柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

生きる意味


空の空。伝道者は言う。

空の空。すべては空。


人は生まれ、やがて死ぬ。


私たちに確実に約束された未来、

それは早かれ遅かれ、いつか必ず死ぬ運命にあるということ。


人はいつか死んでしまう
...


いったい生きることに意味はあるのだろうか?

いったい生きる意味とは何なのだろうか?


今、たしかに、存在している自分。

自分がここに
存在する意味とは何なのだろうか?

Sunset-Pictures-21
(出典:「Sunset PicturesWallruru.comより 

存在論のテーマは「なぜ在るのか」を考える問い掛けであり、
解答することが著しく困難である

この問題は、物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極の問い」とも呼ばれている。
 
Woher_kommen_wir_Wer_sind_wir_Wohin_gehen_wir

「画面右側の子供と共に描かれている3人の人物は人生の始まりを、中央の人物たちは成年期をそれぞれ意味し、左側の人物たちは「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」であり、老女の足もとには「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」

われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか
ポール・ゴーギャン(フランスのポスト印象派の画家、18481903


冷たい人間だと誤解を招くかもしれないが、私は「死」というものに対して、割と客観的に考えている人間だと思う。

なぜならば、未だ
誰ひとりとして「死」に対して実体験を語った者がおらず、全てが人間の憶測に過ぎないからだ。

そもそも、死を経験することは同時に生を失うことであるから、死の経験を語ることは不可能である。

私はまだ生きているし、好奇心旺盛だからといってとりあえず体験してみることもできない。
だから、どこか他人事なのかもしれない。

あるいは、逆に想像を絶するほどの
「死」の恐怖が心の中に存在していて、自らを欺くことによって気づかないふりをしているだけなのかもしれない。


ときどき怖い夢を見る。

それは、どこか高い建物のフェンスによじ登って、
片足でわずか数cm程度の生と死の狭間でバランスを取っている自分だったり、あるいはもうひとりの自分に追いかけられている夢だったりする。

前者はバランスを崩した瞬間に目覚めるが、後者は逃げても逃げてもいつまでも捕まらないため、永遠に夢の中を逃げ続けるという恐怖がある(たいてい行き止まりで目覚めることになる)。

もし、人間が死の恐怖を真正面から受け止めようとしたら、あまりのストレスに精神が耐え切れず、人格が崩壊してしまうかもしれない。
子どもの頃、眠れない夜に延々と考え続けて、発狂しかけたことがある。

ある意味で人間が感情を持っているのは、
喜怒哀楽によって「死」に対する感覚を、少しずつ時間をかけて麻痺させるための防衛本能なのかもしれない。



人生は永遠には続かない。

だから、「今という瞬間を精一杯生きよ」、とかつての哲学者たちは言った。

その日を摘め(Carpe diem

ホラティウス『歌集(第
111歌)より』


ホラティウスの歌集の中では、「神々がどのような死を我々にいつ与えるかは知ることは出来ず、知ろうと苦しむよりも、どのような死でも受け容れるほうがよりよいこと、短い人生の中の未来に希望を求めるよりもその日その日を有効に使い楽しむほうが賢明であること」が歌われている(出典:「その日を摘めWikipediaより)。


これは「人生は短く、時間はつかの間であるから、今ある機会をできるだけ掴むことだ」、というような実存的な警告として使われている(出典:同上)。

永遠がないからこそ、限られた時間の中で必死に花を咲かせようということなのだろう
...

ただ、花を咲かせたのは誰の意思だろうか
...

そもそも人間は自らの意思によって生まれたわけではないから、ある意味では
人生を強制的に与えられたことによって、余計なことを考える時間が増えたとも考えられるのではなかろうか...

生まれてさえ来なければ、こうして悩むこともなかっただろうに
...


*****

 

世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし

在原業平
「伊勢物語」第八十二段より

(この世の中に桜さえなかったら、散ることを心配することもなく、春になっても人々の心はのどかになるのに...)


日本人は本当に桜が好きだ。春になると桜の下でご飯を食べ、お酒を飲みながら楽しく過ごす。


散るまでの僅かな時間、限られたごく僅かな時間のなかで...

日本人の死生観は「桜」の散っていく姿に、たびたび人生の儚さを重ね合わせてきたのだろう。
 

*****


かつて、人々は死を恐れ、心の中に「神」を創造し、心の拠り所を求めた。

(ここでは、
「神」は存在することも存在しないことも証明できないので省略する
 


ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教など、世界にはたくさんの宗教がある。

一見すると、宗教というものは、「目的地に到達するための道」はそれぞれ違うけれども、客観的に見れば「行きつく先」=「真理」はどれも同じではなかろうか?

真理とは、すなわち「幸福の追求」
...


