最近、教育業界で働く友人からの依頼があって、中高生・保護者の方々との討論会に呼ばれた。


おそらくこういった場所に、私のようなチンピラ野郎を放り込んだのは何か意図があるのだろう、と自分なりに演じる役割を考えてみた。

私の性格上、優等生的な建前だけの回答はつまらないので、事前に受け取った台本を完全に無視して、好き勝手にお話しさせていただいた。

(悪いオトナの見本です...)

予定調和を乱すのは、行儀が悪いとお叱りを受けることもあるが、それは一方において、硬直した思考パターンに柔軟性や刺激をもたらす。

以下、完全に私の主観的な価値観を書くので反論があるかもしれないが、まぁ、人それぞれいろんな考え方があるので、そのひとつだと思って真に受けないでほしい。

結論先行で言えば「教育こそが最大の財産になりうる」というお話。

そりゃそうだ、わざわざ教育の話をしに来たんだからさ(笑)


思想や価値観というのは多種多様であって、人それぞれ違うもの。

年齢、性別、生い立ち、職業などによっても個人差があるだろう。

そもそもこの世界に絶対の正解など存在しないし、いろんな考え方があっていいと思う。

自分と違う考え方だからといってすべてを否定してしまうと、途端に視野が狭くなり、やがて人間としての成長が止まってしまう。


まぁ、それもいいかもしれないね。

あなたがすでに老人であるならば...



【アリとキリギリス】


ある夏の日、
キリギリスがバイオリンを弾きながら歌を歌って過ごしていると、目の前をアリたちが通り過ぎて行く。

キリギリス:「おい、アリくんたち。そんなに汗をかいて何をしてるんだい?」

アリ:「これは、キリギリスさん。私たちは食べ物を運んでいるんですよ」

キリギリス:「ここには食べ物がいっぱいあるじゃないか。どうして、いちいち家に食べ物を運ぶんだい。お腹が空いたらその辺にある食べ物を食べて、あとは楽しく歌を歌ったり、遊んだりしていればいいじゃないか~♪」

アリ:「今は夏だから食べ物がたくさんあるけど、冬が来たら、ここも食べ物はなくなってしまいます。今のうちにたくさんの食べ物を集めておかないと、後で困りますよ!」

キリギリス:「まだ夏は始まったばかり。冬の事は冬が来てから考えればいいさ~♪」


アリとキリギリス(The Ants and the Grasshopper)
出典:「みんなが知ってる世界の有名な話(アリとキリギリス)

やがて寒い冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、途方に暮れる。

キリギリス:「ああ、お腹空いたー、困ったなー。どこかに食べ物はないかなあ。・・・あっ、そうだ!アリくんたちが、食べ物をたくさん集めていたっけ。よぉ~し、アリくんたちに何か食べさせてもらおう♪」

キリギリスは急いでアリの家にやって来たが、アリは家の中から答えた。

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出典:「みんなが知ってる世界の有名な話(アリとキリギリス)

アリ:「だから、食べ物がたくさんある夏の間に食べ物を集めておきなさいと言ったでしょう。家には家族分の食べ物しかないから、悪いけど、キリギリスさんにはあげる事ができませんよ!夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうですか?

キリギリスはアリたちに食べ物を分けてもらおうとするが、アリは
食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死にしてしまう...


イソップ寓話「アリとキリギリス」の物話の中で、作者が伝えたかったのは、

「キリギリスのように将来の危機への備えを怠ると、その将来が訪れた時に非常に困ることになるので、アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのが良い」

Wikipediaアリとキリギリス」より 


という教えだ。この話の教訓は、「今、楽をしているなまけ者は、そのうち痛い目に遭う」という有名なお話[1]


*****


「そうそう、そのとおり。キリギリスの野郎、ざまぁみろ
と多くの人たちは思うかもしれない。

でも、少しだけ発想を変えて考えてみてほしい。


一方において、アリたちはやがて来る冬に備えるべく、せっせと働いて食糧を蓄えていた。人生は順調な時ほど油断せずに万が一の事態に備える、これは素晴らしいリスクマネジメントだし、堅実な生き方である。

