitterInstagramなどSNSのフォロワー数そのものが資産価値を持ちはじめ、それ自体が財産となる時代に移行しつつあるのかもしれない。

それは言い換えれば、情報そのものがお金や権力を集めてくる時代であり、情報自体が面白ければお金や権力がなくてもあっという間にSNSでフォロワーによって拡散する。今やSNSのフォロワーを多く持っている人が一種の信用創造の主体となりつつある。

ダイヤルアップ回線しかなかった時代、パソコンやインターネットがここまで普及し、ひいてはスマホ1台で何でもできる時代が来るなんて誰が想像できただろうか?

お金の価値は私たちが気づかないうちに確実に低下している、それはお金に代わる様々な交換価値が出現したことによるものであり、私たちがそれまで持っていた既存の価値観を揺さぶりつつあるのだ。

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【堕落する労働者たち~スキルシェアリングがもたらす未来~】

クラウドソーシング(=Crowd(群衆)とSourcing(業務委託)を組み合わせた造語)と同様の概念であるが、「スキルシェアリング」という何とも革新的なサービスがある。これは、個人がもつ専門的な知識や技術、いわゆるスキルをインターネット上で商品のように売買できるサービスのことをいう。

このサービスの本質は個々の持つスキルと時間の切り売りであり、ゆえに「お金を払って、時間を買
」と「時間を売って、お金をもらう人」との間でマッチングが行われ、市場取引が成立する。

例えばあなたはとても忙しいビジネスパーソンだとしよう、11秒でも無駄な作業を減らして本業に集中したいとする。

商品やサービスを開発して利益を上げることに集中したいあなたは、効率を最優先して非生産的な時間を少しでも削減したいと思うはずだ。

デスクの前でひたすら集中して仕事がしたいあなたは、わざわざ外食に行くのが億劫になるかもしれない。
Grab FoodUber Eatsのアプリをダウンロードして、食べたいものを注文しよう。時間が空いているドライバーさんが登録しているから、あなたに代わって食べ物や飲み物を運んでくれるだろう。

さて、あなたは本業に集中しよう。

いちいち売れた商品をリスト化して帳簿を作成するのが面倒くさければ、集計や経理が得意な人を
スキルシェアのマッチングサイトで探せば、すぐに仕事を手伝ってくれる人を見つけ出すことができる。

仮に、商品やサービスの売り方がわからなければ、営業が得意な人をスキルシェアのマッチングサイトで探せば、すぐに販売を手伝ってくれる人を見つけ出すことができる。

さらには、商品やサービスの作り方がわからなければ、商品開発が得意な人をスキルシェアのマッチングサイトで探せば、すぐに開発を手伝ってくれる人を見つけ出すことができる。

スキルシェアは非常に素晴らしいサービスだ、このサービスを有効活用したあなたは負担が減り、少しばかり余裕ができた。あなたには商品やサービスを代わりに作ってくれる人がいて、商品やサービスを代わりに売ってくれる人がいて、集計や経理を代わりにやってくれる人がいて、あなたは管理だけをすればいい。

あなたはやがて管理すらも面倒に感じるようになるかもしれない。今度は管理が得意な人をスキルシェアのマッチングサイトで探せば、すぐにあなたに代わる管理者を見つけ出すことができる。これであなたは自由の身だ。

晴れてあなたは自由な時間とそれなりのお金が入ってくるようになった。スキルシェアを極めようと思えば、努力せずとも無駄な作業をどんどん誰かに任せ、非生産的な時間を短縮できることを遂に発見したのだ!

しかし、ここで思考を停止せずによく考えてみてほしい。この話は何かがおかしい。

このサービスには致命的なパラドクスがあって、「全員が誰かに仕事を委託する」という前提に立つと、どこかのタイミングで誰もが努力をしなくなる日がやってくる。
スキルシェアを極めるということは、裏を返せばスキルを習得する行為や努力を放棄することである。そして結果として私たち人類は退化する。

だってどう考えてもおかしいじゃないか(笑)

はじめから帳簿管理ができず、商品の売り方がわからず、商品の作り方もわからず、自分で工夫して努力することを一切せず、業務管理を放棄するようなビジネスパーソンがたくさんできてしまったら、それは早かれ遅かれ社会全体がおかしくなってしまうだろう。

誰かの力を必要以上に借り過ぎてしまうと、実は全員が誰かに依存するようになり、結果としてその合成期待値はマイナスリターンをもたらす、という恐ろしい結末が待っているようにも思う。

もっとも、私はスキルシェアという概念を否定しているわけではない、むしろ肯定的だ。仕事は一人で小さく初めても、ずっと続けていくと、ある一定の規模に達した後、自分だけではどうにもならなくなるタイミングがやってくる。

その時に一緒に仕事をしてくれる仲間(それは共同経営者や従業員、外注先など)とチームで仕事をしていくのと、やっていることの本質は同じなのだから。ようは本業以外のこと、面倒くさいことを、それを好きな人に任せる。その考え方には賛成だ。

だけど心配ない、もうすぐ人類は働かなくなる生き物(狩りをしない動物)になる日が来るかもしれない。堕落した私たち労働者(プロレタリア)に代わって、機械が代わりに仕事を引き受けてくれる。

...かもしれない。

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【仕事を奪われる労働者たち~シンギュレーション~】

労働者と機械の関係が根本的に変化する時代、機械とは労働者の生産性を向上させるための道具である。

しかし近い将来、機械が労働者そのものへと変わろうとし、労働者の能力とテクノロジーの進化による人間と機械との逆転現象(シンギュレーション)は2049年頃までに起こると言われている。

機械が代わりに仕事を引き受けてくれるということは、裏を返せば機械が人間から仕事をどんどん奪っていくことを意味する。

機械が人間から仕事をどんどん奪っていくということは、それだけ多くの人間が収入を得られなくなることを意味する。

AIやロボットの能力が人間に近づくにつれ、毎年様々な仕事に就いている人類が順番に収入を失うからだ。


そこに訪れるのは、これまで想像もできなかったような社会の姿であり、人々の生き方ではなかろうか。
21世紀前半の現在に生きる私たち人類は、ちょうどそれに向けた大きな転換期の始まりの時代を生きているのだと考えることができる。

そして国の中に収入を得られない人、収入が減る人の数が大幅に増えればデフレが起こった大不況になる。仕事の消滅は最終的にディストピア(破滅的な未来)をもたらすだろう

一方で、仮に、今この瞬間に完全に同等の能力を持ったロボットが人類と同じだけの数、突然出現した場合、このロボットたちが私たち全員の仕事を代わりに引き受けてくれたとしたら世の中はどうなるだろう?

実は人間の仕事を突然出現したロボットが全部肩代わりしてくれた場合には、世の中は今まで通り問題なく回っていくのだそうだ。国の経済全体を合計した指標であるGDP(国内総生産)も減らず、仕事の肩代わりは最終的にユートピア(理想的な未来)をもたらすだろう。

さて、私たちの前にはどちらの未来がやってくるのだろうか?

