オトコとオンナは別の生き物なので、お互いを理解し合うのは難しいといわれる。
データの検証をしながらふと気づいたのだが、①全く同じ条件で、②全く同じ作業をしても、リスクの取り方に男女間では差異があることがわかり、男女の本質を詳しく調べてみることにした。
ここでは、哺乳類の「オス」と「メス」という動物の本質から「オトコ」と「オンナ」についてストレートに書いてみようと思う。
画像:「Matters of the brain : Why Men and women Are so Different」
オトコとオンナ、遠くから眺めてみた――。
1.【根本的な違い】
2.【生存戦略】
3.【浄化メカニズム】
4.【銘柄選択の難しさ】
5.【男女不平等社会】
6.【おわりに】
♂♀・♂♀・♂♀・♂♀・♂♀
【根本的な違い】
以前、ブログに書いたのだが、
男性は生まれ持った本能から、「少しでも多くの畑に種をばら蒔く」こと、
女性は「畑にどの種を蒔かせるか」ということがDNAに深く刻み込まれているようだ。
出典:「永久保有銘柄について考える」より
このことについて文献やネット上の記事を読んでみたところ、おそらくオス(男性)とメス(女性)の動物としての根本的な違いから来ているのだろうと思う。
つまり、
オスは少ないエネルギーでほぼ遺伝子のみを含む配偶子(精子=種)を一度に大量に生産することができる。
メスは配偶子(卵子=畑)を作るためには多くのエネルギーが必要となるため一度に大量に生産することができない。
ゆえに、
オスは多くのメスと交配をすることで、遺伝子を残すという生存戦略をとることができる。
メスは貴重な卵子を使って遺伝子を残すためにはオスと同様の戦略をとることができない。
そこで、メスはどうするかというと、
周囲のかぎられた標本データ(オスたち)の中から相対的に豊富な資源を有するオスの精子を卵子に取り込むことにより、生存戦略の最適化を図る
ことになる。
その結果、特定の相手を選択し、熱心に追い求め、繁殖のために求愛の「時間」と「エネルギー」を効率的に集中させることができるようになった。
これを「時間」と「エネルギー」による費用対効果の観点から見ると、少なくともオスとメスの生殖機能は真逆の性質を持っており、子孫(子ども)をつくるコスト(負担)も大きく異なっていることがわかる。
*****
まず、人間のオスについて考える。
人間のオスの場合、精子の放出(射精行為)にはほとんど負担がかからないため、より多くの子孫を残そうとすれば、できるだけ多くのメスと交配する「乱交」こそが進化の最適戦略となりうる。
多くの方々が忌み嫌う「乱交」というのは、実はオスにとっては極めて効率的な配偶子の分配行為だということになる。
つまり男性は、「交配する女性の人数」×「交配の回数」が多ければ多いほど子孫を残せる確率が高くなるため、「量」を重視する戦略を採るのが最適と考えられ、本能レベルで考えれば浮気しやすい生き物といえるのかもしれない。
心理学者のクリストファー・ライアンは、先史時代、我々の祖先は「乱交」「乱婚」が中心となる社会を築いていたと主張する。彼らは、男、女、子どもが混ざったグループで移動する生活を営み、狩猟・採集で得た食料を仲間同士で仲良く分け合うように、「女性」も部族内で分け合っていたという。
彼らは、集団内で複数の性的関係を継続的に結び、親密な血縁集団を形成することで、部族内の全てのメンバーが食欲も性欲も満たされるようにしていたのだという。
出典:「Visual News」
これは、人間の持つ闘争本能を血縁という仲間意識によってコントロールし、理性によるパワーバランスを保っていたと考えられる。
人類皆兄弟とは言うものの、性的な独占欲求には人類の「動物」としての長い進化の歴史がある。そもそも「恋愛」が人間の心理的な欲求であり、特定の交配相手を勝ち取るための人間の本能であることを考えると、大多数の恋人たちは、特定の相手を独占したがる傾向にある。
動物は、自分の子孫を残すため、本能的に相手を独占しようとするし、多くの動物は繁殖期が過ぎるまで、交配相手を他の求愛者から嫉妬深く守ろうとする。動物がライバルを蹴落とし、見込みのありそうな相手にのみ求愛し繁殖する自然界では、独占欲はごく正常な行動心理とされている。
さらに、独占欲の強い性の支配者―男性たち―は、女性に対しては「性」を抑圧し、罪の意識を刷り込んでいったと考えられる。「食欲」・「性欲」・「睡眠欲」は動物の三大欲求であるが、唯一、性行為だけはしなくても死に至ることはない。