他方において、キリギリスは、今この瞬間を精一杯楽しんでいた。明日には死んでしまうかもしれない、先のことなんて誰にもわからないのだから、好きなことを徹底的に貫く生き方である。

多くの人たちはアリの生き方こそが正しいと教えられ、キリギリスが社会不適格者のように叩かれる。


ここで、キリギリスの言い分を考えてみよう。

キリギリスは、精一杯バイオリンを弾きながら歌を歌っていたし、バイオリンの技術を身に着けるのはアリたちの見えないところでたくさん練習していたのかもしれない。

アリたちもキリギリスの演奏を聴きながら重労働をこなしていたし、ひょっとしたら、キリギリスの音楽が心の支えになっていたかもしれないではないか。

それにも関わらず、餌を運ぶアリは報われる一方、バイオリンを弾くキリギリスが報われないのは、なんとも不公平に思えてならない。


結局、何が言いたいかというと、「どちらの考え方も一理あって正しい」ということ。

決して快楽主義を進めているわけではなく、視野を広げて物事を柔軟に考えることの大切さの一例として捉えていただければ、と思う。

世の中に絶対の正解など存在しないのだから、差別や偏見を捨ててお互いのいい部分をバランス良く取り入れてみればいいではないか。

...とここまで書いたのは、アリはアリでいろいろ大変な人生を歩むことになるからだ。



【壮絶なアリ地獄】


朝から晩まで必死に働き、貯金をして、万が一の事態に備える。

アリとキリギリスの物語の中で、アリというのはサラリーマンの生き方を象徴している。

たしかに、アリの生き方は社会通念上、「最適化された生き方」のように見えるが、ここに「最適化のワナ」が潜んでいる。

長い間、終身雇用制度によって安定した生活を保証されてきたサラリーマンだったが、最近はこのシステムも崩れはじめ、不況ともなれば、社員の生活の維持よりも利潤追求を優先する資本主義の原則を思い知らされ、結局、自分たちは労働力を売ることしかできないプロレタリアートであることに気づくことになる。

一見すれば安泰に見えるサラリーマンの人生も、意外と不安定な柱に支えられていることがわかる。さらに、せっせと食料を蓄える堅実な彼ら/彼女たちの多くは、自らアリ地獄の罠にはまっていくのだ。

アーサー・ミラーによる戯曲『セールスマンの悲劇(Death of a Salesman)』の物語の中で、主人公であるウィリィ・ローマンは極めて経済的価値の本質を突いた捨てゼリフを吐いている。
 

「一生に一度でいいから、壊れないうちにローンを払い切って、自分の物にしてみたいよ!
これじゃあ、いつもゴミ捨て場と競争しているようなもんじゃないか。
支払いが終わりゃ、車はくたばる。払い切った途端、使い切るって仕掛けなんだ」


これは、観客席から眺めてみれば完全なる喜劇だが、当事者にとっては極めて残酷な悲劇である。

そして、さらに残酷なのは、多くの人たちは気が付かないうちに当事者になっているということだ。


*****


ローンで購入したマイホームや自動車。

一見すると、多くの物に囲まれて安定した生活を送る人たちを見ていると、羨ましく思うかもしれない。

それは、キリギリスにとってみれば、自分が手に入れられないものを手に入れたアリたちに対する「嫉妬」や「憎悪」、そして「憧れ」が交錯した複雑な感情をもたらすだろう。

俗にいう、「隣の芝生は青く見える」というやつだ。

しかし、彼ら/彼女たちの多くは人生のある時点で、自分の財産だと思っていたのは、実は錯覚にすぎないことに気付く。

彼ら/彼女たちはフラット35年ローンを組んで住宅を購入し、自動車もローンで手に入れることになるが、ローンの支払いに加えて、金利も負担することになる。

さらに、マンションであれば修繕積立費の負担が必要となり、自動車の修理代の支払いにも追われる人生を送るハメになる。

そして、晴れてローンの支払いが終わる頃になると、
はじめは新築でピカピカだったマンションも耐用年数の終わりに近づき「経済的価値」は消滅し、自動車はとっくに壊れて使い物にならなくなってしまう。