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近年、先進国ではベーシックインカム(Basic Income)をめぐる議論が活発に行われている。ベーシックインカムとは、社会的な地位や所得水準の違い、年齢、性別に関係なく、全ての人に対する所得保障として、「一定金額の現金を支給する制度」のことをいう。

国民国家がこれからも継続するという条件において、-それは財源をどうするかなど複雑な議論はあるにせよ-、この制度が導入された場合、私たちは少なくとも必要最低限の生活が保障され、「労働の放棄」という選択肢が与えられることになる。

・もし働かなくても生活できるとしたら、それでもあなたは働くのか?
・もし働かなくても生活できるとしたら、あなたは何のために働くのか?


いったい労働の対価として得る報酬とは何なのか、また私たちは何のために働くのか、これらの問いに対する回答はみんな違うだろう。

そろそろ、労働することの意味について、私たちは真剣に考える時が来たのかもしれない。

このテーマについては、またいずれ続きを書きたい。

**
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参考: 木原武一 (著)『ぼくたちのマルクス』筑摩書房、1995年)

(参考: 松本大 (著)『お金の正体』宝島社、2019年)

(参考: 鈴木貴博 (著)『仕事消滅~AIの時代を生き抜くために、いま私たちにできること~』講談社+α新書、2017年)

(参考: 堀江貴文 (著)『多動力』幻冬舎、2018年)

できないのは やらないから

 

シンプルイズベスト。

物事はできるかぎり単純化して考えたほうがよい、という意味らしい。

私はこの言葉が大好きだ。

だけど、あえて言うなら私は以下のような言葉を付け加えたい。

「物事はできるだけシンプルに捉え、そしてできるだけ掛け算で行動するのがよい」


4月は何かが始まる季節だ。心機一転、気持ちをリセットするよい時期でもある。

最近では起業家のサポートやスタートアップ投資なども行っているので、主に起業家や投資家を志す方々に読まれることを想定しながら、僭越ながら思いつくままに書いてみたい。

私は2011年に独立して、今ちょうど10年の年月が経とうとしている。自分で商売を始めると、日々多くの出会いがあり、いわゆる成功者と呼ばれる方々に多く接する機会が増えたように思う。

成功とは何かを厳密に定義することは非常に難しいが、ここでは「自分が納得いくレベルにまで何かを極めた人」と定義してみたい。

だからその意味では私はまだまだ全然成功者ではないし、私の周りの成功者たちも自分を成功者だとは思っていないかもしれない。

なお、事前に断っておくが、私は商売人なので、ここでは「お金を稼ぐ」ということについてフォーカスすることをご容赦いただきたい。「お金を稼ぐ=悪」という発想の方はアレルギーを覚えるので、ここから先は読まないほうがいい(かもしれない)。

現在、私の職業は富裕層向けの信託事業をしたり、企業相手にM&A(事業買収や再生など)をしたり、また自己資金で投資家としても活動を行っている。

成功者と聞くと、何となく多くのお金を稼いでいる富裕層という印象を持つが、例えば絵を描いて個展を開いた方、花に水を与えてキレイな花を咲かせた人かもしれない。あるいは、ピアノを練習して難しい曲を弾けるようになったこと、一生懸命勉強して晴れて志望大学に合格することや、何かの資格を取ることだって立派な成功だ。


私の価値観では必ずしも成功とはお金という物差しだけでは測れないものだと思っている。

だから経済的な成功者とは、あくまでもある分野で人よりもお金を稼いだだけの人にすぎないことは繰り返し述べておきたい。

お金というのは稼げば稼ぐほど、ある種の虚無感を覚える不思議な物質だ。どんなに数字を増やしたところで、本当に大切なものはお金では買えないのだ、と。

それは時には努力して積み上げた壮大な成功体験であり、時にはどん底に突き落とされるような失敗談かもしれない。成功も失敗もお金では買うことができない「経験」にこそ本当の価値があると思っている。

それはつまり、自分で何かをやると決めて一歩を踏み出すことでしか得られないものだ。歩き続けなければ、そもそも壁に突き当たることはない。その意味では壁に当たらない人生というのはすなわち、何も挑戦していないことと一緒だということになる。

自分にできることしかやらないということは、裏を返せば自分の限界の範囲でしか行動していないのと同じことだ。 

そんな人生はつまらない。だから何かに挑戦しよう。壁に当たった時はラッキーだと思ったほうがいい。なぜなら、それは何か物事が前に進んでいる証拠でもあるのだから。

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ピンボールゲームは何回打っても必ず一番下の穴に入ってゲームが終わる。その理由はピンが落ちてきたボールの方向を軌道修正し、適切な目的地へと導いてくれるからだ(※本来ピンはボールを跳ね返してポケットに入れて点数を稼ぐゲームだが、ここでは下の穴に入ることを成功と定義させてほしい)。

私たちはこのシンプルなゲームから非常に大きな教訓を得ることができる。それは、「私たちがバネを引いて飛ばしたボールは一度もピンに当たらずに穴に入ることはない」ということだ。失敗とはピンのようなもの、当たったらラッキーと思え。

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【軌道修正は成功への最短距離】

成功者は「できる・できない」で物事を考えない。常に「やるか・やらないか」という価値観で物事をとらえる。突き詰めて言えば、成功へ近づく唯一の方法は「できるまでやる」しかない。

たとえば私たちが野球でホームランを打とうと思ったらやることはひとつ。バッターボックスに立ってひたすらバットを振りまくるしかない。これは、簡単な分数の問題を考えてみればわかりやすいかもしれない。

分子を0から1にするための最も簡単な方法は、分母の数をできるだけ多く増やすことだろう。何度も何度も挑戦すればどこかで1回くらいはバットに当たる。これは別名「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ともいう。あなたがよほどの天才バッターでない限り、ボールがキレイな角度でバットの芯に当たるまで振り続けるしかないのだ。
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そして、成功者と呼ばれる人たちは表では涼しい顔をしながら、裏では想像を絶するような努力をしている。バッターボックスでヒットやホームランを打てるバッターは、バッターボックスを離れて人が見ていない時間にも素振りをして、ひたすらバットを振り続けているに違いない。

なぜなら、彼ら/彼女たちは一度バットに当たった感覚をもとに、次はもっと短い時間で同じことを要領よくできるようになることを知っている。こればかりは頭で考えていたら絶対に得られない感覚的な才能でもある。

0から1への距離は1から100への距離よりも遥かに遠い。最初の成功例を1つ作れば、後は経験則から1100倍の規模にすること、あるいは1と同じものを100個作ることはそれほど難しい作業ではないように思う。

何か新しいことを始めるとき、多くの人は当然ながら成功することをイメージして行うだろう。でも実際にやってみると物事というのは、実は失敗することのほうが圧倒的に多いことに気づく。

野球に例えれば、3割の打率を達成したバッターは天才と言われるが、裏を返せば天才でさえ「10回中7回は失敗に終わっている」という事実が存在することを覚えておいてほしい。

確率論ではこのような事象を大数の法則という。偶然の発生確率は施行回数が少ないほど「あり得ないこと」が発生しやすく、施行回数(サンプル数)が多くなるほど、成功と失敗の確率はある一定のレンジに収れんする。

「ビギナーズラック(=初心者が運でギャンブルや投資に勝つこと)」という言葉があるが、何かを始めたばかりの初心者が、たまたまうまく行ってしまい、上級者を驚かせることが時々起こる。ただし、運と実力を勘違いしてはならない。ある程度の回数を繰り返しやった時、私たちははじめて自分の真の実力がどの程度なのか数値化することができるようになる。

