柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

永久保有銘柄について考える

 

「ちょっとあなた!!、今あの娘のおっぱい見てたでしょ!?」

「見てただけ?まさか!?挟まれたらどうなるかムラムラしながら妄想してただけだよ!それに、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●(事情により自粛させていただく)」

「んまぁ呆れた、あなたってマジで最低だわ!」

「パチーン(
^c彡☆))Д´)」

「うぇーん
。・゚・(ノД`)・゚・。


男とは本当に身勝手な生き物であり、本命の恋人とうま~いこと交際しつつも、
スキあらばいろんな女性に手を出したくなるわけだ。

本当に困った生き物だと思う。



29-0007
出典:心理学ステーション~世界一セクシーに心理学を学べるサイト~


**************************************

1.【トレードと恋愛】
1-1. 本質は同じこと
1-2. キャッチアンドリリース
1-3. ダメンズ×トレーダー理論

2.【永久保有銘柄と結婚】

2-1. 投資と投機
2-2. 本質的価値とタイムディケイ
2-3. 永久保有銘柄の選択
2-4. 新たなサヤ取りマーケットの誕生

3.【奥さんと愛人】

3-1. 乗用車とスポーツカー
3-2. 投資の王道≪バリュー投資≫

4.【おわりに】


**************************************


1. 【トレードと恋愛】


1-1. 本質は同じこと

  

「生き物の特性的に、男というのは多くの遺伝子を残そうとする本能があります。それが色濃く出ているような人と出会った場合、彼女になんの不満がなくともTPOが揃えば浮気します。」

(出典:「
昼顔妻激増!アシュレイマディソンよりも断然会える不倫サイト 最新版」)

 

 「セックスで後悔したことは何か?」

米テキサス大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(
UCLA)が行った共同研究結果によれば、

男性は
「もっとたくさんの女性とセックスしておけばよかった」


女性は
「セックスを許す相手を間違えてしまった」


という違いが実証されたそうだ(参考:「ああ、しなきゃよかった…女性の一夜の過ちとは?」)。


男性は生まれ持った本能から、「少しでも多くの畑に種をばら蒔く」こと、

女性は「畑にどの種を蒔かせるか」ということが
DNAに深く刻み込まれているようだ。

 

セクハラは、「話し手の意志」ではなく、「受け手の感じ方」に依るものなので、このような性的表現は日本にいるとオフィスではもちろん飲み会でも、表だって言えない重~い空気があるが、私はこういった記事を読むたびに、


「これってトレーダーに必要とされる素質と本質的に全く同じではないか?」


と思うのだ。


たとえば、以下のようなケースを考えてみてほしい。


 

1)ある製薬会社が申請した新薬が認可されるかもしれない。あなたがトレーダーならどう行動するか?



この場合、多くのトレーダーは取引端末の前で発表の瞬間を今か今かと待ち構えるだろう。


新薬が「認可」ならば「買い上げ」、「不認可」ならば「空売り」。

これはまぁ多くのトレーダーがやること。

玄人になると、資金効率を最大限に活用するため、
現物ではなくオプション取引のロングストラドルポジションを前もって組んでおくケースが多いと思う。


 

オプション取引は値動きではなく、ボラティリティ(変動率)の売買が本質であるから、極論を言えば、上昇下落どちらの方向に動いてもかまわないわけだ。

上がるか下がるかわからないけど、いずれにしても発表直後は認可・不認可にかかわらず、まぁどっちかに「大きく」動くであろうことはわかる、と。

認可の場合は、期待感で買いが殺到するため「プット」ポジションをロスカットして資金を「コール」ポジションに乗せ換える。

不認可の場合は、失望売りが殺到するため「コール」ポジションをロスカットして資金を「プット」ポジションに乗せ換える。

利益がだいたいの目標値に到達したら他人に投げつけて自分だけさっさと逃げる。

このようなスピードが要求される取引では、あらかじめワンクリックで全ての想定される取引を円滑に執行できるように端末を設定しているトレーダーが多いことだろう。

これはリスクヘッジの手段の
1つだが、私たちトレーダーは損失を少しでも減らしつつ、利益は最大限に取りたいという何とも身勝手な生き物なのだ。



では、次のケース。



2
)競合するA社とB社が超巨大プロジェクトの発注を巡って入札が行われるらしい。あなたがトレーダーならどう行動するか?


この場合、多くのトレーダーは取引端末の前で入札発表の瞬間を今か今かと待ち構えるだろう。

A
社が「入札」ならば「A社買い上げ」、B社が「入札」ならば「B社買い上げ」。

入札できなかった会社はロスカット。

これはまぁ多くのトレーダーがやることかと思う。

玄人になると-これはひとつの例だが-、
AB社両方ともウワサの段階でランダムに買い持ちしておき、その後、「入札した会社を買い増し」、「入札できなかった会社をロスカット、ついでに空売り」といったポジションを取ることが考えられる。

あとは損小利大の追及、トレーリングストップでロスカットラインを少しずつスライドさせて利益確定の水準値を上げていく。




こんなかんじだろうか。

ついでに言うと、モニター画面を見ていると、
発表前になぜかどちらかの会社の株価が突然動き出すという大人の事情もあるようだが、これは私の目の錯覚だろうか(笑)

これもリスクヘッジの手段の
1つだが、私たちトレーダーは損失を少しでも減らしつつ、利益は最大限に取りたいという何とも身勝手な生き物なのだ。


以上のように、トレーダーというのは、男性の本能と同じで、
「あわよくばチャンスに乗っかって利益にあやかろう」と必死であるし(かわいいあの娘と楽しいことしたいよー)「万が一ミスった場合でも自分だけは何としてでも損失を回避しよう」と必死なわけだ(彼女と別れたくないよー)


お金欲しいけど、お金失うのはやだ。

浮気したいけどバレて怒られるのはやだ。

本質は同じ。ホントに身勝手な生き物だ
...


 

1-2. キャッチアンドリリース


終電過ぎに六本木や西麻布のクラブでお酒を飲みながら音楽を聴いていると、華麗なるナンパ師たちが獲物を求めてアクティブに活動している姿を見ることができる。

いやぁ、実に活き活きとしている(笑)

彼らを注意深く観察していると、非常に勉強になる。


①声をかけるときはさりげなく



②喰いついたら全エネルギーを集中させて口説きにかかる



Yes
→③へ 

No
→④へ

③朝まで思いっきり楽しんだらキレイに手仕舞い、その後リリース

④断られたらさっさとロスカットをして次の獲物を探す



セクハラオヤジと違ってネチネチしていないし、引き際も非常にスマートだ。

みなさんも銘柄や異性のストーカーにならないように気をつけてほしい。

ということで、トレーダーもナンパ師も高度なキャッチ&リリースの才能が要求されるわけだ。

ただ、注意しなければならないのは、
彼女たちは非常に流動性が高い銘柄のため、少し目を離すとすぐに逃げられてしまうからね...


 

1-3. ダメンズ×トレーダー理論



男女間の恋愛行動において、
二股、三股をかけるのはモラルとして良くないことは重々承知の上だが、トレードという行為においては、

1つのカゴに卵を盛るな

という有名な格言があるくらいだから、
浮気性のほうがトレーダーの素質があると思うのだ。

もっとも本命はおろそかにせずマメに面倒を見ること、
本命とはもちろん「資金管理」のことだ。


私は本能のままに生きる超絶ダメンズなので、
仕事用とは別に、女性を口説く用の名刺を持っていて、「これは!」と思った女性にさりげなく渡すことがある。

会社の受付のおネエさん、
デパートのエレベーターガールのおネエさん(日本語おかしい?)、銀行のカウンターのおネエさん、飲み屋のおネエさん、電車の車内販売のおネエさん、飛行機の機内のCAさん、とか。

どの種が芽を出すかわからないからとりあえず母数を上げていく。

私は決して超絶イケメンではないから、
確率論で言う「大数の法則」を利用するわけだ。

分子を上げるには分母を上げるのが
1番ということ♪


そして神様に祈る。聖人君子には程遠いけど
...

