柱の裏の落書き

ひまつぶしにぶつぶつ書いてみる

科学と宗教は矛盾するのか?

 

「どのように」宇宙は創造されたのか?

「なぜ」
宇宙は創造されたのか?


「どのように」
ヒトは生まれるのか?

「なぜ」
ヒトは生きるのか?


一般的に、


「どのように(
How)」を問う学問は「科学」と呼ばれ、

「なぜ(
Why)」を問う学問は「宗教」と呼ばれる。


בראשית  

 

【科学と聖書の一致】 

 

「光を遣り、闇を創造し平和をもたらし、災いを創造する者

わたしが主、これらのことをするものである」

(「イザヤ書」第
457節)


これは言い換えれば、まず闇が先にあったということになる。

神によって一番始めに造られたのは「光」だったが、その前に「闇」があったということになる。


「創世記」の最初には次のようにある。

 

「初めに、神は天地を創造された。

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。

『光あれ』」
(「創世記」第
11節)


現代科学で大変重要な地位を占めている科学者にスティーヴン・ホーキングという人物がいる。

彼は宇宙に創造者がいるのかどうかという疑問に対しては、どのような立場も取ろうとはしていない。

ただ彼は、

「宇宙の始まりの大爆発であるビッグバンにおける1秒後の宇宙の膨張率が、あと1億×1億のさらに10分の1小さかっただけでも、現在のような状態に到る前に、重力によって収縮してしまっていた」

(スティーブン・W・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る』より)
 


と述べている。

そうなれば、宇宙は生命を生み出すことはなかっただろうし、彼はこれについて何の説明もしていない。


では、果たしてこれは偶然なのだろうか。


ビッグバンの理論によれば、原初、宇宙の全体はブラックホールの中に入っていたといい、宇宙は極微小に凝集していたという。

そして、預言者イザヤの言葉に対応するように、それは全くの闇であり、また想像も出来ないくらいの熱さであった。

光そのものである光子は絶えず電子と衝突し続け、そのためにこのブラックホールから抜け出ることはできなかった。

つまり、光は宇宙の塊の中に閉じこめられていたということになる。


やがて宇宙の温度が下がると、光子の熱エネルギーが低下し、今まで光子と衝突を繰り返していた電子は水素やヘリウムの原子核上の軌道に落ち着くことが出来るようになった。

そのため、光子は宇宙の塊から自由になった。このことを聖書では


「分かれた」


と言い、

「神は光と闇を分け」(「創世記」第14節)


とある。
そして、

光は目に見える光となり、神学的にも、科学的にも光は光となり、闇は闇となった。

なるほど!こう考えると科学と宗教は必ずしも相反するものではなさそうだ。


 

【天地創造の時間】


聖書では、世界は
6日間で作られたとされている。

一方、科学的理論では宇宙は約
150億年前に誕生したとされている。

これだけを見ると、やはり宗教と科学は相反するようだ。

  

「千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時(ひととき)にすぎません」

(「詩篇」第
904節)


これはダビデ王によって書かれたとされているが、神の目から見れば、
1,000年という月日も、まるで昨日のようなものだったということは、神の時間の感覚は、人間におけるものとは違うということになる。


これはすでに相対性理論的なものになっている。


さて、創世記に世界の始まりの第
4日目について次のような記述がある。
 

「『神は言われた。天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ』

そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を創り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。

神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。

神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である」

(「創世記」第
114節)


