柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

Carpe Diem ~今という瞬間を生きる~

 

人生、80年、90年、100年とも言われる。

ただ、
100年生きると言っても、1度に100年生きるわけではない。


小さな点をつなげていくと、やがて線になっていくように、

私たちは今、この瞬間を生きることで長い人生の旅路を形成していくことになる。


私たちは、
1年、1週間、1日、1時間、1分、1秒を生きているのだ。

私たちが生きているのは今この瞬間でしかない。



私たちは今を生きている。

過去でも未来でもない。


今こうしている間にも、

今は過去になり、

未来が今になっていく。



失った時間は二度と取り戻せない。

光陰矢の如し、人生はあっという間だ。

人はいつか死んでしまう。



今、この瞬間を精一杯生きようではないか!

柱の裏の落書き

 

人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。


「死」とは本当に不思議なもので、生きているかぎり絶対に手に入らない存在だ。

なぜなら、「死」を手に入れることは、同時に「生」を失うことを意味するからだ。

「死」を手に入れたと実感するためには、「意識」の存在が必要になる。

ところが、「意識」が存在してしまうと、「死」を手に入れることができなくなる。

「死」を手に入れるためには、「意識」が存在していてはならないのだ。

その意味では、実は誰も本当の死を知らないことになる
...

生きている人間にとって、「死」とはある意味で絶対に手に入れることができない「憧れ」の対象であり、同時にそれは
手にした瞬間に「生」そのものを失ってしまう「恐怖」の対象でもある。


*****


歴史的な建造物を作った大工さんは、
柱の裏とか、誰にも見えないところにひっそりと自らの名を刻んだという。

きっと自分がその時代に生きていたことを、
何か形として後世に残しておきたかったのだろう。

単なる自己満足を追及するだけの自慰行為なのか、
あるいは誰かに気づいてほしかったのかもしれない。


自己顕示欲とそれが叶わないもどかしさ
...



人は生まれ、やがて死ぬ。



今、まさにこの瞬間、
「自分が自分である」と認識している意識さえも失ってしまう日がやって来る。

私たちは「自我」が芽生えた時から世界が始まり、それを認識できなくなった時点で世界は終わってしまう。

実際には、私たちが生まれるずっと昔から世界は存在しているし、私たちが死んでからも世界は続いて行くのだろう。

しかし、永遠に続いて行く時間の中で、私たちは自我を認識できている時間の中でしか、自らが存在していることを感じることはできない。

その意味では、過去と未来が存在するにせよ、結局は存在しないのと同じことではないだろうか。



絶対の存在しない世の中で、唯一約束された未来がある


それは、いつか必ず人は死ぬということ。

私たちは確実に終わりに向かって歩いている。

永遠に続く時間軸の中で、どこかで必ず自我の認識は止まってしまう。

ある日突然、終わりが来るかもしれない。


人間はその本能から「死」を意識したとき、無意識に何かを残そうとするのだそうだ。



私はいったい何を残せるだろうか
......

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