 

langlus
出典:種蒔く人(L'Angélus)Jean-François Millet



連絡なければさよーなら。



2. 【永久保有銘柄と結婚】



「どうして君は考古学者なんかと結婚したのかね?」

「だって考古学者なら、古いものほど価値を見出してくれるからよ!」

アガサ・クリスティ(イギリスの推理作家
18901976 

 

2-1. 投資と投機


「投資と投機の違いは何か
!?」という議論は、よくネット上でも見かけるのだが、

経済性質の観点から言えば、「リスクプレミアムの有無」にあると言えるだろう
(参考:「誤解に満ちた投資と投機」ホンネの投資教室)。

両者の違いを一言で表現すれば、『投機はゼロサムゲームであり、投資はプラスサムのゲームである』と言ったところか。


すなわち、「投機」は一夜限りの関係のように、愛のない快楽だけを求める割り切った遊び、「
終わったあとは何も残らない」、ティッシュにくるんでそのままゴミ箱にポイ。

その一方で、「投資」は将来の資本の増加を期待して現在の資本を注ぎこんで行くわけだから、「
時間の経過とともに愛を深めていく」結婚のようなものではないだろうか?

このように、結婚とは「
長い年月をかけてお互いの本質的価値を高め合う」行為であると同時に、マーケットで言えば「いい時も悪い時もあるけど、どんな局面でも協力しながら乗り越えてプラスサムを生み出す」という点においては、投資と本質は同じことだろう。


以上のことから、本当の永久保有銘柄を発掘したならば、分散投資なんかせずに一点集中投資をする、というのが理にかなっているのかもしれない。

維持費がバカにならないセフレポートフォリオを保有したり、愛人名義で所有している高額なポートフォリオ、―マンションや車
etc―、は将来どうせ返って来ないだろうし...


永久保有銘柄、か
...



2-2.
 本質的価値とタイムディケイ



冒頭のクリスティ女史の考古学の逸話を思い出してほしい。

彼女は「古いものほど価値を見出してくれるから」という理由で、
「考古学者」のパートナーを選んだ。

これは、投資の本質を鋭く突いている言葉だなぁとつくづく感心する。

オプション取引にタイムディケイという概念があるが、
先物マーケットでは毎月第2金曜日にSQと呼ばれる清算日が存在する。

清算日に価値のある証券は投資家に払い戻し、価値がなければ紙くずになる商品だ。

私も毎月第
2木曜日の1450分くらいにITM(インザマネー、払い戻しを受けられる基準価格に達した商品)になりそうな、またはギリギリ引っかかりそうなオプションを物色して買い持ちしている。

翌朝
920分くらいになると、指数を構成している全銘柄の始値が確定し速報値が発表されるので、文字通り一夜かぎりのお付き合いをさせていただいている。

当たるも八卦、当たらぬも八卦、究極のゼロサムゲームだ。

オプション商品は本来、少額な資金で膨大なポートフォリオのヘッジ機能を果たす保険商品として開発されたもの。ところが、商品特性を逆手に取った私のような短期トレーダーが、「プレミアムの売買」のみを投機目的としてトレードするようになったため、上記の説明は本来の使い方ではない。念のため。


timedecay
出典:『オプション倶楽部ホームページ


タイムディケイの概念をわかりやすく言うと、
人気アーティストのチケットは倍率も高く、オークション市場では売り出し価格の数倍~数十倍といった値段がつく。

この理由は「需要>供給」の図式になっているため、
限られた発行枚数に対して大勢のファンが高くても何とか手に入れようと必死になるためだ。

ところが、講演期日が近づくたびにチケットはファンの手元に渡っていく。

よって、需要は減り、反対に売れ余ったチケットが増えて行き、
次第に右肩下がりの「需要<供給」の図式になって行く。

その結果、当日売れ余ったチケットは驚くほど安く手に入れることができるようになる。

そして、売れ残ったチケットは紙くずになる。


これに対して、クリスティ女史は歳を重ねていく度に自分の本当の価値を「理解してくれる」男性を結婚相手に選んでいる。

経済性質の観点から言えば、時間の経過と共にリスクプレミアムを稼ぐことを期待し、
その対価として「考古学者」という銘柄を選択したわけだ。

経済合理的に、彼女は、年々積みあがって行く複利の超過リターン(インカムゲイン)を享受でき、投資の期待回収率は
100%を超えることになる。

めでたしめでたし、と。


 

2-3. 永久保有銘柄の選択


では、永久保有銘柄ってどんなものなのか?

これは私にとってもみなさんにとっても永遠のテーマだと思うのだが、
どのような属性からパートナー選択の最適化を図ればよいのだろうか?

私はまだ独身なので結婚というものがどういうものなのかエラそうに語れる立場ではないのだが
...

そもそも私は熱しやすく冷めやすいと言うか、
「恋愛感情が2週間以上続いたことがない」という典型的なダメンズなので結婚なんぞ想像したこともないのだが、周囲の方々の離婚率の高さを見るたびに、

結婚相手は永久保有銘柄を探すくらい難しい

と思うのだ。


先日、ラブフェミ論を読んでいて、

「恋愛や結婚のパートナーを選ぶ際に、もっと体や性欲の相性といった本能的基準を重視したほうが良い」

出典:『勝部元気のラブフェミ論~どうすれば浮気しない相手を選べるのか~


という記事があったが、これは読んでいてなるほどなぁと納得した。

hikaku

「男性の場合と同様、「経済力のある人」など、日本の女性は理性的な基準で相手を選ぶことが多いようですが、「性的幸福を満たし合う人」という視点でパートナー選びをしていない、ゆえにパートナーと恋やセックスを続けていけなくなる」


という論調なのだが、


たしかに、婚活パーティーとかに行くと、

①氏名、②生年月日、③学歴、④職歴、⑤年収、⑥趣味・性格、⑦離婚歴、等をプロフィールに書き込むわけだが、
男女ともに相手をスクリーニングする際、③④⑤を重視する傾向にあるように思う。

なお、プロフィールは自分を
異性に売り込むための営業資料であり、トラックレコード(過去データ)を眺めながら、将来の期待リターンとリスクの分析に用いられ、多くの投資家(異性)の目に晒されることになる。

就職活動のエントリーシートしかり、投資信託の営業資料しかり、本来であればフロントガラスの向こうに広がる景色を見ながら、それと同時に中身もしっかり確認しなければならないのだが、多くの人たちがバックミラーを見ながら車の運転をしようと躍起になる(バックミラーは多くの場合歪んでおり、トラックレコードは実態以上に良く見えてしまうのは気のせいだろうか)。


一方、繁華街にある雑居ビルのいかがわしいお店に行くと、

①ハンドルネーム、②デート予算、③目的、等をプロフィール欄に書き込む。

この③について言えば、だいたい
4択になっていて、

1)マジメなお友だち(2)食事(3)カラオケ(4)内緒な関係、みたいになっている。

私は一点の迷いなく(
4)に○をつけるわけだが(笑)、

マジメな話、永久保有銘柄選択の際にも、
上記の③④⑤に加えて「性的幸福を満たし合う人」という条件を付けくわえるべきではないか、と思ったわけだ。

一見すると、結婚は神聖な行為と考えられがちだが、私のような現実主義者からすると、

もともと人間の持つ獣的な属性を理性によって制御するために、社会契約によって無理やり神聖レベルに引き上げた制度

にすぎないと考えている。


結婚を「恋愛の延長線」と捉えるのか、
あるいは「恋愛とは別のもの」と捉えるのか?

それぞれ考え方は違うと思うけれども、
先に述べた「性的幸福」というスクリーニング機能の不在が、現在の日本の離婚率の高さを物語っているのではないかと感じるのだ。

皮肉にも、いかがわしいお店では「性欲処理の究極的合理化」が図られているのに対して、
永久保有銘柄探しでは、このような人間の本能に照らし合わせた抽出処理がスルーされてしまっている。

もっとも、日本には「恥」という伝統的な文化を大切にしているから、
「あまりこういうことは声を大にして言うべきではない」と子どもの頃から教育されることになる(日本人はやたらと世間体(ベンチマーク)を気にする方が多い)。

しかし、その一方で伝統が仇となって、
人間の本能を満たすための「体の相性」や「性的嗜好」等がミスマッチになってしまうという歪みが生じているように思う。

ここで私が言いたいのは、

この空洞化現象こそが、
離婚率上昇の最大の原因ではないかということ。


誤解しないでいただきたいのだが、
これは何も先に述べた「恥」という文化を壊すことではなく、むしろ向き合ってみるべきでは?ということだ。

恥を忍びつつも、恥と向き合いながら
...

