理論と現実の誤差について考える~正規分布とベキ分布~】の続き


エセ科学とは、

「科学的方法に基づく、あるいは科学的に正しいと認められている知見であると主張されているが、実際にはそうではない方法論、信条や研究を指す」

"A pretended or spurious science; a collection of related beliefs about the world mistakenly regarded as being based on scientific method or as having the status that scientific truths now have."より

とされている。

文中に「実際にそうではない」と書かれているように、そこには再現性・再帰性が見出されず、「こうあるはず」「こうあるべき」というイデオロギーが先行し、あたかもそれが正しいと思うように大多数の人間が信じ込んでしまう現象のことだ。

なお、ここでいう再現性・再帰性とは、「『「絵を描く人の絵」を描く人の絵』を描く人の絵を...」のように同じ構造を繰り返しあてはめることができる性質(いわゆる入れ子の構造のこと)をいう。

ヒアルロン酸、コラーゲン、ゲルマニウム、デトックス、etc...

日常生活を見渡しても、一見すると説得力があり、なるほどと思ってしまう自称「科学製品」がたくさんある。どういうわけか、私の家の風呂にもたくさんあるようだ(笑)

 

さて、本題に入り、ここでは金融マーケットを考えてみたい。

金融の取引現場ではマーケットが正規分布であると仮定し、リスク・リターン分析が行われている。

正規分布の概念を基に設計された有名な指標に「ボリンジャーバンド」があるが、σ±2の中に全体のデータの95.44%と仮定されたマーケットでは、これを逆張りで用いることによって、効率的に利益を上げられるはずだ。

ところが実際にやってみると、頻繁にσ±3を超えるようなブラックスワンが頻繁に登場し、なかなかうまくいかない。

私を含め、コントラリアン(逆張り投資家)の皆さんには耳が痛い話ではないだろうか?

私は統計学や金融工学などの専門家ではないし、金融商品を販売する証券マンでもない。

あくまでも、現場で取引をしている一人のトレーダーとして書かせていただきたい。

多くのトレーダーが私と同じことを経験しているはずだからだ。


【前提条件がそもそも間違っているという事実】

金融工学はマーケットを「正規分布」であると仮定して設計されている。

私が株式投資を始めた学生時代、授業もろくに出席せずに、図書館に引きこもって株式投資の書籍や文献を片っ端から読み耽った記憶がある[1][2]

私が投資関連の書籍で最も興味を持った項目が、テクニカル分析の書籍に載っていたボリンジャーバンド(標準偏差)だった。

書籍には順張りで用いる場合に加えて、

「マーケットを正規分布と仮定した場合、σ±2の中に標本データの95.44%以上のデータが含まれていると考えられる」ため「逆張り投資が有効である」

といったニュアンスの説明文が書かれていた(もちろん逆張り投資で用いる場合の注意点も書いてあった)。

あらかじめ申し上げておくが、これは、執筆者の方々が間違っていたわけではなくて、前提となる「金融工学そのもの」に根本的な問題がある。

というよりも、この根本的な問題に理論と現実の矛盾があるのだ。

なぜならば、前提としている金融工学が「正規分布であると仮定する」としている以上、テキストの内容は理論的には正しいのだが、現実のマーケットにおいては、必ずしも正しいとは言えないからだ。

なお、この現象を経済物理学の観点から説明すると、「マーケットはベキ分布にしたがう」と説明されている。

マーケットは「ベキ分布」にしたがう

その一方で、

マーケットは「正規分布」を前提とした金融工学によってマーケット分析をしている


上記の矛盾点は、簡単に解決できる問題ではないのだが、
ここで私が言いたいのは「標準偏差の概念を使わないほうがいい」ということではなくて「前提条件が異なる概念でマーケットにアプローチをかけている」ことを認識しておく必要があるということだ。

そう、マーケットは複雑系世界のスモールワールドなのだ。


【正規分布の落とし穴】


私たちは前もって未来を知ることはできない。

あくまでも、辿ってきた過去の記録(事実)を確率・統計的に分析して、未来を予測することしかできない。

ここでは、ボリンジャーバンドを例にあげるが、「テクニカル分析そのもの」の注意点として書いておきたい。おそらく多くの方が勘違いされていると思うのでぜひ読んでみてほしい。

たしかに、ボリンジャーバンドのチャートを眺めるとσ±2付近でトレンドが方向転換していることがわかる。

でも、よ~く考えてみてほしい。

バンドラインは「後出しじゃんけん」のように、後から被せた結果がチャートに表示されているのだから、σ±2付近で方向転換しているのは当たり前なわけだ。

その証拠に、翌日の終値データが公表されてからボリンジャーバンドを眺めてみてほしい。

ボラティリティが急激に跳ね上がっても、バンドラインはキレイに被さるように表示されているはずだ(いわゆるバンドウォークと呼ばれる現象。ペアトレードの場合は、スプレッドが又裂きになる状態のこと)。

これは大切な話なので、もう一度書いておく。

株価チャートは、「ボリンジャーバンドのσ±2付近で方向転換している」のではなく、「マーケットを正規分布に当てはめて考えているため、バンドを後から被せて標準偏差σ±2の中に95%のデータが収まるように被せられているにすぎない」。

これが正解となる。

この違いがおわかりだろうか?