私たちの
1日という感覚は、日が昇り、日が沈むことを基準として24時間の周期で巡るというように理解している。

しかし、聖書によれば、太陽は第
4日目に創られている。

では、それ以前の
1日というものはどういうものだったのだろうか。


「創世記」では、天地創造の第
1日目から第3日目について、

「夕べがあり、朝があった」


とあるが、

ここで言う
1日とは、100万年とか10億年といった年代であったということらしい。


さて、天地創造の際の
1日が年代だと考えると、天地創造の6日間が現代科学の言う150億年間と同じであることが分かってくるのだそうだ。

エルサレムのシュローダー博士は相対性理論でこのことを解釈すべきであると話している。

つまり、原初、ビッグバンの最初の瞬間は時間の進行の仕方が現在のものと異なっていたということだ。


相対性理論によれば、原初における光の周波数の平均は、現代の光の周波数の平均に比べて、
100万×100万倍高かったという。

そこで、時間は光の周波数に依っているため、原初の時間は現在の時間よりも
100万×100万倍速かったということになる。

その後、宇宙が膨張し光が引き延ばされ、周波数が原初の
100万×100万分の1になった時、時間は現在の速さになった。

つまり、神の目から見れば、
150億年がたったの6日間なのだという理屈らしい(計算式がどこかへ消えてしまった...)。

このような観点から見れば、聖書の記述は科学的に説明出来るのだということが分かる(らしい)。


哲学書や宗教書は手に取ると、面白くてついつい夢中になって読んでしまうが、精神世界の側面だけではなくて、意外に科学的なのかもしれない。


私はあくまでも世俗的な人間ではあるが
...



(参考: ラビ・ヘンリーノア「ユダヤ教研究」聖書と科学の教えの一致)

(参考: スティーヴン・W. ホーキング「ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで」早川書房,1995年)

行き過ぎた資本主義

 

「鳥はいいなぁ、どこまでも自由に飛んで行ける...



人類はかつて、
空を飛ぶことに憧れた。

やがて、
空を自由に飛べる技術を手に入れた人類は、さらに高く飛ぶことを夢見た。


そしてとうとう、人類は夢を叶えたのだ。

これで私たちはどこまでも高く、遠くまで飛んで行ける。


そしてある日、





燃料が切れた。




915日未明。

連邦倒産法第
11章の適用を申請し、リーマンブラザース社が破産した。


「もしもし、もしもし?

もしもーし?

全身鳥肌が立って、思わず携帯電話を落とした。


結局、アメリカ政府は
AIGを守ったわけだ。

Too big to fail...

救済資金
9兆円か...

そうか。


まぁそうか
...


日銀の定例市場報告を見ると、
デリバティブ取引の全体の残高(想定元本ベース)は、36.4兆ドルと記載されている。

いやいや、もっとあるだろ(笑)


リーマンブラザーズの取引残高が
7,000億米ドル超と言われているが(約70兆円≒日本の国家予算並み!?)、市場規模に対してはあまり影響がないと判断されたのだろうか?


一方で、


AIGCDS(クレジットデフォルトスワップ)の引き受けをしている。

これは簡単に言えば、オプション取引の売り手のことだ。

AIGは、債務不履行があった場合に債権者に対して無限責任の支払い義務を負っている。

CDSの発行残高が4,500~6,000兆円超とも言われているから、デリバティブ取引と比較すれば、こちらの市場規模のほうがはるかに大きい。


結局、
「守らなかったのか」「守れなかったのか」、私のような末端の金融マンにはわからない。



AIGを破綻させると、CDSという保険を契約している債権者はお金を回収できなくなる



債権者は世界中の金融機関だ



AIGを破綻させると、世界中の金融機関は代金を回収できず破綻する



世界中の金融機関が破綻すると、現在の
金融制度は維持できなくなる




リーマンブラザーズはレバレッジを掛けて運用しているイケイケの金融機関に過ぎないから、
そこまで大きな影響はないだろう



だからリーマンブラザーズを見捨てて、
AIG
を救済した


ということなのかな?



月曜日の朝、出社して端末を立ち上げたら、

カバーディール先一覧に、見慣れた「
Lehman Brothers, Inc.」の文字が見当たらなかった。


「本当に倒産したんだ。。。」


先日、六本木ヒルズにブラブラと散歩に出かけた。

ずんぐりとそびえ立つビルの前には巨大な
クモのオブジェクトが屋根のようになっていて、訪れる人たちは足の中をくぐってビルの中に吸い込まれて行く。

足元に「
Lehman Brothers, Inc.」と書かれた石碑がポツンと置かれたままだったのが印象的だった。


river

ゆく川の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、
またかくの如し。 

(鴨長明「方丈記」冒頭より)


