私は1982年(昭和57年)に生まれた。
私たちは、平成元年(1989年)に小学校に入学し、右肩下がりの日本経済の中で成長していった世代に当たる。
年代で言うと、先行する「氷河期世代(ロスジェネ世代)」と後に続く「ゆとり世代」とのちょうど中間に当たるくらいだ。
私たちの世代が小学校に入学した頃の日本は、バブル経済が崩壊し、後に「失われた10年」「失われた20年」(1991年3月~)と呼ばれる暗黒の時代が始まった頃だ。
ベルリンの壁が崩れ、冷戦時代が終焉し、ソビエト連邦が崩壊していく様子を父が興奮しながらテレビにしがみついて見ていたのを思い出す。
ある日突然、「家庭の事情」により、さよならも告げずにクラスメイトが転校して行ったり、近所の大きな屋敷の玄関に「差押さえ」という意味不明なお札が貼られていたり...
先行きの見えない日本経済、大人たちの曇った表情を見上げながら、何とも言えない息苦しい閉塞感の中で育った。
そんな時代背景もあってか、「何となく将来が不安」と漠然とした思いを抱えながら成長してきた世代だ。
私たちの世代は概して、あんまりモノを買わない世代であると言われる。
ムダ使いせずにせっせと貯蓄に励む[1]。
車を所有することがあまりカッコいいという感覚ではなく、駐車場代がもったいないからどうしても必要なときはレンタカーで済ませる。
パーティーや披露宴でちょっと見栄を張りたいときは、ブランド品のバッグや時計をレンタルして、あとでこっそり返却する。
本を買うのももったいないし置き場所が邪魔になるから図書館で予約して、必要なところだけコピーを取ってファイルする、など。
私の周りの同世代の知人・友人たちと話しをすると、わりと「地味」で「質素」な金銭感覚を持っているようだ[2]。
そういえば、私も賃貸マンションに住んでいて、家具は全部レンタルしている。
理由を考えてみた。
まず、賃貸にする理由は、ローンを組んでも将来何があるかわからないし、頭金を積んで買うよりも、現金は何となく手元に置いておきたいという漠然とした不安。
無駄遣いせずにお金を貯めて、株や不動産に分散投資すれば「時間」+「金利」を味方につけられるからだ。
自分が住んでしまったら、結局は「資産」という名の「負債」に固定費を支払っているだけになってしまうような気がしてならないのだ。
同じお金でも「借金の返済」にまわすと、今度は「時間」+「金利」が敵にまわってしまうわけだから。
分譲マンションなんてどうせ買ったところで、働いて稼いだ大切なお金の中から、「鉄とセメントの塊」に毎月バカみたいな金額のローンを払い続けて、やっと定年間際になってローンを払い終わる頃には資産価値は限りなくゼロに近くなっているし。
さらにいえば、私は海の近くに住んでいるから地震とかあって津波が来たらマンション担いで逃げられないし。
そうそう、家具もそういう理由でレンタルにしたんだっけ。
何かあって逃げるときに、手は2本しかないのだ。
緊急事態に直面したら、ボストンバッグ1つか2つ持って脱出するのが精いっぱいだと思う。
だからあまり余計なモノは持たないし買わないのだ[3]。
「直接所有」ではなく「間接所有」という新たな価値観を持つ人たち。
そう、割とシビアで合理的なのだ、私たちの世代はね。
[1] ↓この記事の内容は非常に共感できる、でも買いたいモノがないから。服や車にたくさんお金かけても、中身が空っぽだったらしょうがないからね。【「貯金」が社会の毒になる ~金は天下の回りもの~】
[2] 私を含め、私のまわりにはかなり変わった人間が多いので、母集団から抽出した標本が平均からだいぶズレているかもしれない。また、私は、物欲というものが全くない人間なのであまり参考にならないかもしれない。
[3] 誤解のないように補足しておく。結婚して子どもがいれば当然、最適と思われる場所に「定住」して、子どもの教育に専念すべきと考える。結局のところ、「教育」こそが最大の投資であるから。