たしかに、性欲を抑えて禁欲生活を続けられる聖人君子も世の中には例外的に存在するが、ほとんどの人間にとっては、快楽に負けて性の衝動を抑えることはできない。意志が強ければ我慢できるはずの衝動が、それを我慢できないというのは、人間の罪の意識をさらに強める効果を持つ。
これは、性の支配者にとってみれば、性的欲求は女性に罪の意識を刷り込み、恐怖心を植え付ける目的として利用するには好都合だったといえるだろう(あるいは、男性は子どもを生産できない運命ゆえ、女性に対するせめてもの抵抗なのかもしれない)。
さて、先に述べた「乱交」「乱婚」制度は、先史時代のような「原始共産制」から「私有財産制」の時代、すなわち所有権が明確化する時代まで続いていたとされる。
ライアンの説が正しければ、「原始共産制」の社会では「乱婚制度」が築かれていたものの、「私有財産制」の社会になってから、「一夫一婦制」が築かれたことになる。
なお、「原始共産制」の時代から「一夫一婦制」の現代に至るまで、私たちには生物学的趣向として、異性の標本データの中から、より均整のとれた相手を無意識に選択したがる傾向があるという。
多くの人たちが均整が取れた相手に魅力を感じるのは、優秀な交配相手を選ぶために進化してきた動物のメカニズムであり、私たちの脳は生まれつき、美しい顔に魅力を感じるようにできているようだ。
均整バランスがとれて最適化された端正な顔だちは、神経伝達物質であるドーパミンを多く分泌させ、性的な反応を強く刺激する。ゆえに容姿端麗な人間は、男女間における交配ゲームで勝ち残る確率が高くなる。
とくに男性について言えば、若くて美しい女性を無意識に好む理由は、卵子の質も良く、量も豊富なため、繁殖時の費用対効果が高いと考えられるからだ。
このように、若くて美しい女性を目の前にしたとき、男性は恋に落ちるように進化を遂げた。それゆえ、男性には視覚によって恋愛感情を芽生えさせる本能が備わっていると考えられる。
長い狩猟採集生活を通じて、若くて健康的な女性を獲得した男性は、繁殖によって多くの子孫を生産した。その結果、健康的な赤ん坊は古代の厳しい環境下でも生き残ることができたからだ。
上記のような、若くて美しい女性を求める風潮は現代社会にも残っているようだ――。
*****
次に、人間のメスについて考える。
人間のメスは、オスと違い、配偶子(卵子)が大量生産できない上に、受精から出産までに10ヵ月以上もかかり、無事に子どもが生まれてもさらに1年程度の授乳期間が必要となる。
これはきわめて大きな負担となるため、交配の相手を慎重に選び、子育て期間も含めて長期的な関係をつくるのが進化の最適戦略となる(交配だけして子孫を残したまま捨てられてしまうと、食料が調達できずに母子ともに飢え死にしてしまうため)。
また、そういった理不尽極まりない「やり逃げリスク」を回避し、市場価値の低下を防ぐ必要があるため、女性の恋愛感情には「長期安定志向」により男性の乱交の欲望をコントロールするための制御効果の役割を担っているとされる。
女性は生涯に生産できる子どもの数には限界があり、セックスを「貴重品」としてできるだけ有効活用しようとする(※男性の精子が毎日生産されるのに対して、女性の卵子の基となる細胞(原子卵胞)の数は生まれた時から増えることがないため、出生時に約200万個あった原始卵胞は、思春期には約20~30万個まで減少してしまう。その後、1回の月経周期につき数百~千個が減少するといわれている。これを、日に換算すると、1日当たり数十個が減り続け、やがて閉経を迎えることになる)。
出典:「生命の環境研究所(卵子の老化)」
つまり女性は、「交配する男性の人数」×「交配の回数」が多くても残せる子孫の数には限界があるため、「質」を重視する戦略を採るのが最適と考えられ、本能レベルで考えれば浮気しにくい生き物といえるのかもしれない。
女性は「特定の選ばれた男性」×「交配の回数」を選択したほうが長期的な関係を築ける確率が高くなるためだ。
繁殖のために求愛の「時間」と「エネルギー」を効率的に注ぐことができるように人間の恋愛感情を生み出したと書いたが、男女間の愛着を生み出す脳内回路は、子どもが一人立ちできるまで男女が協力して育児をするために発達した進化の産物ということになる。とくに、女性にとっての恋愛感情は、性欲と愛着とが密接に絡みあっており、恋愛感情は時間の経過とともに安心、落ち着き、そして愛着へと変化していく。
進化論の説明では、人類に訪れた大きな変化は、木から降りて二足歩行で大地を歩き始めたときから始まったとされる。危険な大地を歩くとき、メスには重大な危険が生じた。子どもを腕に抱えながら、野獣に襲われる危険が急激に増大したからだ。そこで、メスを危険から守ってくれるオスがどうしても必要となった。
