毎年、秋を感じる季節になると何とも言えない死生観にとらわれる。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる


藤原敏行(古今和歌集「秋上」より)
 


日本の気候風土は春夏秋冬という豊かな土地柄のせいだろうか、

季節の変わり目の風を感じると、強烈に感受性を刺激されることがある。


次第に色づき、
紅や黄色に染まっていく山々の木々。

枯れ果てる最後の瞬間まで必死に咲き誇ろうとする姿を観ると、

やがて訪れる冬に、自分たちに終わりが来ることを知っているからなのだろうか、

生命ゆえの儚さを感じてしまう。


*****


千束村の別墅に楓樹数株を植ゑて

うゑをかば よしや人こそ 訪はずとも
秋はにしきを 織りいだすらむ

染めいづる 此の山かげの 紅葉は
残す心の にしきとも見よ

勝海舟(飛川歌集より)


数年ぶりに大田区の洗足池にある、勝海舟の墓参りに行ってきた。


実は、数年前に友人と「お~い竜馬」の漫画に完全にハマってしまい、週末のたびに幕末の人物たちの墓参りに訪れた時期があった。


勝海舟といえば、徳川家の幕臣でありながら、広い視野と先見の明を持ち、坂本竜馬や西郷隆盛といった開国派の人物たちを開眼させ、江戸城無血開城に貢献した人物だ。

今風に言えば、既得権を握る大企業の幹部職にありながら、その体制を内部から猛烈に批判し、新興ベンチャー企業の顧問を密かに兼任していた人物といったところだろうか。 

もっとも、見方によっては佐幕派の情報を開国派に流し続けた内通者であり、裏切り者とも解釈できるわけだが、「勝てば官軍」という言葉があるように、幕末史の中ではだいぶ美化されて語られている節があることは事実だ。

私はそれでも、彼の
「ダメなものはダメだ!」とはっきり正面切って批判できる姿勢が好きだ。

安定した地位を捨ててまで、国家全体の方向性や公益性を考えられる広い世界観、今の政治家の先生方にもぜひ見習ってほしいところだ。


さて、


考えてみれば「死者と弔う」というのはきわめて高尚な行為であると思う。

死者は、「わざわざ来てくれてありがとう」とお礼も言ってくれないし、ましてや「これで上手いもんでも食べなさい」などとお小遣いもくれないのだ。

ただ純粋に目を閉じて墓前で手を合わせる。

ただ純粋に...

唯物論者には理解できない「魂との会話」、それは至極スピリチャルな行為であり、経済的合理性のような損得勘定ではとうてい説明できない理解不能な行為だ。


私は生まれつき死生観が強く、墓参りに行くたびに、その人物が「何をしたか」という結果よりも、「どう考え」行動したのか、「何のために」生涯を捧げたのか、といった「思想」や「哲学」に非常に興味関心がある。 

結果論だけで考えてしまうと、出来事というのは、どうしても運や偶然に左右されてしまう部分がある。だから、私は「何をしたか」よりも思考や哲学こそが人物のあり方をよく説明してくれると思っている。思考や哲学によって、その人物の内面に入り込むことができるからだ。

時世の句というのは、
死が目前に迫った時、最後に自らの生き様を伝える究極のメッセージであり、非常に心に響くのだ。

身はたとえ 武蔵の野辺に くちぬとも
留め置かまし 大和魂

吉田
松陰

さつきやみ あやめわかたぬ 浮世の中に
なくは私しとほととぎす

木戸
孝允桂 小五郎

面白き こともなき世を面白く
住みなすものは 心なりけり

高杉
晋作

ふたつなき 道にこの身を 捨小船
波たたばとて 風吹かばとて

西郷
隆盛

ふたたひと 還らぬ歳を はかなくも
今は惜しまぬ 身となりにけり

武市
瑞山(武市 半平太

世の中の 人は何とも云はばいへ
わがなすことは われのみぞ知る

坂本
竜馬

君が為め 尽くす心は 水の泡
消えにし後は 澄みわたる空

岡田
以蔵


なかには時世の句ではないけれども、彼らがその瞬間、何を考えていたのか後世を生きる私たちにも鼓動や息遣いが鮮明に伝わってくるのではないだろうか。


なお、私がもっとも心に響いたのは、土佐の
吉村寅太郎だろうか。


彼の名前は竜馬や西郷に比べれば、完全に埋もれてしまった人物であり、日本史の教科書を開いても歴史の表舞台に名前さえ出てこない。

彼は攘夷思想に傾倒し、土佐勤王党に加盟。寺田屋事件で捕縛され投獄。

保釈後は京都へ上り、
天誅組を結成し大和国で挙兵するも、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍に吉野山を包囲され、追い詰められてしまう



あと少しで歴史を変えることができた、情勢さえ変わらなければ。


さぞや無念だっただろう。悔しかっただろう。


彼は敵陣に包囲される中、銃撃を受け、戦死した。


享年
27歳。





momiji1

 

 

吉野山 風に乱るる もみじ葉は
我が打つ太刀の 血煙と見よ

吉村 寅太郎
 



歴史はいつも勝者が作るといわれる。


勝者はいつの時代であれ、後世を生きる人間に過度な承認欲求を持ち、自らの期待値を高め、美化された物語を残そうと努める。

ゆえに、都合のいい事実を組み合わせ、都合の悪い事実は葬られていく。


それでも、と私は思うのだ。


それは決して単純にファクトデータを組み合わせた無機質なものではなくて、多くの人間の行動や感情、思想が交じり合った、情緒的で有機質なものなのだ。



人は生まれ、やがて死んでいく。



秋の夜長、じっくりと先人たちの生き様を学んでみるのもいいのではなかろうか。