日本の常識は世界の非常識。

村社会の常識は都会の非常識。

郷に入っては、郷に従え。

昔の人はよく言ったもんだ。


グローバル社会では、日本の常識は通用しない。

頭では「わかって」はいたが、とうとう実体験として「理解できる」貴重な機会に恵まれてしまった。

これから世界はどんどんグローバル化していくだろうし、そこでは突然のルール変更にも柔軟に対応できる
能力が求められるだろう。

あまりにも初歩的なミスを披露するのはお恥ずかしいかぎりだが、
次に必要としてくれる誰かの参考になればと思い、投稿することにした。


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【債務不履行】


まず、結論先行でいえば「約束を守っても、相手にとってメリットがない契約は絶対にしてはならない」ということだ。

簡単に説明すると、経緯は以下のとおり。
 

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シンガポールで金融プログラムの開発をしていて、自分で仕様書を書いていたものの、自社のエンジニアが通常業務で手一杯のため、オフショア開発として、近隣諸国へアウトソーシング(外部委託)をかけることにした。私が多忙で頭が回らなかったせいもあるが、金額も小額だったため、一括で支払いを済ませた。



日本人エンジニアと仕事をすると、
ミーティング前に先回りして細かい行間まで読んでくれるため、多少曖昧な表現であっても問題点を把握し、軌道修正してくれる。また、アフターフォローもしっかりしているし、多少の修正があっても対応してもらえることが多い。



ところが、―私の語学力のなさもあるかもしれないが―、オフショア地域のエンジニアには仕様書の意図がうまく伝わらず、想定していたものとは違うソフトウェアが納品された(すなわち、わけの分からない計算結果が出力されてしまった
...)。



彼らに連絡をとったところ、「聞いてませーん」と返信があり、追加料金を支払ってでも修正してもらおうと再度連絡をとったところ、今度は音信不通になった。


結局、自分で作った。

うぇーん
 。・゚・(ノД`)・゚・。 
今ここらへん

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契約には、おそらく
3種類あると思う。

1.
 お互いが同じタイミングでメリットを得る契約
2. 自分だけが先にメリットを得て、相手が後にメリットを得る契約
3. 相手だけが先にメリットを得て、自分が後にメリットを得る契約


1.2.はともかくとして、問題は3.の場合だ。

通常の契約では、前金
50%を支払い、納入後に残金50%を支払う「痛み分け」がビジネスの世界の常識だ。

ところが、今回は相手の属性をよく確認せずに、うっかり全額を振り込んでしまった。

完全に私の注意不足、軽率な行動だった。


なんというか、
恋人がかまってくれないのでナンパした女性とセックスをしたら、性病を移されて高くついてしまった感じだ...


はじめから自分の手でやっとけばよかったのかな...

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【常識の違い】


日本というのは、村社会であって、流動性の少ない安定した社会だ。同じ村の中で、同じ人たちと長い間付き合うのが習慣となっている。

この習慣は現代社会にも受け継がれており、ビジネスでもプライベートでも「村社会」が存在している。このような安定した社会では信用が何よりも大事にされる。

これは終身雇用制のように、定年まで同じ企業に勤める仕組みを考えればわかりやすいだろう。

また、視野を少し広げてマクロの視点から業界という村社会全体を眺めてみても、社外の人たちとの横のつながりを大事にする風習がある。一度でも信用に傷がつくと、その業界では村八分にされてしまい、生き残っていけないからだ。

経済的合理性、すなわち損得勘定で考えても、「目先の利益」にはこだわらず、約束を確実に守り、「信用を勝ち取る」ほうが長い目で見れば得をする。「損して得とれ」とはまさに村社会的な発想だ。

だから村社会の人たちは約束を守る。

これは、株式投資でいえば、ゆっくりと時間をかけてプレミアムを稼ぐ「長期投資」のイメージに近い。

また、男女関係でいえば、共通の知人・友人がいる同じコミュニティ内では、急いで性的関係を求めるよりも、長い時間をかけて信頼関係を築いていく「結婚」のようなイメージに近い。