おこがましく結論を言えば、生きることの意味とは「
幸福の追求」ではなかろうか。

生きていると、楽しいこと、嬉しいことばかりではない。

辛いことや悲しいこともたくさんあるだろう。

自らの手で生きる権利を放棄したいと願う人もいるかもしれない。


人は誰もが、幸せになりたいと願う。


給料を上げるために
資格を取得して、より良い仕事に就こうと勉強する。

起業をして今よりもたくさんのお金を稼ぐために、必死に働く。

少しでも優れた遺伝子を残すために、より良い異性を選ぼうとする。

自己顕示欲を満たすため、
書籍を出版したりブログを投稿する。


どんなことであれ、「目的」には「手段」が存在する。

一見すれば「目標」はどれも違うように見えるけれども、
その本質を突き詰めて行けば「幸福を追求するための手段」なのだと思う。

自殺志願者でさえ、
自ら「死」を選ぶことによって苦しみから解放されたいと思っている。

これもまた、本質は「幸福を追及するための手段」に他ならないだろう。


多くの人々が手段を目的化してしまい、大切なものを見失っているように思う(時として私自身もそうであるように)


本来の目的とは何だろうか、目的地が明確でなければ手段を手に入れたところで幸せにはなれない。


目的とはすなわち、自分自身にとっての幸せだ。

それは他人と比較した「相対的な幸せ」ではなく、自分自身の基準となる「絶対的な幸せ」のことだ。

ところが、
人間とはその本性は実にいやらしいもので、「絶対的」にではなく、「相対的」に幸せを計ってしまう愚かな生き物なのだ。


人間には欲があって、ひとたび手段を手に入れると、今度はもっと良い手段を手に入れようとする。

今よりも幸せになれると信じて
...


その結果、満足からは遠ざかることになる。



幸福を求めると満足からは遠ざかり、

満足を求めると幸福からは遠ざかる。

幸福と満足はトレードオフの関係だ。


お金が欲しい。

名声が欲しい。

異性が欲しい。


ところが、全てを手に入れても、人は必ずしも幸せにはなれないようだ。

富も名声も全てを手に入れたとされるソロモン王でさえ、知識と知恵を用いて人生の目的を思索している。

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに苦労しても、それが人になんの益になろう。1つの時代は去り、次の時代が来る。しかし、地はいつまでも変わらない。日は昇り、日は沈み、またもとの昇るところに帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込むところに、また流れる。すべてのことはものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは1つもない。

(コヘレトの言葉119


彼は、心の赴くままに快楽を受け入れ、あらゆることを楽しんだ。

快楽、富、事業、多くの奴隷、多くの妻
...

だが彼は、

すべてがむなしいことよ。
風を追うようなものだ。

(「コヘレトの言葉」第
210


という。

とはいえ、人生とは決して風を追うように無意味なものであるとはしていない。

彼が最終的に結論付けたのは、惜しみなく他人に与える愛の人生だった。

あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。
月日がたってから、それを見いだすだろう。

(「コヘレトの言葉」第
111


たくさんの富を得た大富豪たちが、最終的に慈善事業を始めるのはこういった境地に至るからなのだろう。

無効と知りながらも良い行いをする。

そこに、見返りや感謝を期待してはならないのだという。


*****


結局のところ、人生とは、自己満足の追及だと思う。

自分自身と向き合って、「ここが自分にとっての最終目的地だ」と自分で納得できる場所を見出すことができれば幸せなことなのだろう。

自分の本来の目的地に「気付く」ことができれば、きっと幸福感に満ちた余生が送れるのだと思う。

目先の手段を目的化することではなく、もっと遠いところにある最終的な目的地。

それは、自分の持っている価値観を全て凝縮したような、価値観の集大成ともいえるものかもしれない。

だから、「探す」というよりも「気付く」という表現のほうが正しいと思う。

みなさんも過ぎ行く時間の中で、自分自身の本当の目的地を見出してほしい。

世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし

在原業平
「伊勢物語」第八十二段より

(この世の中に桜さえなかったら、散ることを心配することもなく、春になっても人々の心はのどかになるのに...)



誰かが答えた。


sakura

散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき

詠み人知らず「伊勢物語」第八十二段より

(散るからこそ桜は素晴らしいのではないか、この世に永遠なんてものはなく、すべては移りすぎて行くのだ...)


一度きりの人生、人はいつか死んでしまう...

儚いからこそ、人生は美しいのかもしれない
... 




多くの人々は、

「こんなくだらないことを考えている時間があったら、もっと働きなさい」と
言うかもしれない。

だけど、これはしょうがないんだ。

「くだらないことを苦しみながら考える文化的な時間」こそが、私にとっては幸せなのだから。

一生、人の務めは痛みと悩み。
夜も心は休まらない。
これまた、実に空しいことだ。

(「コヘレトの言葉」第223


全てを得た人間であっても、私たちと同じように人生を苦しみながら生きていたようだ。



人生とは、自己満足の追及である。

ヒマ人は最高だ、私はたぶん幸せな男なのだろう。

3.11東日本大震災


少し気持ちが落ち着いたので書き残しておく。


先週末の
3111446分、

三陸沖を震源としたマグニチュード
9.0という未曾有の大震災が東日本を襲った。




(2013.11.24追加)

私たち市場関係者にとって3月の第2金曜日というのは、先物市場のメジャーSQと呼ばれる特別精算日を迎えるまさにその日だった。

実は、前日に食中毒で入院して家に帰ったのが
14:30頃。

朝の速報データによれば、日経
225先物のSQ価格は10.286.48円。

相変わらずパッとしない数字だな
...

