「どのように」宇宙は創造されたのか?

「なぜ」
宇宙は創造されたのか?


「どのように」
ヒトは生まれるのか?

「なぜ」
ヒトは生きるのか?


一般的に、


「どのように(
How)」を問う学問は「科学」と呼ばれ、

「なぜ(
Why)」を問う学問は「哲学」や「宗教」と呼ばれる。


בראשית  

 

【科学と聖書の一致】 

 

「光を遣り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者

わたしが主、これらのことをするものである」

(「イザヤ書」第
457節)


これは言い換えれば、まず闇が先にあったということになる。

神によって一番始めに造られたのは「光」だったが、その前に「闇」があったということになる。


「創世記」の最初には次のようにある。

 

「初めに、神は天と地を創造された。

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。

『光あれ』」
(「創世記」第
11節)


現代科学で大変重要な地位を占めている科学者にスティーヴン・ホーキングという人物がいる。

彼は宇宙に創造者がいるのかどうかという疑問に対しては、どのような立場も取ろうとはしていない。

ただ彼は、

「宇宙の始まりの大爆発であるビッグバンにおける1秒後の宇宙の膨張率が、あと1億×1億のさらに10分の1小さかっただけでも、現在のような状態に到る前に、重力によって収縮してしまっていた」


(スティーブン・W・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る』より)
 


と述べている。

そうなれば、宇宙は生命を生み出すことはなかっただろうし、彼はこれについて何の説明もしていない。


では、果たしてこれは偶然なのだろうか。


ビッグバンの理論によれば、原初、宇宙の全体はブラックホールの中に入っていたといい、宇宙は極微小に凝集していたという。

そして、預言者イザヤの言葉に対応するように、それは全くの闇であり、また想像も出来ないくらいの熱さであった。

光そのものである光子は絶えず電子と衝突し続け、そのためにこのブラックホールから抜け出ることはできなかった。

つまり、光は宇宙の塊の中に閉じこめられていたということになる。


やがて宇宙の温度が下がると、光子の熱エネルギーが低下し、今まで光子と衝突を繰り返していた電子は水素やヘリウムの原子核上の軌道に落ち着くことが出来るようになった。

そのため、光子は宇宙の塊から自由になった。このことを聖書では


「分かれた」


と言い、

「神は光と闇を分け」(「創世記」第14節)


とある。
そして、

光は目に見える光となり、神学的にも、科学的にも光は光となり、闇は闇となった。

なるほど!こう考えると科学と宗教は必ずしも相反するものではなさそうだ。


 

【天地創造の時間】


聖書では、世界は
6日間で作られたとされている。

一方、科学的理論では宇宙は約
150億年前に誕生したとされている。

これだけを見ると、やはり宗教と科学は相反するようだ。

  

「千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時(ひととき)にすぎません」

(「詩篇」第
904節)


これはダビデ王によって書かれたとされているが、神の目から見れば、
1,000年という月日も、まるで昨日のようなものだったということは、神の時間の感覚は、人間におけるものとは違うということになる。


これはすでに相対性理論的なものになっている。


さて、創世記に世界の始まりの第
4日目について次のような記述がある。
 

「『神は言われた。天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ』

そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を創り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。

神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。

神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である」

(「創世記」第
114節)


私たちの
1日という感覚は、日が昇り、日が沈むことを基準として24時間の周期で巡るというように理解している。

しかし、聖書によれば、太陽は第
4日目に創られている。

では、それ以前の
1日というものはどういうものだったのだろうか。


「創世記」では、天地創造の第
1日目から第3日目について、

「夕べがあり、朝があった」


とあるが、

ここで言う
1日とは、100万年とか10億年といった年代であったということらしい。


さて、天地創造の際の
1日が年代だと考えると、天地創造の6日間が現代科学の言う150億年間と同じであることが分かってくるのだそうだ。

エルサレムのシュローダー博士は相対性理論でこのことを解釈すべきであると話している。

つまり、原初、ビッグバンの最初の瞬間は時間の進行の仕方が現在のものと異なっていたということだ。


相対性理論によれば、原初における光の周波数の平均は、現代の光の周波数の平均に比べて、
100万×100万倍高かったという。

そこで、時間は光の周波数に依っているため、原初の時間は現在の時間よりも
100万×100万倍速かったということになる。

その後、宇宙が膨張し光が引き延ばされ、周波数が原初の
100万×100万分の1になった時、時間は現在の速さになった。

つまり、神の目から見れば、
150億年がたったの6日間なのだという理屈らしい(計算式がどこかへ消えてしまった...)。

このような観点から見れば、聖書の記述は科学的に説明出来るのだということが分かる(らしい)。


哲学書や宗教書は手に取ると、面白くてついつい夢中になって読んでしまうが、精神世界の側面だけではなくて、意外に科学的なのかもしれない。


私はあくまでも世俗的な人間ではあるが
...



(参考: ラビ・ヘンリーノア「ユダヤ教研究」聖書と科学の教えの一致)

(参考: スティーヴン・W. ホーキング「ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで」早川書房,1995年)