さらに、日本人は世界的に見ても極めて特殊で、子どもの頃から性善説の道徳教育を受けるため、みんな基本的には親切だ。

財布を落としても拾った人が交番に届けてくれるし、お金も手つかずで戻ってくることが多い(らしい)。

田舎の道端には無人販売機があって―誰も見ていないにも関わらず―、箱の中に律儀にお金を入れて、好きな野菜を選んで持ち帰っていく。

日本人は宗教的な人は少ないけれども、信仰心のある人は多い。

お天道様が見てるからね、と多くの人たちは悪巧みをしない。

これは世界に誇れる素晴らしい民度だと思う。

こういった性善説の文化的背景を見ても、約束は律儀に守るように教育を受けている。



一方、


グローバル社会というのは、人間関係が次から次へと流動化する、不安定な社会だ。

明日のことなど誰にもわからないし、安定などどこにも存在しない。今がすべての社会だ。

ビジネスでもプライベートでも「村社会」などといった安定した場所は存在しない。

これは外資系の金融機関のように、転勤する感覚で違う会社に転職するような感覚に似ている(若干大げさな表現だが)。

明日の隣のデスクには今日とは違う人間が座っているかもしれないし、出社したら自分のデスクはないかもしれない。


このような不安定な社会では「信用を勝ち取る」よりも「目先の利益」が何よりも大事にされる。

長期安定志向で物事を進めていくと、回収不能リスクが高すぎるため、「自分にデメリットになるような約束は守らない」というのが、グローバル社会の常識なのだ。

株式投資でいえば、長い目でみても明日のことは誰にもわからないから、目先の取れる利益だけを奪い取ってさっさと手仕舞いする「短期投資」のイメージに近い。

また、男女関係でいえば、今がすべて、
共通の知人・友人もいないし、次は会える保証などないのだから、急いで性的関係に持ち込む「一夜限りの関係」のイメージに近い。

以前、アラブ系の女性が面白いことを言っていた。

灼熱の砂漠を横断するとき、彼女たちは金のアクセサリーを身にまとっているのだそうだ。

一見するとアバヤ(
真っ黒い民族衣装)で身を隠しているので地味に見える彼女たちではあるが、あの衣装の中はゴールドを潜ませているという。

その理由は、砂漠で水が必要になったとき、ラクダに乗ったキャラバン隊は紙幣を(アメリカドルでさえ)受け取ってくれず、多くの人が普遍の価値を認める「ゴールド」でなければ水と交換してくれないらしい。

仮に、キャラバン隊から水を受け取れたとしても、今度は彼らが水が必要になったとき、
紙幣と水を交換できないリスクがあるためだ。だからキャラバン隊が紙幣を受け取るメリットはない。せいぜいラクダのケツの穴をきれいに掃除して終わりだ。

日本人の感覚では、蛇口をひねれば当然のように水が出てくるので希少価値はあまり感じないが、砂漠の民にとっては、水は命と同じくらいの価値を持っているようだ。

上記は一例だが、単一民族国家に比べて価値観のバラツキが大きな多民族国家、厳しい環境のもとで生活する人たちにとっては、性悪説で物事を考えるのが常識となっている。

彼女は私に言った、「ゴールドと水を交換するタイミング?同時に決まってるじゃない、私は走ってもラクダに追いつけないわ!」。


もっとも、社会の常識に従うという意味では、村社会もグローバル社会も一緒だ。

唯一違うのは、「
常識の中身」が違うだけのこと。

こうして考えてみれば、私が「契約を反故にされた」と怒るのは、ある意味で筋違いだ。

私が単にゲームのルールを間違えただけの話なのだから。

すべては自己責任、実に厳しい世界だ。



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【信用創造】


大学受験の熟語集だったと思うのだが、"make believe"の日本語訳が「~と見せかける」「~の振りをする」と書かれていたように記憶している。

私は
英語の発想力に「あー、なるほどなー!」と納得したのを覚えている。

つまり、信用を創造するという行為は、
シェイクスピアが言う「この世は舞台、人はみな役者にすぎない」と同様の原理であって、われわれは仮面をかぶった役者にすぎず、「本来の自分」とは別に「演じる役割」を明確に区別せよということだ(参考:「本音と建前」)。

ゆえに、信頼を構築するためには、本心とは別の振る舞いを律儀に続けていくことによって、相手に心を開いてもらうよう努めなければならないのだ。

それにしても得るまでにはあまりにも時間がかかり、崩壊するのは本当に一瞬なんだよね、これが
...


