柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

名脇役

 

久しぶりに軽井沢に遊びに来た。

長野新幹線で東京駅から
1時間10分くらいだろうか、本当にあっという間だ。

いやー、快適快適。


ではあるんだけど
...



*****



かつて、東京から信越方面へ向かう旅人たちは、横川駅で一旦足止めを余儀なくされた。

というのも、ひと駅先の軽井沢駅との距離11.2kmの間に立ちはだかる「碓氷峠[1]」の勾配があまりにも急すぎて、列車が自力では登って行けないからだ。

そこで、「
EF63(通称:ロクサン)」という力持ちの電気機関車2両連結して、後ろから押しながら軽井沢まで峠を越えていくのだ。

 

EF63

乗客たちは、この連結作業に
5分くらい待たされることになる...


碓氷峠

横川の標高が387m、軽井沢の標高が939m、その高低差なんと552m。

最大勾配は
66.7‰にも達する[2]。

66.7‰(6.67%1,000m(100m)進むごとに、高度が66.7m(6.67m)ずつ上がっていく計算となる[3]。

オフィスビルの
1階の高さが3.5mと仮定すると、3階までの高さを100mかけて登っていくようなイメージだろうか。



(2013.11.24追加)

長野新幹線が開通した今になって振り返ってみれば、何とも無駄が多い非効率的な作業だったわけだが、それはさておき。

横川駅ではこの連結の待ち時間を使って、一度ホームに降りて、とぼとぼと釜飯を買いにいくのがある種の定番だった。

そして、峠の景色を眺めながら釜飯をのんびり食べる。


今よりも、もっとゆっくりと時間が流れていた。


ところが新幹線では、トンネルの中であっという間に
峠を越えてしまうので感慨に浸っている時間もない。

小学生の頃、家族旅行で軽井沢に出かけた頃の事を思い出すと、関東の人間にとって軽井沢の地は、もっと遠い場所だったように記憶している。



1997年、年の長野オリンピックの開催に合わせて、長野新幹線が開業した。

これに伴い、
信越本線の横川-軽井沢間は廃線となった。

長い間、碓氷峠を越えていく列車たちを後ろから力強く支えてきたロクサンの勇姿
も見納めとなり、碓氷峠104年の歴史は幕を閉じた。


軽井沢の駅周辺は大規模な再開発が進められた。

ゴルフ場、
スキー場、テニスコート、乗馬施設...

かつて有産階級の避暑地として名を馳せた「高原の町」も、現在は大きなアウトレットモールができて、週末になると東京から多くの観光客で賑わう「カジュアルな街」に変貌を遂げた。


さて、横川は今どうなっているのだろうか?

彼らが峠を越える列車たちをじっと待ち続けていたあの場所は、「
鉄道文化むら」として生まれ変わり、現在も機関車の一部は解体されずに保存されているらしい。

高崎から電車に乗って横川を訪れる人も、一部の鉄道ファンを除いて減ってしまったのだろうか。

時間ができたら、彼らに会いに行ってみようかな
...

廃線跡地ものんびり
歩いてみたいな...


 

 
(2013.11.24追加)  

月やどす 露のよすがに 秋暮れて

たのみし庭は 枯野なりけり

藤原良経(秋篠月清集、百種愚草、南海漁夫百首、冬十首)より


ロクサンの
役割は、主役を引き立てる「名脇役」といったところだろうか。

それは
決して主役のような華やかさはないけれども、必要とされる「縁の下の力持ち」。

こういう職業って一見すると地味で目立たないけれども、世の中には探せばたくさんあると思う。

 

子どもの頃、ロクサンは鉄道ファンの私にとって憧れの存在だった。

私も、彼らのような存在になりたいな
......


終わってしまった時代を偲んだところで何も始まらない
けれども


昔を懐かしむのは、私も少しだけ大人になったせいだろうか
...



[1]「山」に「上下」と書いて「峠」、この漢字は小学生のころ横川駅で覚えた。
[2]‰は1,000分率、100分率()の10倍になる。鉄道マニアはこの単位を碓氷峠で覚えた方が多いと思う。

[3] 角度θ = 3.8159762386952 =  3°4857.51

right triangle tc
出典:「カシオ計算機」ホームページより

変わり行く街並み

 

私が小さい頃、商店街というものがあった。

過去形にするのは少し違うのかな。

今もまだあるから
...


お肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん。

昔はもっと大きな商店街があちこちにあって、

多くの人々で賑わっていたのだろう。


ところが今はどうだろう。

商店街を通るとシャッターが閉まっている。


みんなどこへ行ってしまったのだろう。



ここ十数年で流通のあり方が劇的に変わった。

商店街は時代の変化とともにスーパーマーケットやデパートに取って変わって行った。

スーパーマーケットやデパートの惣菜コーナーに行けばフロアをまわるだけで、肉も野菜も魚も同じ場所で買えるようになったからだ。

なるほど!非常に合理的だ。

いわば、「縦×横」の長く広い面積の街並みから「縦×横×高さ」の短く狭い面積の街並みにスリム化できたわけだ。

2階建て、3階建ての合理的で無機質な街並み。

新しい街は上へ上へと伸びて行った。

その結果、昔からあった商店街の数は減って行った。



さらに時代は進み、コンビニエンスストアが誕生した。

ちょっとした日用品や食材を買うだけなら、家から数分歩くだけの場所に必要最低限の商品だけを取り揃えた、小型のスーパーマーケットがたくさんできたからだ。

核家族化する日本の家庭事情だろうか、

夕食に時間も手間もかけず、惣菜を買ってきてレンジで温めるだけの家庭が増えたのだろう。

その結果、スーパーマーケットやデパートの数は減って行った。

もちろん、家族が向き合う暖かな夕食の時間も
...


こうして流通の主役は商店街→スーパーマーケット→デパート→コンビニへと変わって行った。

その結果、街はどう変わったか。


駅を降りればコンビニ、ファミレス、ファーストフードなど、大手チェーン店がひしめく均一化された無機質な街並みが私たちを迎えてくれる。

今やどこの街の駅を降りても、その街が本来持っていたであろう独自性が失われつつあるように思う。

かろうじて独自性が残っている個人商店は、通りを中へ中へ入って行った裏通りにひっそりと佇んでいるくらいだろうか。



消費者が街を、そして社会をデザインしている。

言い換えれば、私たちの行動パターンやお金の使い方が、
一昔前に比べて合理的になってしまったのが原因だと思う。



祖父や祖母たちが愛した商店街という人情味のある、有機質で暖かな街並み。

私は決して嫌いではない。




合理化し、最適化されてしまった無機質な街並みに

なんだか虚しさを感じるのは私だけだろうか。

膨張する風船

 

嵐の予感だ。


先日参加した勉強会の内容をまとめてみたのでメモしておく。

友人を夜のディーリングに誘ったら、逆に連れて行かれてしまった次第だ。

なかなかの優良銘柄を揃えたというのに
...


しかしこの問題、調べれば調べるほど怖くなる。


*****


現在、金融市場では、「サブプライム」という言葉が話題になっている。

「サブプライム」とは、サブ(準)+プライム(優良顧客)、

つまり、

優良顧客と比べて返済能力が劣り債務不履行の可能性が高い低所得者

のことを指す。

また、「サブプライムローン」とは、「上記①②③の条件を満たすサブプライムに対して販売する変動金利商品

のことを言う。


1990年代後半、ITバブルに湧いていたアメリカ経済であったが、2000年初頭からバブルが弾け、翌2001年にかけてIT株を中心に株価が暴落を引き起こした。

こうした市場の混乱を抑制するために、
FRBは金融緩和措置を講じることになった。

その結果、
2つの現象が起こった。


・一方において、金利が低下してお金が借りやすくなった。
・他方において、株式市場や不動産市場の価格は上昇した。


このような状況で、住宅市場が活性化し、金融機関はプライム(優良顧客)にとどまらず、サブプライム(準優良顧客)にまで裾野を広げ、ローン対象者を拡大させていった。

住宅市場が活性化し、ローンを組む人が増えると

需要>供給

となり、不動産価格が上昇する。

不動産価格が上昇するということは、不動産担保価値が増えてサブプライムたちの与信枠が拡大する(もっとお金を借りられるようになるということ)。

「金利の低下」と「与信枠の拡大」という
2つの現象が組み合わさってサブプライムローンの貸し出し残高は爆発的に増加していった。


そういえば!