これは先に述べた心理学者のライアンとは異なる脳科学者ヘレン・フィッシャーの説だが、進化論の説明では、人類は子どもを育てるために、「一夫一婦制」が必要不可欠となったという仮説が導きだされる。
さて、独占欲の強い性の支配者―男性―から罪の意識を植え付けられている女性にとっては、 特定の男性以外との交配(不貞行為)は恐怖心を植え付けられた状態だ。
性行為には多少なりとも快楽が伴うため、性的欲求を、汚らわしく罪深いものと思い込ませることができれば、女性はセックスのたびに恐怖心が芽生え、罪の意識に捕らわられるようになる(これは宗教などの不安産業が罪の意識を利用して人々を巻き込んでいく論理パターンと同様だ)。
聖母マリアの時代から、処女を神聖化し崇拝する風潮が現代社会でも根強く残っているのは、女性には性の快楽を封印し、自分だけの女として独占したいという男性の支配欲求の顕れなのだろう。
男性は「最初の男でありたい」、女性は「最後の女でありたい」と言われるのは、男性の支配欲求と女性の長期安定志向の本質の違いを見事に突いた名言であろう。
思うに、「貞操観念」という発想は一夫一婦制という文化による産物にすぎず、本能的な要素は非常に薄いのではないだろうか。というのも、種の保存のみを性交の目的であるとすれば、女性にとっては多くの男性との交配が望ましいことになる(極論をいえば、どの男性の種でもかまわないということ)。
ところが、男性からすれば、(本能レベルにかぎって言えば)一夫一婦制のもとで自分の遺伝子かわからない種を無条件に保存するのは費用対効果に見合わないため、女性は操を立てることで信用を担保し、「養育」という名の債務を男性にも連帯責任で負わせると考えるのが本能的な行動心理ではなかろうか(DNA鑑定技術が進歩する以前、子どもの本当の父親は女性にしかわからず、情報の非対称性が存在していたため)。
それゆえ、男性の貞操観念については積極的に議論されず、女性の貞操について偏重して議論がなされる風潮があるのは、こういった背景が一因であるように思う。
このような観点からも、女性にとっては特定の男性を選ぶという行為は、性の抑圧から解放され、快楽の追及を正当化できる建前が出来上がる。
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こうして考えてみると、男性に比べて女性に結婚志向が強いのは、「生存」と「繁殖」、さらには「性の抑圧からの解放」と「快楽の追及の正当化」を同時に実現できる効果的な手段だからなのだろう。こういった実用的な目的達成のために、女性は結婚に対して慎重であると考えられる。
女性は男性の外見だけでは、交配相手としての価値があるかどうかを判断することは極めて困難だ。なぜならば、相手が自分をどれくらい守ってくれるのか、すぐには判断できないからだ。
狩猟採集生活という危険な環境下において、子育ては現代よりも非常に過酷なものであっただろうし、男性の査定基準は、自分と子どもを守ってもらう際、どれだけ頼りになるのか決定的な意味を持っていたからだろう。
それゆえ、女性は、男性よりも実用性を求め、男性よりも現実的な生き物に進化した。
こうした進化の背景があるため、女性は男性に比べて恋に落ちるのに時間がかかる――。
画像:「The K2P Blog」
なお、興味深いことに、「長期安定志向」がDNAに深く刻み込まれている女性の身体は、自分自身でさえ気付いていないような非常に複雑なメカニズムを進化させたという。
メスにとって生殖行為で最も大事なことは「優秀なオスの精子をより元気な状態で、少しでも多く膣内に射精してもらうこと」だろう。そのため、女性の性器は、自分が愛する男性の性器の形状を記憶してしまうそうだ。
自らの性器の形状を、自分が愛する男性の性器の形状に最適化することにより、性器を完全に受け入れ、より多くの性的快感を与えて射精を促すことにより、少しでも多く射精してもらうことができるからだ。
ゆえに、女性の性器は、愛する男性の性器の形状に最適化される性質があるため、女性が別の男性を好きになった場合、今度はその新しい男性の性器に合わせて形状を変形させることが可能になるわけだ(男性のみなさん、挿入時に違和感があったら手遅れかもしれない...)。
このように、オスとメスという本質から人間の男性と女性を考えてみれば、男性の性欲は本能に忠実である一方、女性の性欲は学習能力によって快楽を覚えるメカニズムに進化したと考えられる。
