今年は、ワグナーの生誕200周年に当たるのだそうだ。
恋愛歌人と領主の姪との壮絶な愛を描いた「タンホイザー」、婚礼の合唱であまりにも有名な「ローエングリン」など、「楽劇王」と呼ばれたワグナーは、若き日のルートヴィヒ2世にも多大な影響を与えたといわれる。
2010年がショパンやシューマンの生誕200周年だったから、彼らは同じ時代に生きた音楽家ということになる。
楽器屋に入れば、彼らが書き残した楽譜が所狭しと並んでいて、私たちは気軽に手にとって、譜面に残したメッセージに思いを馳せることができる。
彼らが残した音楽は決して過去の産物などではなく、テレビ番組のBGMや結婚式など、現代社会にもごく自然に溶け込んでいる。
それは、古新聞のように一晩過ぎればゴミ箱に入れられることもなく、音楽ひいては芸術というものが決して「消耗品」でないことに気付くだろう。
何年経っても色褪せないもの...
芸術とは何と素晴らしいのだろうか...
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19世紀初頭、ドイツでは中世への憧れを一つの特色としたロマン主義がもてはやされており、文学・音楽・美術などあらゆる芸術分野にわたって人々に大きな影響を及ぼしていた[1]。
ロマン主義は、それまで理性偏重や合理主義などに対し、感受性や主観を重視した思想としてヨーロッパに広く浸透していった。
そうした当時の風潮もあり、青年ルートヴィヒ2世がロマン主義の世界にのめりこんでいったのも、ある意味では自然な成り行きだったのだろう。
争いが続く時代に、芸術こそが平和をもたらすと信じたルートヴィッヒ2世...
高い美意識と強烈な個性を兼ね備えた彼は「狂王」と呼ばれ、莫大な債務を背負い、民衆の反感を買いながらも、ワグナーのパトロンとして芸術振興を支え、オペラハウスやお城の建築に情熱を傾けた。
結局、これが一因となってハプスブルグ帝国は滅んでしまったが[2]、
それから200年後の現在......
彼が残した多くの文化財は、ドイツにとって重要な観光資源となっている。
出典:「夕日に照らされるノイシュバンシュタイン城」
出典:「Bayreuther Festspielhaus aus der Luft」
文化や芸術といった分野は投資家の視点から見ればマネタイズ(収益化)が非常に難しく、すぐにお金につながるものではない。
ワグナーとルートヴィッヒ2世の例からもわかるように、「文化にお金を投じる」という行為は、100年、200年といった非常に長いスパンで見て行かなければならないのだ。
それは、投資ファンドの目論見書のように、「利回りが何%で、何年で元金を回収できるのか?」とせわしなく電卓を叩いているようなレベルとは遥かにスケールが違う。
もっとも、投資家もボランティアでお金を出すわけではないので、数値化でき、数値そのものに客観的な根拠がないものにはなかなか投資しづらく、芸術家は資金を集めにくいという現実的な問題がある。
数値化できない「無形の財産」は、そもそも経済的合理性だけで判断できるものではないからだ。
しかしながら、文化や芸術は私たちが人間らしく生きて行く上で絶対に欠かせないものでもある。
河川敷でサックスを吹いている人や、芝生で寝転がって本を読んでいる人を見ると、何とも文化的で優雅なライフスタイルなのだろうかと羨ましくなる。
きっと彼らにとって、この世界は少しばかり狭すぎるのだろう。
そんな時、自分を顧みると、朝早くから仕事に追われ、夜の街で俗にまみれて楽しんでいる滑稽さに気付かされる。
かつて、生命が生きて行くために必要なものは「水・食べ物・日光」と教わったが、人間らしく生きるためには、それだけでは不十分だ。
人間が人間らしく生きるためには、「お金」ももちろん必要ではあるけれども、「文化や芸術に触れる時間」も同じくらいに必要なのだと思う。
「無形の財産」は単純に数値化できないだけに、評価基準が明確にできないところが難しい。
経済的合理性だけで物事の価値を判断しようとすると、「本当に大切なもの」をうっかり見落としてしまいがちだ。
かつて、芸術家を支援したパトロンたちはこの事に気づいていたのだろう。
お金だけでは決して心が豊かになれないことを...
[1]ホーエンシュヴァンガウ城のように、荒廃していた中世の城がドイツの各地で修復されたのも、ロマン主義の一つの表われである。
(参考: 「R.ミュンスター『ルードヴィヒ二世と音楽』音楽之友社,1984年」)
(参考: 「 吉田真『作曲家 人と作品 ワーグナー』音楽之友社,2005年」)
(参考: 「ルートヴィヒ2世 ~夢を追い続けた孤高のメルヘン王」)
(参考: 「Globis.TV『G1新世代リーダー・アワード』YouTube動画より」)