金融取引の世界を見ると、「
100年に1度の危機」と言われる大規模なマーケット変動が数年ごとに起こっている。

私たちはブラックスワンの存在に怯えながら、日々ポジション管理を行っている。

確率論に支配される正規分布の世界では、平均や変動、分散、標準偏差などの概念を使ってシミュレーションを行うと、平均からの距離に基づいて一定の確率で標本が分布していることがわかる。

その一方で、私たちが住んでいるこの世界はベキ分布に基づく複雑系世界なのだという。

地震を例に考えれば、プレート同士がぶつかり合う活断層地帯では、私たちが体感できないような微小地震が頻発している。そして、ある日突然、東日本大震災のような壊滅的な地震が起きる。

正規分布を基にリスク管理を考えると、微小地震の寄与率があまりにも高すぎて、震度1にもカウントされないようなところに標本数が多く分布することになる。

つまり、正規分布の中心に標本数が最も多く分布するということだ(参考:「正規分布」)

ところが、マグニチュード8とか9といった巨大地震が起こると標準偏差σ±23の想定域を一気に突き抜け、σ±56といった大規模な変動が起こる。


現実世界では、標準偏差が想定を超える事象が稀に起こる、しかし平均の位置は変わらないままだ。

山を崩し、谷を埋めれば、すべての事象は平均化され、標本の持つ本来の個性が失われてしまう。

標本の中には、想定を超えるブラックスワンも隠れている。

稀に起こる想定外の事象をいかにしてリスク管理に組み込むか?

さて、この問題、どう解決したらよいのだろうか。


【正規分布とベキ分布】

sd

画像引用元:「Metrology: The Science of Measurement

正規分布はあくまでも、金融モデルをわかりやすい関数に置き換えて考えるための空想の確率モデルにすぎない。当然、現実の世界に当てはめて考えた場合、そこには必ず誤差が発生する。

というよりも、これはこれでどうしようもないことなのだが、問題なのはこの「誤差」だ。

株式や為替でも、マーケットの95%の変動については正規分布で説明できるような変動に収まるものの、残りの5%が壊滅的な大打撃を投資家に与えてしまい、めったに起こらないと言われている標準偏差σ±3でさえも遥かに上回る桁違いの変動が、マーケットの世界では数年ごとに見られる(少し前の事例としてはアジア通貨危機、ITバブル崩壊。最近の事例ではサブプライムショック、リーマンショック、東日本大震災、など)。

この時までは、マーケットに参加していた多くの投資家たちは、95%の確率(いわゆるσ±2)ではコツコツ利益を得ていたものの、残りの5%の大きな相場変動によって、今までの利益を一気に吹き飛ばすような莫大な損失を被ったと思う(※95%の確率でコツコツ利益を得る商品とはオプションの売りのこと)。

実は、正規分布の欠点はこの5%の部分にある(正規分布の概念を用いた指標に「ボリンジャーバンド」があるが、開発者であるジョン・ボリンジャー氏も実際の説明度は90%弱であると言っていたはず)。  

「初期の金融工学では、原資産の価格変化率の分布が対数正規分布に従い、裁定機会が存在しないなどの仮定の上で、オプションの理論価格を導くことができた(ブラック・ショールズ方程式)。

あくまで、数学的に扱いやすいから正規分布としている。

この段階での金融工学の理論は、時間が明示的に入っているため動学的ではあるが、実際の価格変化率の分布は正規分布ではなくパレート分布(ベキ分布)に従うため、現実的なモデルとはなっていない。」


(「経済物理学の発見」より)


上記の引用は、いわゆる「正規分布」を前提としている「金融工学」に関する批判というか限界の指摘なのだが、経済物理学の世界では、金融マーケットは「ベキ分布」に従うとされている。
[1]

また、
 

95%を占める小さな変動は、ランダムウォークの理論に近い変動なのですが、大きなスケールでの為替の変動にはほとんど寄与していないのです。

金融工学で中心的な役割を担っているブラックショールズのオプションの公式はノーベル賞の対象となり有名ですが、市場の変動を単純な確率モデルで近似して捉えているのは、この
95
%の小さな揺らぎの部分だけです。

一番大事な大きな変動の部分をすっぽり無視してしまっていることになりますから、金融の現場では、この公式をそのまま使っている人はいません。

(「経済物理学の発見」より)

 

では、ベキ分布とはいったいどんな分布のことを言うのだろうか?
 

【ベキ分布】
 

以下の分布図を参照していただきたい。

 

cauchy_distribution
x0:分布の最頻値を与える位置母数
γ:半値半幅を与える尺度母数


これは一見すると、正規分布のようにも見えるが、「正規分布」ではなく、ベキ分布の一種である「コーシー分布」と呼ばれるものだそうだ。

正規分布とは根本的に大きな違いがある。詳しい説明は、【期待値が定義されない理由】を参照いただきたい。

簡単に言えば、標本の「中心値(μ)」や「最頻値」は存在するものの、「算術平均」や「分散」の概念が存在しない。

それゆえに、データ分析を行う際、正規分布のように「分散」や「標準偏差」を算出するにはかなり強引な手法であるということだ。

ベキ分布のわかりやすい例としては、
 

「岩石に衝撃を与えて破砕するとその破片の大きさの分布はベキ分布になることが知られています。

ガラスのコップを固い床に落として割ったときに出来る破片も同じです。

大きな破片はほんの数個で、中くらいの破片はかなりの数になり、小さな破片は無数にあります。

目に見えないような小さな破片の数はさらに多くて、顕微鏡で拡大してみても同じような分布が観察されます。顕微鏡でも見えないくらいのほこりのような破片の数が最も多いので、
1
つずつの破片の大きさの平均値を求めると、事実上ゼロになってしまうのです。

