危ない危ない。

ここ最近、私の頭がすっかりコンピュータのようになってしまったので戒めとして書いておこうと思う。

ミイラ取りがミイラになってしまったという何とも笑えない話だ
...


人間には感情がある。

機械には感情がない。


人間は数値化できない部分を感情によって補うことができる。

ゆえに数値化できない財産の価値評価ができる。

機械は数値化できない部分は動作させることができない。

ゆえに数値化できない財産の価値評価ができない。



年初からフェイスブックとツイッターを始めてみた。

これは大変なものに手をつけてしまった



自意識をこじらせた人々による壮大なる中二病の世界、

それがソーシャルネットワークサービスである
... 

 




【フェイスブック】


以前、ミクシーをやっていたので、仕組みはなんとなくわかる。

何だかんだ言っても人間は社会的な生き物であり、その本質は淋しがり屋だ。

Facebookは一言で言うと、「自慰行為を相互観賞し合う極めて高尚なツール」である。

どこぞの会社の立派な肩書きを持ったおじさんであれ、パン屋さんで耳をもらって来て主食にしている金欠のバンドマンであれ、
180×180ピクセルの小さな枠の内に平等に均一化されるという何とも不思議な空間だ。

フェイスブックには「親しい友人」・「友人」・「知り合い」のように、自分からの距離に応じた人間関係の設定ができるようになっている。

友だち、か
...


私の親しい友人は私を含め、コミュニケーションに問題がある人物ばかりなので、
SNSをやるような人間は少ない。

うーん
...

これを厳密にスクリーニングすると、
この中から友人がいなくなってしまう...

SNSの友人はリアル社会の友人とはどうも意味合いが違うらしい。

とはいえ、私は人見知りなので実名登録を前提とした
Facebookはリアル社会で知っていて信用できそうな人としかつながりたくないという保守的な考え方だ(これは人によって承認する基準が違うと思うが...)。

何かのオンライン辞書で読んだのだが、最近の友だちとは
 


「申請して承認されなければなれない関係」

 
という意味だそうだ(笑)

そういえばミクシーの時も同じことを言われた気がする。

全部知り合い、か
...


試しに投稿してみる。

あんまりいいねが付かない。

あらら?投稿内容があまり良くなかったのかな
...


そこで、新たにルールを作った。


いいね ならば いいね返し


※なお、過去
T期におけるA(私)の投稿頻度が1に対して、B(友人)の投稿頻度が平均5の場合、サンプル数が15になる。つまり、Aの1回の投稿に対してBに5回いいねをつけてしまうと「いいね」比率が15になってしまうという不均衡問題が生じる(ポジションサイズがニュートラル化できないという意味)。一方で、Aの投稿1回に対してBにいいね返しをすると、やはり「いいね」比率が51になってしまうという不均衡問題が生じる。どちらも相関係数は1.0になるが、結局、15の投稿頻度を合わせることはできないので、B4回は無視して後者を採用した。


※どうやら、「いいね」は必ずしもいいと感じたものに付けるというわけではなく、どうでもいいものに付ける「どうでもいいね」という裏の意味もあるらしい。


※例外規定として、「いいね」を付ける公開範囲は「友だちのみ」とした。


Aの投稿に対するBCD...の相関係数が0.8以上ならば「親しい友だち」、0.5以上ならば「友だち」、0.1でもあれば「知人」、それ以外はポートフォリオ不適格銘柄のため「ロスカット」


※これは株式投資の銘柄選定と同じ要領ですべてのつながりを数値化して相対価値評価をしていく仕組みだ。「重要∧高い相関」「まぁまぁ重要∧高い相関」「まぁまぁ重要∧低い相関」「¬重要¬低い相関」。


※例外規定として「まぁまぁ重要かつ低い相関」は残した。


※タイムラインを解析してみたところ、「友人」の投稿は表示順位が自然と上位に上がってくるようだ。ときどき、知り合いのタイムラインが表示されるが、おそらく知り合いのタイムラインは「いいね」の数に応じて、過去の投稿の
+x%以上の「いいね」が付いた場合に限り、「知り合い」まで表示されるようなアルゴリズムになっていると思われる。 



【ツイッター】


先に述べた
Facebookとは違い、Twitterとは基本的に「手軽に気兼ねなく自慰行為を全世界に発信し続ける極めて高尚なツール」だ。

先述した
FacebookのようなSNSとは異なり、140文字以下のマイクロブログとしてライトな独り言を好き勝手につぶやく時に使い分けるようだ。

私は、日本を代表するヒマ人だと自負していたが、このツールに登録してからというもの、世の中には「上には上がいる」ことを改めて実感させられた。

しかし、
1日中ブツブツつぶやいている人はいったい何の仕事をしているのだろうか?


謎だ
............


 



早速、気が合いそうな人をフォローする。

フォローバックが付かない。

お!フォローが来た!

フォロー返す。

あれ?いつの間にかいなくなってるぞ!