ベッドでボーっとしながらモニター画面を眺めていた。


1447、間もなく東京のマーケットがクローズする時間だ。


突然、
PCのタスクトレイに起動させていた地震計のアラームが部屋中に響き、ポップアップが表示される。

 

最大震度5
マグニチュード
7.7
震源地:三陸沖

到達まであと53


と表示されていた。

地震域が拡大しながら台風の暴風域のように東京方面に向かって少しずつ近づいてくるのが見えた。


「はぁ、マジで
!?


一瞬、頭の中が真っ白になった。


電話して事実確認する時間がない。

どうしよう...


脳裏をよぎった。

「非常口確保」「ポジション決済」

どうしよう...


1448、少しずつ揺れが始まる、思ったより揺れが小さい。


正直言ってたいしたことない。


画面を見ると最大震度
5に変わっていた。


震源地が三陸沖... 海!?

沖合のプレートがズレた反動で海面が急激に跳ね上がれば、津波が来るかもしれない。

津波 → 幹線道路に被害 → 人間と物資の輸送経路が遮断 → 莫大な経済損失
...

どうしよう
...


ポジションを一括で
全て手仕舞うか、それともこのまま大きくカバードポジションを作って耐えるか。


あるいは、両建てご法度のロング
ポジションだけ手仕舞って、ショートポジションだけ残すか。

ダメだ
ダメだ、そんな器用なことしてる時間がない。


どうしよう...


せっかくの含み益が名残惜しいが、ポジションを一斉に手仕舞うことにした。



14:49、地震を感じてから40~1分秒後くらいの間に揺れが1段階、2段階とどんどん強くなる、人生で感じたことのない強い揺れだ。



いや、揺れというか、海のど真ん中で浮き袋に体を突っ込んで自分がグルグル回っているような不思議な感覚だった。

どうやら誤報ではなかったようだ。

揺れたり、物が落ちるのはともかく、天井と壁の間からギシギシと音が聞こえるのが恐怖だった。

震源地から300km以上も離れてこの揺れの強さ。


「これ、マジでやばいな
...

非常口確保、急いでドアを開けてストッパーを挟む。

やはり本能からか、人間いざとなったら無意識に自分の命を最優先に守るように
DNAにプログラミングされているらしい。

これでいつでも逃げられる。


手が
2本しかない、とりあえず自分の体を犠牲にしてPCを守るのに必死だ。

揺れがさらに
1段階強くなる、もう立っていられない。

PCの前にしがみつく、商売道具守らないと。

建物が倒壊したり天井が崩れて生き埋めになったらどうしよう...

「28歳で死ぬのかな...」

いや、死ぬことそのものよりも、

意識の存在しない世界がこれから果てしなく続くことを想像していたら、なんだか気が遠くなった
...



一瞬、モニター画面の先物TICKチャートが下落方向に振れているのが見えた。


早い、もう下がってるのか...」
自分も早く売らなきゃ...」
でも逃げなきゃ...」
だめだ、売らなきゃ...」
動けない、急がないと...」



1450、ようやく小康状態に入る。初動から2分くらい続いたと思う、とにかく揺れが長かった。



昨年末から
1万円台に乗せて少しずつ回復の兆しを見せていた日経平均株価だが、パニック売りと投機筋による空売り注文が殺到して週明けには1万円割れを起こすことは明らかだった。

下がることは確信した。問題はそんなに大きく下げないか。それとも大幅に下げるか。

大幅に下げなければ先物をショート、大幅に下げるならプット買い、注文出したら脱出準備、どっちかだ、どっちで行くか。

ポジションは手仕舞いしたから、どっちみちシングル(片張り)で下落方向にベット(賭け)することになる。

今日はメジャー
SQを迎えたばかり、4SQまで1ヵ月も残っている。

最悪
...ミスっても紙クズにはならないか、まだ1ヵ月あるし。

少し手が震える。揺れてるからか。


1451、あと9分しかない、どうしよう。

あー、どうしよう
...


「異常事態はファーアウト
の屑プット買い」、いざという時に使おうと頭ではわかっていたが、人間いざという時はパニックになるようだ。


「エイヤ!!



大暴落に賭けて、プットオプションの買い注文を入れることにした。

ボラティリティが急激に跳ね上がる(と思われる)局面ではこっちのほうが都合がいいと判断したからだ。

無我夢中だった。

ポジションはあえて
4月限95」~「80」の間をランダム買いとだけ書いておく。


我に帰ったら、
虚無感からか、自分のやっている事があまりにも滑稽過ぎて呆れたからか...

完全に力が抜けて床に座り込んだ。


地震速報画面

TVを付けてニュースを見ると、お台場の施工中のビルの屋上から出火して煙が立ち込める様子が中継されていた。

さすが技術大国日本、埋立地も崩れないし建物も倒壊していないようだ。

相変わらずのんきな性格だ。

窓の外を見ると、みんな立ち止まって空を見上げて固まっていた。

正直、この時点では、まさか数十分後に巨大津波が福島原発を襲うとは全く想像していなかった。


とりあえず、家族や関係者に電話。

でも、携帯電話が通じない。

どうなってんだよ!? 