理想的な社会を実現するためには、まずは最小単位のポートフォリオである「家庭」の不均衡バランスを解消することが緊急かつ重要な課題ではなかろうか。


以上のことから、

永久保有銘柄選択の条件式に、
学歴、職歴、年収、などの世間体のみならず、「性」というあまり表立っては言えないけれども非常に重要な条件を加えてみるとよいのかもしれない。



2-4. 新たなサヤ取りマーケットの誕生


さて、先の
2-3.で述べたように、世間体(ベンチマーク)を重視した永久銘柄選択をしているケースが多いことを問題提起したが、世間体を非常に重視している人間は、私の経験上、「承認欲求」や「虚栄心」が異常なまでに強い方が多いように見受けられる。

こういった夫婦にかぎって結婚してから我先にと銀行様の奴隷となり、見栄を張ってローン査定限度額ギリギリの高級マンションとかを購入するわけだ。

昨今、日本の離婚率が上昇傾向にあるが、不動産会社を経営されている方に聞いた話では、


財産分与の際、てっとり早く現金化したがる夫婦が多い



裁判になると時間と費用がかかるから穏便に離婚したい



共有財産をさっさと処分したい



かといって不動産は有価証券と違って流動性が大きくない(すぐに現金化できないという意味)



だから、「離婚」と「流動性がない財産」という両者の歪みの間に裁定機会が生じる



こっちの言い値があっさり通って二束三文で安く買い叩けることが多い


という猛烈なマネタイズフローならぬバーゲンハンティングフローを満面の笑みで語っていたのを思い出した。



rikonnritsu
出典:厚生労働省ホームページ


なんとも皮肉な話ではあるが、離婚率が増加するたびに、
築年数の浅い優良物件をバーゲンセールで買い取り、それっぽくプチ豪華に格安施工をして、付加価値を付けた後、適正な市場価格でバイアウトする短期売買目的のサヤ取り業者(バーゲンハンター)のマーケット規模が拡大するという経済効果がありそうだ。

非常に目立たない地味なビジネスだが、儲かりすぎて笑いが止まらないだろう。

その意味で、利ザヤ稼ぎの不動産投資家にとっては短期投資としては非常に効率的かつ合理的な投資対象かもしれない。

どこでマーケットを見つけるかって
!?

決まってるでしょ
!


ぜひ見栄っ張りの友人の結婚式で

離婚するとき財産分与で困ったら力になるから!

とね
...




3. 奥さんと愛人



男:「花壇の花を見てみてよ、すごくキレイだねー♪」

(あのおネエさんかわいいなぁ)

女:「みんなが見るから良く手入れされているに決まっているでしょ!道端に咲く花を見てみてよ、誰かが気づいてくれるのをじっと待っているわ。人知れず咲く花だってミステリアスで美しいじゃない」

(もぉー、私のこともっと良く見てよぉ!)



3-1. 乗用車とスポーツカー


今まで公私ともどもお付き合いさせていただいた男性の方々を見ていると、

愛人を囲っている方々が
少なからずいらした(あえて過去形にしてみた...)。



私はこう、何というか、基本的に非常にリベラルな考え方なので、誰が何をしようと私に火の粉が降りかからなければ、

個人の嗜好や趣味は最大限尊重する

という考え方なので、他人様の情事にとやかく言うつもりはない。


ただ、ひとつだけ気づいたことがある。

奥さんと愛人は逆相関の関係にあるということだ。


奥さんが派手だと愛人は地味、奥さんが地味だと愛人が派手。


 

おそらく、この方程式は、


************************************** 
奥さんが地味だから家庭は安定する。
 ゆえに、外に刺激が欲しくなる

奥さんが派手だから家庭は不安定。
 ゆえに外に安定が欲しくなる

**************************************

 

上記のような因果関係があるのではないだろうか。


トヨタ自動車のカローラという「乗用車」があるが、

おそらく私が思うに、世界最高レベルの性能を誇る車だと思う。

燃費もいいし、あの値段で、あれだけの性能、安定性を兼ね備えた車は世界中探してもなかなかないだろう。

私は個人的な感覚としては、
「乗用車」よりも「常用車」のほうがしっくり来るかな。


一方で、イタリアの有名な車でフェラーリという「スポーツカー」がある。

真っ赤なボディに
V12気筒のエンジン。オシャレなデザイン。

そりゃもう、赤信号で止まったら窓全開でドヤ顔ものだ。


でも、燃費は悪いし、維持費がバカにならない。

やたら言うこと聞かないし、すぐ機嫌が悪くなる。


上記の二項対立は、

前者は毎日お弁当作ってくれたり、洗濯もしてくれる、でも連れて歩くとパッとしない地味な女性。

一方で、

後者は毎日お金渡されてあとはご勝手にどうぞ。気づいたらクローゼットの中は服だらけ。でも、連れて歩くと自分の虚栄心を完璧に満たせる派手な女性。


毎日粗食だけど少しずつお金貯めて、記念日とかに豪華な食事をする。

毎日豪華な食事をしていると、たまには粗食が食べたくなる。


人によってどっちが幸せかはわからないが、

私の価値観は... まぁ、前者だろうか...


昔、とある資産家の方の家にお伺いしたときに、車庫に「カローラ」と「フェラーリ」が並べて止まっていたのを思い出したので書いてみた。

おそらく、その方は「乗用車(常用車)」と「愛人カー」の使い分けがわかっていたのだと思う。


そういえば、最近の富裕層を見ていると、「別荘」を所有している方が
20年くらい前に比べて大幅に減ったように思う。

彼ら
/彼女らの多くは、今どうしているかというと、「リゾートホテルの会員権」を購入する方が多いようだ。

理由は、利用する頻度に対して維持費がかかる、すなわち費用対効果が見合わないためだろう。

本当に人々の思考回路が合理化しているなぁと、つくづく肌で感じる今日この頃だ。

車に関しても、乗用車(常用車)は「直接所有」して、たまにしか乗らない「愛人カー」は時間貸しで必要な時に必要なだけ乗るような「間接所有」サービスを提供しているレンタカー業者もあるくらいだから、
ある程度の都市には、需要と供給が一定数あるのだろう。


今の時代は「直接所有」から「間接所有」の時代なのだろうか。

そりゃあ消費も冷え込むわな...



3-2. 投資の王道≪バリュー投資≫


結局のところ、結婚生活が非常に充実している方々を見ると、男女ともに「割安銘柄」を選択しているケースが多いようだ。

先に述べた「派手な女性」と「地味な女性」の二項対立は、なんだかステレオタイプみたいな客観性の乏しい論理展開になってしまったが、あくまでも私の中の統計データに過ぎない。

少々ネタが古いかもしれないが、ドラクエ
のビアンカのように、「私は違うわよ~」という女性の方いらっしゃったら申し訳ない、あなたのスルースキルに期待させていただきたい(笑)

dqvkekkon_blog
出典:「
ドラクエ5で「ビアンカ」と「フローラ」のどちらを選ぶかでその男性の結婚観が分かる
 

「外見は派手だけど、中身は地味」な女性がいらっしゃったら、ぜひ「お得感」をうまくアピールしてみてほしい。


アピールし過ぎず、かといって控えめになり過ぎず。

優秀なバーゲンハンターなら、いち早くあなたの魅力に気付いて長期保有を検討してくれるはず。

 

まぁ、身近にいるとなかなか割安銘柄に気付かないものだけれども...