破片の大きさの標準偏差を計算すると、今度は小数の大きな破片の寄与が無視できなくなり、非常に大きな値になります。

何桁も大きさの違う破片が混在しているのですからゆらぎの幅を表す標準偏差が大きな値になるのは当然といえるでしょう。」

(「経済物理学の発見」より)

 

つまり、ベキ分布では「平均はゼロの値をとり、標準偏差は非常に大きな値となる」ということだ。

なるほど、考えてみればインターネットの世界も同じようなものではないだろうか。

GoogleFacebookYahooAmazon...

膨大なアクセス数を誇る巨人がわずかに存在していて、無数のガラスの破片のようなほとんどアクセスのない(私のブログのような)サイトが膨大に存在していることがわかる(参考:AlexaThe top 500 sites on the web」より)。

これは、インターネットの世界では、検索エンジン、ポータルサイト、ソーシャルネットワークといった巨大な中継点(ハブ機能)を中心に、無数のサイトがぶら下がっている仕組みだからであろう。

確率論を基にした正規分布の世界では、身長1.7メートルくらいの人間を平均として、1.6メートルと1.8メートル、1.5メートルと1.9メートルのように分布が広がっていくのに対して、ベキ分布化する複雑世界では、身長1メートルくらいの小さな人間がほとんどを占めるのに対して、身長2メートルとか3メートルの人間が稀に存在しているということになる。

インターネットのような複雑世界は、ベキ分布に従って分布がなされていることがおわかりいただけるだろう。
 

 【まとめ】


以上をまとめると、
 

株価変動や為替変動の分布も、「ベキ分布」に従うと考えられる[2]。マーケットの変動は、小さな変動が圧倒的に多く、大きな変動は少ないものの、実際のマーケットの世界では、大きな変動は、「正規分布」の場合に比べてかなり多く発生する

といえるだろう。

ボリンジャーバンドを逆張りで使っている投資家の方は、「バンドラインを超えたのに、移動平均線になかなか戻って来ない」という経験があると思うのだが、つまるところ、ベキ分布に近い分布をする実際のマーケットでは、理論として使っている正規分布との間に誤差が生じてしまうのが原因ということになる[3]

もし、誤差が小さければ、もっと勝率は高くなっているはずだからだ。

たしかに、考えてみれば、標準偏差という数字は、正規分布に対して非常に良くできている。

というより、むしろ話は逆で、「正規分布に都合よくあてはまる数字として標準偏差が選ばれた」というのが実情なのだろう(参考:「正規分布」)


そう考えると、「正規分布」ではなく「ベキ分布」に従うとされる実際のマーケットでは、「正規分布」をもとに設計された金融工学の考え方でリスク・リターン分析をすること自体に、もはや限界が生じているのでは?と思ってしまう。

ただし、マーケットは「正規分布」を前提とした、「金融工学」によって作られた多くの方程式によって影響を受けていることもまた事実であるから、その意味では、標準偏差を基にしたボリンジャーバンドを逆張りに使うのも、ある意味では有効だろう(参考:「ボリンジャーバンド」)。

これを全部「ベキ分布」の仕組みに作り直したら、想像もつかないような大変な作業になると思う。

まず、「ベキ分布」に当てはめるもの(「正規分布」でいうところの「標準偏差」)を見つけて、「正規分布」→「標準偏差」→「分散」→「変動」→「偏差」→「平均」のように、前提条件を逆算して全部見直さなくてはならないからだ(参考:「統計学基礎まとめ①」)

この意味がおわかりだろうか?

「正規分布」そのものの考え方を否定してしまうと、「標準偏差」の概念はもちろんのこと、金融取引に用いられる「分散投資」「ポートフォリオ理論」など、今まで私たちが常識だと信じていた概念そのものを根底から否定することになってしまうということだ。

で、どうするのか?

ベキ分布には「平均」や「分散」の概念が存在しないのだが。

「平均」や「分散」の概念を使わずにどうやってマーケット分析をするんだろうか??

それとも「平均」や「分散」の概念を前提としているマーケット分析がそもそもおかしいということなのか???
what
画像引用元:「hyderabadsocialmedia


これ以上のことは、私にはわからない...

理論と現実の誤差について考える~科学とエセ科学】へ


[1] [2] 正確に表現すれば、マーケットは「ベキ分布」にもならない。
[3] ボリンジャーバンドの場合、「トレンド相場」ならば「順張りが有効」で、「レンジ相場」ならば、「逆張りが有効」と言われているが、それは結局のところ、後になって見ないとわからない。これは間違えやすいのだが、株価が95%「収まる」のではなく、「95%」収めているといったほうが正しい表現だと思う。バンドラインは後から被せているにすぎない。この点を理解できていないと逆張りで痛い目を見ることになるので注意のこと。
 

(参考:高安 秀樹「経済物理学の発見」光文社,2004年)
(参考: ジョン・アレン・パウロス「天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方」ダイヤモンド社,2004年)
(参考:ベノワ・B・マンデルブロ、リチャード・L・ハドソン「禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン」東洋経済新報社 ,2008年)
(参考:マーク・ブキャナン「歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学」早川書房,2009)