A「ふぅー、だいぶ遠くまで来たな。やばいな、燃料持つかな。隣に飛んでる人がいるからちょっと頼んでみようか。すいませーん、燃料を少し貸してもらえませんか?ちゃんと借用書書きますから!着陸したら多めに返しますよ。私こういう者です。ほら、信用できるでしょ?」

B「おー、わかった。そのかわり私も遠くに行く予定だから足りなくなるかもしれない。そのときは少し返してほしい。燃料は今取り出せないから代わりにこの受渡書を先に渡しとくよ」

A「ありがとう、助かります。周りもたくさん同じこと考えてる人がいるからお互いに貸し合ってもっと高度を上げて行きましょう!この上昇気流に乗らないやつはバカですよ、バカ。」

B「それもそうだな!足りなくなったら他から借りて増やす方法があったのか!君はなかなか賢いやつだな」

A「レバレッジってやつですよ。この紙を書くことで無いはずのものを作り出せるんです!人類はすごい発明をしたものですよ。」



昔、経済は社会の血液のようなものだと教わった。

そうだとすれば、
心臓から流れ出た血液は動脈を通って、体中を巡りながら栄養素を運び、静脈を通って再び心臓に戻ってくる。

ここで、血液の量が突然消えると何が起こるのか考えてみてほしい。

人間はこのような状況に陥ると、生命力を維持することを最優先するように
DNAにプログラムされている。

すると、優先順位を決めて後回しにされた部分には血液が送られず、逆に戻すように命令される。

肌のキメが粗くなったり、髪の毛が抜け落ちるのは、生命維持のための優先順位が低く、栄養素の運搬が後回しにされるからだ。

血液が流れなくなると、栄養が行き渡らなくなり、細胞の活動は停止する。

やがて細胞は息絶える。



A「すごいな、100tまでしかつめないはずの燃料がいつの間にか3,000tに増えてるぞ!借用書さえ書けば、燃料は無限に増やせるんだ!これは偉大な発明だ!」

B「おい、そろそろ燃料返してくれ。」

A「おー、必要になりましたか、あなたもだいぶ遠くまで来ましたね。今、用意しますよ。あれ、あと5tしかない、というかこっちも燃料が足りないかもしれないな、まずいぞ。おっかしいな、CさんDさんEさんたちからも100tずつ借りてたくさんあるはずなのに。モニター画面には3000tも残ってるし。Bさんごめんよ、モニター画面上にあるはずの燃料がどういうわけかタンクにないみたいなんだ。悪いけど他の人から調達してください。私は受渡書しかないので。それではごきげんよう。」

B「バカな?借用書ちゃんとあるんだぞ。こんな紙いらないからさっさと燃料返せよ。CDも同じこと言われて困ってるんだよ。地上のEに電話して用意してもらえ、早くしろ!」

AB「~というわけなんだ」

E「無理ですよ、あなたたちのいる場所は遠すぎて運べません。お言葉ですが、燃料なんて最初から存在しなかったんですよ。あなたは100tしか積めないジェット機を打ち上げて周りに借用書を書いて3,000tまで燃料を増やした。いや、正確に言えば増やしたことにした。でもそんなもの最初から存在しなかったんだ。
100tしか積めない燃料タンクのどこに30倍以上の燃料を積めるというのでしょうか。Bさんもそうですよ。あなたは100tしか積めないはずの燃料タンクを満タンにして飛び立ちました。Aさんに100t貸して、Cさんにも100tDさんにも100tBさんは100tしか持ってなかった、自分で100t消費したので差引マイナス300tだ。Bさんの燃料タンクの大きさはそのままです。この意味わかりますか?」


A「それもそうだな、Bさんそういうわけなんだ」

B「なるほど、私たちはうっかり計算ミスをしてしまったようだな」



これから数年後、何が起きるのだろうか。



資本主義というジェット機は高く遠くまで飛び過ぎてしまった。

もうすぐ、燃料切れを起こしたジェット機の群れが一斉に地上に墜落を始める。

墜落するときに緩衝材を敷いておかないと、
ダイレクトに地面に叩きつけられる。

いや、それだけでは済まず、地下の奥深くまでめり込むだろう。

そして、地上に巨大な亀裂が入り、やがてどこかで止まる。

どこか、まではさすがに私には想像できないが
...