CNNを付けると、ブッシュ大統領が演説していたのを思い出した。


「アメリカは自由の国だ。かつて移民たちは無一文でこの国にやってきた。

それが今はどうだろう。

彼らは資本主義の恩恵を享受して自分の家を持つことができたのだ。

おまけに不動産価格の上昇により、住宅の担保価値が上がっている。

彼らは担保枠を活用してふかふかのベッドを手に入れた。

もうスラム街にダンボールを敷いて寝る生活とはおさらばだ。

これで夜は快適に眠ることができるようになったのだ。

庭を見てみよう。彼らは担保枠を活用して素敵な車を手に入れた。

なんとかっこいい車。妻と子どもを連れて週末はドライブだ。

実に、実に素晴らしいことではないか。

かつて移民たちは無一文でこの国にやってきた。

それが今はどうだろう。

彼らは多くを手に入れることができた。

これこそまさにアメリカンドリームではないか!

共和党万歳! アメリカ万歳! 資本主義万歳!」


なるほど! そりゃあ素晴らしい
...


勘の鋭い方ならここまで読んで「ピン!」と来るはずだ。

レバレッジを掛けすぎてマーケットが思惑と逆の方向に振れたときに何が起きるのか。。。

私もそこまで資金は多くはないが、
4年前から自分のお金を使ってトレードしている。

ハイレバレッジをかけて思惑と逆の方向に動いたときに何が起きるのか、身を持って体験した人間だ。


さらに、問題は続く。


上記のサブプライムローンを証券化して小口化する。

これにより商品を
10分割、100分割することにより、マーケットに流動性が生まれる。

これらの業務を行っているのは連邦抵当金庫(ファニーメイ)、連邦住宅抵当貸付会社(フレディマック)と呼ばれる「民間」の金融機関だ(政府系の「公的」な金融機関ではないようだ)。

こうして流動性が生まれた商品を複雑に組み合わせ、
MBS(住宅担保証券)という「優良な!?」金融商品が作り出され、世界各国の金融機関は「適格!?」投資対象としてポートフォリオに組み込んでいった。

こうして資金が資金を呼び、大量資金の流入により、アメリカの住宅市場はさらに活性化していった。


ところが、昨年から住宅着工件数が低下し、不動産価格は下落し始めた。

さらに悪いことに、サブプライムローンという商品の仕組みを調べると、金利が「固定金利」ではなく「変動金利」になっているではないか。

金利が上昇し始めると、住宅ローンを組んでいた顧客は返済に苦しむようになる。

私の説明が下手だったら申し訳ない。

冒頭のサブプライムの定義を思い出してほしい。


「①優良顧客と比べて返済能力が劣り、②債務不履行の可能性が高い、③低所得者」

①優良顧客に比べて返済能力が劣る
②債務不履行の可能性が高い
③所得が低い人々

まるで消費者金融の顧客のようではないか。

お金も担保もない人間が④変動金利商品を購入し、借金を返済するときに金利が上昇したらどうなるか考えてみてほしい(実際はノンリコースローンなので、不動産が担保になっている。言い換えれば、お金を返せなくなったら債権者に家の鍵を送り返せばそれ以上、ローンの返済を請求されない仕組みになっている)。


不動産価格の下落とともに、金利は上昇する。

不動産価格の下落 → 担保価値の低下
金利の上昇    → 返済負担金額の増加

「債務不履行の可能性が高く、所得が低い人間にローンを組ませて家を買わせる。返済時に金利が高くなる」。


そして、とうとう
...


住宅バブルが崩壊した
...


返済が滞った低所得者たちの住宅の差し押さえが増加し始めたのだ。

これにより
2ヵ月前、ベアスターンズ傘下のファンドの破たんニュースが報じられた。

そして先日、
BNPパリバ銀行がサブプライムローン関連の商品の解約の凍結を発表したという流れだ。

上記は、いずれもローンの返済が滞り、不動産担保を回収したものの、肝心の不動産価格自体が元本割れを起こしている状態だろう。


ベアスターンズはアメリカの投資銀行だが、
BNPパリバはフランスの銀行だ。

経済がグローバル化した現在、もはやアメリカの問題はアメリカだけの問題では済まない。

一昔前までは「国際化」という言葉が使われていたが、今や「グローバル化」の時代と呼ばれるようになった。


たとえるならば、国際化時代は各国が「桶」のようなイメージで「ひしゃく」を使って、水(お金)をすくってお互いの桶に移し合っていた。

ところが、グローバル時代というのは、地球全体が巨大な「風呂」のようなイメージではないだろうか。

浴槽の栓を誰かが抜いてしまうと何が起きるか?

地球上の水(金)は栓の抜けた穴に向かって一斉に流れて(消えて)いく。



子どもの頃、近所の公園で風船を膨らませてよく遊んだ。

風船を目いっぱい膨らませると、膨張力に耐えられなくなり
...