メールを打つ、打ちまくる。 

誰からも返信がない。

ダメだ、連絡手段が
絶たれた。

駅前の公衆電話まで急いで走る。

長蛇の列で
30分くらい待たされた。

とりあえず、みんな無事らしい。

どこで何をやっていたのか聞かれる。



仕事してたよ
...



ロンドンマーケットがオープンしてから、モニター画面に映し出される日経
225先物価格が下落していく。

ドル円チャートを見ると、日本円が買戻しされている。いつも一瞬、判断に迷うところだ。どうして被災国の通貨が売られずに買われているのか?阪神大震災
も中越地震の過去データもそうだった。

きっと企業が海外資産の売却をして資金を確保するためなのだろう。保険会社も同様に、莫大な補償金の支払いが生じるのを見越して大量の資金
必要になるために早急に円転させる必要があるのだろう。


一方、
TV画面を見ると、そこには津波に人や車や家屋が流されていく地獄絵図が映し出されていた。

これは映画の世界ではない、東京からわずか
300km先で起こっている現実世界の映像だ。

ガソリンスタンドの重油が水に混じって発火したのか、海が赤く燃えていた。

いや、さっきまでここは海ではなかったか。

さっきまでここには人々がごく普通に生活を営んでいた場所だったはずだ
...

大自然の前では、人間とは何と無力な存在なんだろう
...


何だろう、涙が止まらなかった
... 





地震直後から、どこの
TV局も津波と原発の様子が中継されていて、何日経っても通常放送に戻らない。これは本当に異常事態だ。

それにしても、
ACの広告がしつこくて頭にくる。アナログ放送終了のお知らせが画面の幅を取りすぎててマジでウザい。

CNNBBCも津波の映像、海外メディアも取り上げてるのか。

そうか。まぁそうだろうな。

TVをまともに見なくなって何年も経つが、日本政府の「段取りの悪さ」と原発の状況悪化を「大丈夫です」と必死に弁明している御用学者の姿を醒めた目で見つつ、家でゴロゴロしながら週末を過ごした。

コンビニ行っても弁当が全部売り切れだ。

しょうがないからこの前スーパーで大量に買った缶づめでも食べることにした。

ときどき来る大きな余震で風呂に入るのも本当に怖かった。

揺れが長すぎて体の感覚がおかしくなってしまったのか、今も少し揺れてる感じだ。



週明け、東京マーケットは大幅な下落から始まった。そりゃそうだ、シカゴがクローズするまで先物がずっと下がってたんだから。
311日の終値が10,254円、314日の終値が9,620円。

そして翌
15日、前場引け後に菅首相が「原発が危ない」発言。あの声のトーンと顔の表情を見て多くの投資家は同じ事を感じたはずだ。

後場ではさらに暴落が加速し
8,605円で取引を終えた。


何とも皮肉な話だが、私にとってこの取引は、過去最高のリターンとなった



断っておくが、私はトレーダーだが、このブログはトレーダーのブログではない。

「私は
2日で10億円稼いだ」、「私は20億だ!」という浮ついた話なら、自己顕示欲が旺盛なブロガーさんがたくさんいるのでそちらを参照してほしい。


そうではなくて。


私がこの文章を書き残した意図は
2つある。


1つ目は、確率・統計を駆使しても必ずしも最適なパフォーマンスが出せるわけではないということ。

標準偏差を基に設計された金融工学のリスク管理モデル(いわゆる±σ
2)では95%の確率でうまく管理できるかもしれないが、残りの5%の事態には完全にお手上げだ。

おそらく、今回の大震災でプットオプションの売りポジションを建てていたトレーダーは相当の致命傷を負ったはずだ。

このブログを読んでいるあなたがトレーダーだったら、
951月の阪神・淡路大震災の時に、ニックリーソンが莫大な含み損を出して、イギリスの名門ベアリング商会が経営破たんに追い込まれたのを思い出してほしい。

金融取引の世界では、±σ
3ならまだしも、±σ4、±σ5といった異常事態が頻繁に起こりうる。

頭脳明晰な優等生が机の上の理屈で説明できるのはせいぜい
2割程度、8割は運や感覚に左右されることがあるということ。

想定外の事態はサンプル数が少ないため、たまたまベット(賭け)したポジションでは良くも悪くも偶然の発生確率は上がるということだ。

よって私の今回のパフォーマンスは「まぐれ」によるものであるということ。

これは自分への戒めでもある。


2つ目は、この出来事を風化させないため。

おそらく、この震災は
2年後、3年後、日本史の教科書に載るレベルの大惨事だろう。

もう一度言うが、このブログはトレーダーのブログではない。

1人の名もなき人間が想定外の事態に直面し、何を感じ、どう行動したかを記録したものだ。

この角度から今回の大震災を語ったブログは今のところ存在していないため、私が書くことにした。

私の祖父は既に他界したが、戦時中の体験を風化させないように次の世代に語り継いでいた。

だからそれを見習って、私も自分が見た角度から思い出せるかぎり書き残すことにした。

客観に基づく「事実」は
1つしか存在しないが、主観に基づく「真実」は人間の数だけ存在する。

被災者の方、救援者の方、電車に乗っていた方、
街を歩いていた方、いろんな方が自分の角度から見たこの「事実」に「真実」を加えながら書き残してほしいと思う。


記憶の傷跡に、記録し、そして語り伝えよ。




いつの日か
...