景気はあがるときもあれば下がるときもある。

あがったものは下がり、下がったものはあがる。

底なし沼ではない。必ずどこかで止まる。



昔、経済は社会の血液のようなものだと教わった。

血液の循環を止めて一度だけ、じっくりと立ち止まって考える時間があればいいのだろうが、

資本主義の宿命は立ち止まって考えることが許されないのだ。


農家のヒトが小麦を作るのをやめてしまう



小麦がないとパンを作る材料がなくなる



材料がないと、パン屋さんはパンを作れなくなる



パンがないと私たちは食べるものがなくなる



食べるものがなくなると人々は残ったパンを奪い合って戦争になる



やがてパンはなくなり、人々は絶滅する




これから先、どれだけの致命傷を負っても、
地上の亀裂は完治する間もなく歩き続けなければならない。

資本主義の悲しい宿命だ。

立ち止まって考える時間はないのだ。


では、どうなるのか。


無理がたたって、いずれまた同じことを繰り返すだろう。


おそらく、一般論からすれば、

アメリカの株価が大暴落し、日本の株価も連動して大暴落する(と思う)。

アメリカドルの価値が暴落し、日本円の価値が上がる(と思う)。

これは決して日本円が強いというわけではなくて、相対的にアメリカドルの価値が弱くなるからだ。

日本円が強くなるということは、向かい風をもろに受ける輸出関連株を筆頭にやはり日本株は大暴落する(と思う)。

ということでやっぱり日本株は大暴落する(と思う)。

こんな感じだろうか(諸事情により断定表現は控える)。


すでに暴落が始まっているが、どこまで落ちるか想像できない。

現時点で株を持っている投資家の方は今のうちにロスカットしてポジションを直ちに決済するか、ファーアウトの屑プット(プットオプション)でも大量に買っといたほうがいいかもしれない。

プットオプションというのは先に述べた保険商品のようなもので、不幸な出来事が起こったときに受け取れる宝くじのような商品だ。もっとも掛け捨てなので、満期日には紙くずになる可能性もあるが。

ボラティリティ(相場変動率)が急激に跳ね上がる(と思われる)現在のような局面では、屑プットが緩衝材の役割を果たすことで、ポジション全体の受ける衝撃波をうまくカバー(ヘッジ)できるかもしれない。

あくまでも投資は自己責任で、だが。


たいしてこのブログ、アクセスないけど。。。



以前も書いたと思うが、今は国際化社会ではなくてグローバル社会だ。



ウォール街の金融マンたちは、浴槽にオーバーブローするほどの大量の水を注ぎ込み、こぼれないように張りぼての囲いを作り、さらに何倍、何十倍もの水を入れられる仕組みを作った。

高速に墜落して来るジェット機の群れが地上に衝突した瞬間に風呂の栓が抜けてしまうと、世界中の水は栓に向かって一斉に流れ出し、やがて消えて行くだろう。

さらに地上への衝突エネルギーの反動が大きすぎて、無理やり作った張りぼての囲いは津波によって崩壊するだろう。



お金が消える、でもお金は必要だ。

お金を用意するために、先進国は新興国から資金を引き揚げるだろう。

新興国も株価が暴落する。

なんとも悪循環ではないか。


最後になるが、今や実体経済と金融経済は主従関係が完全に逆転してしまった。

実体経済は金融経済に完全に引き連られてしまっている。

地震にたとえれば、実体経済は初動の
P波が到達したに過ぎない。

実体経済は、時間をおいて少しずつ悪化し、やがて本震の
S波が到達するものと思われる。

少なくとも半年、
1年後には立派な大人たちが過去の足跡をたどって答え合わせをし始めるだろう。





もっとも、資本主義の仕組みが維持できていればの話だが
...

人間と機械は友だちになれるのか?