「美しい女にはやがて飽きがくるが、善良な女には決して飽きはこない。」

ミシェル・ド・モンテーニュ
(フランスの思想家・哲学者、1533~1592『エセ―』より


「相対価値」の概念を用いて投資戦略を考えるとき、
私たちトレーダーは割高・割安といった概念を使って分析をする。

ベンチマークに対して割高ならば売り、割安ならば買い。

しかし、異性に関しては派手ならば売り(時間とともに外見が劣化する)、
地味ならば買い(時間とともに本質的価値が増加する)、かどうかは一概にはわからない。


テクニカル分析を使うと、どのタイミングで購入してどのタイミングで売却していれば、もっとも利益や損失になったのかを過去の標本データを使って調べることができる。

ところが、このような損小利大を究極の水準にまで最適化をすると、「カーブフィッティング(過剰最適化)」と呼ばれ、未来の相場で全く役に立たなくなる現象が頻繁に起こり得る。

バックテストではうまく運用できたにも関わらず、フォワードテストをすると全く使い物にならないシステム、私も今までたくさん開発してきた。

最適化(体の相性を過剰に求めすぎる)をやりすぎてもよくないし、全くやらないのもよくない。

分析期間(交際期間)が短すぎてもよくないし、長すぎてもよくない。

果たして、


右肩上がりの状態で自分に尽くしてくれるパートナーは、

右肩下がりになっても傍にいてくれるのだろうか?



結局、何事も適度なバランス感覚が大事なのだろう。

もっとも、理想と現実のバランスをニューラル化するのは難しいんだけどね。 




4. おわりに



 名作童話「シンデレラ」の物語の中で、


「真夜中を過ぎると魔法が解けてキレイなドレスが元のボロ服に戻ってしまうから、午前
0時までには絶対に帰ってくるのよ!」と魔法使いのおばあさんに言い聞かされるシーンがある。


王子様に一目惚れされたシンデレラは時間が経つのを忘れ、夢中になってダンスを踊り続ける。


午前
0時を知らせる鐘の音とともに、彼女はふと我に返り、慌てて階段を駆け降りて帰ろうとする。



彼女はつまずいた拍子に片足のガラスの靴を置いてきてしまう。



王子様は家来たちに命じて、ガラスの靴の持ち主を探そうと必死になって町中の女性たちに靴を履かせる。


 

これは有名なストーリーだが、「男女の関係」に置き換えてみるとわかりやすいと思う。


男性は「女性の外見の美しさ」に夢中になる。

女性は「その場の雰囲気」に夢中になる。


では、「ガラスの靴」は?


王子様はあの夜を共に過ごした女性が忘れられない、でも思い出せない。

そこで町中の多くの女性と関係を持って、体の相性の最適な相手を見つけ出そうと必死になる。

原作はフランスなので(行間読んでくれw)、
「男なんてしょせんそんなもの」、という皮肉が、作者が後世に伝えたかったこの物語の本当のテーマかもしれない。


さて、「ガラスの靴」の正体は、
私が思うに、女性の「さりげないアピール」ではないかと思うのだ。


結局、シンデレラは「ガラスの靴」の持ち主が自分であることをわかった上で、「したたか」に靴を履き、王子様と結ばれることになる(一方、王子様(男性側)から見れば「ガラスの靴」は「体の相性」ということになる)。

不道徳な浮気や不倫は本命にバレないようにみんなうま~くやるものだが、女性は自分の存在を潜在意識の中で男性に無意識に表現しようとする。

男性の部屋にさりげなくヘアピンを置いて帰ったり、車の中にさりげなくピアスを片方だけ落としてから車を降りるような女性は、現代のシンデレラそのものではないだろうか...


私も夜の街でシンデレラ探しをするが、
だいたい夜が明けると魔法が解けたお姫様が隣で寝ていて悔い改めることがある(笑)


現代で言えば「女性の化粧」が「ドレス」に該当するのだろうか。


女性の化粧はまさに、オプション取引のタイムディケイのように短時間でセータ値(時間的価値)が急激に減少していく様子をビジュアル体験できる貴重な機会かと思う...



やれやれ、と。


男女ともに人間の本質というのは、いつの時代も変わらないものだ...


長々と書いたが、このコラムの論旨は、

結婚相手は永久保有銘柄を探すくらい難しい


というお話。証券取引をイメージして書いてみた。


「トレード」と「投資」、銘柄選択だけはくれぐれも間違えないようにしてほしい。


前者は「流動性が高く気軽にキャッチ&リリースができる銘柄」、

後者は「注目されていないけれども、潜在価値を持っていて成長が期待できる銘柄」、

といったところだろうか。


GlassSlipper
出典:「glass slipper pattern




「ガラスの靴」を忘れずに! 




「恋とは、お互いを見つめ合うこと。愛とは、一緒に同じ方向を見つめること」



星の王子様の作者:サン・テグジュペリの言葉だが、なるほど、これはたしかに素晴らしい名言だと思う。


ただ、「一緒に同じ方向を見つめる」ためには、同時に「お互いを見つめ合うこと」も必要だと思うのだ。

夫婦って結局のところ、血のつながらない赤の他人同士だから、
「信頼関係」に寄って成り立っているものなのだろう。

だからこそ「お互いを見つめ合うこと」は大事だと思うのだ。

恥を忍びつつも、恥と向き合いながら。


もっと本能に正直に向き合えるパートナーがいれば、
「離婚率も減るのではないか?」と思って書いてみた。

「ガラスの靴」は「異性に対するアピール」「体の相性」などを象徴する比喩的表現で使ってみた。



短時間にいろんなサイトやブログを巡回したせいか、私の
PCのブラウザに表示されるPR広告枠がAPIの学習能力によって不道徳なサイトに最適化されてしまったようだ(笑)


この記事は、多くの方々が心のどこかで思っていて表だっていえない行間を敢えて文書化してみた。

人間の持つ「光と影」の部分、「理性と本能」、「マジメさと不マジメさ」、「建て前と本音」等を対比させてまとめてみた。

長々と書いたが、いろんな意見や感想があっていいと思う。

こっそりとうなづいて共感してくれるもよし、大衆心理に紛れて叩くもよし、それもまた人の道。





オレは知ラネ
w

マンネリの美学


春というのは、何かが終わってしまう「寂しさ」と、新しく何かが始まる「期待感」が交錯する複雑な季節だ。

終わりと始まり、いろんなものが同時にやって来る。

そして、いろんなものが同時に去って行く
...


sakura

散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき

詠み人知らず「伊勢物語」第八十二段より


去る331日をもって国民的長寿番組「笑っていいとも」が終了した。

タモリさん、
32年間本当にお疲れさまでした!

かつてテレビっ子だった私にとっては、青春時代のランチタイムを共に過ごした思い出深い番組だった。



「それでは明日も見てくれるかな?」

「いいともー!」

 



この日の正午、
JR新宿駅東口のアルタ前は、巨大スクリーンに映し出される最後の生放送を見守る人々で大変な混雑だったそうだ。

放送回数
8054回、放送開始が1982104日とのことだから、私が生後4か月目から32年間ず~っと放送してたわけだ。


すごいなー!



個人的には、グランドフィナーレで共演
NGと言われていたダウンタウンと、とんねるず・爆笑問題が絡んだのが何とも印象的な場面だった。



「ネットが荒れる~」

「荒れろ荒れろ~」

   

  

昨今、視聴者のテレビ離れが続くといわれ、キー局の視聴率も軒並み下がり続けているといわれる。


出典:日経トレンディネット

上記は20121~2月のデータだが、すでに2年前には競合番組と拮抗していた様子がよくわかる。


今回の番組終了に関してネット上では賛否両論飛び交っているが、

番組開始当初、いいともの「現場」を創ったスタッフの方々が「本部」のお偉いさんクラスになり、リスクテイクからリスクオフの姿勢になった結果、コンテンツがマンネリ化してしまった

忙しいランチタイムにわざわざテレビを観る人間は少なく、あくまでも時計変わりにテレビを付ける。ところが、頻繁にタイムスケジュールを入れ替えるようになり、視聴者が混乱してしまい、番組を他に切り替えるようになった


上記のように、

コンテンツがマンネリ化(硬直化)」する一方で、「タイムスケジュールが非マンネリ化(柔軟化)」したということだろうか?

いずれにしても終了してしまった最大の原因は、単純に私たちが「番組を見なくなったから」だろう。


さて、マンネリ(形式主義)とは、行儀や礼儀作法に当たるマナーと同じ語源だそうだ。

それは安定した心地よさを生み出す一方で、刺激や新鮮さを失ってしまう。

「水戸黄門」「サザエさん」「笑点」「紅白歌合戦」
etc...

