少し気持ちが落ち着いたので書き残しておく。
先週末の3月11日14時46分、
三陸沖を震源としたマグニチュード9.0という未曾有の大震災が東日本を襲った。
(2013.11.24追加)
私たち市場関係者にとって3月の第2金曜日というのは、先物市場のメジャーSQと呼ばれる特別精算日を迎えるまさにその日だった。
実は、前日に食中毒で入院して家に帰ったのが14:30頃。
朝の速報データによれば、日経225先物のSQ価格は10.286.48円。
相変わらずパッとしない数字だな...
ベッドでボーっとしながらモニター画面を眺めていた。
14:47、間もなく東京のマーケットがクローズする時間だ。
突然、PCのタスクトレイに起動させていた地震計のアラームが部屋中に響き、ポップアップが表示される。
「最大震度5弱」
「マグニチュード7.7」
「震源地:三陸沖」
「到達まであと53秒」
と表示されていた。
地震域が拡大しながら台風の暴風域のように東京方面に向かって少しずつ近づいてくるのが見えた。
「はぁ、マジで!?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
電話して事実確認する時間がない。
どうしよう...
脳裏をよぎった。
「非常口確保」「ポジション決済」
どうしよう...
14:48、少しずつ揺れが始まる、思ったより揺れが小さい。
正直言ってたいしたことない。
画面を見ると「最大震度5強」に変わっていた。
震源地が三陸沖... 海!?
沖合のプレートがズレた反動で海面が急激に跳ね上がれば、津波が来るかもしれない。
津波 → 幹線道路に被害 → 人間と物資の輸送経路が遮断 → 莫大な経済損失...
どうしよう...
ポジションを一括で全て手仕舞うか、それともこのまま大きくカバードポジションを作って耐えるか。
あるいは、両建てご法度のロングポジションだけ手仕舞って、ショートポジションだけ残すか。
ダメだダメだ、そんな器用なことしてる時間がない。
どうしよう...
せっかくの含み益が名残惜しいが、ポジションを一斉に手仕舞うことにした。
14:49、地震を感じてから40秒~1分秒後くらいの間に揺れが1段階、2段階とどんどん強くなる、人生で感じたことのない強い揺れだ。
いや、揺れというか、海のど真ん中で浮き袋に体を突っ込んで自分がグルグル回っているような不思議な感覚だった。
どうやら誤報ではなかったようだ。
揺れたり、物が落ちるのはともかく、天井と壁の間からギシギシと音が聞こえるのが恐怖だった。
震源地から300km以上も離れてこの揺れの強さ。
「これ、マジでやばいな...」
非常口確保、急いでドアを開けてストッパーを挟む。
やはり本能からか、人間いざとなったら無意識に自分の命を最優先に守るようにDNAにプログラミングされているらしい。
これでいつでも逃げられる。
手が2本しかない、とりあえず自分の体を犠牲にしてPCを守るのに必死だ。
揺れがさらに1段階強くなる、もう立っていられない。
PCの前にしがみつく、商売道具守らないと。
「建物が倒壊したり天井が崩れて生き埋めになったらどうしよう...」
「28歳で死ぬのかな...」
いや、死ぬことそのものよりも、
意識の存在しない世界がこれから果てしなく続くことを想像していたら、なんだか気が遠くなった...
一瞬、モニター画面の先物TICKチャートが下落方向に振れているのが見えた。
「早い、もう下がってるのか...」
「自分も早く売らなきゃ...」
「でも逃げなきゃ...」
「だめだ、売らなきゃ...」
「動けない、急がないと...」
14:50、ようやく小康状態に入る。初動から2分くらい続いたと思う、とにかく揺れが長かった。
昨年末から1万円台に乗せて少しずつ回復の兆しを見せていた日経平均株価だが、パニック売りと投機筋による空売り注文が殺到して週明けには1万円割れを起こすことは明らかだった。
下がることは確信した。問題はそんなに大きく下げないか。それとも大幅に下げるか。
大幅に下げなければ先物をショート、大幅に下げるならプット買い、注文出したら脱出準備、どっちかだ、どっちで行くか。
ポジションは手仕舞いしたから、どっちみちシングル(片張り)で下落方向にベット(賭け)することになる。
今日はメジャーSQを迎えたばかり、4月SQまで1ヵ月も残っている。
最悪...ミスっても紙クズにはならないか、まだ1ヵ月あるし。
少し手が震える。揺れてるからか。
14:51、あと9分しかない、どうしよう。
あー、どうしよう...