職業病なのかもしれないが、
私は金融取引をする際、基本的に買いと売りのバランスを極力ニュートラル化(中立化)させながらポジションを組んでいる。

私にとって、一方向に偏ったバイアスは精神衛生上良くないのだ。

階段は偶数でなければ気持ち悪く感じるし、中学生の頃だったと思うが、美術の授業で、定規と分度器を使って人間を描いて「自然界に直線の物体は存在しない、書き直せ!」と先生に怒られた人間だ(笑)

昔から美術の成績だけは良くなかった。

美意識がズレているのか?

天と地、光と影、太陽と月、男と女、善と悪、本音と建て前、買いポジションと売りポジション
...

この世界をすべて二項対立によってニュートラル化しようとする価値観を持った人間には大きなストレスだ!


これは大変なものに手を出したものだ
(笑)

困った困った
...


そこで、
すべてのユーザーを株式の銘柄と考えた場合、これをニュートラル化する作業が必要になる。


フォロー ならば フォロー返し

フォロー解除 ならば フォロー解除

 
※これは簡単、フォロー:フォロワー比率を自動調整するだけ




【結論】


まず、一言で結論を出すと、

私はどうやら根本的にこの手のサービスには向いていないようだ(笑)

いや、むしろ社会性そのものが不適格なのか、あるいは心に何か病があるのかもしれない。

ちなみに、知人のお医者さんに話したところ、診療内科の受診を強く勧められた
...

普段はいい加減な性格なのに、変なところに異常なまでにこだわりすぎて逆に効率が悪くなるのは昔からの悪い癖だ。


さて、上記の自動プログラムを実行した結果何が起こったか?



私のタイムラインは完全に無機質なものになってしまった
...



フェイスブックに関しては、大量ロスカットの実行とアルゴリズムが最適化したであろうミスマッチな投稿や広告が表示されるようになった
...

なるほど、機械のアルゴリズムによって反復・継続的に学習させると、自分の本来の趣味嗜好とは違った価値観のタイムラインが形成されてしまうようだ。

参加人口が
9億人を越えるとも言われるフェイスブック-世界最大級の広告代理店-も、現時点では私の趣味嗜好を最適化した広告を表示させられるレベルまでには至っていないようだ。

また、ロスカットした方々からは「あれ、友だちからいなくなってたよ?」と何件かメッセージが入っていて非常に気まずかった。これはたぶんスマホの電話帳のような感覚で残しておいたほうがよかったのかもしれない。私はポートフォリオは小さいほうが好みなのだが
...

結局、「きみは人間と銘柄を同列に扱うのか?」とお叱りを受けたので、この機能は手動で続けることにした。

手動で、続けます
...(笑)

手動で、続けます
...
(笑)


価値観や美意識の共有は本当に難しい、

私の「ニュートラル化された美」を共感してくださる方は果たしているのだろうか?

なお、ツイッターに関しては、相互フォローアカウントとアフィリエイターだらけの意味不明なつながりになった
...

もはや、タイムラインがわけのわからない広告だらけでうんざりだ
...

上記はかなりバカバカしい話ではあるが、機械に頼りすぎてしまうと人間の持つ有機質な感情が完全に失われたシステムトレードのようになってしまうということが実験の結果わかった。


なお、ここには書かなかったが
LINEというメッセージサービスがある。

こちらは上記
2つに比べて人間関係がもっと親密なメッセージ送信ツールだ。

3つを比べてわかったのは、エドワード・ホール氏の提唱した、「パーソナルスペース(対人距離)」の概念を用いて明快に説明することができる。

いや、

私がこの概念を使って説明するというよりも、上記
3つのサービス、特にFacebookはこの概念を意識してサービスのフレームが考えられていると思われる。

つまり、

 

1.密接距離...ごく親しい人に許される空間

LINE

2.個体距離...相手の表情が読み取れる空間

Facebook

3.社会距離...相手に手は届きづらいが、容易に会話ができる空間

Twitter

4.公共距離... 複数の相手が見渡せる空間

④ブログ

 

①②③の各サービスは、上記のパーソナルスペースを意識してアプローチ対象が異なり、

さらに②
Facebookについては、

-①親しい友だち

    -②友だち

   -③知り合い

ということになるのだろうか。


機械化任せの作業は非常に楽だ。

人間がこれまで苦手としてきた継続・反復といった事務作業をすべて自動化すれば仕事の業務効率は飛躍的に向上する。

人間が行うとついついミスしてしまうような単純作業も機械であれば淡々と正確にこなしてくれる。

今まで
8時間かかっていた作業を1時間でできれば、8時間労働であれば8倍の仕事をこなせるようになるわけだ。

しかし、プログラムの「
if else ~」 のような関数に頼りすぎてしまうと、人間でしか評価できない01の間にある微妙な距離感を見落としてしまう。



私は昔から思っていた。



世界中のありとあらゆる不均衡を是正し、調和の取れた世界を創造する

これこそが人類にとって最も理想的な世界ではないのか、と
...


ただ、機械は私たちが思っている以上に事務的であり、
私たちが思っている以上に空気が読めるほど知性が高くはないということだ。

過剰最適化された仕組みは、実のところ、ストレスを最大化させてしまうという笑えない結果となった。


というお話
...