毎年安定した成績で10回中3回ヒットを打てるバッターが天才であると定義するならば、何かに挑戦するときは成功より失敗の数のほうが多くなることが当たり前だと考えたほうがいいだろう。謙虚にならなければ、いつか必ず足元を救われる。

これからあなたが三振をしたりデッドボールを喰らったら、惨めで恰好悪い姿を見て多くの人たちは外野席から大笑いするかもしれない。

だけど、それを気にしているヒマがあったら、手にマメを作りながら飛んでくるボールに全神経を集中させよう。世の中の大半の人たちはあなたが三振したことをいちいち覚えているほどヒマではない。

成功への近道、成功への最短距離とはたくさんの失敗を経験することだ。失敗をたくさん経験することで、私たちは「軌道修正」という大きなチャンスを手に入れることができるだろう。

たとえば頭脳明晰な科学者たちが正確な軌道計算をして、宇宙探査機を打ち上げる場面を想像してみてほしい。

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どんな天才科学者が正確に軌道を計算して宇宙探査機を打ち上げても、一発で見事に軌道に載せることはできない。何度も何度も軌道修正を繰り返しながら、ようやく軌道に載せることができるのだ。

あなたが超絶な天才でない限り、分母の数を増やすことこそが、成功への最短距離であることがお分かりいただけただろうか?

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【成功の半分は忍耐で成り立っている】

すでに述べたが、物事はうまく行くケースよりうまく行かないケースのほうが圧倒的に多い。

それはある程度時間をかけて、一定以上の水準に到達するまで続けなければ絶対に実力はつかない。実社会とは学生時代のマークシートの試験のように、適当にマルをつけて運よく乗り切れる問題ばかりではないのだ。

物事というのは何度もやっているうちに「ああ、こういう事だったのか?」と気づくことがある(数学でいえば「方程式」、語学でいえば「文法」にあたる規則性の原理と同じ。やっている事は数字か文字かの違いだけで本質は一緒だ)。それはまるで、すべての点が線でつながったような、なんとも言えない不思議な感覚を私たちに与えてくれる。これは経験した人にしかわからない感覚でもある。

例えて言うならば、外国語の勉強を始めて単語を毎晩寝る前に10個ずつ覚えて、朝起きたら文法をひとつずつ覚えるような生活をしばらく続けたとしよう。はじめは意味もわからず個別に存在していた単語が、ある日を境に文法の中でつながり、少しずつ言葉を理解できるようになるようなイメージだ。

そしてある時期を境に、語学力が飛躍的に向上する瞬間がやって来る。小さなことでも少しずつ積み上げていくと、ある時期を境にそれまで足し算でコツコツやってきた基礎学力が、掛け算という応用領域に切り替わっていく。この現象はAIが機械学習を始めて、何度も何度も深層学習を重ねることによって、ある日を境に翻訳ソフトの精度が飛躍的に向上していく過程と同じだ。


このモーメンタム曲線(一方向に一気に進むスピード)は基礎の習得(足し算)に時間をかければかけるほど、応用(掛け算)の加速度は上がり、そして一気にべき乗測で曲線が爆発的に伸びていく。

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教育心理学05 学習理論(後編)」より


だから私たち人間も知識や行動が、掛け算に切り替わるまでは忍耐強く続けるしかない。

夜明け前が一番暗い。

覚えておいてほしい、成功の半分は忍耐だということを。

***

【「がんばる」と「努力」の違いとは?】

「がんばる(頑張る)」という言葉は「本来的にやりたくないことを仕方なくやる」という場面で使う言葉だ。

一方で、努力という言葉を辞書で引いてみると、「できなかったことをできるようにすること」と定義されている。

努力という言葉はよく考えてみると残酷な言葉だと思う。結果が出なければ、がんばりは評価されないのだから。もちろん、できると思ってできないことは多々ある。ただ、できないと思ってできることは少ない。だけど、結果はともかく、努力の仕方は効率化することができる。

世の中には一定数「ズレている」人間が存在する。

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上記は最小二乗法と呼ばれる統計学の概念だ。それぞれの事象(仕事でいえばタスク)を並べたときに、それらの中心を通る線(回帰直線)を引くと、目的地への最短距離が透かし絵のように浮かび上がる。切片dは進む方向が間違っているので、平均(最短距離)に戻す作業が必要だ。これを「軌道修正」という。

何かに向かって物事を進める時、私たちはよく方向性そのものが間違っていることに気づくことがある。


例えば、私たちが東京から北海道に旅行に行くときは、よほどの変わり者でないかぎり通常は飛行機を使うと思う。ところが、世の中には一定数の人間はどういうわけか東京から沖縄に向かって泳いでいくという選択をする。

これはそもそも向かう方向が違うし、移動手段の選択が間違っている。彼ら/彼女たちはこう言うかもしれない、「がんばったけどできませんでした」と。

色々とツッコミどころはあるが、これを「無駄な努力」という。上記の例を見て「そんなやついるわけがない」と思うかもしれないが、みなさんにも日々の生活で思い当たることが1つや2つあるのではないだろうか?

何事も結果というのは後になってみないとわからない。とにかく、はじめは正しいと思う方向へ進んでみる。それは100%正確な方向ではなくていい、だいたいの方向で構わない。だって、実社会でキレイな直線なんて引けるわけがないし、正解というのは時代とともに変わっていくのだから。

間違った時は上記の切片
dを中心まで戻すような軌道修正をすればよいし(冒頭のピンボールのピンのようなイメージ)、そもそも論として完璧に正確な方向なんて後になってみないとわからない。

「わかる」ことと「理解する」こと。

この言葉の意味は全く違う概念だ。たぶん私の言ってることはわかると思う。だけどみなさんの大半はおそらく私の言っていることを理解していない。

「わかる」というのはインプットだけが終わった状態のことをいう。一定水準の知識を得るために、たしかに勉強する時間は大事だ。

一方で「理解する」というのはインプット(知識を吸収)したものをアウトプット(行動)できる状態のことをいう。だから多くの人はたぶん「理解」できていない。私だって、世の中のほとんどのことはわかることもあるが、理解はできていない。

物事を理解するためには知識としてわかっていることが前提だが、アウトプットできていない状態というのは、つまり何もしていない状態なので、「理解」するためには行動するしかないのだ。一見すると遠回りに見えても、案外よくわからずに何かを始めたほうが習得は早いのかもしれない。


物事はがむしゃらにがんばる必要はない。それは極力、最短距離で進めることを考えよう。

まずは考えるより行動しよう、ただしエネルギーと時間を投資する方向だけはくれぐれも間違えないように。そうでないと、投資ではなく、浪費になってしまう。

***

100%成功する方法なんて存在しない】


人間というのは成功するとそれを誇張し、失敗すると隠す傾向にある。

私も起業家、投資家、同じ穴のムジナなのでこの感覚はよくわかる。

私だって手痛い失敗をたくさん経験しているし、何かに挑戦した人は多かれ少なかれ失敗を経験している。だけどみんなそれを大声で言わないだけだ。私の経験上、失敗体験のない成功者は皆無だ。