「異常事態はファーアウトの屑プット買い」、いざという時に使おうと頭ではわかっていたが、人間いざという時はパニックになるようだ。
「エイヤ!!」
大暴落に賭けて、プットオプションの買い注文を入れることにした。
ボラティリティが急激に跳ね上がる(と思われる)局面ではこっちのほうが都合がいいと判断したからだ。
無我夢中だった。
ポジションはあえて4月限「95」~「80」の間をランダム買いとだけ書いておく。
我に帰ったら、虚無感からか、自分のやっている事があまりにも滑稽過ぎて呆れたからか...
完全に力が抜けて床に座り込んだ。
TVを付けてニュースを見ると、お台場の施工中のビルの屋上から出火して煙が立ち込める様子が中継されていた。
さすが技術大国日本、埋立地も崩れないし建物も倒壊していないようだ。
相変わらずのんきな性格だ。
窓の外を見ると、みんな立ち止まって空を見上げて固まっていた。
正直、この時点では、まさか数十分後に巨大津波が福島原発を襲うとは全く想像していなかった。
とりあえず、家族や関係者に電話。
でも、携帯電話が通じない。
どうなってんだよ!?
メールを打つ、打ちまくる。
誰からも返信がない。
ダメだ、連絡手段が絶たれた。
駅前の公衆電話まで急いで走る。
長蛇の列で30分くらい待たされた。
とりあえず、みんな無事らしい。
どこで何をやっていたのか聞かれる。
仕事してたよ...
ロンドンマーケットがオープンしてから、モニター画面に映し出される日経225先物価格が下落していく。
ドル円チャートを見ると、日本円が買戻しされている。いつも一瞬、判断に迷うところだ。どうして被災国の通貨が売られずに買われているのか?阪神大震災も中越地震の過去データもそうだった。
きっと企業が海外資産の売却をして資金を確保するためなのだろう。保険会社も同様に、莫大な補償金の支払いが生じるのを見越して大量の資金が必要になるために早急に円転させる必要があるのだろう。
一方、TV画面を見ると、そこには津波に人や車や家屋が流されていく地獄絵図が映し出されていた。
これは映画の世界ではない、東京からわずか300km先で起こっている現実世界の映像だ。
ガソリンスタンドの重油が水に混じって発火したのか、海が赤く燃えていた。
いや、さっきまでここは海ではなかったか。
さっきまでここには人々がごく普通に生活を営んでいた場所だったはずだ...
大自然の前では、人間とは何と無力な存在なんだろう...
何だろう、涙が止まらなかった...
地震直後から、どこのTV局も津波と原発の様子が中継されていて、何日経っても通常放送に戻らない。これは本当に異常事態だ。
それにしても、ACの広告がしつこくて頭にくる。アナログ放送終了のお知らせが画面の幅を取りすぎててマジでウザい。
CNNもBBCも津波の映像、海外メディアも取り上げてるのか。
そうか。まぁそうだろうな。
TVをまともに見なくなって何年も経つが、日本政府の「段取りの悪さ」と原発の状況悪化を「大丈夫です」と必死に弁明している御用学者の姿を醒めた目で見つつ、家でゴロゴロしながら週末を過ごした。
コンビニ行っても弁当が全部売り切れだ。
しょうがないからこの前スーパーで大量に買った缶づめでも食べることにした。
ときどき来る大きな余震で風呂に入るのも本当に怖かった。
揺れが長すぎて体の感覚がおかしくなってしまったのか、今も少し揺れてる感じだ。
週明け、東京マーケットは大幅な下落から始まった。そりゃそうだ、シカゴがクローズするまで先物がずっと下がってたんだから。3月11日の終値が10,254円、3月14日の終値が9,620円。
そして翌15日、前場引け後に菅首相が「原発が危ない」発言。あの声のトーンと顔の表情を見て多くの投資家は同じ事を感じたはずだ。
後場ではさらに暴落が加速し8,605円で取引を終えた。
何とも皮肉な話だが、私にとってこの取引は、過去最高のリターンとなった。
断っておくが、私はトレーダーだが、このブログはトレーダーのブログではない。
「私は2日で10億円稼いだ」、「私は20億だ!」という浮ついた話なら、自己顕示欲が旺盛なブロガーさんがたくさんいるのでそちらを参照してほしい。
そうではなくて。
私がこの文章を書き残した意図は2つある。
1つ目は、確率・統計を駆使しても必ずしも最適なパフォーマンスが出せるわけではないということ。
標準偏差を基に設計された金融工学のリスク管理モデル(いわゆる±σ2)では95%の確率でうまく管理できるかもしれないが、残りの5%の事態には完全にお手上げだ。
