人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。


「死」とは本当に不思議なもので、生きているかぎり絶対に手に入らない存在だ。

なぜなら、「死」を手に入れることは、同時に「生」を失うことを意味するからだ。

「死」を手に入れたと実感するためには、「意識」の存在が必要になる。

ところが、「意識」が存在してしまうと、「死」を手に入れることができなくなる。

「死」を手に入れるためには、「意識」が存在していてはならないのだ。

その意味では、実は誰も本当の死を知らないことになる
...

生きている人間にとって、「死」とはある意味で絶対に手に入れることができない「憧れ」の対象であり、同時にそれは
手にした瞬間に「生」そのものを失ってしまう「恐怖」の対象でもある。


*****


歴史的な建造物を作った大工さんは、
柱の裏とか、誰にも見えないところにひっそりと自らの名を刻んだという。

きっと自分がその時代に生きていたことを、
何か形として後世に残しておきたかったのだろう。

単なる自己満足を追及するだけの自慰行為なのか、
あるいは誰かに気づいてほしかったのかもしれない。


自己顕示欲とそれが叶わないもどかしさ
...



人は生まれ、やがて死ぬ。



今、まさにこの瞬間、
「自分が自分である」と認識している意識さえも失ってしまう日がやって来る。

私たちは「自我」が芽生えた時から世界が始まり、それを認識できなくなった時点で世界は終わってしまう。

実際には、私たちが生まれるずっと昔から世界は存在しているし、私たちが死んでからも世界は続いて行くのだろう。

しかし、永遠に続いて行く時間の中で、私たちは自我を認識できている時間の中でしか、自らが存在していることを感じることはできない。

その意味では、過去と未来が存在するにせよ、結局は存在しないのと同じことではないだろうか。



絶対の存在しない世の中で、唯一約束された未来がある


それは、いつか必ず人は死ぬということ。

私たちは確実に終わりに向かって歩いている。

永遠に続く時間軸の中で、どこかで必ず自我の認識は止まってしまう。

ある日突然、終わりが来るかもしれない。


人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。



私はいったい何を残せるだろうか
......