誰かが私の記事を偶然見つけて、何かを感じ取ってくれたら幸いだ。

想定外の事態に直面しても冷静な判断ができるように心がけてほしい。

もちろん私自身もだが。





最後に、


この度の想像を遥かに超える事態に直面し、私自身、言葉としてうまく表現できません。

もうすぐ桜の咲く季節がやって来ますが、東北の春の訪れは遅く、肌寒い夜が続いていると聞きます。

今も行方不明の方々並びにご遺族の方々、昼夜問わず必死に捜索活動に当たっている方々、
原発事故の対応に当たっている方々、公民館や体育館で十分な食料や寝具も配給されず辛い思いをされている方々...

みなさん、いろいろな立場で今、この瞬間を必死に生きていると思います。

私は、人権を
最大限に尊重しようと努めますし、自分以外の誰かの人生に対して、「最終的な意思決定」を強制することは決して許されるものではありません。


それでも
...

亡くなってしまった方々のためにも、私たちは強く生きなければならない責任があると思うのです。

無責任な発言であることは重々承知の上ではありますが、どうか
...

ご自身でその「責任を放棄すること」だけは思いとどまっていただきたい
...
 


寒い夜を過ごされているおじいちゃんおばあちゃん、
暖かい毛布を届けるので少しだけ時間をください。

食料が十分に確保できず、周囲の方々と分け合ってお腹を減らして困っている皆さん、
お腹いっぱいの食料を届けるので少しだけ時間をください。

赤ちゃんに十分に授乳させてあげられないお母さん、
栄養素の高いミルクを届けるので少しだけ時間をください。


そして、
 

学校が無くなって授業を受けられない子供たち、未来への長期投資です。

机と教科書を届けるので
少しだけ時間をください。

君たちが大きくなって、街を復興させるんだよ。

大人たちに任せても、どうせロクな事がないからね。 
 


テレビを付けて画面の向こう側の映像を見ると、胸が痛くなり、涙が止まらなくなります。


私も当事者である「日本人」として、被災地の1日も早い復興をお祈り申し上げます。


この投稿内容は賛否両論あるかもしれませんが、
それでも、今、この瞬間...

生きている誰かが未来を生きる誰かのためにやらなければならない大切な仕事なのです。

私も自分にできることとして書き残すことにしました。


果たして、これが「正解」か「不正解」かは私にはわかりません。

それでも「柱の裏の落書き」として、こっそり
書き残すことにしました。


私一人ができることには限界がありますが、自分のできるかぎりのことをやります。

普段はどうしようもない人間ですが、今回は少しでも誰かの役に立ちたいと思います。

みんなで力を合わせて、明るい希望を未来につなげていきましょう。


がんばろうぜ、日本!


(2013.11.24追加)

成田の空

 

長期出張を終えて、ひさしぶりに日本に戻って来た。


「機長に代わりまして
お客様にご案内申し上げます。当機はこれより成田国際空港への着陸に向けて、下降体勢に入って参ります。シートベルトを着用し、座席を元の位置にお戻しください。ご協力ありがとうございます。」



しばらく経つと、日本列島が視界に入ってくる。


ああ、日本だ
...

上空から見れば、この国が海に囲まれた島国であることがよくわかる。

機体を傾かせ、旋回しながら高度が少しずつ下がっていく。


房総半島上空に差しかかると、
千葉県で過ごした青春時代の思い出がよみがえる。

昔の音楽を聴いた時のように、時間軸が一気に過去に引き戻されるのだ。

両親にたまには電話でもしようか、何年も会っていない同級生たちは元気にしているのか、かつての恋人たちは素敵な方と巡り合ってお嫁に行ったのだろうか?

眠れない夜に、
明け方まで海を眺めたあの公園はまだ残っているのかな?

ドリフトに失敗して友だちの家の軽トラを廃車にしてしまったあの駐車場はまだあるのかな?

BB弾を打ち込んで窓ガラスを割りまくった廃旅館は今は違う建物が建っているのかな?

マジでとんでもないガキだった
...