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出典:「SUUMO(マンション・一戸建てお金の面ではどう違う?)」より


これではまるでローンを支払うために働いたようなもので、払い終わるや、気が付いてみるとローンで買ったはずの商品の経済的価値はほとんど消滅してしまう。オプション取引のタイムディケイの概念と本質は同じことだ[2]。

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出典:「残存日数とオプションの価格(日本取引所グループホームページ)」より



冷静に考えてみると、私たちの多くは30年以上の年月、汗水垂らして働いたところで、本当に自分のものと呼べるような財産を何一つ手に入れることができない仕組みになっており、ローンの完済日とともに経済的価値はほとんど消失してしまうのだ。



*****


ここで、悲劇の本質を考えてみたい。

多くの人は長期のローンを組んで住宅や自動車を購入することになるが、ローンを完済するまでは、それを完全に自己の所有物とみなすわけにはいかない。

ローンを組んで住宅や自動車は、20年、30年、という長い年月をかけて、少しずつ私有する仕組みになっている。

そして、払い終わったときには使い切り「財産価値」が限りなくゼロに近づく。

これはもはや財産ではなくて、ただの高額な消耗品ではなかろうか?

こうして考えてみると、私たちが財産だと思っている多くの財産は、実は消耗品であることに気付くだろう。

そうだとすると、消耗品を所有することの意味は、少しずつ所有権を失っていることと同じことではなかろうか?

果たして、人間が一生涯にわたって所有し続け、使い続けられるものなどあるだろうか...?

「諸君は、我々が私的所有を廃止しようとしていると言うので、びっくり仰天する。だが、諸君のこの現在の社会では、社会の成員の10分の9にとって、私的所有はすでに廃止済みである」

「共産党宣言」より


そんなバカな!?勝手なことを言うなって?

だったら法務局に行って登記簿を見ながら抵当権設定を確認してみたらいい。

抵当権者の欄を見れば、「毎月口座から元金と金利を引き落とす資本家」=「あなたの私有財産の本当の所有者」の正体が書かれているはずだ。



〇〇銀行とね...。

 

【裸の王様】


ところで、私有財産とはいったいなんだろうか。


一般に、財産とは経済的価値を持つものをさしていて、
経済的価値を持つものとは売買できる値打ちがあるということである。

これを金で買えるものと考えれば、この世界に存在する多くの物質はこれに含まれることになる。

私有財産は、「生活手段としての財産」と
「生産手段としての財産」にわけて考えられる。

マルクスが
私有財産の廃止について唱える際に念頭に置いているのは、「生産手段としての財産」のことを指しているのであって、生活手段としての財産は私有財産とはみなしていない。。


それでは、プロレタリアが労働によって自分自身のために作り出すものは何かといえば、それは、労働力を再生産するための「生活手段」である。


自分の労働力を売れなくなったプロレタリアに未来はない。

年金制度によってある程度の生活は保証されてはいるが、最近はそれすらも不確実性が高いように思う。

要するに、多くの人たちは、「生活手段としての財産」を一時的に私有しているだけだ。

そう、すべては錯覚にすぎないのだ。


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出典:「みんなが知ってる世界の有名な話(裸の王様)


子どもたちは本当に正直者だ。

大人たちは愚か者には見えない服の存在を信じて声には出さないけれど、世の中を見渡せば、
意外と裸の王様だらけかもしれない。

どれだけ立派な衣服を身にまとっていても、裸の自分と向き合った時、私たちには一体何が残るだろうか?