多くの男性は最初の射精の段階から快楽を感じる一方で、女性の場合、最初のセックスで快楽を感じる女性は少ないと思う。女性は学習経験を重ねるうちに、次第にセックスの快楽を覚えていくのだろう。
上記の快楽メカニズムの違いは、男性の恋愛感情が「電子レンジ」のように一気にピークレベルまで到達するのに対し、女性の恋愛感情が「オーブン」のようにじっくりと温まっていく現象と似ている(※陰陽道では、男性の性エネルギーは「陽」であり、素早く燃え上がる「火のエネルギー」である一方、女性の性エネルギーは「陰」であり、徐々に沸点があがる「水のエネルギー」と説明されている)。
「男は心と身体が別の生き物」と言われるが、これは射精機会×回数を増やすという男性の生存戦略から来ているのだろう。
「心」と「身体」の相関性(連動性)を数値化したデータが存在するかわからないが、明らかに女性のほうが相関性は高いだろう、と個人的には思う。
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【浄化メカニズム】
こうして考えてみると、特に女性にとっての「恋愛」は進化論としてきわめて合理的な産物といえる。
「身体」では、本能によって愛する男性の性器の形状を記憶するという説を書いたが、恋愛が女性の「長期安定志向」によるものであるならば、新しい恋人ができれば性器の形状も変わることになる。
では、以前の恋人の存在は「心」ではどのように処理されるのだろうか?
恋愛においては、女は「上書き保存」で、男は「別名にして保存」。女は別れた相手をすぐに忘れて次の相手に切り替えるが、男はいつまでも昔の相手を忘れない――。
出典:「PRESIDENT Online(なぜ女は、別れた男をスパッと忘れられるのか) 」より
男性は、「交配する女性の人数」×「交配の回数」という「量」を重視することにより、「心」と「身体」を切り離すという生存戦略が最適であると考えられる、と先に述べた。
男性が昔の恋人と何かの拍子にセックスした場合、彼女の妊娠の可能性は、確率的に0%ではない(避妊をしたとしても100%の妊娠を防ぐことはできないため、性行為自体がリスクオンの状態である)。
「量」を重視する戦略が最適である男性にとっては、昔の恋人を「別名にして保存」し、再会の機会を待ったほうが、遺伝子を残せる機会が増えるメリットがあるため、合理性がある。
そのため、男性の脳は昔の恋人を覚えているように進化したと考えられる。
なお、この説が正しいとすれば、男性にとっては極めて致命的な問題が発生する。
男性の場合、失恋して自暴自棄になり、知らない女性と腹いせに一夜限りの関係をたくさん持ったと考えてみよう。これは一時的な憂さ晴らしにはなっても、心の傷を修復するという根本の解決にはならないことになってしまう。
皮肉にも「心」と「身体」を切り離すことができてしまうからだ。
ゆえに、男性のほうが立ち直るのに時間がかかることになる。
出典:「Lumine Magazine」
一方、女性の場合は、別れた恋人とセックスをしたところで何のメリットもないことがわかる。
女性は、「特定の選ばれた男性」×「交配の回数」という「質」を重視することにより、「心」と「身体」を切り離さないという生存戦略が最適であると考えられる、と先に述べた。
男性に比べて女性に結婚志向が強いのは、「生存」と「繁殖」、さらには「性の抑圧からの解放」と「快楽の追及の正当化」を同時に実現できる効果的な手段だと書いたが、昔の恋人と再会し、セックスによって妊娠し出産した場合、昔の恋人が自分と子どもを守ってくれる確率は限りなく0%に近い(中絶した場合でも母体に負担がかかるためデメリットが大きい。責任をとって結婚してくれる可能性もあるかもしれないが)。
いずれにせよ、「生存」と「繁殖」、さらには「性の抑圧からの解放」と「快楽の追及の正当化」の実現が女性にとっては最適な戦略なため、女性にとっては「繁殖」だけを実現させる可能性のある昔の恋人と再会するメリットはない。
「質」を重視する戦略が最適である女性にとっては、昔の恋人を「上書き保存」し、「生存」と「繁殖」を同時に実現できるよう、新たな恋人をさっさと探すほうが合理的だ。
そのため、女性の脳は昔の恋人を素早く忘れてしまうように進化したと考えられる。
女性がスッパリと昔の恋人を忘れられるのは、「心」と「身体」が同一の存在だからだ。女性が本能レベルで別れた男性を忘れるためには、新しい恋をし、寝室で愛を育む。
こうして「心」と「身体」の連動作用が働くことにより「上書き保存」が可能になる。