窓の外の景色を眺めながら、浮かんでは消えて行く
思い出たちと向き合っていると、いつしか銚子の犬吠埼灯台が視界に入ってくる。

間もなく着陸、私にとってこの数分間は実に感慨深いひとときだ。



*****


成田空港が開港したのが
1978年とのこと。

1960
年代、高度経済成長によって高まる国際線の輸送需要に羽田空港の処理能力が追いつかず、地元住民の猛反対を押し切って成田空港の建設がすすめられたそうだ。

開港以来、成田は日本の空の玄関口として多くの外国からの旅行者を迎えてきた歴史を持つ。


ところが、
2009年10、前原国交相が「羽田ハブ化構想」の方針を発表。


国際線→成田空港」・「国内線→羽田空港」という、今まで国交省が推進してきた「内際分離」の考え方を大きく覆すことになった。

昨年
10月には羽田の国際定期便の復活(32年ぶり)に合わせて東京モノレールの国際線ビル駅が開業し、浜松町から最短13分で空港に到着できる環境も整った。

おそらく、この計画は国内線と国際線の乗継ぎを効率化して、アジアのハブ(中継点)として羽田の地位を向上させ、国益につなげるための国家戦略なのだろう。

考えてみれば、仁川(韓国)・上海浦東(中国)
など、近隣諸国の空港でトランジットをされてしまうと、日本の空は通過点となって外貨を稼げなくなってしまうからだ。

かつて、阪神・淡路大震災のときに被災した港町神戸。この沖合いを行き交っていた貨物船がごっそりと釜山(韓国)に流れてしまい、海上輸送によるコンテナ貨物の取扱量が激減、神戸は貿易港として大打撃を受けたと聞いたことがある。

今回は「海」ではなく「空」に経済戦争の舞台が変わった。

政治的な問題はさておき、韓国はこの辺りの国家戦略がうまいなぁと思う。

はたして、羽田のハブ化によって、仁川からトランジット利用客を奪還することはできるのだろうか?


「成田空港」⇔「羽田空港」

「羽田空港」
「近隣諸国のハブ空港」


千葉県出身者の目線で考えると、
羽田のハブ化が成功してしまうと成田の地位が相対的に低下してしまいそうで何とも悲しいところだ。

その一方で、

日本人
目線で考えると、羽田のハブ化が成功しないと近隣諸国に外貨獲得手段が奪われてしまう。


うーん、何とも言えないジレンマだ
...


展望デッキでのんびりと飛行機を眺めながらいろいろ考えていた。

もうすぐ春だけど、まだまだ肌寒い。


「成田」はやっぱり遠い、品川駅から成田エクスプレスでも
1時間10分くらいはかかる。

料金がたしか普通席でも
3,200円くらい、高い。国内の移動だけで往復6,000円以上はかかる。

深夜便だと、東京まで帰れないだろうから空港周辺のホテルで
一泊、これでさらに6,000円くらいか。

何とか成田市街地まで移動できれば、ネットカフェなどで始発待ちできるのだろうか(笑)

 


「羽田」だと浜松町駅から
15分くらいで着く、早い。

料金もたしか
500円くらい、安い。

深夜便でも、入国ゲートくぐってダッシュで終電の京急か東京モノレールに飛び乗れれば都心までは帰れるわけだ。

タクシー使えって!?


いやいや、そんな贅沢な乗り物使える身分ではありませんよ(笑)



成田の空の色、私は好きなんだけどな。

何か面白いアイデアはないものか...




※全然関係ないけど、成田-羽田間って物理的に国内便飛ばせないのだろうか?

たぶん離陸した瞬間に、着陸体制に入ることになるだろうけど
...


※国際空港でスーツケースを置いたまま堂々とトイレに行くのは平和ボケした日本人くらいだろうか。

海外で同じことやると爆発物だと思って大騒ぎになる可能性があるから気をつけたほうがよろしいかと
...


参考: ロイター通信羽田の24時間国際ハブ空港化を進めたい=前原国交相」)
参考: 朝日新聞「羽田をハブ空港に」前原国交相、原則転換を表明」)
参考: 日本経済新聞羽田国際化でどう変わる?」)
参考: マイナビ「羽田VS成田」アンケート調査で7割が羽田支持 - アクセスの利便性に期待」)
参考: 朝日新聞徹底比較! 羽田空港vs.成田空港」)

妄想力


先日、放置プレイの冷凍コロッケを温めて食べたら冷凍庫の味がした。

これは大発見だ!



21
世紀はかつてない程のストレス社会といわれる。

みんなイライラしながら仕事をしている。

社会を担う大人たちは本当に大変だ。

どうしてなのか、私はいつも当事者であっても、どこか他人事だ。

決して責任感がない人間ではないんだけど...


とはいえ、たまにはくだらない話でもしないとやってられない。

業務中、
息抜きにチャットを飛ばす(すいませんです)。



私「コロッケが冷凍庫の味がした、空間に味があることがわかった」

友「バカな
!? 冷凍庫に味なんかあるわけないだろ(笑)」

私「この表現は難しいんだけど、開封してしばらく放置しておくと冷凍庫の味が付くらしい」

友「それは●●●●●(某ファミレス)のハンバーグみたいに冷凍食品特有の味のことだろ?」
 
 

オレの話を聞け!



私「違う、冷凍庫の味がするんだよ」

友「きみはバカなの?」

私「わりとそう呼ぶ人が多いね」


これは、どう表現すれば通じるのだろうか?

果たして、冷凍庫に味があるかどうかという事で試食会をすることになった。

類は友を呼ぶ、ヒマ人の友はヒマ人だ。


氷まみれのコロッケを温める。

私「ほら、どう?」

友「うん、言いたいことはわかるよ」

私「つまり?」

友「冷凍庫の味がする
...」

私「でしょ?」

友「てか
..........マズイ」

私「失礼なやつだな、うまくないと言え」

翌日、彼は原因不明の腹痛で会社を休んだ。



青汁を始めて飲んだ時、あまりのマズさに性的興奮を覚えそうになった(笑)

横にいた女の子に「どんな味?」と聞かれたので答えた。

私「水槽の掃除をした時の砂利をひっくり返した瞬間の味がする」

女子「やだー、飲んだことあるの?」

私「あるわけないだろーが(笑)」


人間は体験したことがないものでも、とっさに想像力が働くのだろうか?