100%の確率で成功する事業や投資は存在しない、これは自分で経験してみるとよくわかる。

だから、資金的な意味でいえば少額でもいいからとりあえずやってみろと言うしかない。時間的な意味でいえば毎日少しでもいいから隙間時間を確保して何かに挑戦してみよう。

どんな出来事もあなたにとっては大きな財産になる、それは成功も失敗も。

「この新規事業にお金を突っ込んだら儲かるかもしれない」
「この銘柄の株を買ったら儲かるかもしれない」
「このアイデアを事業化したらみんなが使ってくれるに違いない」

点から線へ、線から面へ、面から立方体へ...。

個々の「点」をつなぎ合わせれば、やがてある時点で「線」ができていく。「線」ができればそれをひたすら伸ばして「面」を大きくしていけばいい。

「物事はできるだけシンプルに捉え、そしてできるだけ掛け算で行動するのがよい」

 
これこそが、私が冒頭で伝えたかった言葉の真意だ。

***

【迷ったら一歩前へ~何はともあれ、とりあえずやってみろ


1. 足し算の作業

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例えば、あなたは手先が器用
で、趣味ではじめた大好きなニット帽作りを商売にしようと考えたとする。

あなたが初めにやることはニット帽を作ることだろう。ただ、それだけでは商品は売れないので、ドメインを取得してサーバー契約をし、ホームページを作る必要があるかもしれない。

ここで、まずあなたがやることは、
ドメインを取得したらホームページを思い切って公開してしまうことだ。誰かがアクセスしたら当然そのページは空白、モノは売れないので商売にはならない。

あなたはひたすら商品紹介ページを作る。そうなるとモノがないので作るしかなくなる。ホームページを空白のままにしておくのは何だかみっともないので、あなたはニット帽を作るしかないのだ。未完成だと恰好悪いという変なプライドは捨てたほうがいい。

今私が書いているこのブログ記事もそうだ、私はザーッとタイトルと見出しだけ書いて公開ボタンを押してから補足している。書きかけで誰かがブログを読んだら大変なので、大急ぎで付け足しているのだ。もし書きかけの記事を見つけたら後で完成したか確認しに来てほしい(笑)

たとえば外国語の学習だって、本気で話せるようになりたかったら海外に飛んで日本人のいない環境で生活するほうが習得は早い。無茶ぶりと思うかもしれないが、言語を完璧に話せるまでスーパーやコンビニで買い物ができないとしたら、あなたは早かれ遅かれ餓死してしまう。だから何とかして食べ物を買おうと身振り手振りでも必死に店員さんに伝えるだろう。大丈夫だ、その環境に身を置けば人間というのは何とかなるもんだ。人は環境によって変わることができる。

さて、話を戻そう。ニット帽をいくつか作ったら、今度は写真を撮って、ホームページの空白のカートに画像をひたすらアップして決済カートを導入する。これで最低限の収益化の仕組みができる。

ところで、今あなたがやっている作業は「足し算」の仕事だ。もしあなたがネットがうまく使えないのであれば、クラウドソーシングで
1万円くらいでドメイン取得と簡単なホームページ作成をしてくれる人を見つけよう。あなたは1万円を支払い、本業以外の仕事を誰かに委託し、「お金を使って時間を買う」という選択肢をするのもいいだろう。これは掛け算の発想だ。逆にお金がない人はお金をもらって時間を売ることで資金を貯めよう。

晴れて収益化の仕組みができた、めでたしめでたし。ここで売れすぎたらニット帽が足りなくなるなんておこがましい発想はやめよう。安心してほしい、あなたのニット帽は絶対に売れない(笑)森の中で木が倒れても、誰もその事実は知らないように、あなたのニット帽がそこで売っている事実は誰も知らないのだから。

そこで、あなたは商品の存在を知ってもらおうと考え、GoogleFacebookで広告を出すことになる。安ければ数百円から数千円で広告が出せる。あるいは、InstagramYoutubeの無料アカウント登録をして写真や動画をせこせこアップしていくことになるだろう。この作業も自分でできなければ、誰かに委託し、お金を払って時間を買おう。ここまでで、スタートアップにかかる経費は多くてもせいぜい2~3万円程度だ。

信じられない話だが、広告費は昔に比べると非常に安くなっており、スタートアップ事業はこうしたSNS広告サイトを組み合わせることで、少額のコストで多くの人々にアプローチできる時代になった。

ここでニット帽が思うように売れなかった場合、商品そのものか売り方のどちらかがおかしいことになる。おそらくだが、商品の画像だけをアップしてモノが売れることはない。ここで、誰かにセールス文章(PR文章)を書いてもらおう。もちろん、クラウドソーシングで1万円くらいで広告代理店勤務の手が空いている人の時間を買ったほうがいい。できればSNSでセールス文章にリンクするように拡散してもらうともっと集客効果はあがるだろう。やり方がわからなければ、クラウドソーシングでやり方がわかる人を探そう。


あとは顧客から返信が来たらさっさと返そう。スタートアップは何しろ実績がないので、その点では絶対に大企業や歴史ある会社には勝てない。資金の少ないスタートアップの起業家が最もお金をかけずに信頼を得る方法はスピードだ。これは大金を稼いでいる人の最も顕著な特徴でもある。彼ら/彼女たちは一行で雑な文章もあるが
とにかく返信スピードが早い。きっとレスポンスを早くすることが最もお金をかけずに信頼を得る方法だと知っているのだろう。


さて、ここまでやって、ようやく何とか「点」がポツポツと出来上がった。あとは商品を増やしていけば「点」がいつの間にか「線」になっていくだろう。もしここまでやってうまく行かなければ諦めて他の分野に挑戦するか、やり方をコツコツと変えるしかない。はじめて立ち止まって考えるのはここまでやってからだ。みんな諦める段階が早すぎるように思う。努力が報われて結果が出るのはもう少し先だ。

めでたく商品が売れたら、あなたは梱包してコンビニに持ち込んで宅配業者に配達を依頼する。この最初の商品が売れた時の感動は、きっと涙が出るほど嬉しい思い出になるはずだ。


2. 掛け算の作業


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経験上、試行錯誤をして初めての商品が売れたら、次の商品が売れるまでは早い。すでにあなたは商品を売ったという経験を持っていることになるので、どうやったら売れるかを少し理解できる段階に到達している。
0から1を作った経験は大きい。


もしあなたの商品が売れ始めたら
「線」を「面」に変えていく作業をしよう。「面」とはつまりレバレッジをかける作業のことだ。

あなたは15,000円くらいのニット帽を月に20個くらい販売できるようになったら、それだけで月10万円の収益が出る起業家ということになる。針と布の経費を差し引いても8万くらい残るので年間で100万の利益が出るようになる。最初の1つが売れて涙を流していたあなたはだいぶ成長した。たいしたもんだ。


間違っても調子に乗って、美味しいものを食べたり、いいマンションに引っ越したり、生活レベルを上げてはいけない。これは消費であって利益を生まない固定費の塊だ。この段階では稼いだお金は全額広告費にまわして再投資しよう、そうすればアクセス数全体の母数が上がるので、必然的に売り上げはさらに上がっていく。広告費をかけることの本質はあなたの代わりにニット帽を売ってくれる営業チームを雇うのと同じことだ。その本質はお金を使って時間を買うことにある。