空をこえて ラララ星のかなた

ゆくぞアトム ジェットのかぎり


2003年の47日は鉄腕アトムの誕生日だそうだ。だから明日でアトムは5歳ということになる。

アトムよ、おめでとう!

故・手塚治虫氏が鉄腕アトムを描いたのが戦後から
6年後の1951年、今から50年以上も前のことだ。

アトムは原子の核融合をエネルギー源として動くので、広島・長崎の原爆投下の皮肉を込めて書かれたのだろうか。

「火の鳥」「ブラックジャック」
etc、手塚ワールドは描くテーマが非常に深い。

それにしても、
50年後の未来に原子力エネルギーの恩恵を受けて、社会のインフラが成り立っていることを予言していたとしたら、彼は漫画家の姿をした予言者だったのではなかろうか。

原子力エネルギーに支えられた社会。。。。


で、

私が言いたかったのはそこではなくて、

鉄腕アトムの歌詞は次のようにつづく。

 

心やさしい ラララ科学の子

十万馬力だ 鉄腕アトム



 「心やさしい」科学の子。

そう!アトムには心がある。

なるほど、手塚氏はアトムに心を持たせたのか。

ではなぜ、手塚氏はアトムに心を持たせたのだろうか。


鉄腕アトムのアニメを観ると、悪いことを考える機械と戦うアトムの勇敢な姿を見ることができる。

「ロボット=悪」のようなイメージを持つ人が多いが、なるほどアトムのようなロボットもいるのかと思うだろう。

もっとも、機械には本来、善悪を判断する能力はないのだが
...


おこがましく結論を言えば、機械は社会を合理化するための手段にすぎない。

ゆえに「合理化」の言葉には善悪のモラルは含まれないことになる。

人工知能の研究が盛んなようだが、「
0」と「1」しか認識できないコンピューターに「モラル」という数値化できない部分を関数として表現させる能力を、人間は持ち合わせているのだろうか?

 

******************************** 

合理化 → 社会通念上善悪の区別なく、費用対効果を最適化する作業

効率化 → 社会通念上善悪の区別をし、より良い社会を作るための最適化作業

 ********************************


上記、私の解釈は間違っているかもしれないが。


今、私のいる金融業界ではコンピュータのアルゴリズムを使って、人間の感情を挟まずに予め条件式を設定しておくだけで、マーケット分析、注文執行、手仕舞いなどを全自動で行う取引が主流化している。

さらに、ミリセコンド(
1秒以下)で売買を繰り返す超高速取引の走行実験が盛んに行われている。


手塚氏は、機械と人間が共に生きる世界を描いた。

そこには、無機質に動く社会に対する恐怖感、そして、機械と人間が仲良く暮らせる理想的な世界観が絡み合った複雑な心境を吐き出したものだったのだろう。


近い将来、機械は人間の手元を離れて暴走する日がやってくると思う。

人間の手元を離れたアルゴリズム同士が超高速で瞬時にぶつかり合う金融取引の世界。

近くで見ていて言葉にできないほどの感動と恐怖を覚える。

トレンドが出た方向に仕掛けるプログラムがエントリーのタイミングを判断したとき、
マーケットは一斉に一方通行に偏った極度のバイアスがかかるだろう。

いずれ、これが原因となり、マーケットが大暴落を起こす日も近いかもしれない。


人間にはマネージャーという管理職がいて、
プレーヤー各自のタスクを管理する役割がいる。

①「営業に出かけたふりをして、パチンコに行った営業マンに仕事をさせて売り上げを上げさせる

②「営業に出かけた営業マンが利益を上乗せした契約書と本来の契約書に巧妙に捺印を押させて利ザヤを稼ぐのを見抜く

上記
2つの例は別次元の問題だ。


「合理化」により最大のパフォーマンスを求めるのと、善悪の判断ができる「効率化」は別次元の話だ。

機械が人間の手元を離れて独り歩きを始める日、機械を管理できるモラルを持った機械を作ることが同時に求められると思う(矛盾する主張ではあるが)。

繰り返すが、「合理化」と「効率化」は違うのだ!