たとえば、それは嗅覚(匂い)で感じ取ったものを瞬時に味覚に変換してしまう能力というか。

前に「第六感」にも書いたけど、私は警察犬並みに鼻がいいので、嗅覚から世界を捉えているのだろうか?


そういえば、夜中に発情したときに、女性用の香水をおかずにする友人がいる。

友「これを枕に振りかけると興奮するんだ」

私「もういい、完璧に絵ヅラが浮かんだよ」

友「●●●●●●●●●●●●●●●●●」

私「......



ここまで来ると、想像力というよりも、もはや妄想力なんだろうなと感心する。

そういえば、私の部屋にも女性用の香水がだいぶ増えてきた気がする(笑)

類は友を呼ぶ、変態の友は変態だ。

しょせん誰かは、誰かの変態だ。

だって、人類って
60億人くらいいるわけでしょ?

そりゃいろんなヤツいるってば、いいんだよそれで。 



ところで、

キスをするときに目を閉じるのは、視覚を休ませることで、唇や舌の触覚を研ぎ澄ます効果が得られるからだという意見があった(参考:All Aboutキスをする時、目を開ける? 閉じる?


特に女性は、視覚による性的興奮よりも、妄想による性的興奮のほうが得やすい傾向があるらしい。

男性は「女性の外見の美しさ」に夢中になるが、女性は「その場の雰囲気」に夢中になる。

そういえば、女性は肉体的な浮気よりも、精神的な浮気のほうが許せない人が多いように思う。

女性のほうが勘が鋭いと言われるのは、こういった目に見えないものを察知する能力が男性よりも高いのだろうか。 


*****


考えてみれば、人間というのは無限の
可能性を持った生き物だなぁと思う。

適度な妄想はストレス耐性を強化できるらしい。

妄想はお金かからないし、ホントにいい暇つぶしだよ。

人間の脳みそは、本気を出せば無限にレバレッジをかけ続けることができる。

ただし、現実と見境がつかなくなり始めたら、早めに病院に行きましょう。

無限レバレッジはやはり危険だ、適度に逆指値入れとかないとね(笑)


昔、
X JAPANHIDEさんが歌ってたぞ~♪

...妄想(ゆめ)を裁く 法律などない

hideEyes love you

 

富裕層とプチ富裕層

 

インドの富裕層はゴルフに行くときはボロボロのシャツを着て行くのだそうだ。

いいシャツを着ていると山賊が襲ってくるらしい(笑)



日本はつくづく平和な国だなぁと思う。


*****


一般的に富裕層と呼ばれる人々は、
自分の意思決定力をしっかり持っていて、経済的合理性に基づいて物事を論理的に判断していく。


「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どのように」やるのか、
その結果として「どうなるのか」。

「メリットとデメリットは何か?」

「リスクに対してリターンはどのくらい見込めるのか?」

「事業計画書はあるのか?」

「数値データはあるのか?」

「数値データに確たる根拠はあるのか?」
etc...


むしろ、このように判断できなければそもそも富裕層にはなれないし、
運良くなれたとしても、あっという間に詐欺に引っかかって奈落の底に落ちてしまうだろう。

それゆえに、「彼ら」は人脈をとても大事にする。

彼らの特徴は、「何を買うか」「どこで買うか」ではなく、
「誰から買うか」という事を非常に重視する傾向が強いように思う。

また、彼らが投資家として資金を提供する際にも、
「何をやらせるか」はもちろん大事だが、それ以上に「誰にやらせるか」、さらに言えば「どんなチームに運営を任せるか」ということを非常に重視している傾向が強いように思う。

彼らはすでに優秀なビジネスパートナーを有していて、
「誰に」「何を」「どのタイミングで」頼めばいいのかを把握している。

富裕層の周りにはやはり富裕層の友人がいて、
彼らの周りをさらに専門家である優秀なビジネスパートナーたちが囲っている。

だから孤独な富裕層というのはあまり見かけたことがない。

私も社会に出てからわかったのだが、
彼ら―富裕層と呼ばれるヒトたち―は、互いに見えない鎖でつながっている。

だから「金持ちケンカせず」という言葉があるのだろう。

このように、

富裕層に近づく情報のほとんどは専門家である優秀なビジネスパートナーたちによって厳密に情報処理が施され、詐欺師はなかなか近づくことができない仕組みになっている。



これに対してプチ富裕層と呼ばれる人々は、
自分たちが裕福でありつつも、どこか心が満たされていない。

世間一般の人々よりは収入はあるけれども、
かといって大金持ちでもない、いわゆる小金持ち。

高収入によって「物質面」は満たされているけれども、
なんとなく「精神面」が満たされていない人々。

彼らの周りには富裕層の友人もいなくて、
相談できる優秀なビジネスパートナーもいない。

逆に、たいしたことのない人脈がたくさんいたりする。

彼らはお金の使い方を考えるとき、非常に孤独だ。

だから、適格にアドバイスしてくれる専門家がいないため、
寄ってくる情報に安易に乗った結果、詐欺被害に遭ってしまったり、雑誌やネットでの情報収集につい依存してしまうのだと思う。