売上が上がるということは、裏を返せば、あなたはニット帽を作る時間が増え、あなたの時間がどんどんなくなることを意味する。はじめにあなたが苦手なホームページの設定を誰かにお願いしたように、ニット帽を作ってくれる仲間を探す必要が出てくる。

例えば商品が売れたら
8割を渡して2割を販売管理費で取るようなイメージだ。あなたがひたすらニット帽を作り続けると、あなたの時間がなくなる。作業時間が増えると売上も上がるが、あなたはニット帽作りに追われ、どこかで大好きだった趣味が大嫌いになってしまう瞬間がやってくる。これは好きなことを仕事にした人であれば、誰もが一度は通る道だ


ある一定の水準に達したら販売管理費で取るようなビジネスモデルに変更し、あなたは現場から離れる必要がある。あなたの仕事はニット帽作りではなく、商品開発者に変わる。現場仕事は誰かに任せよう。

ニット帽のショップにマフラーやアクセサリーを加えてもよいかもしれない。1つの商品だけでなく複数の商品を設置することで、客単価は上がる。やがて1つの商品だけでなく複数の商品を買ってくれる人が出てくるだろう。販売管理費だけで商売を続けると利益率は2割しか残らないので、商品開発者になったあなたは、次に自分がデザインした商品を作ってくれる裁縫業者を探す必要がある。1点モノを売るという発想は個人商店なので、ここで発想を変えてフランチャイズ化して面積を増やす必要がある。商品を掛け算で増やすのと同時に商品を作ってくれる人を探そう。これが「線」から「面」への戦略転換だ。


「面」が広くなりすぎると今度は商品開発をしている時間がなくなる。もうお分かりだと思うが、あなたは自分以上に商品開発に優れたデザイナーを探して利益の6割くらいを渡して、手が空いている人をクラウドソーシングで見つけよう。あなたはここで商品開発者から管理者(取締役)の仕事に発想を切り替える必要がある。ようは、あなたの業務はあなたのサイトを介して「お金を使って時間を買う人」と「お金をもらって時間を売る人」を商品をベースにマッチングさせていくことが本業になる。

問い合わせが多すぎて対応ができなくなったら、いよいよ仕事を本格的に手伝ってくれるスタッフを雇用するか、もしくはクラウドソーシングで誰かサポートセンターを引き受けてくれる人を探そう。そろそろ、配送業者に持っていく量ではないはずなので、時間を指定して取りに来てもらうようにしよう。たくさんの量を依頼できるようになれば配送料を値下げしてくれるかもしれない。

「ニット帽作り」から「商品開発者」へ。
「商品開発者」から「管理者」へ。ようやく「線」から「面」ができる段階だ。足し算の仕事は極力誰かに任せて、あなたは掛け算の仕事に集中すればいい。


3. べき乗の作業


3


「管理者」になったあなたの次の仕事は、今のあなたの仕事を代行してくれる「管理者」、つまりあなたのコピーを探すことになる。商売を大きくしていくとは、すなわちこの繰り返しだと思っている。

どういうことかというと、
「管理者」であるあなたのコピーができたあなたはすでに「お金」を使って「時間」を買うということが十分に理解できている。そして仕組化をすると、自分ひとりでニット帽を売っていた頃に比べて人件費がかかるので、利益率は落ちていることに気づくはずだ。

あなたの仕事は、ひとつは
「管理者」を管理する仕事だ。どんなに優秀なコピーでも、あなたの100%のコピーを作ることはできない。そもそもあなたの100%のコピーができたとしたら、その管理者はすでにあなたと同じことを自分でやっているはずだからだ。だから、どうしてもあなたの100%のコピーはできないと思ったほうがいい。よくて60%のコピーが育成できたら、あなたは教育者としてとても優秀なほうだ


もうひとつは今まで作った仕組みをコピーすることだ、利益率が落ちた分、今度は面積だけでなく奥行きを広げてみよう。
「時間」という財産ができたあなたは、自分のコピーである「管理者」に仕事を任せて、今とは違う、もうひとつ別の仕組みを作る必要がある。今度は裁縫ではなく、鰹節を削る仕事かもしれないし、ひそかな趣味として続けていた切手収集の仕入れと販売かもしれない。

すでに仕組みを作ったあなたは、他の商品を扱っても、今まで作った仕組みを以前よりもずっと早く構築できるだろう。なぜなら、あなたはすでに仕組みの作り方を知っており、どのタイミングでどんなトラブルが発生するかを経験しているはずだからだ。このレベルに到達した時、初めてバットをひたすら振り続けたことの本当の意味が理解できるだろう。

仕組化とはすでに自分の手から離れた掛け算の概念であるが、
掛け算という仕組みをさらに掛け算で増やしていく。これこそが、資本主義経済における成功者と呼ばれる人たちが共通して行ってきた方程式の正体だ。

何かあるアイデアや事業などを最大化しようと考えたら、最も簡単な方法は立法体を作ることだろう。立法体の計算式は縦×横×奥行。エネルギーを3つの方向に投下することが最も効率的であることがおわかりいただけただろうか?


「資本主義社会で成功する方法は?」と聞かれたら、私は「上記のように仕組化して、立方体の線をそれぞれの方向に最大限に伸ばしていくことだ」と答えるだろう。社会に出てから成功者と呼ばれる彼ら/彼女たちを間近で見続けてきて思ったことは、「すでにやり方は決まっている、そしてこのゲームに勝つ方程式や文法はすでに存在する」という事実だ。

足し算の作業を誰かに委託して、そこで手に入れた時間を掛け算の作業にまわす。そこで手に入れた掛け算の時間を使って作った仕組みを誰かに委託して、自分は次の掛け算の仕組みを作る。その掛け算も誰かに委託して、、、掛け算×掛け算×掛け算、、、やることの本質は延々とこの繰り返しだ。


だから、この手順に沿ってやれば少なくとも大きく違う方向にブレることはない、ということを意味する。
みんな諦める段階が早すぎだ、もう少しだけ今挑戦していることを全力で続けてみよう。

さっき話した内容の繰り返しになるが、間違っても調子に乗って、美味しいものを食べたり生活レベルを上げてはいけない。会社の経費で贅沢をしてはいけない。株主や出資者にも還元せずに、この段階でも稼いだお金は全額再投資しよう。さっきは広告費に全額再投資と言ったが、この段階では作りかけで止まっているようなサイトやサービスを購入して、今度はあなたが育てていってもよいかもしれない。

消費は極限まで先延ばしにし、投資
は極限まで前倒ししよう。

余談だが、この方法を地で行って成功した企業を知っている。その企業の株を2009年に購入してから一度もその会社から配当を受け取ったことがない。どうやら配当にまわすお金があったら再投資を優先するという経営方針らしい。その会社は昔は本のネット販売を行っていたが、ある時から生活雑貨から日用品までありとあらゆる商材を取り扱うネット販売会社に成長した。ようは掛け算の仕組みにひたすら再投資し続け、事業規模の面積を拡大していった会社だ。さらにそれにとどまらず、その後、自社のサーバーの余剰スペースまで切り売りし、企業に貸し出して従量課金するという、とんでもないビジネスをしている会社にまで成長したようだ。現在ではその稼いだ利益は競合他社を買収する資金に充て、やはり株主配当は行っていないようだ。ちなみにその会社の名前をAmazon.comという。


4. 補足

 