助さん格さんが三つ葉葵の印籠を見せてもなお、悪人たちが抵抗することもないし、最後は絶対に勝って終わる。

マスオさんがタイ子さんとラブホテルから腕を組んで出てくるところをサザエさんに目撃されて、修羅場に突入するシーンも絶対にない(笑)

長寿番組は、いずれもワンパターンのマンネリ化によって安定が担保されていて、それが長く番組を続ける秘訣であるともいえるだろう。

長年付き添った恋人同士でさえ時が経つにつれ次第にマンネリ化して行くように、ある種の安定したバランス感覚を保つためには必要不可欠な要素なのだろう。


これを踏まえて、自分のプライベートを考えてみると、友人も食べ物も、ある程度は固定化されていることに気付く。

そういえば、スマホの着信音も目覚まし時計も昔からずっと同じメロディーだ。

それはそれで落ち着くんだけれど、たまには窓を開けて新しい風を入れてみようかな
...

 

温故知新

 

ふるきを/あたためて/あたらしきを/しる


今の時代、日々の変化があまりにも早すぎて、会社経営をしていると多くの取捨選択に迫られる。

何を残して、何を捨てるか。

何を変えて、何を変えないか。

1つの判断ミスが時として、会社の倒産や組織の崩壊を招く。


先日、会社の基幹システムの全面的な入れ替え作業を行った。

すでに変化に対応できないためだ。

自分たちで手探りで作った初期のシステムはわずか
3年足らずしか持たなかった。

唯一残したものは創業時の「理念」くらいだろうか。


「程よい刺激感」と「心地よい安定感」

「新しい事への挑戦」と「守り続けてきた伝統の維持」

アクセルとブレーキの踏み加減と同じで、バランスを取るのは難しいものだ。



マンネリの美学
...



変化に対応することは大事だけど、一気に変えると不安定になる。

固執し過ぎるのは良くないけど、変わらないものも大事にしないとね。



古くて良いものは、常に新しいのだから!

 


参考: 朝日新聞「「笑っていいとも!」3月で終了 背景に視聴率の低落」)
(参考:   マイナビエンタープライズ0.2 - 進化を邪魔する社長たち -」)
参考: Cinra.net「「『笑っていいとも!』放送終了 やっぱり僕たちはタモリに謝らなければいけない」) 

 

【追記】

ひさしぶりに
Youtubeで昔のテレビ番組を観てみたが、やはり面白い。

くだらない事にも夢中になって、さらにくだらないアイデアを考え出す大人たちが大好きだ。

以下、いろんな意味で【閲覧注意】なので、視聴は自己責任でどうぞ。

今、こんな過激な放送したらコールセンターがクレームの嵐だろうな(笑)


















80年代、90年代のアップテンポの音楽しかり、 麻生元総理が「景気は気から!」とたびたび発言されていたが、個人的に、このくらい斬新でリスクテイクな番組のほうが私たち庶民にとっては明日への活力になるのかなぁと思う。

疲れたときはくだらないテレビ見て大笑いして、アゲアゲの音楽聴いて、さっさと寝るのが
1番!

テレビ局さん、面白い番組作ってね~♪

理論と現実の誤差について考える~科学とエセ科学~


理論と現実の誤差について考える~正規分布とベキ分布~】の続き


エセ科学とは、

「科学的方法に基づく、あるいは科学的に正しいと認められている知見であると主張されているが、実際にはそうではない方法論、信条や研究を指す」

"A pretended or spurious science; a collection of related beliefs about the world mistakenly regarded as being based on scientific method or as having the status that scientific truths now have."より

とされている。

文中に「実際にそうではない」と書かれているように、そこには再現性・再帰性が見出されず、「こうあるはず」「こうあるべき」というイデオロギーが先行し、あたかもそれが正しいと思うように大多数の人間が信じ込んでしまう現象のことだ。

なお、ここでいう再現性・再帰性とは、「『「絵を描く人の絵」を描く人の絵』を描く人の絵を...」のように同じ構造を繰り返しあてはめることができる性質(いわゆる入れ子の構造のこと)をいう。

ヒアルロン酸、コラーゲン、ゲルマニウム、デトックス、etc...

日常生活を見渡しても、一見すると説得力があり、なるほどと思ってしまう自称「科学製品」がたくさんある。どういうわけか、私の家の風呂にもたくさんあるようだ(笑)

 

さて、本題に入り、ここでは金融マーケットを考えてみたい。

金融の取引現場ではマーケットが正規分布であると仮定し、リスク・リターン分析が行われている。

正規分布の概念を基に設計された有名な指標に「ボリンジャーバンド」があるが、σ±2の中に全体のデータの95.44%と仮定されたマーケットでは、これを逆張りで用いることによって、効率的に利益を上げられるはずだ。

ところが実際にやってみると、頻繁にσ±3を超えるようなブラックスワンが頻繁に登場し、なかなかうまくいかない。

私を含め、コントラリアン(逆張り投資家)の皆さんには耳が痛い話ではないだろうか?

私は統計学や金融工学などの専門家ではないし、金融商品を販売する証券マンでもない。

あくまでも、現場で取引をしている一人のトレーダーとして書かせていただきたい。

多くのトレーダーが私と同じことを経験しているはずだからだ。


【前提条件がそもそも間違っているという事実】

金融工学はマーケットを「正規分布」であると仮定して設計されている。

私が株式投資を始めた学生時代、授業もろくに出席せずに、図書館に引きこもって株式投資の書籍や文献を片っ端から読み耽った記憶がある[1][2]

私が投資関連の書籍で最も興味を持った項目が、テクニカル分析の書籍に載っていたボリンジャーバンド(標準偏差)だった。

書籍には順張りで用いる場合に加えて、

「マーケットを正規分布と仮定した場合、σ±2の中に標本データの95.44%以上のデータが含まれていると考えられる」ため「逆張り投資が有効である」

といったニュアンスの説明文が書かれていた(もちろん逆張り投資で用いる場合の注意点も書いてあった)。

あらかじめ申し上げておくが、これは、執筆者の方々が間違っていたわけではなくて、前提となる「金融工学そのもの」に根本的な問題がある。

というよりも、この根本的な問題に理論と現実の矛盾があるのだ。

なぜならば、前提としている金融工学が「正規分布であると仮定する」としている以上、テキストの内容は理論的には正しいのだが、現実のマーケットにおいては、必ずしも正しいとは言えないからだ。

なお、この現象を経済物理学の観点から説明すると、「マーケットはベキ分布にしたがう」と説明されている。

マーケットは「ベキ分布」にしたがう

その一方で、

マーケットは「正規分布」を前提とした金融工学によってマーケット分析をしている


上記の矛盾点は、簡単に解決できる問題ではないのだが、
ここで私が言いたいのは「標準偏差の概念を使わないほうがいい」ということではなくて「前提条件が異なる概念でマーケットにアプローチをかけている」ことを認識しておく必要があるということだ。

そう、マーケットは複雑系世界のスモールワールドなのだ。


【正規分布の落とし穴】


私たちは前もって未来を知ることはできない。

あくまでも、辿ってきた過去の記録(事実)を確率・統計的に分析して、未来を予測することしかできない。

ここでは、ボリンジャーバンドを例にあげるが、「テクニカル分析そのもの」の注意点として書いておきたい。おそらく多くの方が勘違いされていると思うのでぜひ読んでみてほしい。

たしかに、ボリンジャーバンドのチャートを眺めるとσ±2付近でトレンドが方向転換していることがわかる。

でも、よ~く考えてみてほしい。

バンドラインは「後出しじゃんけん」のように、後から被せた結果がチャートに表示されているのだから、σ±2付近で方向転換しているのは当たり前なわけだ。

その証拠に、翌日の終値データが公表されてからボリンジャーバンドを眺めてみてほしい。

ボラティリティが急激に跳ね上がっても、バンドラインはキレイに被さるように表示されているはずだ(いわゆるバンドウォークと呼ばれる現象。ペアトレードの場合は、スプレッドが又裂きになる状態のこと)。

これは大切な話なので、もう一度書いておく。

株価チャートは、「ボリンジャーバンドのσ±2付近で方向転換している」のではなく、「マーケットを正規分布に当てはめて考えているため、バンドを後から被せて標準偏差σ±2の中に95%のデータが収まるように被せられているにすぎない」。

これが正解となる。

この違いがおわかりだろうか?