ボリンジャーバンドの場合、「トレンド相場」ならば「順張りが有効」で、「レンジ相場」ならば、「逆張りが有効」と言われているが、それは結局のところ、後になって見ないとわからない。

これは非常に間違えやすいのだが、株価が95%「収まる」のではなく、95%「収めている」といったほうが正しい表現だと思う。

そう!バンドラインは後から被せているのだ。

この点を理解できていないと逆張り投資で痛い目を見ることになる。


【科学とエセ科学】


最後に、確率・統計を基にしたテクニカル分析は科学的投資法であるかどうかという私の考え方を示しておきたい。

 結論先行で言えば、テクニカル分析は、

過去の事実から類推する「観察科学」の1つとなる「可能性がある」

と考えている。

ただし、これは実践で役に立たなければエセ科学にすぎない。

だから、「可能性がある」という表現にとどめた。

ここで言うエセ科学とは、再現性のない手法であったり、標本データが十分でないため偶然の発生確率を排除し切れていないような手法のことをいう(テクニカル分析には高度な数学が用いられるが、実際にやってみるとたいてい上手く機能しない)。

まず、投資にかぎらず、物事を科学的に考えるのであれば、その根底には必ず何らかの哲学が存在するはずだ。

私の投資哲学は、

①「自分で仮説Aを立てる」

②「自分で立てた仮説Aを対立仮説Bによって徹底的に論破する」

③「論破された仮説Aを補強してさらに対立仮説Bを論破する」

④「論破された対立仮説Bを補強してさらに仮説Aを論破する」

といった思考プロセスによって論理を補強して、

最終的に「論理的な矛盾が解決した場合」、あるいは「矛盾を他の論理と組み合わせることによって妥協できると判断した場合」にかぎって自己責任で投資判断をするようにしている。

① 仮説A ⇔ 対立仮説B

↓ ABの根拠を明確にする

② 対立仮説Bの根拠 ⇒ 仮説Aを論破

↓ Aの根拠を補強する

③ 仮説Aの根拠 ⇒ 対立仮説Bを論破

↓ Bの根拠を補強する

④ 対立仮説B ⇒ 仮説Aを論破

このような思考作業を繰り返し、BAに反論できなくなった時点でAの考え方を採用するようにしている。

また、この一連の思考プロセスに矛盾がないかどうか、矛盾があった場合は解決策があるか、解決策がなければ他の論理と組み合わせて妥協できる方法はないか。

可能なかぎり周りの友人・知人たちにアドバイスしてもらう。

そして、周りの友人・知人たちにも議論を吹っ掛ける。

こういったプロセスを経て、「自分の思考のズレ」を軌道修正したり、人間の最大の弱点でもある「感情的な行動」をコントロールするようにしている。

また、このプロセスから新たなアイデアが生まれることもある。

そして、そのアイデアも当然、徹底的に批判することになる。

私は教科書に書いてある内容が100%正しいとは思わないし、自分の考え方が100%正しいとも思っていない。

だからこそ、常識と言われていることでも徹底的に批判するし、自分の考え方も批判する。

そして批判した内容をもう一人の自分に別の考え方をさせて頭の中で議論させて、様々な角度から矛盾点を解消し、思考を整理するように工夫している。

そして、すべて「自己責任」において最終的な判断を下すことにしている。

私は、学生時代に科学哲学の授業で学んだカール・ポパー氏の反証主義という考え方に非常に感銘を受けた(私はここから物事を批判的に考えるという視点を学んだのだと思う)。

反証主義とは、「①観察」→「②仮説」→「③予測」→「④検証」→「⑤結論」の5つのステップによって成り立つ分析手法のことだ(仮説演繹法)。

仮説演繹法を例にあげて私の思考プロセスを批判するならば、

「①観察」→「②仮説」の段階で、「ベキ分布」にしたがうとされているマーケットに対して、「正規分布」であると仮定した考え方でアプローチをかけているという矛盾点が完全に解消できていないという事実だ。

その結果、「③予測」→「④検証」→「⑤結論」の段階で、「②仮説」の前提条件が異なっているという矛盾を認識しつつ行うわけだから、「⑤結論」によって試行した結果、理論通りに行かない可能性が高いことを常に意識しながら仕事をしていることになる。

私が出した「⑤結論」が正しかったかどうか「④検証」するには、「結果」という「事実」(数字・パフォーマンス)こそが全てを物語る。

正しいと思う判断を下してトレードしても、なかなか思い通りに結果を出せない期間があった。

「確率論から考えて試行回数を増やせば大数の法則により、期待している結果に近づくのではないか?」と「⑤結論」を出して、トレードしてもやはりうまく行かないこともあった。