先ほど、女性の性器は「形状記憶」と書いたが、もし、女性の「心」と「身体」が高い相関関係で同様の動きをしているという仮説が正しければ、脳の「上書き保存」と身体の「形状記憶」の理論がぴったりと一致することになり「心」も「身体」も新しい恋人に最適化されることになる。
さらには「生存」と「繁殖」、「性の抑圧からの解放」と「快楽の追及の正当化」さえも同時に実現できる可能性も高くなるのだ。
画像:「A Future Without War」
もちろん、男性がこう、女性がこう、とステレオタイプ的に言っているわけではない。男性にも女性的な部分があるし、女性にも男性的な部分があるわけだから、あくまでもそういった傾向にあるということ。
現に、過去の恋愛を引きずる女性もたくさんいるし、私のように機械的に記憶から消し去ってしまう男性もいるだろう。
思うに、これは生物学的な差異というよりも、教育観、生まれ育った環境、職業など、社会的要因の影響も大きいのではなかろうか。
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【銘柄選択の難しさ】
「女は上書き・男は別名保存説」はあくまでも仮説のようだが、個人的な実体験や数々の男女の修羅場に巻き込まれた私としては十分にあり得る話だと思う。
今の時代、初恋の異性と結婚するケースは非常に稀だと思うし、その意味ではほとんどの人たちが一度や二度くらいは少なくとも失恋を経験していることになるのだろうか。
適度な恋愛は良い刺激にもなるし、人間の本質と真正面から向き合える貴重な糧となり、人間力の向上につながるが、あまりにも愛が深過ぎてしまうと失恋した時のダメージが大きすぎて心の傷は深いものになる。
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恋愛経験を比率換算すれば、恋人の数が増えれば増えるほど、一人当たりの占有比率は相対的に小さくなっていく。
まず、最初の恋人に振られると100%のダメージをモロに受けるため、心の傷は相当深いものになる。株式投資でいえば、1銘柄に集中投資をしているため、変動リスク(ボラティリティリスク)が極端に高すぎてしまうからだ(このように考えれば、初恋の人が忘れられないのは標本数が1つしか存在しなかったからだろう、と思う)。
次の恋人に振られるとダメージは単純換算で脳内の記憶比率は50%(上書き保存不可の場合)、人間には学習能力が備わっているため防衛本能が働き、ダメージの受け方が軽減する。株式投資のポートフォリオ理論と同じで、個別銘柄(異性)に分散効果が働くためだ。
3番目の恋人に振られるとダメージは33.3%、さらにダメージが逓減していく。つまり慣れていくということ。このあたりから個別銘柄(異性)の占有比率にバラツキが出始める。
以降、単純比率換算でも5番目が20%、10番目が10%、50番目が2%、100番目が1%...と経験則が働くため、防衛能力が上がり、ダメージを受けにくくなる(さすがに100人も恋愛経験があるような方は、それはもはや「恋愛」というより「色情狂」のレベルだと思うので、心療内科に行ったほうがよいと思う)。株式投資のポートフォリオ理論でも、組み込む銘柄数が増えすぎると指数平均の取引をするのと同じことになってしまうため、変動リスクが小さくなりダメージは受けにくくなるが、その一方で刺激などのリターンがどんどん失われていく。
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初恋の異性と結婚し、その後の人生に不貞行為がなかったとすれば、標本データが1つしか存在せず、比較対象が存在しないため、恋愛とセックスに対しては「絶対概念」となる。
それに対して、失恋と恋愛を繰り返していくと、標本データが複数に増えていくため、比較対象が存在することになり、恋愛とセックスに対しては「相対概念」となる。
どちらが幸せな人生なのかは人それぞれだろうけれども、極論を言えば、「相対概念」が適用される男女関係は、リベラルな私からすれば、―それが純粋な恋愛であっても―、極論をいえば「乱交」しているのと変わらないような気もするのだが...(昔の恋人×昔の恋人の昔の恋人×昔の恋人の昔の恋人の昔の恋人...、べき乗計算で凄まじい人数×交配回数になる。ソーシャルネットワークでビジュアル化できたら壮大な乱交パーティーが行われていたことに嫉妬どころか性的興奮を覚えてしまいそうだ)。
別に... 私は乱交愛好家ではないし、そういった趣味の方を否定するつもりはないのだけど(ちなみに未経験です)、統計分析の観点から考えれば、ある程度の標本データは必要になる。
つまり、標本データが1つしか存在しないと、偶然の発生確率が高すぎてしまうため、恋愛はギャンブル性が極めて高いゲームになりうる。