ボリンジャーバンドの場合、「トレンド相場」ならば「順張りが有効」で、「レンジ相場」ならば、「逆張りが有効」と言われているが、それは結局のところ、後になって見ないとわからない。

これは非常に間違えやすいのだが、株価が95%「収まる」のではなく、95%「収めている」といったほうが正しい表現だと思う。

そう!バンドラインは後から被せているのだ。

この点を理解できていないと逆張り投資で痛い目を見ることになる。


【科学とエセ科学】


最後に、確率・統計を基にしたテクニカル分析は科学的投資法であるかどうかという私の考え方を示しておきたい。

 結論先行で言えば、テクニカル分析は、

過去の事実から類推する「観察科学」の1つとなる「可能性がある」

と考えている。

ただし、これは実践で役に立たなければエセ科学にすぎない。

だから、「可能性がある」という表現にとどめた。

ここで言うエセ科学とは、再現性のない手法であったり、標本データが十分でないため偶然の発生確率を排除し切れていないような手法のことをいう(テクニカル分析には高度な数学が用いられるが、実際にやってみるとたいてい上手く機能しない)。

まず、投資にかぎらず、物事を科学的に考えるのであれば、その根底には必ず何らかの哲学が存在するはずだ。

私の投資哲学は、

①「自分で仮説Aを立てる」

②「自分で立てた仮説Aを対立仮説Bによって徹底的に論破する」

③「論破された仮説Aを補強してさらに対立仮説Bを論破する」

④「論破された対立仮説Bを補強してさらに仮説Aを論破する」

といった思考プロセスによって論理を補強して、

最終的に「論理的な矛盾が解決した場合」、あるいは「矛盾を他の論理と組み合わせることによって妥協できると判断した場合」にかぎって自己責任で投資判断をするようにしている。

① 仮説A ⇔ 対立仮説B

↓ ABの根拠を明確にする

② 対立仮説Bの根拠 ⇒ 仮説Aを論破

↓ Aの根拠を補強する

③ 仮説Aの根拠 ⇒ 対立仮説Bを論破

↓ Bの根拠を補強する

④ 対立仮説B ⇒ 仮説Aを論破

このような思考作業を繰り返し、BAに反論できなくなった時点でAの考え方を採用するようにしている。

また、この一連の思考プロセスに矛盾がないかどうか、矛盾があった場合は解決策があるか、解決策がなければ他の論理と組み合わせて妥協できる方法はないか。

可能なかぎり周りの友人・知人たちにアドバイスしてもらう。

そして、周りの友人・知人たちにも議論を吹っ掛ける。

こういったプロセスを経て、「自分の思考のズレ」を軌道修正したり、人間の最大の弱点でもある「感情的な行動」をコントロールするようにしている。

また、このプロセスから新たなアイデアが生まれることもある。

そして、そのアイデアも当然、徹底的に批判することになる。

私は教科書に書いてある内容が100%正しいとは思わないし、自分の考え方が100%正しいとも思っていない。

だからこそ、常識と言われていることでも徹底的に批判するし、自分の考え方も批判する。

そして批判した内容をもう一人の自分に別の考え方をさせて頭の中で議論させて、様々な角度から矛盾点を解消し、思考を整理するように工夫している。

そして、すべて「自己責任」において最終的な判断を下すことにしている。

私は、学生時代に科学哲学の授業で学んだカール・ポパー氏の反証主義という考え方に非常に感銘を受けた(私はここから物事を批判的に考えるという視点を学んだのだと思う)。

反証主義とは、「①観察」→「②仮説」→「③予測」→「④検証」→「⑤結論」の5つのステップによって成り立つ分析手法のことだ(仮説演繹法)。

仮説演繹法を例にあげて私の思考プロセスを批判するならば、

「①観察」→「②仮説」の段階で、「ベキ分布」にしたがうとされているマーケットに対して、「正規分布」であると仮定した考え方でアプローチをかけているという矛盾点が完全に解消できていないという事実だ。

その結果、「③予測」→「④検証」→「⑤結論」の段階で、「②仮説」の前提条件が異なっているという矛盾を認識しつつ行うわけだから、「⑤結論」によって試行した結果、理論通りに行かない可能性が高いことを常に意識しながら仕事をしていることになる。

私が出した「⑤結論」が正しかったかどうか「④検証」するには、「結果」という「事実」(数字・パフォーマンス)こそが全てを物語る。

正しいと思う判断を下してトレードしても、なかなか思い通りに結果を出せない期間があった。

「確率論から考えて試行回数を増やせば大数の法則により、期待している結果に近づくのではないか?」と「⑤結論」を出して、トレードしてもやはりうまく行かないこともあった。

 うまく行かない経験を積み重ねたからこそ、矛盾点を解消する方法として「正規分布の概念を他のアイデアと組み合わせて用いるのが現実的な妥協策となり得る」という1つの「⑤結論」に至り、数字が改善されるようになった。

たくさんの「真実」を考えだし、「真実」にバイアスをかけ、「事実」に反映させたということだ。

確率・統計を根底として成り立っているテクニカル分析は決して万能ではない。

トレードの試行作業を繰り返すうちに、「きちんとした理論的裏付けを行ってもうまく行かないことがある」という実体験から私自身、多くのことを学び、そして反省してきた[3]

今日に至るまで、理論を完全にマスターした、いわゆる優等生たちが、現場に出てパフォーマンスを出せずに最前線から離脱していく光景をずっと見てきた。

おそらく、「理論をマーケットに当てはめて考える」よりも、実際にトレードをして、「マーケットから理論を考える」ほうがよほど重要だと思う。

私の言いたかったことはこれが全て。

・「理論をマーケットに当てはめて考える」

・「マーケットから理論を考える」

両者は似て非なるものだ、あくまでも私の考え方は、

前者が「エセ科学」、後者が「科学」だと思っている。

テクニカル分析は「エセ科学」!?

これは問題発言かもしれない。

テクニカル分析は、過去の事実から類推する「観察科学」の1つとなる「可能性がある」と考える。

ただ、私に言わせれば、「観察科学」も実践で使い物にならなければ、どんな立派な理論もしょせんは絵に描いた餅にすぎない。

その意味では、テクニカル分析は100%の科学的投資法ではないと考えている。

ようは、「常識を疑え」ということだ!

意外にも99.9%の論理の外側、すなわち0.01%の感性は大事ということ。

ブラックスワンのような「偶然」も、アイデアの組合わせ次第では「必然」に変わるかもしれない。

99.9%の白鳥がじつは黒鳥で、0.01%の黒鳥がじつは白鳥だったりするかもしれない。

一見すると「矛盾」する事象も、よくよく考えると根本は同じ、ということはよくあるのだ。

その意味では、サンプル数が1つしか存在しない「人生」というのは、「偶然」も使い方次第ということだろうか...


※余談だが、このブログを読んでいるのが投資家の方であれば、ぜひ聞いてみたいことがある。

「順張り投資家」の方は「逆張り投資家」とは考え方が違うという方がいらっしゃるかもしれないが、「逆張り投資家」は「順張り投資家」でもあると考えている。

「順張り投資家」 → トレンドの出ている方向に仕掛ける

「逆張り投資家」 → トレンドとは反対の方向に仕掛ける

「トレンドとは反対の方向に仕掛ける」ということは、「トレンド転換の初動に乗ることを期待する」ことと同義だと思う。その意味で、私は「順張り投資家」だと思う。

ゆえに、命題「逆張り投資家 ならば 順張り投資家」はトートロジーである。

果たしてこれは屁理屈だろうか?

[1]私は「経済学」「統計学」「金融工学」等を教科書ベースできちんと学んだことがない人間なので、「理論」という意味では間違いがあるかもしれない。授業の単位だけは一夜漬けで取ったが、本業(!?)の水商売にどっぷりハマってしまい、大学のキャンパスにはほとんど行った記憶がない...