 うまく行かない経験を積み重ねたからこそ、矛盾点を解消する方法として「正規分布の概念を他のアイデアと組み合わせて用いるのが現実的な妥協策となり得る」という1つの「⑤結論」に至り、数字が改善されるようになった。

たくさんの「真実」を考えだし、「真実」にバイアスをかけ、「事実」に反映させたということだ。

確率・統計を根底として成り立っているテクニカル分析は決して万能ではない。

トレードの試行作業を繰り返すうちに、「きちんとした理論的裏付けを行ってもうまく行かないことがある」という実体験から私自身、多くのことを学び、そして反省してきた[3]

今日に至るまで、理論を完全にマスターした、いわゆる優等生たちが、現場に出てパフォーマンスを出せずに最前線から離脱していく光景をずっと見てきた。

おそらく、「理論をマーケットに当てはめて考える」よりも、実際にトレードをして、「マーケットから理論を考える」ほうがよほど重要だと思う。

私の言いたかったことはこれが全て。

・「理論をマーケットに当てはめて考える」

・「マーケットから理論を考える」

両者は似て非なるものだ、あくまでも私の考え方は、

前者が「エセ科学」、後者が「科学」だと思っている。

テクニカル分析は「エセ科学」!?

これは問題発言かもしれない。

テクニカル分析は、過去の事実から類推する「観察科学」の1つとなる「可能性がある」と考える。

ただ、私に言わせれば、「観察科学」も実践で使い物にならなければ、どんな立派な理論もしょせんは絵に描いた餅にすぎない。

その意味では、テクニカル分析は100%の科学的投資法ではないと考えている。

ようは、「常識を疑え」ということだ!

意外にも99.9%の論理の外側、すなわち0.01%の感性は大事ということ。

ブラックスワンのような「偶然」も、アイデアの組合わせ次第では「必然」に変わるかもしれない。

99.9%の白鳥がじつは黒鳥で、0.01%の黒鳥がじつは白鳥だったりするかもしれない。

一見すると「矛盾」する事象も、よくよく考えると根本は同じ、ということはよくあるのだ。

その意味では、サンプル数が1つしか存在しない「人生」というのは、「偶然」も使い方次第ということだろうか...


※余談だが、このブログを読んでいるのが投資家の方であれば、ぜひ聞いてみたいことがある。

「順張り投資家」の方は「逆張り投資家」とは考え方が違うという方がいらっしゃるかもしれないが、「逆張り投資家」は「順張り投資家」でもあると考えている。

「順張り投資家」 → トレンドの出ている方向に仕掛ける

「逆張り投資家」 → トレンドとは反対の方向に仕掛ける

「トレンドとは反対の方向に仕掛ける」ということは、「トレンド転換の初動に乗ることを期待する」ことと同義だと思う。その意味で、私は「順張り投資家」だと思う。

ゆえに、命題「逆張り投資家 ならば 順張り投資家」はトートロジーである。

果たしてこれは屁理屈だろうか?

[1]私は「経済学」「統計学」「金融工学」等を教科書ベースできちんと学んだことがない人間なので、「理論」という意味では間違いがあるかもしれない。授業の単位だけは一夜漬けで取ったが、本業(!?)の水商売にどっぷりハマってしまい、大学のキャンパスにはほとんど行った記憶がない...

[2]「経済学」については、まわりの経済学者にお金持ちが誰一人としていないので、お金持ちになるには経済学の知識はあまり関係ないのかもしれないと思うのだが、どうだろうか...

[3]人間の感性が入る「裁量トレード」も、機械任せの「システムトレード」も相反すると思われるが、私は根底は同じだと思う。というのも、「システムトレード」にも実は作者の心が入っているからだ。一見すると、無機質なアルゴリズムも、きちんと作り手の心によって動いている。心とは、すなわち感性だ。他の人間と99.9%同じことをやっても勝てないかもしれない。ただ、この微妙な0.01%の部分にこそエッジ(優位性)があるのではないかと思っている。私はアルゴリズムを設計したが、設計したアルゴリズムは、未だに自ら考え、学習し、行動を起こせるレベルには至っていない。日々、機械学習にもチューニングという心を入れる作業が必要なのだ。

(参考: Oxford English Dictionary Second Edition 1989. "A pretended or spurious science; a collection of related beliefs about the world mistakenly regarded as being based on scientific method or as having the status that scientific truths now have.")
(参考: R. C. Vreeman and A. E. Carroll, Medical myths, BMJ, 335 (2007), 1288-1289.)
(参考: ジョン・アレン・パウロス「天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方」ダイヤモンド社,2004年)
参考:カール・フティーア「逆張りトレーダー」パンローリング,2010年) 
(参考: 伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」名古屋大学出版会 ,2002
(参考: カール・R.ポパー 「科学的発見の論理-上」恒星社厚生閣,1971年)