信用創造――。

まだ銀行に勤めていた頃、何度となく聞かされた言葉だ。

金融機関のような仲介ビジネスは性善説で成り立っているから、絶対に顧客の信頼を裏切ることがあってはならないというもの。

考えてみれば、金融機関というのは不思議な存在だ。口座を開設して、多くの人たちが大事なお金を預けるにもかかわらず、誰ひとりとして組織的な持ち逃げを懸念している人を見かけたことがない。

銀行は、預金者から安い金利でお金を借りて、企業に
高い金利で貸し出し、その差額で儲ける巨大なサヤ取り業者だ。だから、右から左にお金を流して手数料で儲けているだけの楽な商売だと批判される風潮がある。

特に日本では、伝統的な価値観を持った人たちからすれば、モノづくりこそが実業であり、金融業は虚業であると信じている人たちは未だに多い。

これはある意味で否定できない事実ではあるが、銀行には別の信用創造の側面もある。

たとえば、貿易の決済を考えてみればわかりやすい。貿易の決済には通常、信用状(
L/C)が発行される。

輸出者と輸入者はお互い遠い国に存在することが多く、輸出者は初めての取引相手である輸入者に対して信用不安が生じる。

そりゃそうだ。荷物を送ったはいいが入金がされないリスクがあるのだから、解決策としてはどこかで待ち合わせをして、荷物と現金を同じタイミングで交換する必要がある。これでは、まるで映画に出てくるマフィアの麻薬取引と同じで経済効率が非常に悪い。

そこで、当事者間に輸入国の銀行と輸出国の銀行が入って、支払いを確約する制度をとっている。

そのため、 
輸入者が倒産などによって支払いが不能になった場合でも、信用状を発行した輸入国の銀行が為替手形の引受け/支払いを確約しているので、輸出代金の支払いは確実となり、輸出者は安心して荷物を出荷できる。

これが信用の創造を生み、効率的な経済効果を生み出す。めでたしめでたし、と。

ゆえに、銀行はモノづくり産業の縁の下の力持ちとして実体経済を担っているのだ。


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【失敗から学んだこと】


エラそうに信用創造について書いたが、私も何となく「わかった」つもりになっていたものの、自分が当事者になってみてやっと「理解」できた。

自己顕示欲旺盛な成功談はともかく、失敗談は恥ずかしがらずにどんどん晒したほうがいいと思う。

初めてフグを食べた人は毒によって死んでしまったが、多くの犠牲になった人たちがいたからこそ、毒のある部位を特定でき、それを取り除くことによって、私たちは安心してフグを食べられるようになった。

「わかる」ことと「理解する」ことは別ものだ。
書籍やマニュアルをたくさん読んだところで、結局は「わかった」つもりで終わってしまう。二次元(紙の上)と三次元(実体験)の決定的な違いだ。

エロビデオを見ながらオナニーばかりしていても、セックスが上手くならないのと一緒。

投資のマニュアル本見ながら理論ばかり勉強していても、実践で全く役立たないのと一緒。

自己啓発の書籍を片っ端から読んで満足しても、給料が上がらないのと一緒。

ぜ~~~んぶ本質は同じこと。

標本データが少ない状態、つまり何事も経験値が少ないといつまで経っても上達しない
誰もが傷つきながら大人になっていくように、経験を積んで交わし方を学びながら、みんな一人前になっていくのだろう。

私自身、実務に関してはだいぶ場数も踏んだし、それなりに上達したと思うけれど、グローバル社会のビジネスマンとしてはまだまだ初心者、極東の島国出身の田舎者だ(昨年から独立しました)。


約束を守っても、相手にとってメリットがない契約は絶対にしてはならない

1. お互いが同じタイミングでメリットを得る契約
2. 自分だけが先にメリットを得て、相手が後にメリットを得る契約
3. 相手だけが先にメリットを得て、自分が後にメリットを得る契約


最も理想的な1.実現させるためには、当事者間に信頼できる第三者を入れて、貿易決済と同様、信用状(L/C)発行のような仕組みを提供する仲介機関が必要だ。

これからの時代、クラウドソーシングといって世界中の事業者とエンジニアを金融機関のように
仲介するサービスが認知されてくるだろう。

ある人は言うかもしれない、「
仲介機関は、手数料稼ぎの虚業にすぎない」、と。

ただ、そこには性善説による「信用創造」があることを忘れるべきではないし、リスクヘッジの保険料と考えれば、
手数料を支払うだけの価値があると思う(もっとも仲介機関そのものと業務を委託する相手のリスクはあるが)。

知らない相手同士を、信用の創造によって結び、効率的な経済効果を生み出すサービスが盛んになってほしいものだ。

どんなビジネスであれ、業界やサービス内容は違っても、その基本は「人と人との信頼関係」によって成り立っている。

私はこんな基本中の基本をおろそかにしてしまい、結果として痛い目に遭ってしまった。

この記事を読んでくれたみなさん、私と同じ目に遭わないように!



グローバル社会は「やり逃げ社会」だぞ!