[2]「経済学」については、まわりの経済学者にお金持ちが誰一人としていないので、お金持ちになるには経済学の知識はあまり関係ないのかもしれないと思うのだが、どうだろうか...

[3]人間の感性が入る「裁量トレード」も、機械任せの「システムトレード」も相反すると思われるが、私は根底は同じだと思う。というのも、「システムトレード」にも実は作者の心が入っているからだ。一見すると、無機質なアルゴリズムも、きちんと作り手の心によって動いている。心とは、すなわち感性だ。他の人間と99.9%同じことをやっても勝てないかもしれない。ただ、この微妙な0.01%の部分にこそエッジ(優位性)があるのではないかと思っている。私はアルゴリズムを設計したが、設計したアルゴリズムは、未だに自ら考え、学習し、行動を起こせるレベルには至っていない。日々、機械学習にもチューニングという心を入れる作業が必要なのだ。

(参考: Oxford English Dictionary Second Edition 1989. "A pretended or spurious science; a collection of related beliefs about the world mistakenly regarded as being based on scientific method or as having the status that scientific truths now have.")
(参考: R. C. Vreeman and A. E. Carroll, Medical myths, BMJ, 335 (2007), 1288-1289.)
(参考: ジョン・アレン・パウロス「天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方」ダイヤモンド社,2004年)
参考:カール・フティーア「逆張りトレーダー」パンローリング,2010年) 
(参考: 伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」名古屋大学出版会 ,2002
(参考: カール・R.ポパー 「科学的発見の論理-上」恒星社厚生閣,1971年)

理論と現実の誤差について考える~正規分布とベキ分布~


金融取引の世界を見ると、「
100年に1度の危機」と言われる大規模なマーケット変動が数年ごとに起こっている。

私たちはブラックスワンの存在に怯えながら、日々ポジション管理を行っている。

確率論に支配される正規分布の世界では、平均や変動、分散、標準偏差などの概念を使ってシミュレーションを行うと、平均からの距離に基づいて一定の確率で標本が分布していることがわかる。

その一方で、私たちが住んでいるこの世界はベキ分布に基づく複雑系世界なのだという。

地震を例に考えれば、プレート同士がぶつかり合う活断層地帯では、私たちが体感できないような微小地震が頻発している。そして、ある日突然、東日本大震災のような壊滅的な地震が起きる。

正規分布を基にリスク管理を考えると、微小地震の寄与率があまりにも高すぎて、震度1にもカウントされないようなところに標本数が多く分布することになる。

つまり、正規分布の中心に標本数が最も多く分布するということだ(参考:「正規分布」)

ところが、マグニチュード8とか9といった巨大地震が起こると標準偏差σ±23の想定域を一気に突き抜け、σ±56といった大規模な変動が起こる。


現実世界では、標準偏差が想定を超える事象が稀に起こる、しかし平均の位置は変わらないままだ。

山を崩し、谷を埋めれば、すべての事象は平均化され、標本の持つ本来の個性が失われてしまう。

標本の中には、想定を超えるブラックスワンも隠れている。

稀に起こる想定外の事象をいかにしてリスク管理に組み込むか?

さて、この問題、どう解決したらよいのだろうか。


【正規分布とベキ分布】

sd

画像引用元:「Metrology: The Science of Measurement

正規分布はあくまでも、金融モデルをわかりやすい関数に置き換えて考えるための空想の確率モデルにすぎない。当然、現実の世界に当てはめて考えた場合、そこには必ず誤差が発生する。

というよりも、これはこれでどうしようもないことなのだが、問題なのはこの「誤差」だ。

株式や為替でも、マーケットの95%の変動については正規分布で説明できるような変動に収まるものの、残りの5%が壊滅的な大打撃を投資家に与えてしまい、めったに起こらないと言われている標準偏差σ±3でさえも遥かに上回る桁違いの変動が、マーケットの世界では数年ごとに見られる(少し前の事例としてはアジア通貨危機、ITバブル崩壊。最近の事例ではサブプライムショック、リーマンショック、東日本大震災、など)。

この時までは、マーケットに参加していた多くの投資家たちは、95%の確率(いわゆるσ±2)ではコツコツ利益を得ていたものの、残りの5%の大きな相場変動によって、今までの利益を一気に吹き飛ばすような莫大な損失を被ったと思う(※95%の確率でコツコツ利益を得る商品とはオプションの売りのこと)。

実は、正規分布の欠点はこの5%の部分にある(正規分布の概念を用いた指標に「ボリンジャーバンド」があるが、開発者であるジョン・ボリンジャー氏も実際の説明度は90%弱であると言っていたはず)。  

「初期の金融工学では、原資産の価格変化率の分布が対数正規分布に従い、裁定機会が存在しないなどの仮定の上で、オプションの理論価格を導くことができた(ブラック・ショールズ方程式)。

あくまで、数学的に扱いやすいから正規分布としている。

この段階での金融工学の理論は、時間が明示的に入っているため動学的ではあるが、実際の価格変化率の分布は正規分布ではなくパレート分布(ベキ分布)に従うため、現実的なモデルとはなっていない。」


(「経済物理学の発見」より)


上記の引用は、いわゆる「正規分布」を前提としている「金融工学」に関する批判というか限界の指摘なのだが、経済物理学の世界では、金融マーケットは「ベキ分布」に従うとされている。
[1]

また、
 

95%を占める小さな変動は、ランダムウォークの理論に近い変動なのですが、大きなスケールでの為替の変動にはほとんど寄与していないのです。

金融工学で中心的な役割を担っているブラックショールズのオプションの公式はノーベル賞の対象となり有名ですが、市場の変動を単純な確率モデルで近似して捉えているのは、この
95
%の小さな揺らぎの部分だけです。

一番大事な大きな変動の部分をすっぽり無視してしまっていることになりますから、金融の現場では、この公式をそのまま使っている人はいません。

(「経済物理学の発見」より)

 

では、ベキ分布とはいったいどんな分布のことを言うのだろうか?
 

【ベキ分布】
 

以下の分布図を参照していただきたい。

 

cauchy_distribution
x0:分布の最頻値を与える位置母数
γ:半値半幅を与える尺度母数


これは一見すると、正規分布のようにも見えるが、「正規分布」ではなく、ベキ分布の一種である「コーシー分布」と呼ばれるものだそうだ。

正規分布とは根本的に大きな違いがある。詳しい説明は、【期待値が定義されない理由】を参照いただきたい。

簡単に言えば、標本の「中心値(μ)」や「最頻値」は存在するものの、「算術平均」や「分散」の概念が存在しない。

それゆえに、データ分析を行う際、正規分布のように「分散」や「標準偏差」を算出するにはかなり強引な手法であるということだ。

ベキ分布のわかりやすい例としては、
 

「岩石に衝撃を与えて破砕するとその破片の大きさの分布はベキ分布になることが知られています。

ガラスのコップを固い床に落として割ったときに出来る破片も同じです。

大きな破片はほんの数個で、中くらいの破片はかなりの数になり、小さな破片は無数にあります。

目に見えないような小さな破片の数はさらに多くて、顕微鏡で拡大してみても同じような分布が観察されます。顕微鏡でも見えないくらいのほこりのような破片の数が最も多いので、
1
つずつの破片の大きさの平均値を求めると、事実上ゼロになってしまうのです。

破片の大きさの標準偏差を計算すると、今度は小数の大きな破片の寄与が無視できなくなり、非常に大きな値になります。

何桁も大きさの違う破片が混在しているのですからゆらぎの幅を表す標準偏差が大きな値になるのは当然といえるでしょう。」

(「経済物理学の発見」より)

 

つまり、ベキ分布では「平均はゼロの値をとり、標準偏差は非常に大きな値となる」ということだ。

なるほど、考えてみればインターネットの世界も同じようなものではないだろうか。

GoogleFacebookYahooAmazon...