私は「自分がやりたい仕事」と「そうでない仕事」に分け、そうでない仕事には「人間がやる仕事」と「機械がやる仕事」に分けてタスク管理をしている。最近、日本のIT会社との商談でこんな出来事があった。


私は煩雑な事務作業が多い金融機関を経営しているので、機械がやる仕事としてOCR(光学センサー)とAI(人工知能)を組み合わせた商品を導入しようと考えた。これによってスタッフの事務負担が8割程度削減できると考えたからだ。これが実現できれば大幅な工程数の削減につながるため、スタッフの空いた時間を使って、また別の商売を始めることができる。なかなかの掛け算思考だ。

ところが、日本の会社の商品の仕様書を取り寄せたところ、日本語のものしかないという。私の会社は私以外はみんな外国人なので当然日本語は理解できない。英語か中国語のものはないかと聞くと、そんなものはないという。


私はこの瞬間、あることを悟った。日本の企業がグローバルで活躍できない最大の原因は、日本だけで商売が成り立ってしまうという皮肉な点にある。言語規模で考えれば
1.2億人の日本人口のマーケットは非常に大きいため、十分に商売が成り立つ。日本だけでぬくぬく商売をしても、英語人口(11億人:ネット人口)と中国語人口8億人:ネット人口)をわざわざ取りに行く必要がないのだ。

これがシンガポールやマレーシアで商売を行うと、そういうわけにはいかない。シンガポール(人口540万人)やマレーシア3,000万人)のような人口の少ない国に住んで感じたことは、自国内だけではマーケット規模が小さすぎるため、必然的に英語と中国語で商売を始めて熾烈な生存競争に参加することになる。だからどうしても強くならざるを得ないのだ。


今やワードプレスのプラグイン機能を使えば、
1分もかからずにウェブサイトを多言語化できる時代なのに、本当にもったいないなぁと思う。問い合わせが来たらGoogle翻訳で返せばいい。言語は完璧である必要はなく、あくまでもコミュニケーションツールなので、通じれば全然OKなのだ。


日本企業がなぜ英語と中国語からはじめないのか不思議だと思っていたが、どうやら日本に住んでいる日本人の感覚と海外に住んでいる私の感覚は完全にズレていたようだ。

私が補足として言いたかったことは、英語×中国語×日本語で商売をすれば、もっと面積を広げることができるので、ぜひ日本企業は積極的にグローバルな視点で世界に挑戦してほしいということだ。

ネットの片隅にある小さなニット帽は、もしかしたらシベリアのおばあさんが買ってくれるかもしれないし、趣味で集めた切手は、もしかしたらエジプトの王様が買ってくれるかもしれない。

日本人よ、もっと世界で挑戦してほしい。

***

【おわりに】

私はこの10年間、ひたすら上記のようなスタートアップを繰り返し、時には成功し、時には失敗し、もがきながらも5社、6社と創業しては廃業し、ある時は組織が空中分解し、ある時は企業にうまいこと売却し、非常にエキサイティングな経験をしてきた。


失敗というのは経験を重ねれば重ねるほど、次に失敗した時の撤退の判断もうまくなるし、次はどうしたらうまくできるかを考える多くのヒントを与えてくれたように思う。その経験が今、他の起業家の皆さんをサポートする時の実務やアドバイスにも大きく役立っていることは間違いないだろう。

その意味で、失敗を経験していないコンサルタントに仕事をお願いしようとは思わない。どんなに頭脳明晰なコンサルタントであれ、失敗を経験していない優等生にはそのアドバイスには裏付けとなる重みがないからだ。これは自分自身が多くの起業を経験することで相手の経験値を見抜けるようにもなった。


現在、私たちの生きている社会は
垂直統合社会から水平分業社会へと大きく変化する途上段階にある。

かつて、大企業が多大な経費をかけて上流から下流
まで自社で賄うというビジネスモデルは過去のものとなりつつある

水平分業社会では大きな組織は必要なく、小さなグループや個人単位でもその特性を活かし、小規模業務を委託または受託し、商品やサービスの役務提供という時間単位の売り買いができるようになった。

私たちはまた、ネット上で過ごす時間がひと昔前よりも増え、一対多のコミュニケーションが容易に行えるマルチメディア時代になった。この現象は、かつてのテレビやラジオのような一方通行の押し付けのマスメディア支配からの解放を意味する。これはスマートフォンやSNSが急速に普及し、社会構造を変えたことが最大の要因だろう。

私が独立した10年前に比べて、時代の急速な変化を目の当たりにし、そしてその変化を起こそうとする人たちと日々向き合いながら生活できていることはとても幸運なことだと思っている。

今は何事も小さくはじめられる時代だ、すなわち失敗にかかるコストはひと昔前に比べてとても低くなった。そして、個人でも企業レベルのお金を稼げる時代でもある。

情報がコモディティ化した現在、成功者とそうでない人をわけるたったひとつの大きな違いは極論をいえば「行動」するかしないかだけだ。

この10年間、身近で多くの起業家たちをたくさん見てきた。起業家の中には天才もバカもいる。だけど、結局はやるかやらないか、この価値判断こそがその後の結果を大きく左右する。

成功した
彼ら/彼女たちは粘り強く、できるまでやる。ここが成功者とそうでない人を分ける要素だと思っている。だから起業をするうえで天才もバカもあまり変わらないというのが私の率直な感想だ。

彼ら/彼女たちは口をそろえて言う、

「できないのは やらないから」

このブログもそうだ。時間が空いた時に何か思いついたことを書き残そうと思い、時々ちょこちょこ書いている。私は一気に文章を書くタイプなので、一通り書き終えるまではご飯を食べないと決めている。

そして投稿ボタンを押してしまったら、ひたすら補足と修正を繰り返す。誰が見てるかわからないプレッシャーがあるのでマッハで完成させる。途中で投稿ボタンを押してしまったら、後はやるしかないのだ。

それは自己満足に浸るマスターベーションのようなものだ。頭で考えていても手を動かさない限り投稿ボタンが押せないので「手」を動かし続けるしかないのだ。だから考えるよりもまずは投稿ボタンを押す。押したら後はやるしかない。

その意味で情報の発信者とはつまり
、自己顕示欲旺盛な露出狂が自らのオナニーを見てほしいがゆえに投稿ボタンを押すという一瞬の快感を楽しむミラクルな性癖の群れかもしれない。面白い時代が来たものだ。

成功とは一瞬の快楽かもしれない。そしてその快楽を得るためには頭で考えるだけでなく、ひたすら手を動かし続けるしかないのだ。

起業家のサポートをしていると感じることがある。起業家の中には成功するケースだけでなく、失敗するケースのほうが圧倒的に多い。これは多産多死の海洋生物のようなものだ。たくさん卵を産んで孵化させても、残念ながらすべての起業家は陸にたどり着くことはできず、多くはそのままズルズルと沖へ流されてしまう。

ただ、確率・統計上、ひとつの成功例を出すためには多くの起業家をサポートし続けなければならない。ドライな考え方かもしれないが、
ひとつの成功者を作り上げるためには、それを上回る多くの失敗者の存在が必要不可欠なのだ。