おそらく、今回の大震災でプットオプションの売りポジションを建てていたトレーダーは相当の致命傷を負ったはずだ。
このブログを読んでいるあなたがトレーダーだったら、95年1月の阪神・淡路大震災の時に、ニックリーソンが莫大な含み損を出して、イギリスの名門ベアリング商会が経営破たんに追い込まれたのを思い出してほしい。
金融取引の世界では、±σ3ならまだしも、±σ4、±σ5といった異常事態が頻繁に起こりうる。
頭脳明晰な優等生が机の上の理屈で説明できるのはせいぜい2割程度、8割は運や感覚に左右されることがあるということ。
想定外の事態はサンプル数が少ないため、たまたまベット(賭け)したポジションでは良くも悪くも偶然の発生確率は上がるということだ。
よって私の今回のパフォーマンスは「まぐれ」によるものであるということ。
これは自分への戒めでもある。
2つ目は、この出来事を風化させないため。
おそらく、この震災は2年後、3年後、日本史の教科書に載るレベルの大惨事だろう。
もう一度言うが、このブログはトレーダーのブログではない。
1人の名もなき人間が想定外の事態に直面し、何を感じ、どう行動したかを記録したものだ。
この角度から今回の大震災を語ったブログは今のところ存在していないため、私が書くことにした。
私の祖父は既に他界したが、戦時中の体験を風化させないように次の世代に語り継いでいた。
だからそれを見習って、私も自分が見た角度から思い出せるかぎり書き残すことにした。
客観に基づく「事実」は1つしか存在しないが、主観に基づく「真実」は人間の数だけ存在する。
被災者の方、救援者の方、電車に乗っていた方、街を歩いていた方、いろんな方が自分の角度から見たこの「事実」に「真実」を加えながら書き残してほしいと思う。
記憶の傷跡に、記録し、そして語り伝えよ。
いつの日か...
誰かが私の記事を偶然見つけて、何かを感じ取ってくれたら幸いだ。
想定外の事態に直面しても冷静な判断ができるように心がけてほしい。
もちろん私自身もだが。
最後に、
この度の想像を遥かに超える事態に直面し、私自身、言葉としてうまく表現できません。
もうすぐ桜の咲く季節がやって来ますが、東北の春の訪れは遅く、肌寒い夜が続いていると聞きます。
今も行方不明の方々並びにご遺族の方々、昼夜問わず必死に捜索活動に当たっている方々、原発事故の対応に当たっている方々、公民館や体育館で十分な食料や寝具も配給されず辛い思いをされている方々...
みなさん、いろいろな立場で今、この瞬間を必死に生きていると思います。
私は、人権を最大限に尊重しようと努めますし、自分以外の誰かの人生に対して、「最終的な意思決定」を強制することは決して許されるものではありません。
それでも...
亡くなってしまった方々のためにも、私たちは強く生きなければならない責任があると思うのです。
無責任な発言であることは重々承知の上ではありますが、どうか...
ご自身でその「責任を放棄すること」だけは思いとどまっていただきたい...
寒い夜を過ごされているおじいちゃんおばあちゃん、暖かい毛布を届けるので少しだけ時間をください。
食料が十分に確保できず、周囲の方々と分け合ってお腹を減らして困っている皆さん、お腹いっぱいの食料を届けるので少しだけ時間をください。
赤ちゃんに十分に授乳させてあげられないお母さん、栄養素の高いミルクを届けるので少しだけ時間をください。
そして、
学校が無くなって授業を受けられない子供たち、未来への長期投資です。
机と教科書を届けるので少しだけ時間をください。
君たちが大きくなって、街を復興させるんだよ。
大人たちに任せても、どうせロクな事がないからね。
テレビを付けて画面の向こう側の映像を見ると、胸が痛くなり、涙が止まらなくなります。
私も当事者である「日本人」として、被災地の1日も早い復興をお祈り申し上げます。
この投稿内容は賛否両論あるかもしれませんが、それでも、今、この瞬間...
生きている誰かが未来を生きる誰かのためにやらなければならない大切な仕事なのです。
私も自分にできることとして書き残すことにしました。
果たして、これが「正解」か「不正解」かは私にはわかりません。
それでも「柱の裏の落書き」として、こっそり書き残すことにしました。
私一人ができることには限界がありますが、自分のできるかぎりのことをやります。
普段はどうしようもない人間ですが、今回は少しでも誰かの役に立ちたいと思います。
みんなで力を合わせて、明るい希望を未来につなげていきましょう。
がんばろうぜ、日本!
(2013.11.24追加)