行き過ぎた合理主義はやがて破滅する。

人工知能の研究開発も、機械に心を与えるための壮大な試みだ。



かつて、天と地を創造された神は、私たち人間を創造した。

神は全ての生き物を治め、この世界をより完成された理想のものにするために、私たち人間に心を与えたという。

その人間が、今度は自らが創造した機械に心を与えようとしている。

機械に心が入り、私たち人間とコミュニケーションを取れるようになったら、

世界は今よりも理想的になるのだろうか?

その時、私たちは、機械と友だちになることができるのだろうか?



手塚氏の描いた世界を
50年後を生きる私たちに実現できる日は来るのだろうか。。。

X JAPAN 復活ライブ


1997年の解散から約10年、X JAPANついに復活した。

(´▽`)ノワーイ♪(´▽`)ノワーイ♪


3/28の東京はあいにくの雨、とても寒い夜だった。

しかも、機材トラブルのため
2時間半遅れで復活ライブが始まるという前代未聞のハプニング。

誰もが
YOSHIKIの寝坊だと思っていたが、どうやら違ったみたいね。

5万人のファンが雨の中、凍えながら外で待たされた...

相変わらずやらかしてくれんじゃねーかよ、おい(笑)

同僚に仕事押し付けて、しかも早退までしたというのに...



終わらない雨 抱きしめた 夜が朝を迎える
心はまだ 濡れたまま

(X JAPAN 「The Last Song」)



照明が消え、
YOSHIKIのピアノとTOSHIの声が東京ドーム全体に響き渡る。

感情をどうしても抑えられず、涙が止まらなかった。


ずーっと、ずぅーっとこの日が来ると信じて待ち続けた甲斐があった。

HIDE... 天使になってしまったけれど...


復活ソングは、"The Last Song"から始まった。

私は定番の"Amethist"~"Rasty Nail"の流れだと思っていたので、これは想定外の演出だった。

どうやら解散コンサート「
THE LAST LIVE~最後の夜~」から、この物語はつながっていたようだ。





TOSHIの脱退、HIDEの死...

いろんな事があったけど、今こうして復活してくれたのが本当に嬉しい。

YOSHIKIが倒れて最後グダグダで終わってしまったけど(笑)

まぁそれでも、ファンにとっては最高の同窓会だったのかな♪

今後も可能なかぎり参戦しようと思う。

ちなみに私、
29日も行きました...(笑)


どんなに立派な音響機器で
CD流したところで、生音には絶対かなわない。

一体感と強烈なエネルギーの渦巻く空間、やっぱりライブは最高だ!

みなさん、本当にお疲れさまでした。


人間なんていつ死ぬかわかんないし、今という瞬間を精一杯生きなければ!

まさに
HIDEの言う「瞬間の美学」だ、人生気合入れて行けやーーーーー!!


We Are X !!





さて...

年度末にもかかわらず、醒めた視線と暖かい気持ちで見送っていただいた皆さま。

ご理解とご協力ありがとうございました。

本当にご迷惑おかけしました
m(_ _)m

本当に十分すぎるほど間に合いました(笑)


誰か見てるかな
...

日本食

 

火を使わずに、素材本来の良さを引き出す。
 

味付けは必要最低限の薄味で十分。

海の幸、山の幸、私たちは季節ごとの旬な食べ物に舌鼓を打つ。

そして熱燗をクイっと呑んでオアイソ済ましてさっと帰る。

ワハハ。

この繊細さこそ、まさに和食の醍醐味ともいえるだろう。

私が同年代よりもオジサンたちと相性がいいのはジジくさい
20代だからだろうか...


一方、中華料理は、火を通した料理が多い。

中華鍋に素材を入れてとにかく煮る、炒める。

味付けは濃く、とにかく煮る、炒める。

大皿に盛ってみんなで分け合って賑やかに食べる。

自分の分を取ったら、ターンテーブルで次の人へまわす。

紹興酒がグルグル廻ってきて朝まで飲んで、そのまま酔っ払って床に寝る。

ガハハ。

この豪快さこそ、まさに中華料理の醍醐味ともいえるだろう。

うっかり油断すると、ターンテーブルに乗った伝票が私の前で止まるのは気のせいだろうか
...



