過去の栄光にしがみつく。
プライドが高い人間に多い気がする。
言うなれば、
人生の最盛期を過ぎたことは自分では薄々感づいているものの、その事実を受け入れられずに、「どうやって心理的不満を解消してよいかわからない」というジレンマを持っている人間は、過ぎ去った日々を回想し、現在の自分の立ち位置を確保しようと必死になり、過去の自らの姿に、現在の自分を投影しようと試みる。
自尊心を満たすために...
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
『平家物語』冒頭より
先に述べた人間とは、実は日本人のことを指している。
かつて、
" JAPAN as No. 1
"
と称賛され、世界経済を牽引してきた日本経済も、かつての勢いは衰え、成熟したお年寄り国家になってしまった。
それにもかかわらず、アジア諸国を歩いていると、虚栄心を捨てきれず、偉そうに立ち振る舞う自称グローバリストの日本人をよく目にする。
私は、そんな光景を見るたびに、1人の日本人として本当に情けない気持ちになる。
残念ながら、今の日本はアジア全体から見れば、最東端に位置するひとつの国家に過ぎない存在になってしまった。
多くの外資系企業は、香港・シンガポールにアジアの重要拠点を移し、日本は営業部だけを残して撤退していく企業が増えたように思う。
日本人は「プライドが高い」と言われる。
だが、ここで言う「プライド」はたぶん本来の意味を履き違えている。
プライドとは「誇り」という意味だ。
多くの人間が定義するプライドは「誇り」などではなく、
自らの心の脆さを映し出した「虚栄心」ではないだろうか?
自称グローバリストたちよ!
日本人は、日本人というだけで、そんなに偉いのだろうか?
小学校3年生のとき、はじめて東京タワーに登った。
1991年のことだ。
360°見渡した大都会・東京の街並みは、建設中の建物ばかりで、赤いクレーンがたくさん見えたように記憶している。
先日、あの頃を思い出しながら、クレーンを探してみた。
近くに見えたのは、建設中の虎の門ヒルズくらいだったように思う。
今は、東京タワーよりも高いビルが立ち並び、すっかり景色が変わってしまっていた。
あれから22年。
この街も成熟してしまったのだなぁと、感慨深い。
当時9歳だった私も、31歳になった。
あれから22年か...
時間は確実に流れている。
時代は少しずつ変わって行く。
唯一変わっていなかったのは、私の精神年齢くらいだろうか(笑)
これから、この国はどう変わって行くのかな。
この国のために私たちができることは何だろうか?
※追記
東京タワーを
撮ってる人を撮ってみた
ラッフルズプレイスから見たマリーナベイサンズ
横から見ると、また違って見える
物事は違う角度から見るとおもしろい。