その意味では、限られた人生の中で、物理的に限られた範囲内で最適な標本(相手)を見つけていく恋愛ゲームは、どうがんばっても標本数が少ないので運や偶然に左右されるところが大きいだろう。
リスクオフの姿勢で慎重になりすぎると皮肉にもハイリスクハイリターンになってしまうし、逆にリスクオンの姿勢で大胆すぎると今度はローリスクローリターンになってしまう(場合によってはハイリスクローリターン、これは性病などの感染リスクを考慮した場合)。
何とも皮肉なトレードオフの関係だが、これが恋愛ゲームの本質だろう。
もっとも、人間の本能は驚くべきことに異性という銘柄の査定(スクリーニング)を行う際、自分の所属する環境の中から相手を選択する傾向が高いという。
出典:「Woman Insight」
この現象は、不確実性の高い変動リスクを回避するために、異性を同じ学校、同じ職場、同じ趣味など、ある程度は自分と高い連動性があり、バラツキが抑えられる標本データの中から無意識に選択する本能が備わっているのだろう、と個人的には思う(路上ナンパや飲み屋のオネエさんは属性や変動リスクが未知数となる)。
とはいえ、最近はお見合いの新形態であるネット上の婚活も認知されてきているようだし、自由恋愛市場のような不確実性の高いリスクオンのマーケットよりも、はじめから意図的にバラツキが抑えられている人工的な恋愛マーケットも相対的にはリスクオフな選択肢かもしれない、と思うことがある(もちろん一定の確率で想定外の人物がいるためリスクオンの場合もあるが...)。
もちろん人工的な恋愛マーケットの場合、最初からある程度バラつきが統一化された標本データが揃うと思うのでドキドキ感はなくなってしまうというデメリットがあるが、一方で、最適化された標本データの中から効率的に相手を見つけられるメリットもある(あるのかな...?)。
しかし、そうなるとドキドキ感を求める人は結局、こっそりと別の属性を持つパートナーを探すことになるのだろうか。
うーん、どの市場を選んでも銘柄選択は難しいところだ
※余談だが、婚活中の女性たちにどんな男性と結婚したいかと質問してみたところ、「私のこと『だけ』を愛してくれる人」、「私のことを『1番に』愛してくれる人」といった返答があったが、後者の言い回しのほうが、男性の本質を理解している大人の女性だなぁと感じる(前者が「絶対概念」、後者が「相対概念」である。もっとも本音は前者だろうけれども)。
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【男女不平等社会】
女性の失恋相談に乗っていると、心の傷を慰めているうちに情が湧いてしまい、手を差し伸べた結果、身体も慰めてしまう男性も少なからずいると思う(たいていの場合、下心があるが...)。
そして、「弱っているオンナの心の隙間にツケ込むなんて悪いオトコ、最低よっ!」と周囲から非難を浴びることになる。たとえ...それが男性の善意から来る優しさであったとしても、周囲から一定の理解を得ることは難しいだろうし、私の経験上、どういうわけか女性側に非難が集中することが多い...
ある男性は、失恋して情緒不安定な女性に対して「スキがあれば一夜の情交を楽しみたい」という本音(下心)を隠しつつ、「慰めるふり」をしながら愚痴を聞き、お酒を飲み交わす。女性もまた、「男性の優しさがその場かぎりのものであること(建前)」をわかっていながらも、ひとときの安心を求めたいという甘えと同時に、軽い女と思われないような建前(言い訳)を考える必要に迫られる。そこで、男性は女性に対して「お酒を勧める」「あたかも終電に乗り遅れてしまい、外部要因により帰れなくなった」などの口実(建前)を提供し、女性に非難が集中することを事前に回避するような配慮が求められている。
出典:「本音と建前」より
ここまで、人間の本能についてかなりストレートにまとめてきたが、やはり「性」の話題というのは、多くの人々―特に女性たち―にとっては、表立っては「口にしてはならない」という貞操観念が存在しているようだ。
われわれはどうして、人間にとっては大変に必要かつ自然にして、正しきものである生殖行為を恥じることなく堂々と口にすることはなく、マジメできちんとした話から除外するのだろうか?殺す、盗む、裏切るといったことばは、臆面もなく口にするくせに、このことだけは、ぼそぼそむにゃむにゃとしかいわないではないか。これはつまり、あまり口に出して発しないことは、それだけ、頭のなかでそれへの思いを肥大させてよろしいということなのだろうか?
