私が小さい頃、商店街というものがあった。

過去形にするのは少し違うのかな。

今もまだあるから
...


お肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん。

昔はもっと大きな商店街があちこちにあって、

多くの人々で賑わっていたのだろう。


ところが今はどうだろう。

商店街を通るとシャッターが閉まっている。


みんなどこへ行ってしまったのだろう。



ここ十数年で流通のあり方が劇的に変わった。

商店街は時代の変化とともにスーパーマーケットやデパートに取って変わって行った。

スーパーマーケットやデパートの惣菜コーナーに行けばフロアをまわるだけで、肉も野菜も魚も同じ場所で買えるようになったからだ。

なるほど!非常に合理的だ。

いわば、「縦×横」の長く広い面積の街並みから「縦×横×高さ」の短く狭い面積の街並みにスリム化できたわけだ。

2階建て、3階建ての合理的で無機質な街並み。

新しい街は上へ上へと伸びて行った。

その結果、昔からあった商店街の数は減って行った。



さらに時代は進み、コンビニエンスストアが誕生した。

ちょっとした日用品や食材を買うだけなら、家から数分歩くだけの場所に必要最低限の商品だけを取り揃えた、小型のスーパーマーケットがたくさんできたからだ。

核家族化する日本の家庭事情だろうか、

夕食に時間も手間もかけず、惣菜を買ってきてレンジで温めるだけの家庭が増えたのだろう。

その結果、スーパーマーケットやデパートの数は減って行った。

もちろん、家族が向き合う暖かな夕食の時間も
...


こうして流通の主役は商店街→スーパーマーケット→デパート→コンビニへと変わって行った。

その結果、街はどう変わったか。


駅を降りればコンビニ、ファミレス、ファーストフードなど、大手チェーン店がひしめく均一化された無機質な街並みが私たちを迎えてくれる。

今やどこの街の駅を降りても、その街が本来持っていたであろう独自性が失われつつあるように思う。

かろうじて独自性が残っている個人商店は、通りを中へ中へ入って行った裏通りにひっそりと佇んでいるくらいだろうか。



消費者が街を、そして社会をデザインしている。

言い換えれば、私たちの行動パターンやお金の使い方が、
一昔前に比べて合理的になってしまったのが原因だと思う。



祖父や祖母たちが愛した商店街という人情味のある、有機質で暖かな街並み。

私は決して嫌いではない。




合理化し、最適化されてしまった無機質な街並みに

なんだか虚しさを感じるのは私だけだろうか。