やがて弾ける
...



あと半年、
1年持つだろうか...

常識という名の鎖

 

人間というのは、生まれた時は誰もがいびつな形をしている。

赤ちゃんは言うことを聞かないし、意思の疎通ができないので大声で泣いて周囲の大人たちに必死に自分をアピールしようと努める。

いわば、彼ら
/彼女たちはこの世界の支配者だ。


ところが学校に通うくらいの年齢になると、教育という名の洗脳が施され、社会にとって都合のいいように最適化されていく。

言葉を学び、大多数の人間と意思疎通が取れるような汎用化された伝達手段を身に着ける。

数字を学び、お金という汎用化された商品の交換方法を学び、社会の中で生きるための知識を身に着ける。

集団行動を学び、今までの「私的空間」に加え、「公共空間」という概念を学び、「建て前」や「協調性」という社会的特性を身に着ける。

こうして考えてみると、学校という場所は、「長方形」を「正方形」に、「楕円形」を「円形」に修正する加工品工場といったところだろうか。



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画像引用元:Pressies and Musings From My Midnight Garden


やがて、全ての人間は数値化され、試験の点数によって弾き出された「変数」によって社会の適切な配送先へと出荷するための準備に利用される。

すでに最適化された大人たちの手によって
...

ここで子どもたちは必ずしも世の中の全てが自分の思い通りにならないことを学び、「一般常識」という見えない鎖で縛り上げられ、ある程度の形に均一化された状態で社会へと出荷されていく。

そして、均一化できなかった人間は「社会不適格者」という不名誉な烙印を押され、
社会から疎外されていくことになる。


今はデジタル社会だ。

表計算ソフトに関数を打ち込んで「最適化(オプティマイズ)」ボタンをクリックすると、
過去のサンプル(標本データ)を使って、最も良い結果を瞬時に返してくれる。

私はこの機能を始めて使ったとき、

「学校ってこういう場所だったのか!」

とピンと来た。


現代社会においては、すべての人間の価値は数値化され、平均化され、平均からの距離だけで人間の価値を評価する仕組みになっているではないか。

裏返せば、数値化できない部分は全て取り除かれてしまうわけだ。

 

 
標準偏差
 

これを標準偏差(≒偏差値)を使った比率で表すと、平均±10%、平均±20%、平均±30%、のように、平均から近いほど「普通」とか「常識」というグループにカテゴライズ(分類)され、

それとは逆に、

平均から遠くなるほど「優等生」や「劣等生」という両極端な異端グループにカテゴライズ(分類)されることになるわけだ。


sd

画像引用元:Metrology: The Science of Measurement


この意味では、赤い部分に属する「優等生」も「劣等生」も異常値ということになる。

なるほど!長年のもやもや感がやっと晴れた気がする。


日本人社会でよく使われる、「出る杭は打たれる」という表現は、

「平均から外に向かおうとする膨張力」>「平均に向けて最適化しようとする引力」

「平均から外に向かおうとする膨張力」<「平均に向けて最適化しようとする引力」

上記のように不等号を逆転させようとする綱引きのようなことを言うのだろう。


勘の鋭い方はおわかりだと思う。

「平均から外に向かおうとする膨張力」 →「出る杭」
「平均に向けて最適化しようとする引力」→「大衆心理」

ということ。


大人たちにいい具合に最適化されてきた素直な子どもたちも、中学生くらいになると思春期を迎えるが、
おそらく、最適化しようとする大人たちの引力に、必死に抵抗する膨張力が最大限に達する時期なのだろう。

大人たちはこの症状を「反抗期」と名付け、子どもたちの対応に四苦八苦させられることになる。

その後、
子どもたちは社会の中で自らを受け入れられるように自分自身を演じるように躾られる。

大人たちは、この自己欺瞞を都合のいい「建前」という概念に摩り替えた。
 


学校は社会の縮図と言われるが、社会に出ても使われる尺度は結局何も変わらないという事を日々実感させられる。

私もいまだに反抗期なので
...


平均とは、山を崩し、谷を埋めた結果、真ん中を通る
1本の直線によって表される概念にすぎない。

私たちはこれを「普通」とか「常識」と表現する。


平均からの距離だけで物事の概念(この場合は人間の価値)を判断すると、
個々のデータの持つ個性そのものを見落としてしまう危険性がある。

上記の最適化を究極のレベルまで引き上げると、カーブフィッティング(オーバーフィッティング)と呼ばれる、現実社会でほとんど機能しない机上の空論モデルになってしまう恐れがある。


「常識を疑え」、と言われる。


たしかに、最適化は非常に便利な機能だ。

しかし、「学校」や「社会」という名の表計算ソフトに組み込まれた計算式そのものが間違っていたらどうだろう?