膨大なアクセス数を誇る巨人がわずかに存在していて、無数のガラスの破片のようなほとんどアクセスのない(私のブログのような)サイトが膨大に存在していることがわかる(参考:AlexaThe top 500 sites on the web」より)。

これは、インターネットの世界では、検索エンジン、ポータルサイト、ソーシャルネットワークといった巨大な中継点(ハブ機能)を中心に、無数のサイトがぶら下がっている仕組みだからであろう。

確率論を基にした正規分布の世界では、身長1.7メートルくらいの人間を平均として、1.6メートルと1.8メートル、1.5メートルと1.9メートルのように分布が広がっていくのに対して、ベキ分布化する複雑世界では、身長1メートルくらいの小さな人間がほとんどを占めるのに対して、身長2メートルとか3メートルの人間が稀に存在しているということになる。

インターネットのような複雑世界は、ベキ分布に従って分布がなされていることがおわかりいただけるだろう。
 

 【まとめ】


以上をまとめると、
 

株価変動や為替変動の分布も、「ベキ分布」に従うと考えられる[2]。マーケットの変動は、小さな変動が圧倒的に多く、大きな変動は少ないものの、実際のマーケットの世界では、大きな変動は、「正規分布」の場合に比べてかなり多く発生する

といえるだろう。

ボリンジャーバンドを逆張りで使っている投資家の方は、「バンドラインを超えたのに、移動平均線になかなか戻って来ない」という経験があると思うのだが、つまるところ、ベキ分布に近い分布をする実際のマーケットでは、理論として使っている正規分布との間に誤差が生じてしまうのが原因ということになる[3]

もし、誤差が小さければ、もっと勝率は高くなっているはずだからだ。

たしかに、考えてみれば、標準偏差という数字は、正規分布に対して非常に良くできている。

というより、むしろ話は逆で、「正規分布に都合よくあてはまる数字として標準偏差が選ばれた」というのが実情なのだろう(参考:「正規分布」)

そう考えると、「正規分布」ではなく「ベキ分布」に従うとされる実際のマーケットでは、「正規分布」をもとに設計された金融工学の考え方でリスク・リターン分析をすること自体に、もはや限界が生じているのでは?と思ってしまう。

ただし、マーケットは「正規分布」を前提とした、「金融工学」によって作られた多くの方程式によって影響を受けていることもまた事実であるから、その意味では、標準偏差を基にしたボリンジャーバンドを逆張りに使うのも、ある意味では有効だろう(参考:「ボリンジャーバンド」)。

これを全部「ベキ分布」の仕組みに作り直したら、想像もつかないような大変な作業になると思う。

まず、「ベキ分布」に当てはめるもの(「正規分布」でいうところの「標準偏差」)を見つけて、「正規分布」→「標準偏差」→「分散」→「変動」→「偏差」→「平均」のように、前提条件を逆算して全部見直さなくてはならないからだ(参考:「統計学基礎まとめ①」)

この意味がおわかりだろうか?

「正規分布」そのものの考え方を否定してしまうと、「標準偏差」の概念はもちろんのこと、金融取引に用いられる「分散投資」「ポートフォリオ理論」など、今まで私たちが常識だと信じていた概念そのものを根底から否定することになってしまうということだ。

で、どうするのか?

ベキ分布には「平均」や「分散」の概念が存在しないのだが。

「平均」や「分散」の概念を使わずにどうやってマーケット分析をするんだろうか??

それとも「平均」や「分散」の概念を前提としているマーケット分析がそもそもおかしいということなのか???
what
画像引用元:「hyderabadsocialmedia


これ以上のことは、私にはわからない...

理論と現実の誤差について考える~科学とエセ科学】へ


[1] [2] 正確に表現すれば、マーケットは「ベキ分布」にもならない。
[3] ボリンジャーバンドの場合、「トレンド相場」ならば「順張りが有効」で、「レンジ相場」ならば、「逆張りが有効」と言われているが、それは結局のところ、後になって見ないとわからない。これは間違えやすいのだが、株価が95%「収まる」のではなく、「95%」収めているといったほうが正しい表現だと思う。バンドラインは後から被せているにすぎない。この点を理解できていないと逆張りで痛い目を見ることになるので注意のこと。
 

(参考:高安 秀樹「経済物理学の発見」光文社,2004年)
(参考: ジョン・アレン・パウロス「天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方」ダイヤモンド社,2004年)
(参考:ベノワ・B・マンデルブロ、リチャード・L・ハドソン「禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン」東洋経済新報社 ,2008年)
(参考:マーク・ブキャナン「歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学」早川書房,2009)

モノを買わない人たち


私は1982年(昭和57年)に生まれた。

私たちは、平成元年(
1989年)に小学校に入学し、右肩下がりの日本経済の中で成長していった世代に当たる。

年代で言うと、先行する「氷河期世代(ロスジェネ世代)」と
後に続く「ゆとり世代」とのちょうど中間に当たるくらいだ。


私たちの世代が小学校に入学した頃の日本は、バブル経済が崩壊し、
後に「失われた10年」「失われた20年」(19913月~)と呼ばれる暗黒の時代が始まった頃だ。

ベルリンの壁が崩れ、冷戦時代が終焉し、ソビエト連邦が崩壊していく様子を父が興奮しながらテレビにしがみついて見ていたのを思い出す。


ある日突然、「家庭の事情」により、
さよならも告げずにクラスメイトが転校して行ったり、近所の大きな屋敷の玄関に「差押さえ」という意味不明なお札が貼られていたり...


先行きの見えない日本経済、
大人たちの曇った表情を見上げながら、何とも言えない息苦しい閉塞感の中で育った。

そんな時代背景もあってか、
「何となく将来が不安」と漠然とした思いを抱えながら成長してきた世代だ。


私たちの世代は概して、あんまりモノを買わない世代であると言われる。

ムダ使いせずにせっせと貯蓄に励む
[1]

車を所有することがあまりカッコいいという感覚ではなく、
駐車場代がもったいないからどうしても必要なときはレンタカーで済ませる。

パーティーや披露宴でちょっと見栄を張りたいときは、
ブランド品のバッグや時計をレンタルして、あとでこっそり返却する。

本を買うのももったいないし置き場所が邪魔になるから図書館で予約して、
必要なところだけコピーを取ってファイルする、など。


私の周りの同世代の知人・友人たちと話しをすると、
わりと「地味」で「質素」な金銭感覚を持っているようだ[2]


そういえば、私も賃貸マンションに住んでいて、家具は全部レンタルしている。


理由を考えてみた。


まず、賃貸にする理由は、ローンを組んでも将来何があるかわからないし、
頭金を積んで買うよりも、現金は何となく手元に置いておきたいという漠然とした不安。

無駄遣いせずにお金を貯めて、
株や不動産に分散投資すれば「時間」+「金利」を味方につけられるからだ。

自分が住んでしまったら、
結局は「資産」という名の「負債」に固定費を支払っているだけになってしまうような気がしてならないのだ。

同じお金でも「借金の返済」にまわすと、
今度は「時間」+「金利」が敵にまわってしまうわけだから。

分譲マンションなんてどうせ買ったところで、
働いて稼いだ大切なお金の中から、「鉄とセメントの塊」に毎月バカみたいな金額のローンを払い続けて、やっと定年間際になってローンを払い終わる頃には資産価値は限りなくゼロに近くなっているし。

さらにいえば、
私は海の近くに住んでいるから地震とかあって津波が来たらマンション担いで逃げられないし。

そうそう、家具もそういう理由でレンタルにしたんだっけ。

何かあって逃げるときに、手は
2本しかないのだ。

緊急事態に直面したら、ボストンバッグ
1つか2つ持って脱出するのが精いっぱいだと思う。

だからあまり余計なモノは持たないし買わないのだ
[3]


「直接所有」ではなく「間接所有」という新たな価値観を持つ人たち。

そう、割とシビアで合理的なのだ、私たちの世代はね。



[1] ↓この記事の内容は非常に共感できる、でも買いたいモノがないから。服や車にたくさんお金かけても、中身が空っぽだったらしょうがないからね。「貯金」が社会の毒になる ~金は天下の回りもの~

[2] 私を含め、私のまわりにはかなり変わった人間が多いので、母集団から抽出した標本が平均からだいぶズレているかもしれない。また、私は、物欲というものが全くない人間なのであまり参考にならないかもしれない。

[3] 誤解のないように補足しておく。結婚して子どもがいれば当然、最適と思われる場所に「定住」して、子どもの教育に専念すべきと考える。結局のところ、「教育」こそが最大の投資であるから。

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