このように食べ方ひとつ比較しても、「食文化」というのは、お国柄を反映させていることがよくわかる。


*****


日本を出て海外にしばらくいると、これは!と思える日本食にめぐり合える機会が非常に少ない。

おそらく、「職人さんの腕」もさることながら、肝心の「新鮮な食材」が入手困難なことが最大の原因だと思う。

果たして、海外の日本料理屋に入ると値段は割高で、期待値は低くなる。

マズい(大幅にマイナス)、マズい(大幅にマイナス)、マズい(大幅にマイナス)、そしてまぁまぁウマい店がたまにある(小幅にプラス)。

とにかく偏差(バラツキ)が大きく、合成期待値はマイナスになる。


一方、中華料理は、あまねく世界中どこに行っても楽しめる。

おそらく、食材はともかく火を通して濃い目に味をつけてしまうので、どこで食べてもあまり味は変わらないのだろう。

果たして、海外の中華料理屋に入ると値段はお手ごろで、期待値は若干高くなる。

まぁまぁ(プラスマイナス
0)、まぁまぁ(プラスマイナス0)、まぁまぁ(プラスマイナス0)、そしてたまにウマい店がある(大幅にプラス)。

わりと偏差(バラツキ)が小さく、合成期待値はプラスになる。

個人的には、あまりマズい中華料理は食べた経験がない。

マズい中華料理屋を知っていたらぜひ教えてほしい、絶対に行かないけど(笑)


こうして味のバラツキを考えてみると、

日本料理 → 個人商店
中華料理 → チェーン店


のようなイメージだろうか。


そうそう、忘れちゃあいけない!

日本料理、特にお米は水との相性も大事だ。

ヨーロッパなどでは、水が硬水なので日本の米との相性がとにかく悪い。

やはり米は軟水でふっくらと炊くのがいいと思う。

炊きたてのご飯を
20分くらい蒸して、ツヤツヤのご飯をパクッと食べる。

「いただきます!」

くはー、たまらん。至福の時間だ。

私は個人的に、タイ米のような水を吸わないパサパサしたお米は
完全に興ざめだ。

朝起きて、勢いよく
つものも勃たなくなるではないか...

やはり適度に水を吸ってふっくらした米を食べないと何事にも身が入らないのだ。


米、米、米。

果たして、私は米に異常なまでに固執する変態野郎だろうか?

私は決してグルメな人間ではないけれども、
3日以上おいしいお米を食べないと禁断症状が出て発狂しそうになる。


航空技術が発達し、半日もあれば地球の裏側まで移動できる。

インターネットが発達し、世界中のどこへでも瞬時にアクセスできる。

本当に便利な時代が来たものだ。


世界はひと昔に比べて随分近くなったといわれて久しいが、生き馬の目を見抜くといわれるニューヨークの街角でさえ、おいしい米は食べられないままだ。

文化の違いも含め、グローバル社会のルールに合わせたり我慢することはできるようになって来たけれども、おいしい米を食べられないのだけはどうしてもダメだ。

出国前に米を別便で送り、滞在先のホテル周辺で米を炊いてくれるお店を探すのが一苦労でもあり、また楽しみのひとつでもある。


海外に出ると、自分自身のアイデンティティーと向き合う時間が多くなる。

そりゃそうだ、日本国内にいて自分を「日本人」と意識する瞬間は、せいぜいワールドカップやオリンピック、あるいは国境問題のニュースを見たときくらいだろう。

おそらく「日本人」というのは絶対的な概念ではなくて、他の国と比較したときにはじめて「日本人」という相対概念が生まれるのだろう。

すなわち比較対象があってはじめて、私たちは「日本人」になるのだ。

他の国の文化を尊重しつつも、自分たちの国の文化も大切にしなくてはいけないね。

食文化だって、アイデンティティーを形成する上で重要な役割を担っているのだから。


085

 

あーあ。

世界中どこでも、おいしい日本食が食べられるようにならないかなー。


何かいい方法はないだろうか?

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