もっとも使われず、もっとも書かれず、もっとも口にされないことばが、実際はもっともよく知られ、広く一般的に理解されているとは愉快である。年齢がどうであれ、人となりがどうであれ、パンと同じく、このことを知らない者などいない。このことばは、各人のなかに、表現されることなく、声も形もなく刻みこまれているのだ。そして、この行為にもっとも励む性(女性)が、それについては口をつむぐ債務を負っている。これは、われわれが沈黙という聖域にかくまったところの行為であるから、それを強引に引き出すのは罪悪ともなる。それを告発し、裁くためでも罪となるのだ。そして、あえて非難するとしても、遠回しで、婉曲的なものでしかない。
出典:「モンテーニュ『エセ―6(ウェルギリウスの詩句について)』」より
男性が、沈黙という聖域にかくまってしまった女性は、性の快楽を封印された状態だ。「性」は罪悪と刷り込まれている女性にとっては、快楽のためにセックスを求める女は言語道断、きわめて許しがたい罪人として映ることだろう。
それは裏を返せば、自分が手に入れることのできない快楽を手に入れてしまった女性への嫉妬心が潜んでいるのかもしれない。
そのため、女性たちは―男性と一緒になって―、この罪深い女性に向かって、「やりまん」、「淫乱」、「尻軽」、「あばずれ」といった罵声を浴びせることになる。
「出る杭は打たれる」、これは大衆心理とまったく同じ原理だ。
性の支配者―独占欲の強い男性―は、女性の「心」と「身体」を独占するために、性の意識を抑圧すること、さらにそこから生まれる罪の意識や恐怖心は、極めて都合の良い道具として利用される。
性の快楽が罪深い事であると刷り込ませることができれば、女性の浮気を防ぐための抑制効果を持つことになるのだから、男女間において、女性が性の快楽を封印された状態は、男性にとってはきわめて都合がよいからだ。
ところが、ここで男性にとっては身勝手なジレンマが生じる。
男性からすれば、性の快楽を女性と一緒に味わえるほうが、自身の快感は増していくだろう。
しかしその一方で、自分が独占したい本命の女性には性の悦びを覚えて欲しくない、と。
それゆえ、男性は本命の恋人や配偶者とは別に、快楽を共有できる相手を探すことになる。
果たして...
どういうわけか、ほとんどの社会では性に対するダブルスタンダード(二重基準)が存在しているため、女性の性欲は厳しく抑圧される一方、男性の性欲は黙認されているようだ。
男性向けの射精産業が存在していたり、男性の浮気が正当化される風潮があるのは、こういった男性の身勝手なダブルスタンダードがまかり通っているからなのだろう。
女性に対する性の抑圧が現代でも弱まっていない風潮は、男性の支配欲求にあるのだろうと思うし、男性がこうした既得権を手放さないかぎり、真の男女平等社会の実現は不可能だと思う。
♂♀・♂♀・♂♀・♂♀・♂♀
【おわりに】
かなり親しい男女間であっても、性についての話題はなかなか表立っては言えないものだ。
ここでは、「男から見た女」「女から見た男」という視点ではなくて、「男と女」を遠くから眺めてみた。
私自身、性の話題についてはかなりオープンに議論するほうだと思うのだが(TPOは最低限の常識として弁えているつもり)、目の前の話し相手が変わっても、話している内容はたいして変わらないので、この機会に頭の中をすっきりと整理してみることにした。
*****
結局のところ、頭を整理してみてわかったのは、人間という生き物は「進化」しているのか「退化」しているのか、何だかよくわからなくなってしまったということだ。
もはや「一夫一婦制」から「原始共産制」に原点回帰しているようにも感じるのは気のせいだろうか(笑)
「原始共産制」が人間、特に男性の本能に忠実である一方、「一夫一婦制」が人間の理性によって後から作られた仕組みであることを考えると、現代社会の「一夫一婦制」は動物園の檻のような不自然な最適化がなされた仕組みだということになる。
そして皮肉なことに、大多数の人々が理想的だと思っている「一夫一婦制」の仕組みこそが、本能抑制効果という作用をもたらす一方、副作用として不自然な歪みを生じさせてしまい、さらには多くの男女間において、このような不均衡状態を解消する工夫が十分になされていないように思う。
人間は理性を持った高等生物であるとされているが、本質を考えればしょせんは獣にすぎない。パンツを脱いで丸裸になれば、品行方正な紳士淑女もしょせんはただの動物だ。
だからこそ、「理性」という建前だけではなく、ときには「本能」にもしっかりと向き合って動物らしく生きる時間も必要なのではなかろうか?