彼ら/彼女たちの膨大な失敗なくしては成功例を作ることはできないのだから。

冒頭の言葉を思い出してほしい。

成功者は「できる・できない」で物事を考えない。常に「やるか・やらないか」という価値観で物事をとらえる。

突き詰めて言えば、成功へ近づく唯一の方法は「できるまでやる」しかない。


次はあなたの番だ、検討を祈る。

夕暮れの空に3番星が煌めく頃~クリスマスとはいったい何の日なのか?~


年の瀬が近い。毎年12月の中旬になると何だかソワソワした憂鬱な気分になる。


そう、友人や恋人からのクリスマスのお誘いをいかにして交わすかということを考える無駄な時間が増えて、仕事に集中できなくなるのだ。

仕事人間という私の性格上、マジでこれほど迷惑なことはない。

同じ日に、同じタイミングで、同じ方向に、みんなが一斉に動いたらどうなるかを想像してみてほしい。

道路は大渋滞するし、どこに行っても人だかりで動けないし、レストランに入ればアホみたいな割高料金が上乗せされるし、ホテルなんて取ろうものなら相互連結的摩擦行為で精(聖)なる液(おっと危ねぇ、夜はさんずいは不要だったな)を祝福するバカップルたちでどこも満室だ。

全員が限られたパイを同時多発的に奪い合う椅子取りゲームに参加すると、確実に高値掴みをさせられる。行動経済学の観点から見れば、全員が喜んで非合理的な選択をしていることは明らかだ。

みんないったい何が楽しくてわざわざ外出するのか私には理解できないのだ。

いつかブログに書こうと思っていたので、この際にモヤモヤを消し去ってしまおうと思う。

santa clause

私にクリスマスのお誘いをしてくるリア充を見つけたら、今後はこのURLを送り返すので空気を読んでそっとしておいてください(笑)


私は外が賑やかな時に、リア充たちが所狭しと窮屈そうにして、人生を無理やり楽しもうとする痛々しい光景をベランダで見下ろしながら、部屋でのんびりと過ごすのが好きな人間なのだ。

フフフ

***


【夕暮れの空に
3番星が煌めく頃】


夕暮れの空に星が1つ、2つ、3つ。


聖書時代のイスラエルの民たちは、夕暮れの空に3番星が目視できたタイミングを1日の始まりとして認識していたのだという。


創世記の第1章には神が6日間かけてこの世界を創造したことが書かれている。ちなみに、太陽と月は4日目に造られたらしい。

「『神は言われた。天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ』

そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を創り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。

神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。

神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である」

(「創世記」第1章14節)

夕べがあり、朝があった

と書かれていることから、1日の起点は夕暮れから始まるというのが聖書時代の伝統的な考え方だ。

現代を生きる私たちの1日という感覚は、日が昇り、日が沈むことを基準として24時間の周期で巡るというように理解しているため、聖書時代とでは1日の捉え方が全く異なることがわかる。


なお、この考え方は現代でも引き継がれており、ユダヤ教では今日でも金曜日の
日没から土曜日の日没までの24時間はすべての労働行為を停止し、敬虔なユダヤ教徒たちは安息日シャバット)に入る。

六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。

出エジプト記/ 20章 09節

しかし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。あなたも、息子も娘も、男女の奴隷も、家畜も、町の中にいるあなたの寄留者も同様である。

出エジプト記/ 20章 10節

主は六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造り、七日目に休息された。それゆえ、主は安息日を祝福して、これを聖別されたのである。

出エジプト記/ 20章 11節

***


【クリスマスとはいったい何なのか?】

上記の伝統的な時間軸をもとに論理を組み立ててみよう。

まず、クリスマス・イブの「イブ」とはイブニングという意味なので、聖書の記述(夕べ)を文字通り解釈すれば、クリスマスとは「1224日の夕暮れの空に3番星が出てから、1225日の日没まで」という、この24時間だけが厳密に定義されたクリスマスということになる。

誤解されている方も多いと思うが、24日がクリスマス前夜で、25日がクリスマス当日ということではない。そもそも、1日の始まりと終わりの定義が現代とは全く異なるので、現代の日付変更線で無理やり区切ってしまうと、どうしても2日間にまたがってしまうという理屈に過ぎないのだ。

したがって、多くの人たちが盛り上がる25日の夜は、実はすでにクリスマスは終わっていることになる(もしかしたら364日後の前祝いをしているのかもしれないが)。

だからこれを読んでいる皆さんがキャバクラや合コンに行っておネエさんに「メリクリ~、バブバブ~♪」と言われてもうんちくをこねくり回さないほうがいいだろう。火のないところにわざわざ火柱を立てる必要はないのだから(笑)

さて本題だが、ここで素朴な疑問について、私と同じことを考えている人がいるだろうとGoogle先生に問い合わせてみた。

そう、イエスの誕生日はいつなのかという話。


jesus birthday

さすがMr. Google、1発目で欲しい情報が出てきた。相変わらず仕事が早い。

聖書のなかには、イエス・キリストがいつ誕生したか、という記載はありません。逆に、聖書を読むと、イエスが誕生したのは12月25日ではない、と解釈することができます。

(省略)

結局のところ、「イエスが生まれた日」については諸説ありながら確証はなく、正確なことは「わからない」ということのようです。
イエス​の​死後​何百​年​か​たっ​て​から,イエス​の生誕​を祝う日​と​し​て​12​月​25​日​が​選ば​れ​まし​た

でも、12月25日に選ばれたのはなぜ​でしょ​う​か。多く​の​歴史​家​に​よれ​ば、​異教​の​祭り​が​その​時期​に​祝わ​れ​て​い​た​ため​。「冬至」の時期であるこの日前後には異教の祭りが重なっており、当時の教会が布教拡大を狙って、この日をイエス誕生を祝う日としたものと思われます

従って12月25日は、イエス・キリストの誕生を祝う日ではあっても、誕生日ではないことがわかりますね。

Tenki.jp「クリスマスはイエス・キリストの誕生日だと思っていませんか?」より

上記のとおり、キリスト教の聖典(『新約聖書』と呼ばれる)にはイエスが生まれた日がいつだったのかの正確な記載はないようだ(ちなみに十字架にかけられた日は紀元30年の4月7日の金曜日であるとされているらしい)。


余談だが、イエスは33歳で亡くなったはずなので、起源30年から33を引くと...。

私たちの歴史の「メモリ」として採用されている西暦とはいったい何なのだろうか。

これ以上考えると底なし沼にハマりそうなので、深く追求するのはここでは止めよう
(笑)

いつだって私たちが住むこの世界は謎に満ち溢れている、たぶん開けてはいけないパンドラの箱もたくさんあるのだ。

とりあえず、クリスマスというのはどうやら「イエスの誕生日」そのものではなく、「イエスの誕生日を祝福するための日」ということのようだ。

***


【クリスマスは逆算して設定されたという考え方】

私が20代の頃、それはそれは死ぬ気で働いていたので、クリスマスを楽んだ記憶があまりない。

そもそも人がたくさん集まるところは昔からどうも苦手だ。

それでも周りの友人たちが楽しそうにしていて、そんなリア充たちを横目に見ながら、クリスマスパーティーの誘いにテイの良い断り文句を考えては
毎年アップデートを繰り返していた気がする。