中身が何も無いとすれば、自分自身がハンガーになってしまう...。


なぁ~んてね♪ 



【奪われることのない財産とは?】


少し長くなるが、シモン中村氏の「渡り鳥の子三羽の話(イスラエル寓話)」を引用したい。


渡り鳥が三羽のヒナを産みました。月日がたち、三羽とも大きくなりました。

ある日、母親が子供たちに空の飛び方を教えていると、突然その地に寒波が襲ってきたのです。これでは暖かい地に移動しなければなりません。

しかし、三羽ともまだ長い空の旅を続けることは不可能です。

母鳥は困り果てた末、一羽だけを背中に乗せて旅たつことに決めました。
三羽はそれぞれ次のように言いました。

一羽目「お母さん、もしぼくを連れていってくださったら、ぼくは一生懸命に働いて、お母さんのために宮殿を建て、ぜいたくな生活ができることを保証してみせます」。

二羽目「ぼくも一生懸命働きます。もちろんお母さんには不自由な生活はさせません。老後には亡くなるまで心を尽くし、責任をもって面倒をみます」。

三羽目「ぼくは努力をしますが、お母さんにどれほどのことをしてあげられるかわかりません。ただ、結婚して子供が生まれたら、お母さんに教わったことを子供には伝えたいと思っています」。

そして、母鳥は三羽目を選びました。

シモン中村「ユダヤ人に見る人間の知恵 たくましい心を育てるために」より



上記の寓話は何とも生々しい話ではあるが、当時のユダヤ人の母親にとってはそれだけ過酷な判断が求められてきたのだろう。

日本のような平和な国に住む母親の感覚では、「子ども全員を抱えて逃げる」というのが当然の選択肢だろう。

ここで、私たちがこの寓話から学ぶべきは、「いつ何があっても持って逃げられる財産を大切にする」、という教訓だ。


“人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。
それは知識である”

ユダヤ教の聖典「タルムード」より


戦争やテロはともかく、地震や津波などの自然災害は日本人とは切り離せないリスクだ。

ある日突然、着の身着のまま逃げる必要に迫られたとき、あなたは何を持って逃げるだろうか?

両手で持てるものはせいぜい、ボストンバック
2つがいいところだろう。

多くの人たちは家や車などの「有形の財産」を大切にする風潮にあるが、それ以上に「無形の財産」も大切にするべきでは?、と個人的には思う。

ということで、冒頭にも述べたように、
教育こそが最大の財産になりうる」というお話。



本当の意味で国家を守るのは「軍隊」ではなく、「学校」なのかもしれないね。


[1]アリとキリギリスのもうひとつの教訓は、アリのようにせこせこと貯めこんでいる者は、「餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ」、という側面もあるようだ。日本人は優しい人が多いと言われるが、どういうわけか寄付や慈善の文化は根付いていないように思う。
[2]一般にオプションのプレミアムは、「本質的価値」と「時間的価値」から構成される。時間的価値は、最初は緩やかに減少していき、満期日の直前になると急激に減少するという特色がある。この点、新築のマンションは「デベロッパーの開発費」と「新築物件という名の訳のわからないプレミアム分」が上乗せされるため、最初の買い手がもっとも「本質的価値」と「時間的価値」の損失を被る仕組みになっているので、減少角度がオプションとは異なる。投資目的のオーナーは、減少角度が緩やかになり始める築20年±2年くらいの物件を購入されている方が多いように思う。かなり皮肉っぽい表現ではあるが、プレミアムの時間的価値がゼロになる満期日には、本質的価値のみが残ることになり、鉄とセメントの塊=紙屑だけ残るのは新築マンションもオプションも同じこと(笑)

[3]以前書いた記事は、客観性に乏しい内容であったように思う。これは世代の傾向というよりも、単に物欲の無い人間の考え方だったように思う(参考:「モノを買わない人たち」)。ただし、客観的に書くことが必ずしも正しいとは限らないし、多くの人たちが正しいと信じていることが必ずしも正しいとは限らないので、今回はさらに刺激的な発想で書いた。


(参考: 伊藤氏貴 (著)『Like a KIRIGIRISU“保障のない人生”を安心して生きる方法KADOKAWA/エンターブレイン、2013年)
(参考: 木原武一 (著)『ぼくたちのマルクス』筑摩書房、1995年)
(参考: シモン中村 (著)『ユダヤ人に見る人間の知恵 たくましい心を育てるために』マネジメント社、1991年)