情熱は長くは続かない――。
結婚当初は情熱的なカップルも、時間の経過とともに空気のような存在に変わっていく。
刺激的な恋愛感情は時間の経過とともに安心、落ち着き、そして愛着へと変化していく。
やがて、「情熱>愛着」の不等号が「情熱<愛着」に変わるとマンネリ化を引き起こし、それは安定感をもたらす一方で、新しい刺激を求めるようになる。
その刺激を配偶者にではなく、外の世界に求めて不倫に走る男女を多く見てきた私にとっては、もはや婚姻制度そのもののあり方を根底から見つめなおす時代になったのでは?と考えてしまうことがある。
以前も書いたように、結婚相手を選択する際、「学歴」、「職歴」、「年収」といった世間体(ベンチマーク)を重視しすぎてしまい、「性的幸福を満たしあう」という、食欲・睡眠欲と並ぶ動物本来の基本的な欲求が軽視されがちになっており、本能レベルでの歪みが理性レベルでの不均衡を生み出し、結果として離婚率や不倫率を上昇させているひとつの要因になっているのだろうと思う(参考:「永久保有銘柄の選択について考える」)。
結婚は「相手」とではなく、「条件」でするものだ、ともいわれる。
とはいえ、人間は愛だけでは生きられない、かといってパンだけでは不十分だ。
理性を重視して慎重になりすぎてもよくないし、本能の赴くままに突き進むのもよくない。
何事もバランスを取るのは難しいものだ。
あくまでも私個人の考え方ではあるが、貞操について自由奔放すぎるのは賛否両論あるにせよ、少なくとも食べ物の好みの話と同じくらい気軽に性の話ができるようなリベラルな環境であってほしい。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と聖書の一節にもあるように、セックスは本来「陰」としての暗い側面だけではなく、「陽」としての明るい側面も持っているわけであり、決して汚らわしいものではない、と私自身は思っている。
恋人間、夫婦間、多くの方が大切な相手と寝室で真摯に向き合ってもらえたらと思う。
恥を忍びつつも恥と向き合いながら...
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※この記事はプロップファーム(自己勘定取引会社)に所属する女性トレーダーたちのパラメータ設定を検証していたところ、男性トレーダーたちと比較してリスクの取り方に僅かな差異があることがわかり、男女の本質の違いについて整理したものだ。本当はプロスペクト理論について詳しく書くつもりだったのだが、いつの間にか性的な内容に趣旨が変わってしまったようだ(笑)パソコンのローカルに保存しておくのも何だかもったいないのでブログに投稿することにした。
証券取引の基本原理は、損失を抑えて利潤を最大化する「損小利大」の考え方が極めて重要な概念であると考えているが、男性トレーダーと女性トレーダーの「利益確定ライン」と「損切りライン」を比較したところ、以下のような結果となった。
「利益確定ライン」「損切りライン」
男性 < 女性 男性 > 女性
※女性のほうが、利益が出ていても粘り強く持ち続けられ、逆に損が出た時は損切りをするのが早い。
具体的な数値等は業務上非公開とさせていただくが、「利益確定」については、男性よりも女性のほうが利益が出ている状況でも焦らずにポジションを持ち続けることができる傾向にあった。また、「損切り(いわゆるロスカット)」については、男性がなかなか負けを認めようとしないのに対して、女性は早い段階で見切りをつけてポジションをクローズしてしまう傾向にあった。標本データが男性が8、女性が3しかないので統計データとしては不十分だが、女性のほうがプロスペクト理論に当てはまっていたため、「脳の上書き保存説」はまんざらではないのかと思った次第である...。
(参考: 「ヘレン・フィッシャー(著)大野 晶子(翻訳)『人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学』ヴィレッジブックス、2007年)
(参考: 「クリストファー・ライアン(著)、カシルダ・ジェタ(著)、山本 規雄(翻訳)『性の進化論――女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?』作品社、2014年)
(参考: Steven Pinker(著)、椋田 直子(翻訳)『心の仕組み 上・下』筑摩書房 、2013年)
(参考: 「ゆうきゆう(著)『たったひと言で心をつかむ技術』徳間書店、2007年)
(参考: 「驚きの「性の進化論」のヒミツ」ダ・ヴィンチニュース)
(参考: 「実は本能のせいじゃない?男が浮気する真の理由を解明」中田綾美)
(参考: 「男と女はなぜわかり合えないのか 週刊プレイボーイ連載(51)」橘玲)
(参考: 「男女で見る恋愛&結婚観の違い 男の恋は「電子レンジ型」、女の恋は「オーブン型」」TrinityWEB)
(参考: 「なぜ女は、別れた男をスパっと忘れられるのか」PRESIDENT Online)
(参考: 「性について(本論)」カフェ・リザン)
(参考: 「在庫はあといくつ?「卵子減少」を加速させる意外な理由」喜田直江)