ある年の瀬にラバイ(ユダヤ教の聖職者のこと、日本語では「ラビ」とも表記する)と食事をした時にクリスマスについて尋ねてみた。

私:「毎年クリスマスに誘われて断り文句を考えるのが大変です、リア充どもを撃退する知恵が欲しい」

ラ:「それは面白そうだな。では...まずイエスの宗教は?」

私:「ユダヤ教パリサイ派、だから彼はユダヤ教徒だよね?」

ラ:「そうだね、彼は当時の腐敗したユダヤ教を立て直そうとした立派なユダヤ人だった。尊敬に値する人物だ。ただし、彼自身はユダヤ教徒であってキリスト教徒ではないな。では、彼がユダヤ人になったのはいつだった?」

私:「割礼ブリット・ミラー)を施した日?」


ラ:「正解だ、生後8日目だね」

神はアブラハムに言われた。「あなたと、あなたに続く子孫は、代々にわたって私の契約を守らなければならない。


創世記/ 17 09

私とあなたがた、およびあなたに続く子孫との間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたがたのうちの男子は皆、割礼を受けなければならない。


創世記/ 17 10

包皮に割礼を施しなさい。これが私とあなたがたとの間の契約のしるしとなる。


創世記/ 17 11

あなたがたのうちの男子は皆、代々にわたって、生後八日目に割礼を受ける。家で生まれた者、また、あなたの子孫ではないが、外国人から銀で買い取ったすべての者がそうである。


創世記/ 17 12

あなたの家で生まれた者、またあなたが銀で買い取った者は必ず割礼を受けなければならない。私の契約は、あなたがたの体に記された永遠の契約となる。


創世記/ 17 13

ラ:「西暦の始まりは諸説あるが、イエスがユダヤ人になった日から始まると仮定してみよう。ローマ帝国ではこの日を便宜上1月1日とした。なぜなら彼がいつ生まれたかはわからないからね。こういう解釈の方法もある」

私:「なるほど、面白い!ただ、それだと12月24日とは関係なくない?」

ラ:「答えは簡単だ。生後8日目である1月1日が割礼を施した日ということは、その8日前は何月何日だ?」

私:「1月1日が当日(1)だから、12月31日(2)、30(3)、29(4)、28(5)、27(6)、26(7)、、、25(8)。おっ!でもそれだと24日にはならないよ」

ラ:「聖書の時代に1日が始まるのはいつだ?」

私:「夕暮れの空に星が3つ。なるほど、25日の始まりは現代の日付だと24日の日没だ!」

すなわち、この考え方をすると、クリスマスが25日になったのは、イエスが割礼を受けた8日前という逆算仮説が成り立つことになる。

さらに、1日の始まりは現在の時間軸では、前日の日没という時間差が発生することになる。つまり、12月25日の始まりは聖書時代の定義を当てはめると24日の日没ということになるわけだ。

すでに、クリスマスはイエスの誕生日ではなく、生誕を祝う日と認識されているわけだが、逆算して誕生日が決まった、というこちらの考え方のほうが個人的には腑に落ちる気がする。

2月29日に生まれた赤ちゃんが2月27日と3月1日のどちらで出生届を出すかという話は時々聞くが、私の知る限り誕生日を逆算で決めるという話が出るのはおそらくイエスだけの超ウルトラCだろう。

私はクリスチャンではないのでイエスの神格については肯定も否定もしないが、ナザレのイエスが西暦の基軸となった偉大な人物であり、2,000年以上の後世を生きる私たちに、多大な影響を与えた人物であったことは間違いない。

さて、、、

ここまで長々と書いておいて何だが、、、、

よくよく考えてみると、「イエスの生誕を祝福すること」と、「クリスマスパーティーへの参加を断ること」はそもそも趣旨が違う話なので、クリスマスパーティーにこのネタを使って断るためには、どっちみち論点を
巧みにすり替える高等な話術が必要不可欠ということになる。

なので、結論を言えば、



パーティーをするのは



クリスマスが終わってからでも



よくないすか?




さて、、、もうじき今年も終わり、皆さんどうぞ良いお年を!


※聖書によれば太陽と月は4日目に造られたらしい。では1日目から3日目はどうだったのか気になる方もいるかと思う。気になる方はぜひ「科学と宗教は矛盾するのか?」を読んでみてほしい。

***

【おまけ①:「クリスマスキャロルの頃には」はクリスマスの曲ではなかった?】

クリスマスキャロルが流れる頃には 

君と僕の答えも きっと 出ている「だろう


クリスマスが近づくと必ず耳にするこの曲。よくよく歌詞を見ると、実はクリスマスの曲ではなかったという衝撃。「だろう」と言っているので、クリスマスはまだ来ていないよね



***

【おまけ②:サンタクロースは正気の沙汰ではないという話】

SPY Magazine (January, 1990)に掲載された"Is there a Santa Claus? - a physicist view"というタイトルのコラムで、サンタクロースとトナカイにかかる重力を物理的に計算した結果が書かれている。

要点をまとめたので暇つぶしにどうぞ~♪

*

世界中には18歳以下の子供が20億人存在する。
しかしながら、イスラム教やヒンドゥー教、ユダヤ教、仏教といった宗教を信仰する地域の子供は(おそらく)サンタさんのサポート対象外である。



国連の人口推計によるとキリスト教圏の子供の数は全世界の子供のうちのおよそ15%にあたる3億7800万人であり、
世界国勢調査の平均によれば1家庭あたり3.5人の子供がいるので、その世帯数はおよそ9,180万軒にのぼる。

地球の時差と日付変更線のおかげで、幸いにもサンタさんは仕事に充てる事ができる時間を31時間持っている。これにより、1軒あたり約1/822.6秒の間、訪問にあてることができる計算となる。

これら9,180万の家が、地球上に均一に分布していると仮定すると、その間隔は1.3kmとなり、サンタさんがクリスマスイブに移動すべき距離はのべ1.2kmであると結論付ける事ができる。

1.2km31時間で移動するために必要な速度は、1,040km/秒の速度であり、音速の約3,000倍程度である(ちなみに、人間が作り出した最も速い乗り物は、宇宙探査機で、その速度は秒速44kmである。つまり、サンタさんは人工衛星の23倍の速度で移動する計算になる)。

なお、そりの上のプレゼントを1kg/個と仮定すると、その総重量の378,000tは積んでいることになる。

ちなみに、普通のトナカイが牽引可能な重量は130kgであり、よって何らかの理由によりサンタクロースが普通のトナカイにその役目を託すならば約300,000頭を必要とする計算となる。

300,000頭のトナカイたちを含めた一行の総重量は約400,000tにも達する(ただし計算の便宜上そりの重さは無視するものとする)。

音速の3,000倍、質量400,000tのサンタさんとその一行は、さらに大変な空気抵抗と格闘しなければならない。

また、音速の3,000倍で移動する物体の後方には通常ソニックブーム(衝撃波)が発生するため、地上から余程離れたところを移動しなければ地球上に存在するすべての施設は破壊され、クリスマスが終わる頃には地球は壊滅する。

サンタさんは移動中、通常の14,500倍ものGを受ける。サンタさんの質量を人間の常識に当てはめて考えるならば体重は120kgくらい、この体重120kgのサンタクロースは2,100tもの力によってそりの背もたれに押し付けられながら毎年、奇跡的な激務をこなしているのだ。


サンタクロースの追跡サイト:「NORAD TRACKS SANTA


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