最適化はすべてのデータの平均を中心に考えられている。

平均は「普通」や「常識」と表現される。


最適化という教育を受けた人間は、最適化された「はず」の社会を作った。

いや、その逆か?

最適化された理想の社会を作るために最適化という教育制度を作ったのか?


それにもかかわらず、現代社会という、多くの人間がこれほど思い悩み、苦しみ、自殺者が絶えないのはなぜなんだろう?

もしかしたら、最適化をするための計算式がどこか間違っているのではないだろうか?

正しいとされているものが、実は正しくなかった。

そんなケースは身近にもたくさんあるだろう。

  

見てきた物や聞いた事

いままで覚えた全部

でたらめだったら面白い

そんな気持ちわかるでしょう

THE BLUE HEARTS情熱の薔薇」)


「長いものには巻かれろ」ではなく「巻かれたふりをしろ」が正解かもしれない。


ひょっとしたら、私たち個々の持つ普通は、最適化された「はず」の社会の普通という概念からズレているかもしれない。

果たして、それは恥ずかしいことなのだろうか?

それを意図的に隠すことを要求される「建前」という社会の仕組み。

嘘と欺瞞に満ち溢れた、この息苦しい社会は私たちから「自分らしさ」を取り除いて行く。


今一度、ゆっくりと本来の自分と向き合う時間を作ってみてはどうだろうか?

もっと自分らしく生きてみてもいいのではないだろうか?

恥を忍びつつ、恥と向き合いながら
...



cagebird2

画像引用元:polyvore 



※追記

数値化できない部分を無理やり評価すると客観性がなくなることは事実。その点、学力試験だけで人物を評価することの有意性は理解しています。
私が言いたいのはそこではなくて、社会の違和感に対しての問題提起です。

シンプルイズベスト


時代の変化は早く、

頻繁にコード進行が変わり、

長調と短調が交差していく。


いつしか、

「♯」や「♭」だらけで、

わけがわからなくなる。



imc2064_2
Franz Liszt 「la Campanella」)


迷ったら基本に戻り、

シンプルに考える。



物事の本質は実にシンプルだ。


黒鍵盤はいらない、

シンプルにシンプルに
...

ただ、シンプルに
...


難しい事を何回やっても上達しない。

目的地を決めて、身の丈に合った階段を作る。

得意なことは
2段、3段、と。

苦手なことは
5段、10段、と。


最初は簡単な事を何回もやる。

感覚でできるまで何回もやる。


何回もやれば、

点だったものが、

線になる日が来る。


感覚でできるようになったら、

階段を
1歩上がる。

あとはその繰り返しだ。

いつの間にか上達している。


物事の本質は実にシンプルだ。


不明点や矛盾点は絶えず突っ込みを入れる。

一方の意見と他方の意見を戦わせる。

どちらの意見も正しい。


自分と違う意見を否定してはいけない。 

感情的にならず、常に論理的であれ。

視野は広く、かつ柔軟に。 

この世界に絶対の正解など存在しないのだから。


納得できるまで頭の中で反復処理を行う。

何回も何回も
...


そうすると強いベースが出来上がる。

これを繰り返すと強い柱が建って行く。

その結果、向かう方向がブレなくなる。


おかしいと感じたら、

素直に最初の手順に戻ってやりなおす。

ただ、それだけ。


物事の本質は実にシンプルだ。


木で言えば、

「根」
「幹」 「枝」 「葉」

のようなイメージだろうか。

時代が変わり、「枝」や「葉」は姿を変えても、

「根」「幹」という本質は以外と変わらないものだ。


枝や葉がたくさん生えて複雑になっても、

「根」と「幹」さえしっかりしていれば、

何とかなるかなと思う。

先人たちが言った

「基本が大事」というのはこういう事なのだろう。


物事の本質は実にシンプルだ。



基本となる軸の部分さえブレなければ、

何とか生き延びれると思う
...



人生は、ワルツのような単純な
3拍子とは行かないけれど...




動画:「Mychael Nyman "My heart asks pleasure first"」



自然に流れるように、


でも決して流されないように。


ハ長調のようにシンプルに、

飾らずに
...


「♯」も「♭」も、

ときどきスパイスにあれば十分かな。

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