「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」
川端康成『雪国』より
この文章は明らかに主語が抜けている。
では、これを英文ではどのように訳しているのだろうか?
"The train came out of the long border tunnel - and there was the snow country."
(汽車は長い国境を抜けトンネルから出て、そこには雪国があった)
Edward G. Seidensticker(1921-2007)訳
ここでは主語として The train (汽車)が主語に補足されており、したがって英文訳では「汽車(列車)」が主語ということになる。
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【成田空港での違和感】
先月、久しぶりに日本に一時帰国をした。
成田空港に着き、エスカレーターの下り口まで来ると、以下のような看板が掲げられていた。
「おかえりなさい」
大きな日本語のすぐ横に併記されている"Welcome to Japan"との英語のメッセージの対比を見ながら、日本語をご存じの方であれば、この看板をひと目見て、日本語で示す「私たち」(日本人)とそれ以外である「彼ら/彼女たち」(外国人)がどのような意味で分けられているのかがひと目で分かる。
少なくとも私が知る限り、英語圏の国でこのような区別がされている空港を見たことがない。
https://f.hatena.ne.jp/yukinho/20090917090547
私の理解が正しければ、この「おかえりなさい」という言葉は通常、①「内側にいる人」が、②「外側の世界に出て」、③「また内側に戻って来た時に」、④「内側にいる人たちからかけられる言葉」であり、そして⑤「外側から戻ってきた人が内側に帰属意識があることが前提」である。
私は人生の4分の1以上を海外で生活しているので、私のアイデンティティは日本人ではあるものの、私の家・生活の拠点は長いこと日本の国外にある、いわゆる日本の非居住者である。
これだけ長く海外にいると、もはや外国の家が私の主たる居場所であって、日本には「帰る」という感覚よりも、むしろ「行く」という感覚が強くなっている。
成田に着いたとて、私の家はもはや日本にはないのだ。
日本にいる日本人には当たり前かもしれないが、日本の非居住者になると銀行口座も作れないし、クレジットカードも作れない。私たち非居住者の属性は日本では「住所不定・無職」とみなされる。
大多数の日本国内にいる日本人にとっては当たり前の感覚が、私のような海外居住者にとっては逆に不思議な感覚になるのだ。
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【疎外感と排他性】
これは、日本語が分からない外国人には理解できないため、それはそれでいいという割り切った考え方だ。たいていの外国人は日本語が分からないし、それはそれでいいのだ。
つまり、日本語の「おかえりなさい」に目を通さない「彼ら/彼女たち」(外国人)は、よその国から来た人たちなのだから、ここでは"Welcome Home"である「お帰りなさい」を使ったところで、さほど問題にはならないし、意図的な翻訳ミスを指摘する人はいない。
日本語で「ようこそ日本へ」という表現がないこと自体、大多数の日本人が無意識のうちに形成している「排他性」が、そこにはあるからだ。
ここに、長年にわたり海外に住む日本人が感じる、「目に見えない壁」がある。
長く海外に住み、日本への帰属意識が薄れつつある日本人、それとは反対に長く日本に住み、日本への帰属意識が強まっていく外国人。
日本語で書かれた「おかえりなさい」という表現は明らかに20年前、30年前の感覚とは大きくその意味合いが変わりつつある。
日本の空の玄関口・成田。そこにはグローバル化の波に揺れる、ある種の葛藤が見て取れた。