誇大広告に騙されて、
数十万円、数百万円もするような高額商品を買って大儲けどころか大損失を被ってしまった、こういう人をよく見かける。

これはある種のコンプレックスを反映した結果だとも思うのだが、
数十万円もするブランド物のバッグが飛ぶように売れたり、数千万円もする輸入関税たっぷりの外国製の高級車が街を走っているのは、富裕層に少しでも近づきたいという、承認欲求が顕在化した現象ではないだろうか?

多くの人々が高級ブランドを購入したがる理由は、かつてソースダイン・ヴェブレン(T. Veblen)が『有閑階級の理論』の中で提起した街示的消費の心性に駆られているがためであり、

"裕福でない隣人が買った商品よりも高価な商品を所有し見せびらかすという、ただそれだけのことに満足感を覚える"


という消費者心理が現代社会の文化的本性として横たわり、その経済行動に抜き難い影響力を及ぼしているからに他ならないだろう。

言い換えれば、「物質面」を満たすことによって「精神面」をカバーしつつ、
街に出るときにわずかながらの自己顕示欲を満たすためのガラクタを購入し続けるわけだ(笑)


「最近ベンツを買ったんですよ。減価償却で
4年落ちは2年で落とせますからね、いや、うまく行けば税務担当者によっては1年で認めてくれるかもしれないな。この度、節税対策も兼ねて買ってしまったんですよ、ははは。それに、やっぱり経営者たる者、万が一事故にでも遭ったらしばらく商売できなくなりますからね。体が資本といいますか、やっぱりドイツ車はいいですよ。頑丈ですしね、いざという時に体を守ってくれますから。ほら、リスクヘッジというやつですよ。やっぱり体が資本、体が資本ですよ。」


これは建て前
...


「私は実業家。事業がんばってお金持ちになった。わーいわーいヾ
(^^)ノほらみんな見てくださーい。わたしはお金持ち。ほらベンツ乗ってるよ。あっ、ベンツってわかるかな、左ハンドルの高級な車ね。さぁて、見せびらかしに街に出かけよっかなー。おっ!信号が赤になったぞ。横断歩道を渡るヒトがこっち見てるな。チッ、しょーがねーなー、特別に窓全開にしちゃおうかな、ほら見て見てー。私はお金持ちv(^^)v


これが本
...


ということで、ブランド品のマーケティング戦略がアプローチする対象は、
『富裕層の財布の中』ではなく、富裕層っぽく見られたいと願うプチ富裕層の『コンプレックスと自己顕示欲』だったりするわけだ。

この部分の心理をいかに巧妙に埋めるのかが、彼らの商売の基本なのだから。

彼らは富裕層に憧れを抱く一方で、
「理想」と「現実」の狭間でジレンマを感じており、少なからず、「嫉妬」や「妬み」を持っている。


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出典元:「カウンセラーになるのだ日記 


つまり、富裕層ビジネスとは、この心理状態に揺さぶりをかける行為のことだ。

本質は、イソップ寓話の「すっぱい葡萄」の話と全く一緒だ。



そもそも富裕層ってじつはあまりお金使わないし、
現金をあまり持っていなかったりする。

彼らは自分の利益の源泉が
「社会経済そのもの」にあることをよくわかっている。

だから、「自社の株式」や「不動産」といった実物の資産が本物であることをよく理解していて、
資産に対する現金比率はじつは想像以上に少なかったりする。

彼らは本当に地味というか、
ロクにバッグさえ持たずにデパートの紙袋にお金をたくさん入れて、平気で移動する姿をよく見かける。

おそらく、車で移動するから雨にも濡れず、紙袋で十分なのだろう。

さらには、昼食は牛丼や立ち食いそば、
どの時間に混雑しているかわかるので、ピーク時間帯は避けて行動する。

また、旅行に行くときは旅行代理店で格安チケット探しに精を出す、
どのシーズンのどの日程が最も安く目的地まで移動できるのかを把握するためだ。

余談だが、デパートの売り上げのほとんどは、
外商と呼ばれる富裕層の専門ブースで行われている。

外商部の営業マンたちは口を揃えて言う、
「当デパートの本当のお客様は混雑している週末には絶対にやって来ません、お客様は平日のお昼に散歩がてらに立ち寄ってくださいます」、と。

彼らは物事の本質をよくわかっているというか、
バッグは「モノを運べればいい、底が丈夫で機能性が高いバッグをください」、車は「移動できればいい、燃費のいい車をください」といったように、非常にドライで現実的な考えを持った方が多いように思う。


考えてみれば、富裕層は周囲が富裕層であることをすでに知っているので、
付加価値たっぷりのブランド品を見せつけて、わざわざお金持ちアピールに精を出す必要がないのだから。



「富裕層」と「プチ富裕層」



お金持ち入門者は次のステップまでが遠いようだ
...

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