柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

シンプルイズベスト


時代の変化は早く、

頻繁にコード進行が変わり、

長調と短調が交差していく。


いつしか、

「♯」や「♭」だらけで、

わけがわからなくなる。



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Franz Liszt 「la Campanella」)


迷ったら基本に戻り、

シンプルに考える。



物事の本質は実にシンプルだ。


黒鍵盤はいらない、

シンプルにシンプルに
...

ただ、シンプルに
...


難しい事を何回やっても上達しない。

目的地を決めて、身の丈に合った階段を作る。

得意なことは
2段、3段、と。

苦手なことは
5段、10段、と。


最初は簡単な事を何回もやる。

感覚でできるまで何回もやる。


何回もやれば、

点だったものが、

線になる日が来る。


感覚でできるようになったら、

階段を
1歩上がる。

あとはその繰り返しだ。

いつの間にか上達している。


物事の本質は実にシンプルだ。


不明点や矛盾点は絶えず突っ込みを入れる。

一方の意見と他方の意見を戦わせる。

どちらの意見も正しい。


自分と違う意見を否定してはいけない。 

感情的にならず、常に論理的であれ。

視野は広く、かつ柔軟に。 

この世界に絶対の正解など存在しないのだから。


納得できるまで頭の中で反復処理を行う。

何回も何回も
...


そうすると強いベースが出来上がる。

これを繰り返すと強い柱が建って行く。

その結果、向かう方向がブレなくなる。


おかしいと感じたら、

素直に最初の手順に戻ってやりなおす。

ただ、それだけ。


物事の本質は実にシンプルだ。


木で言えば、

「根」
「幹」 「枝」 「葉」

のようなイメージだろうか。

時代が変わり、「枝」や「葉」は姿を変えても、

「根」「幹」という本質は以外と変わらないものだ。


枝や葉がたくさん生えて複雑になっても、

「根」と「幹」さえしっかりしていれば、

何とかなるかなと思う。

先人たちが言った

「基本が大事」というのはこういう事なのだろう。


物事の本質は実にシンプルだ。



基本となる軸の部分さえブレなければ、

何とか生き延びれると思う
...



人生は、ワルツのような単純な
3拍子とは行かないけれど...




動画:「Mychael Nyman "My heart asks pleasure first"」



自然に流れるように、


でも決して流されないように。


ハ長調のようにシンプルに、

飾らずに
...


「♯」も「♭」も、

ときどきスパイスにあれば十分かな。

人知れず咲く花

 

花壇に咲く花は良く手入れされていて非常に整っている。

いつも誰かが気にかけていて、水を上げたり、肥料を上げたり、大きさを揃えたり
...

いわば人工的な美しさだ。


これに対して、野山や道端にはひっそりと咲く花がある。

誰からも見向きもされず、誰かが気づいてくれるのをじっと待ち続けている。

目を閉じてみると、ひっそりと
彼女たちの吐息が伝わってくる。

いわば人知れず咲く花だ。



どちらにも「美」は存在する。



一方は「華やかさ」の美、

他方は「切なさ」の美。



どちらがいいとか悪いとかではない、

これは美意識の問題だ。


私は後者が好きだ。

地味で、控えめで、何も言わず
...
 

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人知れず咲く花はミステリアスでどこか美しい
...

Carpe Diem ~今という瞬間を生きる~

 

人生、80年、90年、100年とも言われる。

ただ、
100年生きると言っても、1度に100年生きるわけではない。


小さな点をつなげていくと、やがて線になっていくように、

私たちは今、この瞬間を生きることで長い人生の旅路を形成していくことになる。


私たちは、
1年、1週間、1日、1時間、1分、1秒を生きているのだ。

私たちが生きているのは今この瞬間でしかない。



私たちは今を生きている。

過去でも未来でもない。


今こうしている間にも、

今は過去になり、

未来が今になっていく。



失った時間は二度と取り戻せない。

光陰矢の如し、人生はあっという間だ。

人はいつか死んでしまう。



今、この瞬間を精一杯生きようではないか!

柱の裏の落書き

 

人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。


「死」とは本当に不思議なもので、生きているかぎり絶対に手に入らない存在だ。

なぜなら、「死」を手に入れることは、同時に「生」を失うことを意味するからだ。

「死」を手に入れたと実感するためには、「意識」の存在が必要になる。

ところが、「意識」が存在してしまうと、「死」を手に入れることができなくなる。

「死」を手に入れるためには、「意識」が存在していてはならないのだ。

その意味では、実は誰も本当の死を知らないことになる
...

生きている人間にとって、「死」とはある意味で絶対に手に入れることができない「憧れ」の対象であり、同時にそれは
手にした瞬間に「生」そのものを失ってしまう「恐怖」の対象でもある。


*****


歴史的な建造物を作った大工さんは、
柱の裏とか、誰にも見えないところにひっそりと自らの名を刻んだという。

きっと自分がその時代に生きていたことを、
何か形として後世に残しておきたかったのだろう。

単なる自己満足を追及するだけの自慰行為なのか、
あるいは誰かに気づいてほしかったのかもしれない。


自己顕示欲とそれが叶わないもどかしさ
...



人は生まれ、やがて死ぬ。



今、まさにこの瞬間、
「自分が自分である」と認識している意識さえも失ってしまう日がやって来る。

私たちは「自我」が芽生えた時から世界が始まり、それを認識できなくなった時点で世界は終わってしまう。

実際には、私たちが生まれるずっと昔から世界は存在しているし、私たちが死んでからも世界は続いて行くのだろう。

しかし、永遠に続いて行く時間の中で、私たちは自我を認識できている時間の中でしか、自らが存在していることを感じることはできない。

その意味では、過去と未来が存在するにせよ、結局は存在しないのと同じことではないだろうか。



絶対の存在しない世の中で、唯一約束された未来がある


それは、いつか必ず人は死ぬということ。

私たちは確実に終わりに向かって歩いている。

永遠に続く時間軸の中で、どこかで必ず自我の認識は止まってしまう。

ある日突然、終わりが来るかもしれない。


人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。



私はいったい何を残せるだろうか
......

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